「左翼党」の女性国会議員と女権論者の呼びかけによる「平和マニフェスト」
2月25日土曜日、ベルリンではウクライナへの軍事援助に反対して〈平和〉を求める集会が開かれました。参加者数は主催者発表5万人、警察発表1万3千人と報道されています。
2週間ほど前に「左翼党」の女性国会議員(Sahra Wagenknecht)と女権論者(Alice Schwarzer)の呼びかけによる「平和マニフェスト」が宣言され、ウクライナ戦争始まって以来の大きな政治集会となりました。
「マニフェスト」の趣旨は、
1.ロシアの残忍な軍事侵攻を受けたウクライナへの連帯の必要性
2.しかし、ウクライナが戦闘戦車に続いて更に戦闘機、長距離ロケット砲、戦艦等を要求して、
3.クリミア半島を含む、ロシア占領地域の奪回を軍事目的にしているが、
4.核兵器を持つ大国に勝つことはできず、
5.その結果は戦争のエスカレーションを招き、最後は「核戦争」の「滑走路」にはまり込んでしまう。
6.それを避けるために、武器援助に反対し、政治外交による平和を要求する。
と要約できると思います。
ヴァーゲンクネヒトは「反米・親ロ」派で知られた「左翼党」の党員で、ドイツの現在のエネルギー問題、インフレ原因が「ロシア制裁」にあると公然と発言してきました。この理論はしかし極右派、ナショナリスト、陰・謀略論者、QAnon、ネオナチ・グループ、そして極右派政党AfDと同じ根を持ち、今回、「右も左も枠のない、市民の平和運動」に大結集することになりました。
このグループと女権論者シュヴァルツァーの組み合わせですから、戦後の反戦・平和運動の現在的な意味と、内容の捉え返しが各分野ですすめられてきました。
60年からの平和運動が、ロシアのウクライナ軍事侵攻でどういう意味を持つのか?
この呼びかけに賛同し、署名した人たちの数は65万になるといわれ、その数に驚きながら、一方でウクライナ戦争の中でドイツ市民の声が公然と社会に伝えられ、語られる機会が与えられたことになります、が、他方で何が平和で、誰が戦犯で犠牲者かの議論が持ち上がることになります。
「マニフェスト」の中には、ロシアの軍事侵攻、市民の虐殺、性虐待――ジェノサイド、国土の焦土化、核兵器使用(脅威)を弾劾し、その責任を問う言質は見られず、プーチンとの政治交渉をウクライナに強制することになるからです。
果たして〈誰が戦犯で、誰が犠牲者か?〉、それをあいまいにする平和運動とは?
聞こえてくるのは、ロシアのプロパガンダ機関からの賞賛と賛同の声です。
すでに書いたように、プーチンのウクライナ軍事侵攻(2022年2月24日)以降、各メディアではウクライナへの武器援助が声高に叫ばれ、それ以外の市民の意見は報道されることがなかったのが事実です。ARDおよびZDF公共放送局が、「なぜ、ドイツの武器援助が遅れるのか」とその先陣を切っていたように思われます。それによって「ウクライナの(軍事)勝利」が訴えられ、議論は過熱気味になっていきました。CDU、FDPそして緑の党(の指導メンバー)がその前面に立ってきました。それを聞きながら、どこまでこの傾向が続くのかと一抹の不安がありました。その後、政治討論を聞かなくなり、TV報道も夜の定時ニュースを一つ見るだけに止めるようになってしまいました。
ウクライナ戦争への各自の見解を豊かにするためにではなく、戦争への不安を煽り、政治への猜疑を増幅するだけで、そこからしかし、ただ「武器援助」に世論の舵を切ろうとする意図が見られたからです。これを別の面から見れば、戦争の終結が見えない議論が独り歩きしていたということでしょう。
センセーショナルな報道と議論ですが、市民の離反が進んでいることにどこまで自覚しているのか、どうか? それが今、問われているように思われてなりません。
外相ベアボック(緑の党)が、「ドイツの選挙民がどう考えようと、必要な限りでウクライナを支援する」と強調するとき、連帯への訴えに理解を示しながら、「ドイツ選挙民」の意思形成がどうあるべきかの観点が示されなければならないでしょう。
別のところで彼女は、「われわれの武器(援助―筆者注)で、生命が救われる」と発言している(注)ようですが、2023年1月24日のEU評議会では、「われわれ(EU―筆者注)は、ロシアに対する戦争を闘っているのであって、(EU―筆者注)各国相互の戦争ではない」とEUの統一を訴えています。
問題は、ドイツ-EUが既に「参戦国」かどうか、でなければそうならないために何が必要かの最も重要な戦略のガイドラインが、EU内で議論されなければならないはずです。それは、またEU自身の課題といえるでしょう。
(注)Frankfurter Rundschau Donnerstag, 16. Februar 2023
この時期を境にして、ベアボックの人気率は低下し始め、それまで数か月間「はっきりした発言をする政治家」としてトップの位置を確保していた彼女ですが 現在4位にまで転落しました。「選挙民」の厳しい判断が下ろされたことになります。
首相ショルツ(SPD)に向けられた「zaudern」「zoegern」の2つの用語
「躊躇・逡巡する」(zaudern)、「ぐずぐず遅滞する」(zoegern)――この2つの用語が、ここ1年間にわたって首相ショルツ(SPD)に向けられた批判です。苛立ちと嘲笑が入り交ざり、1日としてTV、新聞・雑誌等メディアで聞かれなかった日はなかったほどです。
プーチンのウクライナ軍事侵攻直後、「時代の転換」とドイツ軍事費の増大、ウクライナへの武器援助を宣言しながらも、現実には一向に遅々として捗らない政府方針への批判です。
こうして、野党と言わず政府内与党からも「武器援助」の声が高まります。
首相ショルツは、
1.政府のガス、ガソリン等エネルギー補助で市民が「寒い冬」を避けることができ、
2.NATOとの緻密な合意のもとウクライナへの武器援助を行い、独自行動を避け、
3.EU―ドイツの「参戦化」を回避し、
4.ロシアの核兵器使用を食い止め、
5.同時にウクライナ難民、社会インフラ(医療、教育、住居、エネルギー等)への財政援助を進めて
いる。
と説明します。しかし、原発再稼働、エネルギー、気象・環境、自然再生エネルギー推進、さらに難民受け入れ(注)、インフレによる市民生活の経済負担を含む武器援助とウクライナ戦争の全体的な展望が伝わることはありません。要は説明不足なのです。それが市民、メディアを苛立たせます。
これを一言でいえば、単に一国的な対応ではなく、〈ヨーロッパ安全保障戦略〉にどう位置付けていくかという課題になります。
アフリカ、アジア、南アメリカ――南北の政治・経済的な連携と連帯が求められるゆえんです。
(注)難民受け入れでは、東ドイツ地域で難民住居が放火され、難民受け入れ反対のデモが起き、90年代そして2015年以降に見られた光景が繰り返されています。
これを受けた2月25日の集会でした。
今回のベルリン「平和」集会の後で、ジャーナリストから「極右派、ネオナチなどが参加している」ことを質問された女権論者シュヴァルツァーは、「見なかった」と答えていましたが、「見なかった」「知らなかった」とは、反コロナ規制運動の中でも組織者から語られた同じ言葉です。同様に「右も左も枠を超えた」市民の平和運動の危険性は、社会中間層の分裂から、ファシスト運動に社会的公認のお墨付きを与えること以外ではありません。時間をさかのぼりワイマール共和国からナチの台頭した歴史が、再び、議論される背景はここにあるだろうと思います。ドイツの時代は、今そこまで来ています。
ドイツを二分するレオパルドのウクライナへの供与
ここで、ドイツ戦闘用戦車・レオパルドのウクライナへの供与・援助をめぐるドイツ国内を二分する意見を、1月末の世論調査(注)から振り返ってみます。
1.賛成46%、反対43%、そして11%がどちらとも言えない。
2.年配者と若年層の間に違いが見られます。
50歳までの年齢層で拒否率が高く、年齢層が高くなれば賛成率が高くなっていると言います。
3.これを東西ドイツの比較でみると、西で賛成が50.38%、東で59.32%が拒否することになります。
(注)ARD-Morgenmagazin
いくつもある他の調査でも同様な結果が出ています。
この調査時期というのは、ロシアの「春の攻勢」が見込まれ、それに対抗できるウクライナの戦力強化を目的に、NATO同盟国からの攻撃用戦車のウクライナへの供与をめぐる議論が緊迫を増す一方で、他方で、それがもたらす軍事エスカレーションへの危惧と不安が実感され始めてきた時点に当たっています。軍事援助は理解できるが、その結末はどうなるのかという、行き先の見えない不安です。
これが一つの背景だとすれば、とりわけドイツ国内の意見形成でどこに焦点が向けられなければならないかという課題が浮き彫りにされています。
戦争を経験した世代と戦争を知らない世代、そして東西ドイツの歴史からのウクライナ連帯の方向性が、それゆえに示されなければならないと考えるのです。
今後も、〈軍事援助か、政治外交による停戦か〉の議論が活発になってくるでしょうが、ロシア・プーチンのウクライナ軍事侵攻とジェノサイドを批判し、プーチンの「戦争責任」を弾劾することのない議論の危険性は、2月25日の集会に示されたところです。
ドイツの世論調査では、〈政治交渉による平和〉を求める声が85%前後に達するといわれ、しかし誰と?、どのようなウクライナの状況下で?となると意見が2つに割れます。
25日の集会では、この点が具体的に明言されることなく、〈平和〉の掛け声の下で戦争の実行者と犠牲者を並列する結果を招くことになりました。
一番の危険性はそれによって、「反米・親ロ」派の左翼から右派、極右派の結集を可能にしてしまっていることです。
それに対して前日の2月24日(金)、ロシアのウクライナ軍事侵攻から一年目の日に、プーチンの戦争責任とジェノサイドを弾劾し、ウクライナへの「援助と連帯!」を訴える集会とデモが、1万人(警察発表)を結集してベルリンで取り組まれています。
次に、ウクライナへの武器を含む〈援助〉に関して、思うところを書いてみます。
「EU?NATOが従来になく結束した!」とEU 委員会等から晴れやかに語られはしますが、個人的にはそんなことはとても言えず、「本当にそうか!?」と疑いながらこの間の議論を見守っていると、はっきりしてくるのは、従来だったら個々個別に現われていた対立がヨーロッパの安保障全戦略をめぐって、実はEU -NATO(機構)全体を捉えている対立であることが明確になってきていることです。
この経過を、ドイツ戦闘用戦車・レオパルドのウクライナ供与をめぐる議論に沿って検討してみます。
ロシアの「春の攻勢」が予測され始めた1月に入って、戦闘用武器・戦車のウクライナ供与が緊急の課題となってきました。事実経過の前後関係の記述に正確さを欠くかもしれませんが、まず、ポーランドから自分の所有するレオパルドをウクライナに供与する旨の申し出がされます。しかし、同盟国内で所有されるドイツ製武器の他者への供与については、供給側のドイツに最終決定権があることにより、ポーランドの独自意志のみでは不可能です。
それを受けてフランスからも、アメリカとの合意のもとでフランスの戦闘用戦車(Leclerc)のウクライナへの供与が決定されました。
この狭間に置かれたドイツは、まだ決定を出すことができません。ロシアと国境を接するスカンジナビア半島三国、ポーランドそしてドイツ国内から轟々たる批判が――例の2つの用語(「ぐずぐず、逡巡する」)を持ち出して噴きあがってきます。
ドイツはどうするのか? 固唾をのんで、次の決定を見守ることになります。
この間、メディアも首相ショルツに集中砲火を浴びせます。
ショルツがアメリカ大統領バイデンと会合し、1月25日、ドイツは戦闘用戦車・レオパルドのウクライナ供与を決定します。この日は、ウクライナ大統領ゼレンスキーの誕生日であるはずです。それを考えると、あまりにも出来すぎの感がありますが、そうしたスタンド・プレーが市民の政治忌避感を引き出さないことを願うのみです。
ドイツに次いでポーランド、フィンランド、オランダ、ノルウェーそしてスペインが続きます。アメリカからは戦闘用戦車Abrams、イギリスからは Challenger が供与されることになりました。
全部で100~50台になる計算です。しかし、ウクライナはプーチンの「春の攻勢」と対峙しロシア軍部隊の撤退を強制するためには、300台を必要とすると言われます。
しかも、最新型の西側戦車は一対一の戦闘ではロシアの旧型戦車(第二次世界大戦で使用)を圧倒的に凌駕するが、全体的な軍事展開で他の要素――空域防衛システム、爆撃機、ロケット弾、U‐ボート――との編成がないときには、「量」で攻めてくるロシア軍に対抗してその効果が十分には果たせないという軍事専門家の話も聞かれ、引き続きウクライナからは、「次は戦闘機を」!の声が高まってきます。
話はそれますがこの〈量と数〉メンタリティーは、ソヴィエト時代と全然変わっていないと思われます。「ソヴィエト10カ年計画」が立てられ、その実は経済制度の改善、品質の発展などお構いなしに計画数値の帳尻が合わせられただけで、社会的有用性のない重量なものを大量に生産してきました。重くて量があればノルマを達成できた「社会主義」が、ソヴィエト・ロシアの実情でした。
これを象徴するのが既に30万人、必要となれば100万人まで可能だと言われる「部分動員」と旧型戦車の数です。この物量作戦が、「春の攻勢」に投入されるといわれます。
それがロシアの強さか、弱さかは、ソヴィエト・ロシアの経験が示すとおりでしょう。
・労働者、農民、技術者、研究者、学生等の市民生活や精神活動を活性化することができず、
・それを補うためには西側から資本と技術を導入するほかなく、
・そこで生じる社会の亀裂をナショナリズム・イディオロギーと政治弾圧で縫い合わせしてきたが、
・国内外での解放された自由社会への流れはとどまることなく、
・それを引き継いだプーチンは、神秘的な物語をプロパガンダすることによって、
・窒息するまでになっていたロシア国内の抜け道をウクライナ軍事侵攻に求めた。
と冷静に考えてみれば、プーチンの息の根も穏やかでないことになり、したがって、ウクライナが迎え撃つ「春の攻勢」とはロシアの誰と、何と対峙・対抗するのかということになるかと思います。そこでの国際的な連帯――「EU‐NATOの従来にない結束と統一」の真価が問われてくると思います。
ドイツに一つの新しい現象が見られます。戦闘用戦車の供与が決定された直後から、それまで念仏のごとく唱えられていた「ウクライナへの武器を!」の掛け声が聞かれなくなったことです。
一瞬にしてピタッと止まってしまった感があります。声高にアピールしていた各党の政治家、TV定時ニュース、その他のメディアでも見聞しなくなってしまいました。TVのインタヴューに頻繁に駆り出されていた政治家たちも姿を消しました。
私の極めて個人的に限られた範囲内でのことですから確かなことは言えないのですが、「それにしても今までの無責任な喧騒は、一体何だったのか?」と戸惑いを隠せません。
この背景には、直後、ウクライナから「次は戦闘機を!」の要請が強められてきて、武器援助・供与の全体が余計に見通せなくなってくること、それは同時に、戦闘のエスカレーションと「参戦国」化、そしてプーチンの核兵器脅威の可能性へ現実的に接近していくことへの逡巡であるだろうと思われます。
ウクライナへの武器供与と〈ヨーロッパの安全保障戦略〉
次に、この問題を〈ヨーロッパの安全保障戦略〉の観点から経過に沿って整理してみます。
1.アメリカが戦闘用戦車(Abrams)のウクライナ供与を決めた直後、ショルツとの電話による話し合いに同席していた大統領バイデンの国家安全保障アドバイザー・チーフ(Jake Sullivan)が、当地のTVインタヴューに答えて、「バイデンがドイツに強請された」とリークしたことが切っかけとなり、ドイツ‐アメリカの同盟関係に関して侃々諤々の意見が出まわります。
それを聞きながら、「何を今さら」の感がしていました。
なぜなら、果たしてアメリカが戦闘用戦車の供与に同意するか、どうかは事前に確定できなかったからです。周辺事情をよくよく観察すれば、どこかに言い訳じみた言質が見てとれます。
・戦車輸送に時間がかかり、困難がある
・予備資材、燃料の補給が難しい。戦車母体は重量で、燃料はミックスされたもので特別
・複雑な操縦を習得できるまでの訓練に少なくとも6週間を要する
・ウクライナが実際に必要としている戦車ではない
この時、私の頭に浮かんだのは、シリア内戦へのアメリカの対応でした。2012年でしたか政府反対派とアサッド派の軍事対立が激化し始めたころ、反対派への武器援助が叫ばれました。当時大統領オバマは、「武器が敵の手に落ちることを避ける」を理由に、政府反対派、民主派の強い要請を拒否し、化学・細菌兵器の投入も予想されましたから、「レッド・ライン」を越えないことをアサッドに通告するだけになりました。しかし、アサッド派の無慈悲な人民虐殺に対しては、オバマの「レッド・ライン」は何の効も奏せず、アメリカは傍観するだけに終始しました。
一つには、アサッドの背後にロシア、イランが控えていることは明らかなことで、それに対する何の安全保障戦略をも持ち合わせていないことを暴露することとなり、伝わってくるのは「アメリカ・ファースト」でした。
他の一つは、アフガンの経験があったのだろうと思われます。ロシア軍を撃退するためにタリバンを支援したアメリカは、その後、アメリカの武器を所有するタリバンと戦闘を構え、自分が撤退する羽目になりました。アメリカが自分の武器と闘うことになるとは戦略外だったのでしょう。
同じことはイラク戦争でも言えます。イスラム諸国の宗教対立を考慮できない、すなわちイスラムに対する政治方針のない軍事行動は、独裁者を打倒しても、次の宗教対立を引き起こし、それがISテロを生み出す結果を招きました。
アメリカはそうした戦闘地域での直接的かつ地政学・戦略的な利害関係がないことから独自判断(アメリカ・ファースト)の撤退が可能でしょうが、取り残された国々ではテロ、女性虐待、人権侵害、人民虐殺、食料不足、反対派の弾圧が吹き荒れ国が荒廃していくこととなり、難民が生み出されてきます。
前首相メルケルがアメリカで、「難民首相」と持ち上げられた背景にはこうした事情があっただろうと思われてなりません。
アメリカ経済がブームに向かいつつあると報じられています。その重要な一つの柱は、ロシア・ガスに代わるFrackingガス、ウクライナ武器援助による軍需産業の振興が大きいはずです。
もう一つ決定的な要素として、そこからプーチンの核兵器使用による影響は、地域的にアメリカへの直接の被害を及ぼさないという判断が働いても不思議ではないからです。
この間アメリカの軍事専門家、政治学者たちの記事、インタヴューが雑誌、週刊誌、新聞などで紹介されていました。「早急な武器の援助・供与」によるウクライナの軍事攻勢の論調でほとんど共通し、ドイツ‐首相ショルツの逡巡を責めあげていました。「何をもたもたしているのか!」、「ショルツが理解できない!」という叱責と困惑です。しかし、アメリカの戦闘用戦車の供与に関しては一言の言及もありません。
裏を返せば、ヨーロッパの地政学的な課題は、EUが独自で解決しろ!という含みが読み取れます。
「早く武器を!」と口が軽くなるわけです。
しかし、NATOとしてどうか。ここがショルツの判断ポイントだっただろうと思います。「強請」とは、いかにもアメリカ的な表現を使ったものです。
ショルツは、アメリカの戦闘用戦車のウクライナ供与のバイデン同意を取り付けて、ドイツの決定を下ろしました。その決定に賛成か、反対かはここでは問わないとして、同盟内の手続きとしては当然のことだと思うのです。
オチもついていて、現在、アメリカ戦車の高くつくミックス燃料からディーゼルへの装備転換のために、ウクライナに手渡せるのは早くても年末、来春、あるいはあと2年は必要とすると伝えられてきています。
2.ロシアと国境を接するポーランド、フィンランドそしてエストニア、それに東ヨーロッパ地域諸国(チェコ、スロヴァキア)が、ウクライナに自分の将来の姿を見て国家主権の確立、国際法の遵守、国境の安全保障を求めEU‐NATOへの戦略的再編成を強調することに対して、EUの「原動力」といわれるフランスとドイツがどう応えるか?
ウクライナの〈解決〉の在り様が、こうした諸国の将来を決定することになります。
フランスの戦闘用戦車のウクライナへの供与決定は、バイデンとの直接の合意のもと単独で行われており、ドイツとの事前の取り決めはなかったはずです。マクロンのショルツに対する苛立ちが見られます。それに対応してショルツは、同じく事前にマクロンとの同意なく直接バイデンとの間で決定することになります。
「歴史的に培われてきたドイツ‐フランス友好関係を損なうものだ!」との批判が、CDU/CSUを筆頭に噴出してきます。時あたかも、2023年1月22日、「独‐仏友好関係」60周年がエリゼ宮殿で開かれていた前後のことです。
ユーロ危機、難民、コロナ、EU改革で統一した方針が出せず、むしろEUの政治利害関係の亀裂と対立が明確になってきたのが、過去15年のヨーロッパの現状であったでしょう。Brexitが、それを象徴しているように思います。そこには域内の東西・南北問題が孕まれています。
フランス‐マクロンは、それに対して財政および軍事防衛でEU独自の決定権を確立するよう働きかけてきました。
2020年1月でしたか、アーヘンで開催されているドイツ‐フランス平和友好条約の会合で、この問題をマクロンから出されたメルケルは、ドイツの回答を出せず「冷えた関係」が続くことになります。結局、回答を出せないままにメルケルは退陣しました。
マクロンの問題意識は、要約すると〈アメリカから独立しろ!〉となります。その上でのアメリカとの同盟関係を、ということです。
東ヨーロッパ諸国には、ナチ、共産主義の歴史の経験から、アメリカとの強い同盟を望む傾向が強いです。また、プーチンの核兵器使用に際して、核所有国フランスの対応に関した議論は全く聞こえてきません。
ヨーロッパの東西関係が問われました。これが今回の舞台裏です。
最後にそのフランス製戦闘用戦車ですが、技術的な問題があるため修理に時間がかかり、早急にはウクライナに供与出来ないと伝えられています。
続いてアジア、アフリカ、南アメリカとの国際関係がテーマになってきます。ここにある南北関係に関しては次回にふれることにします。(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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