「やれば出来るじゃないの!」と言いたくなるようなニュースから書き始めます。
クリスマス直前に、ヴィルヘルムスハーフェン(Wilhelmshafen)にLNGターミナルが完成しました。ロシアのウクライナ軍事侵攻から高々10ヵ月余りの短時間で、ロシアからのパイプラインに代わるタンカー輸送の拠点が建設されたことを意味します。これは全部で三か所予定されている内の一つに過ぎないですが、「やれば出来るじゃないの!」と思わず声を出したくなるのです。ここに差し当たりノルウェー、ベルギー、オランダそしてフランスからのLNGガスが運び込まれてくることになります。(注)
(注) 三か所のLNGターミナルによって過去ロシアからの全ガスの約4分の一が確保されることになり、また2026年からは、カタールからLNGが15年契約で供給されることが取り決められました。その割合は全ロシア・ガスの6%といわれています。
地下ガス、Frackingガス採掘による自然環境破壊、人体・健康被害、CO2排出を考えると事態は気象保全のコンセプトに真っ向から対立していくことになり、またこの点に関しては擁護できる根拠の全くないことは言うまでもないことですが、しかし、これを一つの動きの過程で捉えてみると別の面が見えてきます。
なぜ、過去20年近くの間に環境保護・気象変動への取り組みが遅れてきたのかという問題に返されてきます。議論はされてきました。しかし、実態を伴わなかった原因がどこにあるのかという問題です。
風力発電を取り上げてみます。計画が立てられ、許可申請が提出されますが、認可の決定が下りるまで10年、時として15年近くもかかり、その間に野ざらしにされた産業側、住民側にとっては先の見通せない自然エネルギーへの経済的且つまた心理的な負担と猜疑心が嵩張り、政府と産業と住民の間に亀裂が生じ、関係者の間で抜き差しならない利害関係の対立だけが増幅されていきます。
そういう過程の際立っていたのがドイツの過去の現状ですから、「高々10ヵ月余り」でLNGターミナルが完成したということが、一つの驚異に値するわけです。
地下資源から撤退し、エネルギーを確保するために別の地下資源に頼らなければならないという矛盾は、環境保護運動の視点から見れば確かに理解に苦しむ逆行であるのは事実として、他方、ウクライナ軍事進攻をうけてロシアへのガス依存から離れ、「寒い冬」を乗り越え自然エネルギーに戦略転換していくためには避けることのできない選択だっただろうと思われます。懐かしい表現を使えば、「一歩前進 二歩後退」となるでしょうか。
ここでの決定的な問題は、〈自然エネルギーへの戦略転換〉が確固としたものであるのかどうかということになり、今後、三党連立政権に試練がかけられてくることは間違いないはずです。
以上を踏まえて過去の経過を顧みれば、確かに環境保護と自然エネルギーに向けた展望が描かれ、それに向けた議論がなされてきたとはいえ、戦略転換に必要な社会的基盤とインフラが整備・確立されてこなかったという決定的欠陥が見えてくるのです。それによって議論は、何が正しくて、何が間違いか、をめぐる単なる正論争いの観を呈してきたのではないかと思われてなりません。
過去、一度として明確なヴィジョンと方針を打ち出せなかった前首相メルケル(CDU)の環境問題、自然エネルギーをめぐる論争は、実は戦略転換しないための、あるいは少なくともそれにブレーキをかけるための議論であったという本質が見えてきます。
同じことは原発、石炭エネルギーからの撤退についてもいえると思うのです。
高々10ヵ月余りで「やれば出来るじゃないの!」とは、こうしてこれ以降も各分野からの実践的な取り組みが続けられることを私なりにささやかに期待してのものです。
これまでのところ、時として日中気温が16ー18度の日を迎えることがあります。家の周辺からは、「春が来た!」とばかりにさえずる野鳥の騒がしい声が聞こえてきて、冬を忘れさせてくれます。庭には、さまざまな種類の野鳥が軽々しく飛び回っている姿が見られ、それを窓越しに見ながら、現実の厳しさを忘れている日々です。
この温暖な気候に恵まれ、さらに各家庭のエネルギー節約も加わりドイツのガス貯蔵率は約90%弱で安定していますが、1月から3月にかけての極寒期の暖房消費がどれだけ増加するかによって、追加料金の請求書が回ってくることも十分に予想されることから、一概には楽観できません。気持ちの揺れる要因です。
政府のエネルギー政策は、「燃料費上昇にブレーキ」をかけることで、とりわけ高騰するガス購入価格に対して前年の消費量を基に80%に助成金を出し、それを超過する分には購入価格通りの燃料費が各家庭に請求されるという仕組みになっています。これが〈20%エネルギー節約〉の意味するところです。
これに対してEU方針は、「燃料費上昇に蓋」をすることです。ガス市場での購入価格の上限をEUが決め、それによって燃料費負担と支出を押さえていこうとすることです。ここからフランスを筆頭にEUのドイツ批判が起きてきます。フランス大統領マクロンは、「ドイツはEUで孤立している」と公然と言い放ちます。経済力で可能なドイツと、それができない他のEU諸国との経済格差問題が浮上していると判断していいでしょう。
マクロンが先陣を切ってドイツを批判する重要な要因は、11―12月段階でフランスの56基の原発の内27基が故障、点検を理由に稼働停止している現状から目をそらすためのものであることは一目瞭然です。議会内で左派と(極)右派の両翼から攻められ、その出口をドイツ批判に求めたというところですが、この原発ナショナリズム的な対応の危険性こそEUで議論されなければならないでしょう。しかし現状は逆行しています。
そしてこの同じ問題は、コロナ対策でも見られたのではないかと思われます。エネルギー問題で見れば、原発再稼働、稼働期間延長あるいは新規原発建設か、という議論が背景に隠されていることは言うまでもありません。
それに対するドイツの批判は、「ガス購入価格に蓋」をすればガス産出国がEUへの販売を避け、世界の市場価格で他国に流出することになり、EUが必要とする購入量は不可能になり、EU内への共同の配給がおぼつかなるという一点です。
問題の指摘は以上の通りですが、将来の展望が見えてきません。両者の議論がどこに向かうのか、また、どういう結果がそこから引き出されるのかも見通しが立ちません。
ロシア・プーチンの地下資源エネルギーを武器にしたウクライナ軍事侵攻と、軍事的手詰まりからのジェノサイドによる住民虐殺とインフラ破壊、それによるウクライナ全土の焦土化は、既に2000年代初めのグルジアで体験済みです。
現在の戦況は、ウクライナのグルジア化を示しつつあります。
エネルギー確保が対ロシア・プーチン、ウクライナ連帯の戦線対立と分裂を招いてはならないという点からとらえ返せば、単純な素人疑問ですが、少なくともヨーロッパおよびアメリカのガス、石油等エネルギー産出国での共同のエネルギー戦略が立てられてもいいと思うのですが、現状は逆に、この時とばかり世界エネルギー市場での利益目当ての暗躍だけが目につきます。軍事産業とエネルギー産業の跳躍というところです。
産出コスト分担、配給保障、利益の分配が緊急の共同戦略の下でおこなわれれば経費の節約にもなるだろうと思われるのですが、その実現がそんなに難しいのかと理解に苦しむところです。
そうした体制ができ上ればアラブ諸国、そしてまた、アフリカ、南アメリカ、南アジアを含む新しい国際関係の発展可能性も出てくるのではないかと思われてなりません。将来的にも議論されていくべきテーマではないかと思います。
その意味でドイツの「ブレーキ」対策は確かに一国的な性格批判をまぬがれえず、他方でEUの「蓋」方針は、東西南北の全体的なエネルギー戦略を欠いていると言えないでしょうか。
議論が空論化しないために、私はそこに戦略議論の社会的基盤とインフラの整備を見ています。自由主義的な経済システムと資本による資源占有の転換なしには、エネルギー戦略に何らの転換をもたらしはしないということです。
こうしたわずかな希望、不安、猜疑、そして鬱屈とした市民の心理が現実の姿を取って現れたのは、大晦日から新年にかけての花火の打ち上げでした。
コロナ禍で2年間禁止されていた花火の打ち上げが解禁されたこともあり、その解放感と同時に内部に押し込められていた鬱憤が一度に解き放されたのが、今回の特徴といえます。皆さんんもTV報道で見られたかと思います。
長年、個人的にはこの年明けの花火騒擾が理解できないできました。深夜12時から30分間許可された打ち上げ花火は、年間数か月分の大気汚染と莫大なごみを作りだすといわれています。町は戦時中の爆撃にあったように、あちこちで火の手が上がります。
毎年、私たちは友人と食事をしながら年を越し、午前1時半頃にやっと家路につきます。通りを走れば、車をめがけて花火を直撃されることもあるからです。
今年は、「どうかな」と思いながら通りを走りました。以前のように花火の紙屑が通りの所々に見られはしましたが、ゴミの山にはなっていませんでした。私たちの周辺では、住人に若い人たちが少ないということもあり、いつものように静かでした。
事前に医療関係者から、コロナとインフルエンザ―患者数の増加により「病院のベット数が逼迫してきているため、花火を控えるように」という訴えがなされ、このアピールを市民は良心的に受け入れ、それにとどまらず環境保護への意識から自主的に控えたと想像できます。
医療関係者によれば、毎年平均8000人近くのケガ人が病院に運び込まれるということです。時として火事が起きます。「そこまでして!」と頭を抱えてしまうのです。
他方、ベルリン、フランクフルト等の大都市部では、新年の祝宴どころか社会騒動の観を呈していました。
救急車、消防車、パトカーそして安全警備員等を狙い撃ちした花火の直撃、あるいは救急車をめがけて消火器が投げつけられ緊急の救助活動が妨害されるばかりでなく、多数のけが人が出ました。
ここにすべてを記録することはできませんが、その一端を書き連ね社会騒動の模様を再現してみます。
1.17歳の少年が花火で重傷を負い、病院で死亡(ライプツィッヒ)
2.42歳の男性が手に重傷を負い前腕を切断(ゴータ)
3.21歳の青年が点火時の爆発で片腕損失(チューリンゲン)
4.46歳の男性が緊急手術(ハノーバー)
その他に指、腕をケガして病院に担ぎ込まれたケースは数えようがありません。全ては10代後半から40代半ばの男性であることに注意が向けられます。
集団的な動きとしては、
1.燃える車の消火活動をする警察官、消防隊員に向かって花火が直撃される(ベルリン)
2.60-80名位の集団が花火で車に火をつける(ベルリン)
3.約150名が、既に12月29日(木)、発売禁止されている花火を打ち上げ警察の手入れを受ける(ベルリン)
動物への影響も出ており、
1.花火の音にショックを受けた約50頭の牛が柵を破って逃げ出し交通事故の原因になる(ハーゲン)
2.同じくショックを受けた牛が鉄道路線に紛れ込み電車に轢かれ死亡(ノルトフリースランド)
以上のことは野鳥を含む自然の動物にも言えるはずですが、その状態はつかめません。
今年の特徴は、「攻撃性と暴力」の点で際立ち、特に青少年たちに焦点が当てられていきます。新年の祝宴の枠をはみ出し、社会騒乱の様相を示していることが過去の傾向から一段を画すことになりました。
議論は、ここから「打ち上げ花火の禁止如何」に発展してきます。
花火産業界からの反論は、一部を取り上げて全体を禁じるのは間違いで、ケガの原因はインターネット等による不法販売の危険な花火にこそあり、必要なのはその根を断つべきで、社会騒動は花火を悪用・誤用したことが原因であることから、一般的なプライベートな花火禁止への論拠にはならないというものです。
2年間の休業状態からやっと再営業した今年の売り上げは、1億2000万ユーロを超えると言われており、産業界としては、ホクホク顔でしょう。
この議論には法律的に〈自由〉――「個人の自由」と「営業の自由」にかかわる論点が含まれ、祝祭に際して私人(営業)の自由がどこまで許され、どこで制限・禁止されるのかという、コロナ禍での同じ議論が蒸し返されていくでしょうが、その時ゴミ収集、自然環境保全、動物保護の観点からのテーマへのアプローチが、現実的な結論を可能にするはずです。
私の意見は、プライベートな花火打ち上げを禁止し、〈1か所での花火の催し物〉であれば、誰でも参加し、安全性、ゴミ削減と自然・生物保護への貢献ができるるのではないかということです。
加えて警備、安全性、緊急救助、そしてゴミ処理に費やされる莫大な人件と費用は、それによって大幅に節減できるはずです。
ここで青少年の現状に目を向ければ、3年間に及ぶコロナ禍の後遺症を見ることができるでしょうか。学校教育に加えスポーツ、文化、芸術、とりわけ音楽(コンサート)へ参加する機会が奪われ、そればかりかプライベートに且つまた社会で人と人のつながりを失い、人間成長に必要な周辺環境を破壊された青少年が、孤立した状態の中で世界と対峙していかなければなりません。
その世界はコロナに感染され、伝えられる情報は感染者数と死亡者数、そして家族・友人関係の隔離、病院、介護施設、ホームから連日伝えられる防ぎようのない緊迫したニュースでした。青少年の居場所は、見つかりません。それが、例えば「コロナ・パーティー」として発散していったのだろうと思われます。
青少年ばかりか、同じ状態に陥った人たちは、間違いなく多数いただろうと思われます。一番の問題は、そういう人たちへの議論が、ほとんどなされて来なかったことでしょう。特に教育関係でいえば、授業を維持するか休校(ロックダウン)にするかの議論が先立ち、子どもから青少年への教育面からのフォローがなされてこなかったことです。学校での授業が確かに教育の重要な要素であることに変わりないのですが、それが不可能な時、はたしてどういう教育が可能かを準備してこなかったし、コロナ禍で議論されることが少なすぎたように思われることです。危機管理の手遅れと無策がモロに出ました。
一人に置き去られた人間の考えることは、どこでも同じでしょう。空想の世界です。そこで社会の規律を学ぶことは不可能です。自分は自分です。それ以上でも以下でもないのです。判断の基準が他に成り立ちません。
この下での〈自由〉の用語が、反コロナ規制に集まるグループから持ち出されたのだと理解されます。
新年の社会騒動の裏側にある一つの流れを、私はそう理解しています。ここでの危険性は、陰・謀略論に包摂されていく可能性を十分に含んでいることです。
ドイツの状況は、緊迫していると思います。
最後に私たちの近況を簡単に書いておきます。
クリスマス休み前後を利用して、12日間オマーンのサラーラ(Salalah)というところに行ってきました。こういう表現は不遜、思い上がりとして受けとめられかねませんが、エネルギー節約で寒くて暖房費の高くつくドイツを離れて暖かいオマーンに行けば、日光浴ができ、少しは暖房費が節約できるのではないかと、冗談ともマジともとれない話し合いの未の行動になりました。
私は3回目になります。連れ合いはその間に更に何回か旅行しています。最初に行ったのは2007年です。この時、若い青年の車に乗せてもらい、道すがらガソリン価格の話になり、当時ドイツは1リッター1.20ユーロくらいだったと思われます。それを聞いたオマーンの青年は、大声で笑いだしたものです。オマーンでは20セント!しばらく車の中で笑い転げていたものです。
しかし、今回は60セントに値上がりしていて、他のアラブ産油国と比べて地下埋蔵資源の少ないオマーンも、エネルギー問題を抱え出しているのかと思った次第です。
いつものように休暇アパートでの自炊です。英語表記のないアラビア語のアパート名ですから、人に見せても分りません。オマーン市民といえどもアラビア語が読めないことに気付きました。英語の分る人が場所をおしえてくれて、無事に宿泊所に到着しました。
ダブル・ベットのある二つの大きな寝室と大きな居間、それに台所。広すぎるのですが、アラブ諸国からの観光客向けに提供されていますから、アラブの大家族には最適でしょう。ただ私たちには豪華すぎるのです。が、60ユーロ弱と安上がりになります。寝室と居間には、日本製のクーラーが設備されていて、この点でのエネルギー消費には無頓着な風です。私たちはその恩にあやかりました。アラブ風アパートですから、台所が油で汚れています。それを綺麗に拭き取れば、なかなかの見栄えがしたもので、十分堪能できました。
アパートは白い砂浜海岸のすぐ隣にありましたが、回りには木陰がないので午前中は隣の海岸に場所を移して、そこにある日本でいう四阿風の建物で直射日光を避けていました。日中気温は30度以上までかけ上がっていたはずです。近くに野鳥保護地区があり、そこから海岸がいっぱいになるほどの野鳥が飛んできて、野鳥も日光浴をして餌を探していました。連日その様子に見とれてしまい、本を読むつもりが野鳥の観察だけで数時間過ごす羽目になってしまいました。
手元に資料はありませんから正確なことは言えませんが、オマーンとカタールの人口構成は似たようなものだと思いますが、一つの違いは、オマーン市民も仕事に就いているところでしょうか。これは一つには埋蔵資源量の違いと、他に考えられることは急成長にもかかわらず、伝統を残すというオマーン主義の表れかと思われます。
外国人労働者はフィリピン、バングラディッシュそしてインドからの人たちです。私たちを見ると、よく話しかけられました。
基本食料品の価格は、ドイツとあまり違いはなかったように思うのですが、自然ジュース類は60セントから1.50ユーロくらいで、特にサウジアラビアからのものが美味しくて毎日飲んでいました。当たり前のことですが、ここでは他のアラブ諸国が身近になるのです。
スーパー、またはショッピング・センターに出かけて日常必需品を見ながら当地の生活ぶりを連想してみるのが習いになっています。この時、暑いからといって半ズボンとTシャツ、そしてサンダル履きで気軽に行ってしまい、「ヨーロッパ人は、なんてみすぼらしいんだろうか」と後で大いに後悔します。少なくともジーンズは着用するようにしたいものです。
カタールが真珠採取で世界貿易をしたのに対して、オマーンは樹脂香料で東アジア、南アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパまでの通商ルートを開発してきました。その展示を考古学博物館で見ながら、当時、こうしたアラブの世界を語った文献というのは西側世界では少ないのではないかと思わされました。
真珠、香料――貴重な豪華品を購入、所有した国(王)の歴史が主語として書かれ、語られても、それが生産され運ばれてきた、とりわけアラブの国の存在と役割について書かれ、伝えられたことは全くと言っていいほどなかったといえるのではないでしょうか。専門分野では記録され、存在しているのでしょうが、この問題が実は今日まで引き継がれてきているように思われてなりません。
つづく
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12708:230109〕