ドイツのウクライナへの武器供与・援助をめぐる声高な議論――これはこれで重要であることは言うまでもないのですが――のあいだに伝えられてくる報道の中から、プーチンの軍事侵攻の今後を見極めていくうえで大きな意味を持ってくると思われるいくつかのポイントを整理してみます。
1.ロシア兵士の最初の裁判がウクライナでつい数日前に開かれ、21歳の青年に「戦犯」の 罪で「無期懲役」の判決が言い渡されました。彼は犯行を認めています。
ウクライナの北東にスームィ(Sumy)というロシアと国境の接する州があります。その州に属するウクライナ系、ロシア系そしてポーランド系住人の共存する入植村(Tschupachiwka)があり、そこで戦車隊の一員であった青年はロシア部隊の撤退時に、自転車で道路を通り抜けようとしていた62歳のウクライナ人を射殺しています。司令官の命令を彼は当初拒否していますが、その後犯行に及ぶことになりました。
重要と思われるのは、この戦犯行為の背景にあるもう一つの事実関係です。
彼は、軍隊以外には職の見つからない貧しいシベリアのイルクーツク出身です。母親がプーチンに、「子どもを返してほしい」という手紙を書きましたが、これまで「返事がない」と伝えられています。
戦争捕虜の相互交換も考えられますが、国に帰ってきた兵士たち、そしてその家族の社会と世論への影響をプイーチンは無視することができないはずです。
2.1週間ほど前に開かれたサント・ペテルスブルクでのコンサートでは、若い人たちが「ウクライナ戦争反対」の大歓声を上げたと伝えられており、町々ではゲリラ的な反戦のステッカー張り、壁へのスローガン書きが続けられ、20歳前後の若い人たちの抗議行動は、根強く続けられているようです。
3.〈プーチンの私兵〉といわれるエリート親衛部隊から115名のウクライナへの戦闘動員を拒否する メンバーがでてきているといいます。彼らの言い分は「国内の治安警備と対テロ」が任務で、国外の戦闘要員ではないというのが理由です。ウクライナへの軍事侵攻は戦争でないことから、出動を拒否しても軍事裁判にはかけられない盲点を衝いていることになります。部隊員の頭の中には、ウクライナへの動員は即〈戦死〉、あるいはロシアの〈ウクライナ同胞を殺せない〉という意識が働いているのだろうと想像できます。彼らは解雇されました。
4.中近東、アフリカでの食糧不足と小麦粉製品、例えばパンの値上がりにより、このまま戦争が続けば住民の生存――生命そのものが脅かされることになります。とりわけアフリカでは通常でさえ気候変動と脆弱なインフラから貧困、飢餓が常態化しているのが現状で、TVに映し出される可能な限りのパンと食料を探し、買い求める住民の長い行列を見ながら過去にアフリカ、中近東で出会った人たちを想像しています。
EU委員会議長(フォン・デア・ライエン)は、「穀物がロシアの武器だ!」と何か新しい発見をしたかのようにアピールしていましたが、ロシア側からは「穀物のほかに石油、石炭、ガスの武器もあるぞ!」と高笑いの声が聞こえてきました。
5.食糧不足の中でインドは小麦を国内の食糧にあて、世界が必要としているのはわかるが、 国外に持ち出されば投機が始まり、価格が急上昇して、インド、世界の人たちの手に入らな くなる。西側世界の言いなりにはなりたくない。コロナ禍で経験したとおり、西側世界は民主主義、連帯を語りながら、ワクチンを買いだめして、世界の市民には届かなかった。同じことを繰り返したくない、と述べています。
一つの線で結ばれてきます。ロシア―ウクライナ―EU-アフリカ―中近東、それにNATOからアメリカに結ばれ、インド、中国を含めアジアまで連なる戦線が見えてきます。
以上の個々の情報は各新聞社、各週刊誌、公共TV局のオンラインで見ることができます。これまでの報道傾向はどうしても軍事戦闘の一進一退に偏りがちになっていて――と個人的に思われるのですが、その背後で市民と社会のなかに何が進んでいるのかを知ることができなかったですから、重要だと考えここに記録しておきました。
実際にそうでした。プーチンの軍事侵攻以降、新聞、TV定時ニュースに毎日釘付けになっていましたが、1か月、2か月もすると同じことの繰り返しで、報道基調、議論には何も目新しいことが認められず、むしろメディアが戦争を煽っているとしか思えなくなり、夜のTV定時ニュースも日に1局1回とし、政治討論はまったく無視するようになりました。
コロナ感染のときも同じでした。周辺で騒ぐだけ騒いで、市民に不安を振りまきながら、結局は市民が路頭に投げ出されたような状態になっていました。
長引くことが予想されるウクライナ戦争を前にして、市民を携えどう終結まで連帯行動を持続させられるのかが、今問われているように思います。目標の見えない戦争の「議論疲れ」がヨーロッパ市民の中に出てくる危険性 も十分に考えられるところから、この点には十分な配慮が必要でしょう。
そうした観点から、ドイツの議論を整理してみます。
ロシアのウクライナ軍事侵攻の3日後、2月27日日曜日に特別議会が開かれ、そこで首相ショルツ(SPD)は「時代転換」を宣言します。ウクライナへの武器援助・供与と連邦軍の再軍備です。これは戦後ドイツの基本方針であった
1.戦争を二度と繰り返さない
2.戦争当該国への武器提供をしない
合意、すなわち「タブー」が打ち破られたことを意味します。直前のプーチンとの外交交渉が破産したことから、「プーチンが虚言を吐いた」(外務大臣ベアボック、緑の党)ことに対しての現実的な対応でした。
SPD(社会民主党)、緑の党(Grüne)、FDP(自由民主党)連立3党に野党CDU/CSU(キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟)が賛成し、左翼党が棄権、AfD(ドイツのための選択肢 )が反対の投票をしています。
「ウクライナへ武器を!」とウクライナへの連帯・支援と、同時にプーチン・ロシア弾劾・批判の声が高まり、2015年の経験をもとに、戦争避難民の受け入れが始まります。
その勢いを受けて、ロシアのウクライナ軍事侵攻がウクライナ軍の武装化で十分に食い止められ、ロシア軍が国境外に押し戻されれば、ウクライナの軍事勝利も可能だという観測が一般市民の中に流れ始めたことは事実ではないかと思います。
しかし、プーチンが〈有り余る武器〉で、長期戦で臨んでいることも明らかになってきます。
経済大臣(ハーベック、緑の党)は、こうしたジレンマを概略、次のように表現していました。
「ウクライナで血を流し、命を落としていく人たちの現実を目の前にして、自分たちの手を汚すことなく理念は語れない」
それ故に「武器を!」が現実的な連帯の証になり、議論がそこに集中していきます。
キーポイントは、歴史的で原理的な理念が現実に遭遇した時、つまり平和と民主主義を語りながら、外部から強制された戦争に直面して人はどう判断するのかということでしょうか。
ハーベックの現実認識が、現在のドイツのジレンマを適切に言い当てているように思います。
興味ある調査結果があります。各政党の武器供与・援助に関する賛成率です。(注)
FDP 70%
Grüne 67%
CDU/CSU 53%
SPD 45%
AfD 12%
(注)Der Spiegel Nr.19/7.5.2022
この数字をどう解釈するのかで、議論の方向性もつかめるのではないかと思います。
1.まず、FDPと緑の党の支持率の高いことが、私には意外でした。両党派は20-40歳代の若い年齢層、言ってみれば戦後世代を基盤にしている政党ですから、「戦争反対」世代に属し、武器供与、再軍備には強い抵抗感があるはずです。そう私は考えてきました。
しかし戦争は、彼(女)らを苦悶なく――と思われるのですが、まったく正反対の道に導き入れました。
FDPがコロナ対策にあたって「自由」「個人の決定権」という「基本権」を、社会的な共同性と対立させ、市民の中に混乱を持ち込んでいることは記憶に新しく、現実的には〈個人の自由(な競争)〉という新自由主義の本音を暴露することになります。
したがってウクライナの「国家主権」防衛、確保を援助することは、FPDの論理に従えば「基本権」を主張する者の義務になり、そのためには戦争に勝利しなければならなくなります。
しかし問題は、個人の社会的な共同性と同じく、一国の国際的な関係性の中では戦争を終結させるどころか逆に拡大する危険性の方が大でしょう。国家間の戦争のエスカレーションが進むからです。
競争原理では誰もが〈勝ち〉を意識するわけですから、一歩が他方を打ち負かすまで戦闘は続きます。その後に、はたして何が残るのか。ウクライナ戦争で問われているのも、この問題だと思われるのです。
2.緑の党はこのFDPとともに「武器供与・援助を!」の先陣を切ることになります。反戦、反原発、反核そして環境保護を掲げてドイツ-ヨーロッパの政治・社会運動を牽引してきた緑の党の、言ってみれば正反対と思われるウクライナ戦争への対応が何かというところに、個人的に強い関心があります。
両党とも同世代の若い政治潮流です。しかし出身社会層に関しては、まったく正反対の流れを見ることが可能でしょう。
FDPの中軸メンバーには、自分が育った家庭の経済的な困窮から努力を積み重ね、一定の成功を成し遂げて社会的な足場を築き上げた20-40歳代が占めています。年代的にいえば、68世代の子どもたちです。FDP はしかし、強烈に68年世代に対抗して過去には緑の党との犬猿関係に陥り、抜き差しならない状態になっていました。
これに対して緑の党では、アカデミカー、高等教育あるいは中間富裕層出身の子弟が支持基盤になっていることは、一連の選挙結果に見てとれるところです。68年世代を実際に経験した両親の子どもたちです。
そこから〈人権とモラル〉の価値観を政治運動の中に位置づけることによって、従来の〈資本と賃金〉を対抗軸とした伝統的な左派運動とは異なる中間層も含む大衆的な、また都市部での影響力を獲得することが可能になりました。
新しい価値観を持つ〈人権とモラル〉が強調されれば、過去の歴史を別の違った観点から捉えることも可能になり、プーチンのウクライナ戦争による人民虐殺と国家破壊を食い止めるための軍事対抗が強調されることになります。
これが、いわゆる「ペストかコレラか」と表現される選択肢となりました。
絶滅戦的なプーチンのウクライナ軍事侵攻に対抗し、市民の命と生活を防衛するためにはウクライナが戦争に勝利しなければならず、そのために武器が必要だ!!
正論だと思われるのですが、実際に戦争が何をもたらすのかは、しかしこの世代に実感がないのかもしれません。それを知っているのは、戦争世代です。
両党の議論には、この戦争世代の息遣いが感じられないと思うのは、はたして私だけでしょうか。
3.これに対してCDU/CSUおよびSPDの武器供与への支持率が低いのは、以上の点から説明がつくはずです。両政党には、戦争を体験した世代がまだ強い影響力をもっているはずです。
CDU/CSUがカトリック系、農村部、中小企業を、またSPDは労働者、失業者、低所得者層を組織基盤としていることから、戦争による食糧・エネルギー供給問題――端的にいえば物価値上げで直接のダメージを受けるのはこのグループです。
IT技術等で新しい分野を切り開き自立的で自由な経営と労働関係を確立してきた20-40歳代が主軸をなすFDPと緑の党には、この生活感覚の違いが大きいように思われます。現実の生活感覚より、自由とモラルが優先するのかもしれません。
話がそれます。近所に奥さんが元高校の先生で、連れ合いが博士号の持っている社会学者の夫婦が住んでいます。もう80歳ですが、食事によく招待されたり、したりしている仲です。いつだったか、その地下室を見せてもらいました。缶詰入りの保存食、乾燥食材、麺類、小麦粉等々――戦争になっても、数か月間問題なく生き延びることができると彼は説明してくれました。
極端な例かもしれません。しかし、「この時代に!?」とショックを受けたのは事実です。今回の戦争に、この老夫妻と同じような反応と記憶を呼び起こされた人たちは、少なくなかったはずです。それをこの統計に読み取ることができます。
次に、にもかかわらずCDU/CSUの「武器供与キャンペーン」の意味するものは、一つには党略的な危険性です。連邦議会選挙での敗北から野党の存在感を示し、政治方向の定まらない党内を外部に向かって扇動的に収拾していく必要があるからです。
〈連邦軍の最新武器をウクライナへ!〉、〈武器援助の遅れが死亡者数を増やす!〉――しかし過去16年間メルケル政権下で、連邦軍の近代化ではなく経費節約・カットから機動性のない戦闘のできない軍隊になり下がった責任は、歴代のCDU防衛大臣でした。
飛べないヘリコプター、照準のあわない銃、極寒に耐えられる軍靴、服装、装備がない等々――いろいろ揶揄、笑いものにされていました。
近代化の名目で調査・諮問委員会を立ち上げ莫大な費用を浪費し、加えてそれが利権グループに絡めとられていた事実が暴露されスキャンダルになった当時の防衛大臣はフォン・デア・ラインで、辞任は時間の問題と騒がれていましたが、EU 委員会議長として引き抜かれ政治生命をくいとめたという経緯があります。
この点を突かれれば声の出ないのがCDU/CSUですが、ウクライの戦争勝利は反ロシア、反共産主義の象徴として党内一致の結び目になっていると判断して間違いないでしょう。
4.他方SPDの支持率の低さを、ここでは戦後の冷戦時代の体験から説明できるのではないかと思われます。
冷戦時代の「緊張緩和」を実現したのは、ブラント首相(SPD)の東方外交であったことは議論の余地がないところです。 ヨーロッパの安全保障は、ロシアを抜きにして考えられないことですから、外交の窓口を最後まで残していくことでした。それはまた、戦後ドイツ国家の安全保障戦略になっていたはずです。その一環に位置付けられていたのが、ロシアからのエネルギー――ガス、石油供給でした。
それによって「ドイツの壁」と「鉄のカーテン」が崩壊しました。
現在、CDU/CSUそして緑の党から、戦後のSPDの親ロシア路線を批判し、「ロシア―プーチンを過小評価し、ウクライナ軍事侵攻を引き起こした責任がある」と弾劾され、大統領シュタイマイアー(彼は外務大臣でした)をはじめ州首相等のSPD政治家 が、ロシアからのガス供給――Nord Stream建設をめぐり謝罪しています。
4月12日、ドイツ大統領が、バルト3国の大統領とともにキエフを連帯訪問する予定でいたところ、ウクライナ政府側からドイツ大統領の訪問を拒否する連絡が入りました。外務大臣として彼の過去のロシアとの関係を理由に挙げています。
他方で、首相メルケルは16年間の長きにわたって〈東方外交〉というような戦略なくプーチン(および中国)との通商関係をbusiness as usualとして継続・強化し、ドイツ-ヨーロッパの両国への依存性を強めてきました。この点については今まで誰からも語られことはなかったですが、現在、折にふれてそれらしき話が聞かれるようになりました。本当に稀ですが。メルケル当人は、口をつぐんだままです。
世界経済フォーラムでアメリカの投資家(George Soros)とイギリスの企業家(Bill Browder)は、「メルケルの戦争だ」と発言していると伝えられていました。
私の認識では、確かに当初から緑の党は「環境・自然保護」の観点から当然ですがロシアからのガス・パイプライン建設に反対してきました。しかし、戦後のロシアを含む〈東方外交〉という戦略問題を念頭に入れれば、あまりにも単純で、薄っぺらな批判と弾劾に過ぎないように思われてなりません。
この問題をパイプライン建設への賛否をめぐるアンケート調査から検討することにします。
2021年5月に世論調査機関(Forsa)が行なった集計結果で、パイプライン完成に賛成する各党派の支持率です。
左翼党 92%
AfD 84%
FDP 82%
CDU/CSU 81%
SPD 75%
緑の党 69%
現実にはCDU/CSUと緑の党こそ、むしろ説明義務があるというものですが、今まで私は聞いたことがありません。
SPD-緑の党-FDP 3党連立は、以上のような歴史認識、政治見解の違いの上に成立し、政府の統一見解を出すことに困難と時間を費やします。それは逆に、無思慮な戦争キャンペーンと武器供与への歯止めにもなります。
それに対して、首相(SPD) は武器援助に「優柔不断」、決定を「遅延させている」との轟々たる批判が外務大臣を筆頭に緑の党、そしてFDP内から噴きあがってきます。それにメディアの大合唱が続きます。
はたしてそうか?
首相ショルツの弱点は、3党合意の決定を市民に説明できないというコミュニケーションの問題にあります。決定は多数派で受け入れられていますが、異なる見解からの合意に至る経過と、その意味するところが市民には伝わってきません。それができるのが経済大臣で副首相のハーベック(緑の党)です。その結果、緑の党の支持率が伸び、SPDとFDPの減少傾向が示されるようになり、この間開かれた2つの州議会選挙では、CDU-緑の党連立政権が成立し、ベルリンには向かい風が吹くようになりました。
3党連立政権は、まだ固まっていないのです。
しかし次に、ウクライナ戦争の状況を判断するうえで絶対に忘れられてはならないポイントも肝に銘じておかなければならないでしょう。そこでの議論であり、政治評価です。
1.プーチンの戦争目的がどこにあるのか、確かなことは専門家でも断定できないのが現状でしょう。しかし、南ウクライナの一都市(Cherson)では、軍事制圧後にルーブルが導入され、ロシア・パスポートも市民に配布されているといわれ、この経験の教えているところは、そこに親ロシア派の傀儡政権を樹立してロシアへの国家編入を謀り、もしウクライナ軍の反攻があれば、ロシア領侵入キャンペーンを張り、ウクライナの「ネオナチ政権」プロパガンダを正当化することです。(注)
(注)Frankfurter Rundschau 21./22.Mai 2022 “So weit auseinander wie nie“
政治学者Gerhard Mangotヘのインタヴュー
2.EU-NATOの配慮は、武器供与が戦争当事者として引き込まれないことです。あくまでウクライナを防衛し、ロシア軍を2月24日前の国境線まで撤退させることが目的で、特にドイツ政府は、戦争への責任意識から攻撃用の武器供与には慎重な姿勢を保ち続けているといっていいかと思います。そこがアメリカ、イギリス等との決定的な違いだろうと思われます。
しかし決定的な問題は、誰が「攻撃」か「防衛」かを決定するのかということです。「民主的」といわれる世界には国際法をはじめ様々な取り決めがあります。プーチンにとってそれらは何の規制力も持たず、ただただ彼の意志だけが実効性を有していることになります。彼自身が、法の体現者であり規制者なのです。
3.そこから安全保障の課題が出てきます。以上の経過から見えてくるのは、西側の民主主義世界に対してプーチンは独自の世界を展開し、プーチンの軍事侵攻が西側世界に問いかけているのは、〈さあ、どうするのか〉という核・化学兵器をちらつかせた独裁者の権力誇示です。
4.その時、「ウクライナは戦争に勝利しなければならない!」(外務大臣ベアボック-緑の党等戦争勝利論者)の発言が、はたして戦争を終結させる最良の策か検討されなければならないでしょう。むしろ、戦争の螺旋的なエスカレーションを招き、数えられない市民の屍を積み重ねることになります。連帯、援助、勝利と語られる言葉の響きはいいでしょう、そして一般受けもいいです。彼女の人気も高いです。しかし、それが果たして現実的な連帯のあるべき姿か。これが私の疑問です。
ここで再び時間は70年前に逆戻りし、戦後の東方外交、EU-NATOの経過を再検討する必要性が出てきます。結節点はドイツの「戦争責任」と「過去の克服」をどう理解していくのかということですが、次回に書いてみます。 (つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12106:220609〕