ドイツ通信第173号 新型コロナ感染の中でドイツはどう変わるのか(21)

ご無沙汰してしまいました。皆さんお元気でしょうか。

ドイツは、先週気温が37度まで跳ね上がっていました。私たちは休日、祭日休みなしで、この2か月間、ほぼ連日接種勤務についていました。疲れがたまってきていましたが、幸い今週、3日間空きができ、これを書いています。

整理できていませんが、時間を振り返って、この間の経過を伝えられたらと思います。

ワクチン接種センターで働く中で見えて来たもの

まずコロナ感染の現状ですが、統計数字から振り返ってみます。5月から6月にかけて感染数の減少していく経過が日毎に認められます。イースター休日前後の不安な状態から抜け出していく様子が、まさにリアルタイムで伝わってくるようです。

以下に顕著になってくる時期を取り上げてみます。

6月2日新規感染数4,917名(1週間前2,626名)

6月3日4640名(6,313名)

6月4日3165名(7,380名)

6月5日2294名(5,426名)

6月6日2440名(3,852名)

6月7日1117名(1,978名)

5月初旬には、既に3,000―6,000名規模で減少しながらも、日によって増加している日もありましたから、その安定した減少ぶりが分ると思います。私たちだけではなく市民の間には、「オッ!」と日々に報道されてくる数字に目を凝らし、安堵感が漂い始めます。それから今日まで、この傾向は続いています。

そこからドイツは、「コロナ感染の3波を乗り切った!」といわれだし始めました。

季節は夏に向かっています。待ちにまった夏の休暇を目前にして市民は、「今年はどこへ旅行するか」と気もそぞろになっているのが現状です。

政治の動きにもそんな〈余裕〉のようなものが感じられます。5月4日に「ドイツ医師会全国会議」が開かれ、そこで保健大臣(CDU)が、次のように発言しています

「いつも他のすべて(の国―筆者注)がわれわれから学べるということではなく、可能な限りわれわれもまた、他の国から学べるということである」と。

発言内容はまったく正当だとしても、ちょうど1年前の発言と比べて、この変わりように私たちは唖然としたものです。真摯な反省というよりは、未だにどこかに思い上がりの見え隠れしているのが気がかりです。自分たちが「やり切った」から、やっと他の国を、しかも上からの目線で見れるようになっただけではないかと、よこしまな批判をしてみたくなるのですが、そうであれば各国の事情のことなる初期の段階で、国際的な協力で何かを解決していくというコロナ感染で問われた課題の本質を捉えるものではないと思われるのです。

この期間に、私たちは接種センターに張り付けになっていました。「どうなるのか?」というような緊張感と 「コロナの先を越さなければ」という切迫したプレッシャーを感じながらも、徐々にコロナ感染と接種の意味を冷静に考えられるようになってきました。

6月20日現在の1日の新規感染者数は346名(1週間前549名)で、直近1週間の人口10万人当たりの感染者数は8.6 名、他方でワクチンの接種率は、すでに1回目を受けた人が全人口の50.8%に相当し、二回目が31.1% となっています。

数字からは確かに「ドイツは3波を乗り越えた」といえなくもないのですが、しかしウイルスの感染経路が人間の社会関係とコンタクトにあることを考慮すれば、いつでも逆戻りの可能性は大きく楽観視は許せません。ここが夏休みを直前にした現在の議論になっています。

接種センターでペルパーとして働く

ここで接種センターの日々の活動を少し紹介してみます。

私たちは主に、早朝勤務を選んできました。仕事は朝7時半からです。まずミーティングがあります。医師、専門医療関係者(接種担当者)、そしてヘルパー、全部で40人以上の人数になります。最初に3人一組の10チームと緊急医師チームを編成してから、ワクチンおよび接種に関する最新情報とそれへの対応を確認します。それから接種時の注意事項と接種希望者から出される複雑な質問への共通な対策が、討論とともに意思一致されていきます。

門外漢の私には一番緊張するときですが、ドイツの基本的な接種計画とウイルス研究の最新情報を知るうえでの貴重な機会だと思っています。

それから各チームが、それぞれ4か5部屋に仕切られたボックスに散っていきます。ここが接種現場になります。私の一番の仕事は、接種希望者を順にこの部屋に導き、医師と接種担当者の仕事を準備し、次から次に滞りなく回転させていくことです。

最初は連れ合い、そして彼女の元同僚と組んでもらって仕事の手順と内容を教えてもらっていましたが、そのうち、「子どもじゃないのだから1人でするように!」と突き放され、不安を抱えての独り立ちとなりました。4月の初めころです。「誰と組むのか」と思うと、胃が痛くなるほど緊張しましたが、みんな屈託がありません。何人かの知り合いの医師もいます。そうこうするうちに顔見知りができ仲間内で仕事をしているような感覚になりました。勤務空けになると、今度は寂しい思いをするほどで、生活時間をセンター勤務に合わせて編成することになりました。

目につくのが女性の活躍です。女医、そして通常は病院、集中治療室、介護施設等で仕事をしている看護師さんたちが、仕事の合間を見計らって接種センターに自主志願しています。95%近くが女性です。コロナ感染が猛威を振るった時期からのセンター勤務ですから、集中治療室の現状などを話し聞かしてくれました。この時期、彼女たちは精神的にも身体的にも限界に来ていましたが、それでもセンターでの接種活動は「気分転換になる」といって溌溂としていました。そんな話を聞きながら、〈自分は、実にくだらないところで悶々としている〉と思い知らされた次第です。

看護師さんたちの職場の労働時間は長く、きついです。また十分な報酬の支払われていない劣悪な労働条件が明らかになり、議論され始めました。加えてコロナ感染の最前線です。そして家族、子どもとの日常があります。しかし、一度として愚痴らしき発言を聞いたことがありません。

ただ、その日の接種回数が少ない時には、思いっきり怒りをぶちまけています。一交代(5-6時間)で1チームの接種が40-70人を終えてどうにか満足できるのですが、時として20人前後になるときもあり、こうなれば誰もが意気消沈して、言葉数も少なくなります。

集中治療室では過酷な仕事が、昼夜続きます。〈死〉との遭遇であり、〈死〉との闘争です。しかしセンターでは、〈生〉に向けた可能性の追求です。それが、専門医療従事者の精神的な活力になっているのではないかと、彼女たちを見ながら思うこと度々です。

これまで何回も女医、そして女性の専門医療従事者と組んだチームで接種活動をしています。センターに来る接種希望者を私が順番に部屋に導いて、彼女たちに順次部屋番号を指示すれば、女医は「OK!わかったよ!」くらいの意味の「Jawohl!」といいながら部屋を駆け回っています。このドイツ語の言葉が、私の耳から離れません。何と清々しいことか!と彼女たちの仕事ぶりに感動する毎日です。

これが男性の医師になると、「命令か!」と言い返す人もなかにはいて、「いいえ、いいえ、おすすめですよ!」と私からはていねいなカウンターでかわしています。

何れにしても、接種がスムーズに回転していくことへの満足感は感じられます。

当初はヘルパーもまた90%近くが女性で、そのなかで私は寂しい思いをしたものですが、ここにきて徐々に男性の数も増えてきています。感染数が減少したことによって、女性ヘルパーが元の職場に戻ったのではないかと想像されるのです。

接種センターは3交代制で、休みなしですから、それに必要な人材がいかに確保されているのかと考えると、ドイツのコロナ感染対策の主軸がどこにあるのかがよく理解されるのです。この点については最後に書きますが、健康・医療制度を議論するときの重要なポイントになってくるように思われてなりません。

接種に来る市民と新たな出会い

その前に、接種に来る市民との出会いについて書いてみます。

援助に来ている連邦軍兵士が休みで、センターの入り口で通常彼らが担当している体温測定を私がしていた時のことです。若い1人の女性から、「ありがとうございます」と綺麗な日本語でお礼を言われました。「あれ、日本語が話せるのか」と突然のことで戸惑っている私に、「私は、あなたの生徒でした」と。ようやくのこと「どういたしまして」と、なんとも味気のない返答をしたものでした。

つい先日のことです。70歳代後半と思える年配のお連れ合いの2人が私たちのボックスに来られました。「また、来ましたよ。お会いできてうれしいです。元気そうですね」と笑顔で話しかけられました。1回目の接種時に私が勤務していたので覚えておられたようです。私も、「本当に偶然ですね。お二人の元気な姿が見られてうれしいです」と、自分の精一杯の気持ちを伝えることができるようにと必死に言葉を探しましたが、しかし言葉だけで通じるものではないことを、この時ばかりは痛感させられました。もどかしい思いをしたものです。

2回目の接種を終えた2人に、「健康に、素晴らしい夏をお過ごしください」とお別れしました。「あなたも、体に気をつけてくださいね」と丁寧な、そしてさわやかな笑顔を返されました。人の振る舞いを称して〈上品〉と表現する言葉がありますが、ドイツという異郷で年配者の2人から、そんな対応をしてもらい、これ以上の喜びはなかったです。

60歳代のお連れ合いの2人を接種部屋に案内しました。男性の方が、「あなたは、ベースボールの方ですか」と話しかけてくるので、「そうです」と答える私に、名前を呼んで「体つき、髪形、髪の色からすぐわかったよ」と。この奇遇を接種を尻目にお互い懐かしがっていました。私がクラブの監督をしていた当時、彼らの子供2人がチームに所属していたことから、両親との親密なコンタクトがありました。クラブ行事では、いっしょに準備、後片付けをした仲です。

話したいことは山ほどありましたが、次から次に接種希望者がやってくるので長話ができないのが残念でした。

またセンターの接種受付窓口には、日本語の話せる担当者がいて、彼が「日本の方ですか」と話しかけてきたのが弾みとなって、それ以来会えば、「おはようございます。お元気ですか。今日も頑張りましょう。よろしくお願いします」と大声で話しています。彼は日本で生活したことがあるといいます。このへんの事情は、何時か、時間があれば詳しく聞いてみるつもりです。まわりの人たちは、「何事か!?」と興味深く振り返りますが、お構いなしに日本語を話しています。

しかし、ここまで来るのに4か月かかっています。特に外国人となれば、そんな遠慮はいらないと思うのですが、直接話しかけるまでにドイツ人のなかに躊躇があるように思われるのです。ましてや、外国人では数少ないヘルパーの私に話しかけるまで、ためらいがあったのだろうと思われます。

同じようなことは、2人の若いペアーにも経験があります。接種が終わって、観察時間に男性が私の胸につけている名札を何回となく注視していることに気付きました。しばらく経って、「日本人ですね」と。それから、昨年、コロナ感染前の2人の日本旅行について話し始めました。「何か困ったことはありませんでしたか」という私に、「日本の人は親切で、全然問題なかったです。ぜひもう一度、行ってみたいです」と。

ここでも話しの時間が足りなかったです。

どうでもいいようなことを書き連ねましたが、言いたかったのは、〈コロナは人と人を近づけ、結びつけた〉という一点です。

コロナ禍で私たちは、こうして数百人の人たちとの新しい出会いがありました。全然今まで知らない、無縁な人たちです。接種センターには活動的な社会が現出しています。

コロナ禍ではコンタクトは厳しく規制・制限されていました。友達にも会えません。外出も活動範囲も限られています。話すことも考えることも、それによって狭められました。では、どうすればいいのか。それが学校、職場、そして家庭での各市民の悩みでした。別のどんな可能性があるのか。それの見いだせないところに、精神的な苦痛からの解放はありません。それによって対立が顕在化していきます。社会の分岐も進みます。

私が接種センターで経験していることは、それに向けた一つの議論の素材を提供しているように思われます。

なぜ健康・医療体制が崩壊したのか

そして、なぜ健康・医療体制が崩壊したのか。資本の利潤第一主義が医療従事者に低賃金を強い、加えて彼らを職場から解雇することによって労働強化と劣悪な労働条件が導入されました。人間の健康維持ではなく、利益をどう確保するのかが、医療制度の目的になりました。緊急時に備えたベッド数もそれに応じて減少されていきました。この問題点を暴いたのが、コロナ感染であったことは、これまで批判され、議論されてきているところで、今更、私がここで事を取り立てて何かを言う筋合いでもないのですが、問題はここからです。だから何を、どうするのか?

接種センターの経営・運営は、基本的に市町村の管轄になり、市民の健康を維持するための施設として、必要な人材が地域から自主志願してきています。ここでは差し当たり経営費・人件費は莫大な額になると思われますが、コロナ禍による経済損害と比較した時、実情では議論の外に置くことは許されるでしょう。健康な社会が成り立てば、また市民が健康で経済が持ち直せば、その規模と額は減少してきますから、私の興味は構造にむけられます。

社会制度の一環として組み入れられる健康・医療

センターは公共の施設、資本の独占ではなく社会の共有といっていいかと思います。接種に関する中央政府の方針に基本的に拘束されながらも、しかし運営・経営に関しては独自の決定権を持っています。ドイツ各地にあるいくつものセンターの模様をミーティング時に画像で見せてもらいましたが、地域によって様式、運営もさまざまです。しかし、健康・医療が社会制度の一環として組み入れられているという点に関しては共通しています。

従来の新自由主義的な観点からすれば、ここに資本が入り、つまり私企業が経営・運営権を握るという構造になり、接種センターがこの資本によって経営されれば、地域社会に根を張ることは不可能だろうと思われます。動機が異なるからです。

市民を自主動員していく動機とは何か、この問題が議論のなかで忘れられてはならないだろうと思われるのです。

その可能性を持つ制度は、社会の共有化以外には考えられないのです。

これは2015年の「難民問題」の時にも議論されました。ここにきて新しい議論と運動が起こりつつあります。接種―医療制度議論にも共通するものがあると思われ、私の今後の問題意識として、以下に紹介しておきます。

ヨーロッパ市町村同盟に参加する9か国、40以上の町の市長が、EUの捗らない難民問題の解決に向け、独自のイニシアティブをとり、独自の難民受け入れをアピールしています。

タイトルは、「人間性、連帯、自由意志」で、市町村が難民問題で積極的に政治参加するために、各市町村は一定数の難民受け入れことができ、また割り当て数を越える難民も自由意志(志願)の下で受け入れようになるべきべきだと訴えています。

参加者は、難民を救済してきた海難救助グループの呼びかけで、南イタリアの港都市パレルモで、“From the Sea to the City”と題する会議をもち、市民社会からのイニシアティブを訴え、同時にEUを批判しています。(注)

(注)Frankfurter Rundschau Samstag/Sonntag,26/27. Juni 2021

2012年イタリアへの難民流入、そして2015年の経験がありながら、EUは難民問題を解決できないどころか、EU内の政治対立を激化させてきました。その現状へのヒューマンな怒りが、今回のアピールになったのだろうと思われます。私たちにも同じ怒りがありました。

EUは、ヨーロッパ市民のボランティア活動を発展させることができず、逆に中央からの政治規制と統制で社会運動を解体させてしまいました。

今回の動きは、間違いなくそれへの市民の下からの反撃であることは間違いないでしょう。

ここにコロナ対策と難民問題の共通点が見出されます。

次回は、この間のコロナ対策に関する議論の経過を後付けてみることにします。

(つづく)

*【見出しは編集部】

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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