ドイツ通信第188号 ロシア・プーチンのウクライナ軍事侵攻で考えること(3)

第二次世界大戦がナチ・ドイツの敗戦で終結してから今年で77週年を迎え、さらにロシアのウクライナ軍事侵攻のなかでおこなわれた5月8日、9日の当該諸国の記念式典では、現ヨーロッパの幾層にも絡み合った戦後関係が浮き彫りにされているように思われました。

1965年以降、5月9日のモスクワで例年行われている〈対ナチ戦勝パレード〉では規模が縮小され、加えて当初予定されていた空軍機による〈 Z 〉文字を式典頭上に浮き上がらせるプログラムも、直前に中止されました。理由は、「天候不順」といわれていますが、当日は前日におこなわれた総合リハーサルと同様な天候条件でしたから、そこから様々な憶測が流れます。そのうちの一つで真実性のある説は、〈 Z 〉という文字は、それを見る地点によって〈 N 〉と読まれる可能性があり、〈 N 〉からプーチン批判派のアレクセイ・ナバリヌイ(Alexei Nawalny)を連想させてしまうからだというものです。

歴史的に重要な式典で、現実のウクライナ戦争の軍事戦略をアピールするより国内の反対派に、しかも見方によっては別の解釈が可能だという些細な事柄に神経を使わなければならないプーチンの精神状況は、ウクライナ軍事侵攻の内実を語り尽くしているでしょう。

「戦争宣言」ができず、また戦死者の存在を自白しなければならず、さらに今後どう展開されていくのか軍事侵攻の将来的な方向性も語れず、ただ「西側・ネオナチの脅威に対する防衛・反抗」を強調しなければならないプーチンは、ウクライナへの「スペシャル・オペレーション」の自縄自縛にはまってしまった観があります。こう言ってよければ、抜け道がなくなっているのです。

それを象徴するように、5月の初めにロシア・外務大臣セルゲイ・ラブロフはイタリアTV 局のインタヴューに際して、ウクライナ大統領ゼレンスキーをヒットラーになぞらえ、さらに「ヒットラーにもユダヤの血が流れている」と言い放ち、この発言を現実に解釈すれば、〈ユダヤ人大量虐殺の責任がユダヤ人にある〉ことになり、「スペシャル・オペレーション」の反ユダヤ主義を暴露したことになります。

歴史の偽造であることはいうまでもないですが、同時にソヴィエト体制下での反ユダヤ主義とナショナリズムへのロシアの歴史責任を回避・隠ぺいしようとするものです。

一方で「ネオナチからの解放!」を政治プロパガンダにしたプーチン・ロシアのウクライナ軍事侵攻は、実は反ユダヤ主義とナショナリズムによるウクライナ国土と住民の絶滅を目的としたものであることを自白したことになります。

キエフから西に向かいポーランドとの国境近くにレンブルク(Lemberg、英語表記でLviv・リヴィウ)という歴史を残すきれいな町がありますが、ここではオーソドックス派、カトリック派そしてユダヤ教が共存しながら多様な文化と社会を築き上げてきたといわれています。同じような歴史はウクライナの他の町々、そして東欧諸国にも見ることができます。そういう町に足を一歩踏み入れれば、すぐに社会の懐に招き入れられるような居心地のいい感覚を覚えるものです。

それが現在のウクライナの反抗と抵抗の強さになっているのだろうと考えています。それ故に、プーチンはその文化と歴史を根こそぎにして、市民のアイデンティティーを解体してしまうことを軍事目的にしているはずです。

これは軍事テロと同時に心理テロでもあり、そのためにソーシャル・メディアを駆使したプロパガンダが重要な役割を果たすことになります。

しかし、人々が生きる国を消滅させることがはたして可能か、どうか? 最終的な問題はこの点をめぐっているように思われます。

そこからプーチンが軍事侵攻に行き詰まり、ウクライナ戦争の展望が開かれてくるのではないかといえば、それは別の問題であるように思われます。

何故なら、プーチンがソヴィエト(スタ―リン主義)体制の政治原理を引き継ぐ限り、当時の軍事ドクトリンといわれる、〈デエスカレーションのためにエスカレーション〉というマヌーバーが、今なお生きているからです。

その自己矛盾が、戦死者の数をプーチンさえ無視することができない現状を生み出しています。ロシアは公式に約1,300名の戦死者数を認め、しかしイギリス情報部、メディア等の国際的な報告では1万5,000~2万5,000人と見積もられ、戦闘参加を拒否する20歳前後の青年の数が日毎に増え続けていると伝えられています。この傾向は4月以降顕著になってきているようです。

お棺に入れられて家に戻ってきた息子を迎える母親の姿が、ドイツの公共TV番組で報道されていました。

見慣れ、本で知らされたロシアの貧しい農村風景が見られます。当局の担当者は遺体を地面に置いて、家族に届ける義務を果たしたといわんばかりに言葉なく去っていきます。母親、近所の人たちが遺体を受け取り、そして寄り添い同じく言葉なく悲しみにくれます。

〈死の意味〉が理解できないのです。戦争ではなく〈スペシャル・オペレーション〉(=「特別軍事行動」)ですから、死者をどう弔っていいか官僚にも家族・住民にもわらず、途方にくれます。

この状況は、「ワイマール共和国100周年」展示でもテーマになっていて、1918年ドイツの敗戦時と同じく、何の、誰のために戦死したのか戦争指導者から説明されることはなく、どこに埋葬していいか、例えば国の戦没者墓地か、市町村の公共墓地か、あるいは閑散とした農村の単なる家族墓地か、誰も決められないのです。

他方、モスクワではロシア国旗とZ旗が翻り、市民はプーチン賛歌とウクライナ軍事侵攻へのプロパガンダに浮かれています。都市部にも同年齢の青年がいると思うのですが、彼(女)らの姿は〈ドラッグ酔い〉の観を呈していてそれを見ながら、お前らに徴兵義務による戦闘参加はないのか?仲間内での戦死者はいないのか?と、単純な疑問が持ち上がってきたものです。

ロシアの経済を支え、発展させてきた20-30歳代の専門職、スペシャリストの数千、数万人がビザ、滞在権、言語の関係ですでにポーランド、モルドバ、グルジア等周辺の旧ソヴィエト圏に国外脱出したとも伝えられています。

ロシア―プーチンの国内問題はこのへんにあるように思われます。それは言ってみれば、ほんの一部の新興財閥とプーチン閨閥がロシア財産の大部分を握る都市部と、冷戦終結後30年経ってもあまり変化のない、以前とたいして代わり映えしない農村部の二極構造へとロシア社会が分裂している姿を、そこに住む人たちの現実対応の違いとしてみることができます。

他方で、個人的には最も興味のあるテーマですが、世代間の亀裂が今後の軍事侵攻の経過と発展に何をもたらしてくるのかという点です。

何故なら、ナチによる900日のスターリングラード包囲絶滅戦を闘い抜いて勝利した年代層で、実体験した史実を語れる人たちの数が年々減少し、現在高々数えられほどになっていることは想像できるところです。

それはまた、子どもにも伝えられているはずです。学校教育でも――仮にどのようなイディオロギー的な偽造操作があるとしても、学んできているはずです。この世代が、ウクライナ国家の絶滅に駆り出される青年層の親の代に当たります。

祖父母、両親の「対ナチ解放」はロシア国家を防衛し、ナチ・ファシズムの敗退を決定づけた輝かしい歴史的な戦闘でした。他人に誇りをもって語り伝えることができるでしょう。

その親の元に、ウクライナ戦争に動員された子どもの遺体だけが届けられ投げ置かれれば、「ネオナチ解放」とはどのような解放闘争であるのか自問されるはずです。「対ドイツ・ナチ解放」と「対ウクライナ・ネオナチ解放」の違いとは何か?

プーチンは、市民がこの〈自問すること〉を恐れているのは間違いないでしょう。戦没者家族への経済援助と子どもの教育保障は、戦時といわず平時での国家の当然の義務であり、それをとり立てて5月9日という歴史的式典で述べなければならないというのは、プーチンのウクライナ戦争批判の声が大きくなる前の口封じ以外の何物でもありません。

世代間の歴史認識上の違いをプーチンは、早くも気づいていたと思われる節が認められます。2012年国会年頭演説で、彼は「スピリチュエルで伝統的な」価値を強化することを訴えています。これはロシア社会内に進行するモラル危機に対する彼なりの回答で、翌年に予定されていた〈伝統的な性的関係を冒涜し、非伝統的な性的関係を要求する行動に反対する法案〉を準備することでした。

そして2013年にはプーチンは、ロシアおよび国際的なジャーナリスト、政治家、学者のミーティングに際して、ロシアがモラル的に退廃している西側世界への対抗モデルになることを訴えます。西側世界では「その元々の根とキリスト教的な価値」がおろそかにされてきたというのが彼の論拠になります。

その直後の2014年にウクライナ民主化革命がおこります。この革命をクレムリンは、親ヨーロッパ革命とみなし、西側から操作・誘導されていると解釈しました。

ウクライナのロシア語系市民が、「ネオナチ」の影響下にあるウクライナ政府の「ロシア・フォビー」の犠牲者になっているという分析からロシアのウクライナへのサイバー攻撃、政治そして軍事介入が導き出されます。(注)

(注)Le Mond diplomatique April 2022

Wer sind die russischen Falken?–Hinter Putins politischer Radikalisierung  steht

ultranationalistische Ideologen von Julietta Faure

この論文は、ウルトラ・ナショナリストとプーチンとの関係に言及したもので、年代的にはソヴィエトが崩壊した1990年前後から書きおこされていますが、それ以前の歴史に関しては、私は知りません。そのウルトラ・ナショナリストには、いくつもの流れが見られます。論文に従って羅列すれば、

・スターリン信奉者

・ナショナリスト

・君主制―オーソドックス派神父

・保守派ムスリム

・ユーラシア理論家

・KP党員

と一見すれば単なる野合集団に見えるのですが、これらのグループをつなげているのはソヴィエト後の民主化、経済のリベラル化と新興財閥の台頭、さらに社会の西欧化への批判です。「ナショナルな愛国主義」でグローバリゼーション批判とロシアの国家主権と大国としての絶対的な意志貫徹を要求することになります。

次に、この問題が世代間にわたってどのような反響を呼び起こすのかを検討してみます。

ナチ・ドイツの絶滅戦から祖国を防衛し、ファシズムを打倒した世代は、ソヴィエトの政治安定と生活面での経済的豊かさに将来の希望を託すことになったはずです。しかしその後の冷戦構造とソヴィエト体制の崩壊、そしてそれに続く90年代の経済的混乱と生活苦は「祖国防衛」の意味を問い直すことになったことは間違いないところでしょう。

そう考えたとき、2000年代の初めころだったでしょうか、スペイン、ポルトガルをはじめ世界で〈テント村〉がたてられ、社会的不平等と貧困に反対する運動が取り組まれた際に、同じくイスラエルでは、集会とデモに参加するホロコーストを生き延びた年配女性のインタヴューがTVで流されていて、その一言に強い印象を受けたものでした。正確な発言は記憶にありませんが、概要以下のようになります。

こんな生活のためにホロコースから現在まで生きてきたわけではない。(ホロコーストを現在まで生きのびてきたのは、こんな生活のためにではない。)

90年代のロシアは政治および経済の体制的な方向性が定まらず、資本攻勢のなかで不安定な状態に叩き込まれていたといっていいでしょう。

しかし、資本の流通が止まることはありません。ロシアの地下資源を基にした莫大な資本を運用・管理する次世代が育ってきます。ITを駆使する少数精鋭の「新ロシア人」が、政治家、官僚、軍、秘密警察共々国家と資本を掌握することになります。解放された社会ではなく、むしろ逆に閉鎖された一部の特権的な階層が作り上げられることになり、多数は周辺に追いやられ、富の分配に与ることはありません。

10代、20代の青少年・少女はそれによって教育の機会均等から締め出され、職業選択の自由を奪われることになります。将来への展望はありません。仮にあったとしても、資本と資産が決定的な意味を持つ弱肉強食の競争社会で、そこからはじき出された者の生活が保障される職業は軍隊です。そして思想のラディカル化と宗教化、原理主義化が進みます。

同じような社会構造はイスラム諸国でも見られ、イラク戦争後にはイスラム原理主義――ISテロが同様の背景をもって台頭してきました。

同じ世代でも一方では、資金にあふれ高級な飲食・装飾品に囲まれたデカダンスな生活を堪能する少数派グループがあるかと思えば、他方にはウオッカのラッパ飲みと戦場で命を落としていく多数派グループが存在することになります。

90年代の初めに私たちが旧東欧諸国の街角で見かけたのは後者のグループでした。もっとも、私たちはそれ以外の地域に足を踏み入れることなどとてもできない身ですから当然といえば当然で、一部を見ただけで全体を語るようで認識の一面性は免れないのですが。

2012年5月、プーチンは再び大統領に返り咲きました。その直前の冬には大統領選挙の不正に抗議する大規模なデモが取り組まれました。これに対してプーチンを支持する青年同盟(Naschi)と青年親衛隊(Molodaja Gwardija)が一躍前面に躍り出て、脚光を浴びるようになりました。(注)

その様子をTVで見ながら、「何事か!?」と目を見張ったものです。

(注) 同上

今から考えると、プーチンはロシアの新しい活性力と躍動力を演出したかったのでしょう。ロシアに欠けていた要素です。対ナチ解放戦闘の歴史を知らない世代を、ソヴィエト後のロシア社会に取り込んでいく必要性を感じていたのだろうと思われます。

2~3年ぐらい続いたでしょうか、その後メディアからこのグループは姿を消しました。何故かは、わかりません。

それ以前のEUとロシアをめぐる政治対立の経過を整理すれば、以下のようになるでしょうか。

1994年  1回目のチェチェン戦争――分離主義者援助

1999年  NATO東方拡大――ハンガリー、ポーランド、チェコの加盟

NATOのセルビア爆撃(UN決議なしのバルカン戦争)

1999―2009年 2回目のチェチェン戦争

2004年 ウクライナ民主化運動――オレンジ革命

2008年 グルジア戦争

ここから、ロシア・プーチンの戦争に必要な国民総動員に向けたキー・ワードを読み取ることができます。ロシアの大国主義的拡張を正当化するために一方で「テロリスト」、他方で「ナチ(ネオナチ)」のプロパガンダが生みだされたことになります。事実かフェイクか、ここでは論外です。とりわけ対ナチ・ファシズムとの闘争に勝利したソヴィエトの誇りをもう一度、歴史の記憶から引き出してくることでした。視点を変えれば、プーチンは誰もが批判できない歴史の力を借りることによって、足場を固める必要があったことになります。そこまでロシアの社会亀裂が進んでいたとも言えます。絶対的な独裁権力の下では、批判的思考と議論は許されません。

しかし、これが逆に独裁権力――プーチンの弱点になります。歴史は事実の積み重ねです。事実の検証から歴史を再確認するというのが人間の思考方法だとすれば、ウクライナ政府を「ネオナチ」と規定する根拠がありません。根拠のないところに外務大臣の暴言が吐かれたことになり、プロパガンダの反ユダヤ主義の本音が暴露されたということです。

戦争目的のない軍事侵攻、家族に届けられるお棺の数、戦時下のインフレと経済苦境――これらの要素がプロパガンダの化けの皮をはがしていけば、市民が事実関係に目を向けていくことになるのは、どこであれ、誰であれ、人間理性の本能だろうと考えられるからです。

これが私の希望であり、そのために何をすべきかが議論されなければならないと思っています。

これからのウクライナ戦争の進展を考えるときに、この点は実に重要な意味を持ってくるように思われます。

そこで、これに引き続いてドイツの議論をまとめる予定でしたが、今日はここで一旦打ち切ります。ただ、一つ言えることはウクライナ支援が、〈武器供与・援助〉議論にのめりこんでいっている感のすることです。

個人的にも武器援助の必要性は理解できるのですが、戦争を食い止められるのは、はたしてそれだけか? その代償は? というところで堂々めぐりしています。

(つづく)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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