新型コロナワクチン 製薬会社の隠された意図
ワクチン売買契約に見られる製薬会社の隠された意図といえるものについて、まずは書いていきます。
健康管理、病気治療、生命の救助は世界の誰にも、公正かつ貧富の差なく、どこでも受ける権利があるはずです。そのために世界各国からの経済・技術、医療、教育・科学の支援活動が、特に発展途上国で取り組まれてきていると思います。その人たちの活動を私たちは現地で実際に知ることになり、それぞれの国にある問題と課題を具体的に教えてもらうことができました。
そのような視点からコロナ感染を考えてきましたから、確かに先進国に広がる逼迫した医療体制に緊張した目を向けながらも、他方で少なからず縁のある「アフリカ、インド、そして南アメリカはどうなんだろうか」と思うのが常でした。南北格差、それは貧富の差といえるでしょうが、そのはっきりしている構造の中でのコロナ感染が気になります。
ファイザー社、ペルーに国家財産を差し出せと。
その間隙を縫って、中国製とロシア製が
2月7日(日)、午後7時20分から放送されているARD(第一公共放送局)に「Weltspiegel」と題した番組があります。
この日は、ペルーのワクチン接種現状が報じられていました。数十人の医療関係者が感染で亡くなり、緊急ベッドの空きがなく、酸素ボンベが不足し、しかしワクチンの入手が困難を極めているというのです。
バイオン・ファイザー社と交渉に入ります。しかしアメリカのファイザー社は強硬姿勢を崩さず、交渉は困難に陥ります。ペルー保健大臣の説明では、価格交渉をめぐりペルーが支払い不可能に陥ったときは国有財産――例えば建築物、銀行口座、株券を担保に入れるようファイザー社が要求してきたことが原因だといいます。交渉内容は公表されることもなく、各国それぞれに異なる価格契約だといいます。
こうしたワクチン購入の遅れの中で、ペルーは中国製ワクチンを入手しました。
同じことはアルゼンチンにも該当し、ワクチンの購入優先権を盾に担保を要求され、最後はロシア製ワクチンを購入する決定をしています。
今回のEUとアストラ・ゼネカ社との契約問題も、実は同じような背景を持っていることが、ここから証明されるはずです。
交渉過程、価格決定が公表されることなく、闇の取引になっていることこそが追及・議論されなければならないでしょう。EU側からいえば、製薬会社への研究・開発投資をしています。資金は市民の税金である以上、市民が契約内容を知る必要があります。EUの決定・執行過程が明らかにされ、その上での契約内容がオープンにされなければならないと思うのですが、そしてそれが前回のEU議会選挙の第一の政治テーマだったはずです。
もう一つの問題は、バイオン社及びアストラ社の合資パートナーとの企業間契約がどうなっているのかという点です。ここでも誰が最終的な交渉権と決定権を持っているのかが不明だと思われるのです。
しかし、今回の契約問題では何一つこうした事実が解明されることなく、うやむやのうちに何とはなく事が済んだように、それ以上議論されることがなくなりました。提出されてきた製薬会社側の契約書には、重要な箇所は、全ページが黒インクでベタ塗りされてありました。言ってみれば、われわれは「塀の中」にとらわれ、真実から遠ざけられているといえるでしょう。しかも、コロナ感染に直面して、というところが問題の本質だと思われます。
それらを企業秘密、契約の秘密遵守ということで済まされてはならないはずです。
EUの体質が変わることが期待されてきましたが、現実には旧態依然のままで何の変化も認められません。
「裏技」という言葉があります。アストラ・ゼネカ社とEUのこの間のワクチン納入をめぐる対立交渉の直後、突然、アストラ・ゼネカ社は改めてEUへの900万本のワクチン追加供給すると発表しました。(注)
「なんだこれは、どこから、どうして」と疑念を持たれても仕方がないでしょう。
(注) 当初の契約では2021年第一四半期の供給数は8000万本ですが、「生産の遅れ」から3100万本に縮小され、追加供給で4000万本となりました。
ワクチンは企業利益のビジネスか、全市民の共有財産か?
まず、ワクチン製造をめぐるドイツ国内の反応を見てみます。(注)
・保健大臣(CDU)――国家が製薬会社へ生産を強制することは拒否。
・バイエルン州首相(CSU)――パンデミックの緊急事態に直面して、国家の介入は妥当。ワクチン接種は人間の健康のほかに経済にとっても極めて重要。
・緑の党議会内会派代表――EU と政府はコロナ・ワクチンの生産許容能力の拡大に十分な対策を取ってこなかった。今こそ政府は、投資及び再装備に資金援助する必要がある。
「今こそワクチンのバズーカ砲が求められている」
(注) Frankfurter Rundschau Dienstag, 2. Februar 2021
それぞれ「もっともな」見解であるように思われるのですが、共通しているのは一国内の議論であることです。しかも「ワクチンのバズーカ砲」というに至っては、ここにも戦争・軍事用語が飛び出してきています。それも緑の党から。感情的な対応が、視界を狭めるのではないかと思われます。自戒も含めて。
では、国際的な共同の取り組みの方向性とはどこにあるのかを、「Zeit」紙(注)を参考に討論材料として以下に検討してみます。
(注) Die Zeit 4.Februar 2021
1月中旬にアメリカの大学(Duke University)が行った調査では、世界の全人口の高々16%を占めるに過ぎない〈裕福な国〉が、現在使用可能なワクチン量の60%を購入し、あるいは事前契約(青田買い)で確保しているといいます。
今日までの先進国の基本的な姿勢は、資金力のある国――アメリカ、ヨーロッパがワクチンを購入し、それを貧しい発展途上国に再配分するという考えでしたが、グローバルなコロナ対策にならないばかりか、「先進国ファースト」になれば、その間により危険な変異ウイルスの拡大が考えられることから、インドと南アフリカが共同で、WTOにCovid-19対策に重要な医薬品、医療器具の特許保護を解除するよう申請しました。100ヵ国近い連帯・支援があったと伝えられています。
しかし、アメリカ、カナダ、イギリス、スイスそしてEU諸国は、製薬会社と同様に反対します。
論拠は、ドイツの議論でも同じように特許とその保護は「知的財産」で、「イノベーションへの保証と刺激」を与えるものであるという点にあります。
他方で、NGOs及び経済学者そして保健学者からの批判は、これまで開発され認可されてきたワクチンは、国家の投資によって可能になっており、特許保護ではなく、〈公的なリソース、財団基金、共同の利害の下は、そして生死にかかわるパンデミックを終了させること〉が、ワクチン開発を推進するファクターであることから、今、西側世界の製薬会社に薬品製造と価格を独占させることは、〈不条理である〉と。
次に、そうした議論の中で、では各個人に、あるいは各社会にどのような活動領域と可能性が見つけ出されるのか、いくつかの経験から検討してみます。来たる社会の在り様を論じながら、しかし、単なる理想論に終わらないように、そこでの各個人の社会への自覚的な関りが、最終的には決定的な役割を果たすことになるだろうと考えるからです。そこにまた、批判的な議論が成り立つはずです。
昨年夏以降のチュービンゲン市での対コロナ対策は、先に紹介したところです。ここで指導、監督、運営に当たる女医(Dr.Lisa Federle)の話を紹介します。(注)
(注)Der Spiegel Nr.53/24.12.2020
なぜ、それが可能になったのか、という点に私の興味と関心は向けられます。
「即座に対応した」というのですが、その決断を導いたのが、「2015年の経験から」でした。難民受け入れを組織したのは、自主的に立ち上がった市民のボランティアでした。首相メルケルは周知の「われわれは、やり遂げられる(Wir schaffen das)」とアピールはしたものの、政府はこれといった具体的な対策案を持っていませんでした。これはどこの町でも変わりがありません。日増しに難民は増えてきます。
彼女たちは、車を改装し移動しながら診察と治療を可能にします。後には路上生活者への医療活動も実現していきます。
そしてコロナ流行の中では、街頭でスピード・テストを実施し、病院及び医院(家庭医)の負担を軽減し、さらに家庭医にいけない人たちを診察することも可能になりました。移動・街頭診察を受けに来る人たちは、一日100名近くになるといいます。
老人ホーム、介護センターでのテストも行われています。最初、それに取り組み始めたとき、人は「狂気の沙汰だ!」と言いふらしたものですが、現状は、「今でこそ、それが必要になっているではないか」と、彼女は確信します。
この「2015年の経験」こそが、同じく私たちの対コロナ対策への取り組みの動機になっています。
連れ合いが自主登録している一つの接種センターは、「難民キャンプ」のあったところで、「ノスタルジーもあるから」ここに決めたといいます。
それ故に、難民救援活動と同じく、市、行政そして管理運営機関が、理の通らない不可解な指令と対応をすれば、すぐに自主登録を取り消す予定でいます
次に、視点を変えアフリカの経験を資料(注)から取り上げ、ドイツと比較し問題点を考察することにします。
(注)Deutsches Aerzteblatt jg.117 November 2020 Afrika scheint sicher als Europa(アフリカは、ヨーロッパより安全にみえる)von Jonathan Fischer-Fels 連れ合いが定期購読している医師会の雑誌です。
アフリカのウイルス感染に関しては、例えばHIVあるいはエボラ流行等に際して大きくメディアで報道されることはありましたが、医師団、国際支援・援助の活動が主なもので、住民の具体的な取り組みは稀だったように思われます。
そうした自分たちの経験を踏まえたアフリカ市民のコロナ感染への取り組みが、この雑誌には分かりやすく報告されています。昨年の第一波感染に当たっての記録です。
現在、第2波に遭遇しワクチン入手を含め困難を極めているという報道がなされていますが、第1波の経験から、今後の対応策も引き出されてくるのではないかと思われます。
この記事を読みながら、30年ほど前に行ったケニアを思い浮かべていました。モンバサに宿を取り、そこから周辺の村々に出かけていきます。ちょうど、「冷戦」が終わり共産主義から「イスラム」に次の〈階級敵〉が定められ始めた時期に当たっていたこともあり、モスレムの村を訪ね、厳しい視線を向けられた記憶もあります。村と村は分散し、孤立して距離があります。しかし移動に必要なインフラはなく、凸凹道を車で走るしかありません。
これがロックダウンで重要な意味を持ってきます。逆に、コミュニケーションでの課題になります。
第1波当時のアフリカ全体の1週間の感染率は、ヨーロッパと比較して3分の1といわれていました。尤も、少数のPCR検査と、安価なテストも使用されていますが、公衆衛生が整備されていないことを配慮すれば、「誰も正確な数字を言えない」のが現状だと、アフリカCDC(疾病管理センター)の医者はいいます。
資格のある試験員が不足し、世界市場でのテストキットは高価につき、当初は2つの試験室があっただけですが、しかし国際援助のおかげで昨年9月現在、42に増えています。
そうした条件下での死亡率をヨーロッパと比較してみれば、アフリカ全人口10億2千万人の内160万人が感染し、死亡者数は3万8千人、ヨーロッパ全人口約6億人の内4百万が感染し、死亡者数は20万人になると、アフリカ及びヨーロッパCDCのデーターから説明されています。
ここから〈なぜ、(第1波での)アフリカの死亡者数が少ないのか〉というテーマが持ち上がり、上記のタイトルになっています。
社会・経済条件が、WHO地域ディレクターから指摘されています。
・平均年齢が約19歳の若い大陸。65歳以上の年齢層は3%
・Sars-CoV-2感染者の10分の9が、60歳以下の年齢
・160万人感染者の3分の一が 南アフリカで、モロッコ、エジプト、エチオピアを合わせれば3分の2
・トロピカルな気候と地域に分布された人口、加えて限定された移動可能性が、ウイルスの拡大を制限
次に、HIV、マラリア、結核等、ウイルス有病率の高いことが、免疫システムに大きな役割を果たしているのではないかという仮説がウイルス研究者から立てられていますが、専門外の私にはなんとも言えません。
ただ一つ興味ある点は、いわゆる「富裕国の病気」といわれている心臓血管、肥満、糖尿の患者が少ないことです。
最後に、この記事を紹介した意図は、実に以下のところにあります。そのアフリカの国で第1波にどういう対策が取り組まれたのかということです。先進諸国から視線を変えて、現在のコロナ対策を考え、議論するときの参考になればと思い、これを書いた次第です。個人的には資料として残しておきたいと思っています。
アフリカは、他の諸国に感染が検出される前に、あるいは他の諸国と比べてより早く対策を講じているといいます。
・旅行制限
・外出禁止令
・学校閉校
現在では、ロックダウンの基本対策になっていますが、先にあげた住居地域の分散という地理的条件が、さらに有効に作用したことは間違いないでしょう。
以上は〈対策〉ですが、それが効果を上げるためには、住民とのコミュニケーションが必要です。私は、ドイツのコロナ対策で一番欠けているのが、実は、この点だと長らく考えてきましたから余計に注目し、関心が向けられました。
Community Health Worker(略CHW)が、組織されます。その下で、
・村あるいは共同体の講習を受けた信頼のおける人格としてCHWsは、コンタクト経路の追跡や保健衛生対策を実現するよう指導していきます。
・コンタクトのあった人、「リスク・グループ」への対応でどうすべきかのノウ・ハウは、エボラ感染で「国境なき医師団」等の援助を受けたときの経験があります。
・CHWsはまた病人を確認して、共同体及び村と共同で当人が治療を受けられるよう問題の解決をはかります。
・そして重要な活動の一つは、村や共同体で健康問題についての教育・啓蒙を施し、噂や虚偽の情報から解放していくことです。
・手洗い用の水と石鹸は、各所に設置されてあります。
こうしてアフリカのコロナ感染第1波が克服され、記事のタイトルになりました。
一見して、極めて単純な!と思えるのですが、住民と感染対策部をつなぐCHWの役割の大きいのが理解されます。そういう機関が果たして私たちの周りにあるのかと振り返ってみたとき、〈私たちにできることは〉と質問が自分に返されてきます。
社会活動の個々の経験が共有される必要があるということでしょう。それが、一つの社会システムをつくり上げる不可欠の支柱になるはずです。それを〈連帯〉というのではなかったでしょうか。
コロナに対抗する社会、そしてコロナ後に来たる社会を語り、論じながら、では、どこから始めたらいいのかという問への回答は、先進諸国の富の独占の裏で進むアフリカ、南アジア、南アメリカの現状に視線を向け、それをどう変えていけばいいのかを問い返すことだと思われます。そこに貧富の格差社会を世界の連帯した人民の力で変革していける、唯一の――と思われるのですが、可能性と道があるだろうと考えています。
それが、私たちの社会――私にとってみればヨーロッパですが――を変えるという意味でしょう。 (つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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