ドイツ通信第195号   ドイツ・クリスマス前の日常風景

ドイツは冬らしくなってきました。雪も降っています。

エネルギー節約で心配されたクリスマス市も、無事にオープンしています。まあ、電気がなければないで、ローソクででもそれなりにロマンチックになれるのですが、営業となればそうはいかないので、「どうなるのか?」と事前にかなりの不安が広がっていました。

鳴り響くサイレン――復活した災害警報サイレン

11月15日(木)、午前11時に突然、家の内外で警報サイレンが「ウォー ウォー」と鳴り響きました。「なんだ!?」と思って外に駆け出し周辺に目と耳を凝らしました。

この日は警報サイレンの予行日だったことに気付き、あちこちを見まわしながら「よく聞こえるわい。それにしてもいつまで続くのか」と立ちすくんでいたものです。

昨年のドイツ南西部地域の手遅れになった災害対策の教訓から、90年代に経費節約を理由に撤去された警報サイレンが再設置され、その試運転がおこなわれたのがこの日でした。

翌日の地方新聞には、「機能した!」の見出しが読めます。

家の中の警報は、連れ合いのスマホからのものです。が、私の古いスマホは沈黙したままでした。サイレンが聞こえるだけで、役割と機能は十分に果たしていると思うのですが、他の問題はデジタル化の中で、新しいテクノロジーに適応しない通信機を持つ人たちは、〈蚊帳の外〉に置かれた感を免れないことです。

コンピューターの修理を友人に手伝ってもらえば、「ふるーい!」と呆れ返られ、スマホを見せれば「新しいのを買え!」と言われ、しかし機能している限り満足して、次から次への使い捨てを避けています。

それ以上にこの時世、その費用をどこから捻出するのかという財政問題があります。テクノロジーは先へ先へと進歩していきますが、そこから取り残されていく人たちのいかに多いことかと身に沁みて知らされました。

機能することはいいのですが、末端の状況――人々がそれによってどう生活しているかの状況がつかめなければ、社会関係が少数派(機能するグループ)と多数派(取り残されたグループ)に分裂していくことは明らかで、現在の社会対立の重要な背景の一つだろうと考えるのです。

極右派への一斉捜査と逮捕

警報訓練の情報は、もちろん事前に知らされていました。しかし、頭の中には前日の極右派への一斉捜査と逮捕をめぐる事件がこびりついていました。

この間、折に触れて書きましたが、「帝国市民」(Reichsbuergerをこのように訳しておきます)というグループがあります。反難民および反コロナ規制デモに参加している極右・ナショナリスト勢力の一部です。

ドイツ―イタリア―オーストリア3か国共同の行動でした。25名が検挙され、これからまだ検挙者数は増えていく模様です。そのなかには元警官(ドイツ)、元将校(イタリア)などが含まれているようです。

「帝国市民」グループは独自のパスポートを発給し、謀略論者ともつながりながら、現国家制度とは別の独自国家――帝国をめざしています。

捜査に至る嫌疑は、〈少数の武装集団によるクーデター〉を計画していたというもので、連邦刑事局の見解では〈数年来から正確な証拠を収集し、具体性を有している〉と。しかし、その内容に関しては、「まだ公表を控える」ということですから、今後の進展が注目されます。

トランプ支持派によるアメリカの国会議事堂侵入と同様なケースを計画していたと考えられますが、グループが組織的な武器収集と武装攻撃をめざしているところに、現実的な危険性があります。

今回の件が極右・ナショナリスト派への一撃になるのか、あるいはまた、別のグループのラディカル化から武装化と非合法化がすすむのかは、判断が難しいと思います。

政治家に照準を合わせた襲撃リストも発見されており、そこでは与野党の指導者18名の名前が挙げられています。組織が押さえられたことにより、潜伏しているメンバーによる単独の武装攻撃が十分に考えられるところ、クリスマスにかけて市民、政治家への十分な周辺警備が求められます。

CDU政権の州 公共交通機関でのマスク着用義務が撤廃

バイエルンを筆頭にCDU政権の州では、公共交通機関でのマスク着用義務が撤廃されました。

個人的にスーパーや小売店でさえ今なおマスクを着用している私には、いつ、どこで絡まれてくるのかわからない不安がつきまといます。

「熱い秋」と言われた極右派・ナショナリスト派の大きな動きは、これまで表立っては伝わってきていません。東ドイツ(地域―編集部)では「ロシア制裁反対、親ロシア」を掲げる定期的なデモが繰り返されているようですが、大衆的な結集は見られません。ここが反難民、反コロナ運動との決定的な違いであるように思われます。ロシア・プーチンの人道に反するウクライナ戦争の実体が明らかになってくるとともに、「政府、エリート」に対する闘争から市民の離反が起きたのだろうと思われます。

怒り、不満を抱えながら政府を批判するという一点では共同しながら、他方で、では問題解決のために何が可能かと迫られたときに、ポピュリストの本音がモロに出てくるという一つの教訓でしょう。

しかし、これはいつも、何回も繰り返し言われてきたことです。

振り込まれた市・中央政府からの補助金

時々、減ることはあっても増えることのない銀行口座をチェックするときがあります。11月初旬ころでしたか、カッセル市から75ユーロ、その後、中央政府から200ユーロの振り込みがありました。エネルギー価格の急高騰に対する補助金です。

ガス消費20%を節約するために室内の気温を16~18度に落として、寒さに耐えている市民への補助金は必要だと思うのですが、前者に関しては、来年春に予定されている市長選に向けた現市長(SPD)の事前選挙運動の印象を免れないのです。

食料、生活品10%のインフラ、2020年時と比較してガス消費者価格が100%弱値上がりしている状況に、どれだけの効果があるのかと疑問が湧いてきます。

前者に関しては年金生活者を対象にしたものとだ思われるのですが、誰が対象になり、どれだけの額がというのが複雑で市民には理解できないのです。

エネルギー対策は、ここが議論になり複雑さを呈しています。貧富の差も重要な要素になってきます。誰から取り、誰にどれだけ支払うかという議論で、政府はそこでの社会各層の対立を避けたいでしょうから、余計に全体像が見えにくくなっています。

しかし明確なのは、この間のエネルギー危機で超過利益を上げた会社グループはいくつもあります。

単純な疑問です。なぜ、そこに「社会連帯税」というような名称で課税しないのかということです。これだと分かりやすく、市民の各層も納得できると思うのですが。その額は試算で莫大なものになり、政府のガス価格ブレーキ対策に大幅な貢献ができるといわれています。

以上が〈政治〉だとすれば、あまりにも薄っぺらすぎます。政治家の顔と手が見えるのは一時金の支払いか、あるいは税制改悪の時ぐらいです。

ここが反「政府、エリート」に集約されていく不満、怒りの社会的かつ精神的な土壌だとすれば、連帯的な社会関係が再構築されなければならないでしょう。

そしてこれも議論され、どこでも言われてもきました。だから、というところで行き詰まります。

以上から見えてくるのは、ドイツ語で表現されるようにクーヘンの分配ではなく、市民自らがクーヘンを焼かなければならないのです。それによってパイの争奪戦に代わり、パイの増産を可能にするだろうと思われます。この視点からの抵抗運動が、極右派・ナショナリストの謀略論に対抗していける唯一の道になるだろうと考えています。

それが、また、エネルギーと自然環境保護の関係性だと思われてなりません。

サッカーW杯

さて最後に、またサッカーです。

ドイツの〈口輪〉プロテストが、アラブ世界で嘲笑の的になりましたが、それに拍車をかけたのがモロッコの善戦です。

そのモロッコ・チームの健闘は素晴らしく、つい応援してしまいましたが、戦勝をパレスチナの国旗を掲げて祝いました。アラブ世界は、ここぞとばかり歓喜の声を上げます。対立の続くアラブが「一つになった」と表現されました。一つになるためには、しかし他方で、イスラエルを共通の敵に回されたのがこのパレスチナ国旗の意味だったのではと理解すれば、スポーツが自由と平和ではなく、紛争の種を蒔く舞台になるということでしょう。

はたしてFIFAマフィアは、どう対応するのか?

世界が南北に完全に分裂していることも明らかにしているのが、今回のカタールでのワールド・カップであるように思われますが、どうでしょうか。        (つづく)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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