ドイツ通信第192号 ロシア・プーチンのウクライナ軍事侵攻で考えること(7)

単なる一産業の終焉ではなく地域の文化・歴史の終焉にも

数年前にルール地方の石炭鉱山の閉鎖が決定されたとき、30代後半の若い鉱夫がインタヴューに応えた一言が頭にこびりついています。

「ドイツは、これ(鉱山閉鎖―筆者注)によって他国から安い石炭を輸入することになるだろう。」

自然エネルギーへの転換ではなく、安い化石資源に、しかも他国に依存していくことになるだろうと、どこか自嘲的に語っていました。気象温暖化の要因であるCO2の減少を理由に化石燃料からの撤退は、長年続いた議論の必然的な帰結であることは了解できても、それに替わる別のインフラ整備の遅れている現状を、彼はこう表現したかったのだと思われます。

この解決に向けた道の一つが、2014年から始まったNord Stream 2によるロシアからドイツへのパイプライン敷設計画であったでしょう。クリミア半島の戦争のなかで安易な「解決策」であったことが、今にして理解されます。

ドイツはしかし、「環境保護の牽引車」という触れこみでした。当時の首相メルケルは「環境首相」として、後には「難民首相」としてアメリカそして世界でもてはやされるようになりました。このへんの事情は、皆さんも耳目にされているところでしょう。

2005年までドイツのロシアへのガス、石炭依存率はそれぞれ40%、17%で横這いできていますが、その後、メルケル政権になってから増え続け2021年には55%、50%になっています。CDU/CSU内経済リベラル派が、そこから利益を得ているのは明らかなことです。が、問題の本質は、メルケルがしたのはこうしたグループ、個人のための政治であるという事実です。(注)

(注) Der Spiegel Nr.12/19.3.2022 ?Abschied von Moskau“ von Florian Gathmann co.

以上、事あらためて書くこともないのですが、現状の背景と経過がどうだったのか、そして今後何が、どう議論されていくかに必要な前知識になるだろうと考え、ここに書き留めておきます。

ルール地域の鉱山閉鎖は、単なる一産業の終焉ではなく地域の文化・歴史の終焉にもなります。ドイツ産業革命の拠点となり、そしてドイツ経済の原動力となってきました。各種文化・教育活動、スポーツ・クラブが組織され、その一つがブンデス・リーガ―のシャルケ04です。

サッカーでは、まだ日本の内田選手がプレーしていた時期で、サッカー交流の一環としてスタジオに観戦に行き、内部を案内してもらいました。鉱山の歴史がスポーツの栄光とともに展示されています。試合開始前には、ピットの中央上部に吊り下げられた「ヨーロッパで一番大きい」と説明のあった四面スクリーンとなっているビデオに、鉱夫たちが地下数百メートルの採掘場に向かう姿が映し出され、それを見ながら観戦客は「炭鉱夫の歌」(だと思います)を全員で合唱します。5万人の観客で埋まるスタジオが、この時ばかりは怒涛が走るように揺れ動きます。そして最期は、「無事にな!」(Glueck auf!)の合言葉で締めくくります。

そこには、労働者と市民が築き上げてきた地域社会の文化とメンタリティーが認められます。私は、身震いしたものです。

それがいろいろな問題――戦後再建、経済危機、社会・教育問題、家庭問題等に遭遇しながら、しかも移民を含む複合多様性文化社会のなかで、ともに問題解決の道を探してきた唯一のエネルギーになっていたのだと思われてなりません。

新しい社会・経済関係のなかで、またウクライナ戦争のエネルギー危機のなかではたしてそういうものがどこに見つけ出されるのか? 見方を変えれば、戦争に対抗する人民の政治力とは何かを、どこに探し求めればいいのかという問題にもなります。

ウクライナ戦争下でのエネルギー問題

ウクライナ戦争下でのドイツのエネルギー問題を整理してみます。

2月24日現在、天然ガス55%、石油35%、石炭50%をロシアからの輸入に頼っているのがドイツでした。

ロシアのウクライナ軍事侵攻を受けて、EUが4月の初めに決定していたロシア・石炭への経済制裁が8月11日から実施され、石油に関しては新年明けからになります。

石炭に関しては、すでにロシアがインドに新しい受け入れ先を見つけ出し、且つ中国とパキスタンとの同盟を強化してきていることから、ロシアへの制裁は実効性のない「シンボル」だとさえ一部の専門家の間では言われます。

ドイツの石炭輸入は引き続きアメリカ、南アメリカ、オーストラリア、インドネシアそしてコロンビアから必要分の買い増しが可能になりますが、発展途上国、例えばコロンビアからは増産に伴う労働条件、環境および人権への保護要請が訴えられており、これは今後、プーチンに対する絶対必要な南北の連帯にとって重要なテーマになってくることが予想されます。

次にガスに関して新しく交渉が進められている国は、アゼルバイジャン、アルジェリア、エジプト、ナイジェリア、ノルウェーそれに湾岸産油国――カタール、アラブ首長国連邦(UAE)、サウジが上げられます。

ここには二つの問題点があります。

一つは、ノルウェー、ナイジェリアを除いて軍事または独裁政権、あるいは人権を無視する政治抑圧が支配する国家であり、他の一つは、輸送の必要からLNGガス(液化ガス)であることです。

プーチンのウクライナ軍事侵攻とロシアからのガス供給ストップを見越したドイツおよびEUの化石燃料買い出しが始まり、最初に出向いたところがカタール、UAEの湾岸産油国でした。

ここではカタールを取り上げます。2021年のガス採掘量ではアメリカ、ロシアがダントツで1、2位を占め、その6分の1、5分の1の割合でイラン、中国そしてカタールと続きます。

カタールは今年のサッカー・ワールドカップの主催国になっており、しかし人権無視、死者が出るほどの外国人労働者への低賃金、重労働強制、劣悪な生活条件等が政治議題となり、オープニングが近づくにつれ議論は声高になってきています。

〈そのカタールに緑の党の経済大臣が!〉というのがメディアの見出しを飾ります。それに対して経済大臣ハーベック(緑の党)が、「ペストかコレラか」と答えたのは周知のところです。

冬に備えたドイツのガス貯蔵に向けた「世界ショッピング・ツアー」、あるいは「物乞い!」とさえ表現されました。

ドイツにとってみれば短期間の契約が望ましいですが、供給国のカタールは当然、長期契約を望みます。契約の内実は、今のところ知るよしがありません。一方でドイツが化石燃料から自然エネルギーへの短期間での転換を目指しているとすれば、他方でカタールは現在のところインド、バングラディッシュ、パキスタンに90%の輸出をしているといわれ、更に世界で3番目の豊富な埋蔵量にものをいわせ長期的にヨーロッパ市場に足場を築きたい経済目的があります。

それに対してアメリカはというと、世界一のガス供給国としてロシア、中国に政治的に対抗するために、同盟国との緊密な経済的結びつきを強化していく必要があります。

それが、2014年のNord Stream 2建設に反対した最大の理由でした。その背景にはグルジア、チェチェン戦争を受けてロシア・プーチンの旧ソヴィエト圏諸国への軍事侵攻が現実味をもってきたことにより、(今から考えると)重要な警告でもありました。そして私自身も、そのへんの緊張感はなかったというのが正直なところです。

東ヨーロッパ諸国――ポーランド、ハンガリー、スロバキア、バルト3国そしてオーストリアを筆頭にEUが、ドイツ―ロシアのパイプライ建設に反対し、アメリカとの政治同盟の必要性を主張します。現在もEU内の一つの大きな政治テーマになっています。

ではなぜ、ドイツが現実を読み違えたのかということになりますが、一つは、戦後の外交政策、いわゆる東方政策と「安上がり」コスト経済から離れられず、他の一つは、90年代からのロシアの軍事侵攻を旧ソヴィエト圏内での紛争として、そのヨーロッパおよび世界的な意味を見抜けられないまでに統一ドイツ後の政治意識はナショナル化していたからだと思われます。

ここでの重要なキー・ワードは、プーチンの「テロとの戦闘」という、特に〈イスラム急進主義〉に対するプロパガンダです。この政治・情報操作は、ウクライナ戦争に引き継がれているといえます。

アメリカのエネルギー戦略は、民主党、共和党それぞれ政権の違いがあるといえ、一言でいえば、とにかく世界に「売りつける」ということでしょう。

2006年ガス価格を低落させるためにFrackingを開始し、これによって40ヵ国への輸出が可能になったと言われていますが、反面、市場価格の没落と割高になる工法コストで、採算の合わない多数のエネルギー関連企業が倒産しました。2015年に大統領オバマが「ガス輸出」を禁止し、市場価格を釣り上げ高値で外国に売りつけることになります。

それを引き継いだトランプが、「Freedom Gas」といったのは記憶に新しいところです。

以上、世界のグローバリズムといわれる構造をカテゴリー的に要約すると、次のようになるでしょう。

1.増産キャパシティーの困難性、投資資本の必要性 ノルウェーやアフリカ

2.Frackingガス工法による環境破壊と人体被害 アメリカ

3.劣悪な労働条件と人権無視 カタール

4.タンカー輸送に伴う特別な気象変化 オーストラリア

5.総じてコスト高(市場ではすでにロシア産と比べて20%高くなっているといわれます)とLNG用ターミナル建設の必要性 ドイツ

ドイツ側から見れば、ドイツが理想としていた価値体系――エネルギー戦略、外交関係、経済構造そして環境・気象保全のシステムが完全に崩壊した現実を突きつけられたことになり、強烈なダメージを受けていることになりますが、決定的な問題は、それを自認できるのか、どうかということでしょう。

そこからの解決策は何か?

1.EUのガス非常プランが決定され、冬場の15%の節約、しかしあくまで自由意思によります。これによって各家庭が冬にコートを着込んで生活する様子がカリカチュア的に語られ、笑うに笑えないような状況と、また、家賃の払えない家庭の出てくることも十分に予想されています。

2.原発再稼働の声が高くなってきています。反対を押し切ってNord Stream2建設を決めたドイツへの風当たりと批判は強く、ドイツが原発撤退を決めて停止状態にある3基の再稼働に向けた圧力が、EU、特に東ヨーロッパからかけられています。

3.オランダ、ベルギー、フランスそしてポーランドのFrackingガスを含めたEU内のガス・プールと域内の(相互)分配。4か所あるといわれるドイツのFrackingガス候補地ですが、政府は採掘に反対しています。

原発再稼働に関しては各政党そしてエネルギー・原発企業の思惑が働いているのは一目瞭然ですが、今後は、稼働期間を長・中・短のどれにするかの交渉になっていくだろうと思われます。しかし、原発稼働によるガス代替率は高々1%、バイオ燃料ではその率3%になるという専門家の分析結果が発表されて、ここでエネルギー戦略議論が蒸し返されます。中央集中か地方分散か、エネルギー蓄電の可能性――気候・自然条件(風、太陽、バイオマス)に左右されるエネルギー生産か時間的に無制限生産か、そして最終的に核廃棄物は?

40年50年、いやそれ以上の長い年月をかけて何を議論してきたのかと思われます。

長々と議論の一端を書き連ねました。これはしかし、現在のウクライナ戦争をめぐる二つの議論――戦争勝利論か外交交渉論か――を理解するためにぜひとも必要だと考えるからです。

二つの理論ともに「出口のない」苛立ちを感じさせられるのは、前回書いた通りです。「勝利」と「交渉」が現実化される条件とは何か?――これへの回答が見つけられないからです。

しかし何回か二つの理論を反芻しているうちに、それらしき箇所に行きつきました。

最終的に、「ウクライナが決める」

〈国家主権〉を承認、尊重するという意味では、まったく正しいでしょう。国際法への特別な知識がない私にも理解できるのです。

しかし、では、何のための連帯かという点です。ウクライナ戦争は、ヨーロッパ、世界の民主主義社会に向けられたプーチンの戦争で、ウクライナの自主国家を防衛することによって世界の民主主義を防衛しなければならず、そのために武器を援助・供与し、難民を受け入れ、市民生活の再建に向けた財政援助をしているはずです。少なくとも、私はそう理解しています。

特に軍事武器に関しては、正直なところ「殺人兵器」であることは自明です。その武器を他人に援助するか供与する場合、与える本人にも責任の一端はあるはずです。市民の武器所有に関して取締罰則のあるのはそれゆえでしょう。それのないアメリカで何が起こっているかは、言わずもがなです。

「ウクライナが決める」ということは確かにそうですが、しかしその決定に至る過程で、例えばEUとして、ヨーロッパの展望と戦略を提起し、ウクライナと議論することを決して排除するものではないし、それは可能だと思うのです。

しかし、そういう議論を聞いたことがありません。二つの意見が軍事展開の分析に集中していることから、〈勝利〉か〈降伏〉かに二分されてしまい、できないのかもしれません。

必要なことは、ウクライナ戦争を同時に環境、エネルギー、安全保障をめぐる視点を含めてとらえ返せば、とりわけドイツのウクライナをめぐる戦略的な議論もできるのではないかと思います。

なぜ、プーチンの長期戦が可能になるのか? どこで、プーチンの軍資金を枯渇させるのか? いかに、プーチンを国際的に孤立させるのか?

そのために西側世界のこれまでつくり上げてきた構造と観念を根本的に変革する必要があるように思われてなりません。要約すれば、以下のようになるでしょうか。

1.環境を語ってきましたが、それは自国の環境であり、アフリカ等資源保有国の環境ではありませんでした。むしろ安く絞りとり破壊してきたのが事実です。アジアでの繊維産業に特徴的です。安い労働力で、安い衣服が製造され、職場火災による大きな人身事故も起きています。

2.自由と民主主義を資本・経済援助の必須条件に挙げてきましたが、その意味するところは、資本投資の安全のために「政情安定」を求めるものであって、援助を必要とする諸国の市民の自由ではありません。それをアフリカの住民に見抜かれ、そこにロシア、中国が勢力を固めつつあります。

ロシア、中国(の体制)に抵抗しない限りで、また利益が見込まれる間は、どのような政権であれ経済援助を行ない、そこから独裁政権と汚職・贈賄、利権がシステム化していくことになります。それが内政不安をもたらせば、軍事介入による鎮圧、場合によってはクーデターによる政権転覆――というのが両国のシナリオです。一方、これに対して対抗できる社会をつくり上げることが、「自由と民主主義」の目指すところでなければならないはずです。

自己の自由のために、他者の自由を奪ってはならないのです。それはコロナ禍で示されました。同じことが、ここでもいえるはずです。他者の自由を守るために、自己の自由が制限されるのが民主主義の実践だと考えます。政治家の間では、常々「民主主義は妥協だ!」といわれますが、本質は別のところにあるように思います。「ヨーロッパ価値」論の「ダブル・スタンダード」が批判されねばならないのです。

コロナ禍とエネルギー危機から、ドイツは何を学んだのか? これが、今後も問われていくでしょう。

では、どのような安全保障をめぐる戦略議論が可能になるのかを、簡単なメモから歴史的に例を挙げながら検討してみます。

先に見たように、グローバルな資本略奪があっても、問題と課題を抱える諸国へのグローバルな提案のないのが決定的です。

1.1990年、ドイツ統一に向けてソヴィエトの同意を取りやすくするために当時の外務大臣ゲンシャー(FDP)が、首相コール(CDU)に「新しい安全保障体制」の中にワルシャワ条約のみならず、NATOも含めた編入の可能性を問いただしますが、コールは拒否したといわれます。

2.FDP外交官(Frank Elbe)が、上記「2+4」ヵ国交渉(注)に先立ちゲンシャーに、「NATO の東方拡大」を放棄し、それによってモスクワの「ドイツ統一」への同意を容易にするようできないか提案しています。

 

(注)「西ドイツと東ドイツ」の2か国と「アメリカ、フランス、イギリスそしてソ連」の4か国

 

3.ここには元首相ブラント(SPD)の「東方外交」の影響を見ることができると同時に、「冷戦」後のヨーロッパの変動のなかでそれに対応できる新しい安全保障体制の求められていることも読み取れます。CDUは、メルケルまで引き継がれてきている体制間の〈提携〉を選択したことになりますが、一方、「東方外交」の変革への可能性はどこにあるのか?

安全保障体制を歴史的に顧みれば、「安全」という概念が50-60年代には「成長と進歩」、70年代には「国内治安」、80年代には「NATO再軍備と平和運動」と社会的かつ歴史的に変化してきているのが認められます。

それは、「ドイツ統一」と「ソ連邦崩壊」直前に行なわれた1989年の「ヘルシンキ」宣言に読み取れるだろうと思います。そこではヘルムート・シュミット(SPD)とヴァイツデッカー(CDU)の、「新しい共同のヨーロッパ安全保障体制」を提案し、2014ロシア・プーチンによるクリミア半島への軍事侵攻と国土分離に際して、再度の見直しが始まっているといわれています。

「宣言」の骨子を要約すれば、紛争の「共同の」平和解決に向け、国家主権、武力不行使、国境不可侵、内政不干渉、そして人権と自由を保障することが明記されています。

 

それをどう現実するのかという点で、単に西側世界の先進工業国だけではなく、その他の諸国を含めた内容が深められなければならないと思い、そのためのテーマと課題を長々と書き連ねた次第です。

ただ、個人的には、議論の「出口」が見つけられたように感じています。

(つづく)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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