写真:筆者
大統領マクロンの年金改悪案が議会の多数派を得られないという状況の下で、国会首相(Elisabeth Borne)権限によって議会内議論が拒否され、それを受けて法案の当否を審査する憲法評議会が合憲の評決を下ろし、4月17日土曜日の午前3時に大統領府は、「法案成立を告知」することになりました。2023年9月1日からこの法案の効力が生じることになります。
これに合わせるように週末にはニース等の都市で、緊急自主的な抗議行動が取り組まれました。
・「国家元首が盗人のように深夜にひそかに忍び込み文章にサインをした!」(「左翼党」メンバー・Manon Aubry)
・「国民の意思を軽蔑することは、ゲヴァルトを煽る」(穏健派労働組合CFDT代表・Laurent Berger)
・法案の告知をしないように訴え、「それをすれば、フランス全土が火の海になるだろう」(共産党代表・Fabien Roussel)
5月1日はメーデーです。100万人規模の集会とデモで新しい反撃の開始になるのか、また、今後どのような闘争への可能性が議論、模索されるのか。重要な転換点になるはずです。
3ヵ月に及ぶ、一方で数十万、百万人規模の闘争と、他方のマクロンの独断な政治決定は、単に年金法をめぐる闘争ではなく、マクロン・フランスの政治制度を根本的に問い詰めているように思われます。フランスの伝統的な民主主義が市民の手に奪回されるのか、それともマクロンの独裁政治で破壊されていくのか?―こういう問題を突き出しています。民主主義とは選挙の一票と共に、権力との闘争なしには実現できないということでしょう。
フランス社会が亀裂、分裂、対立していることは、明らかな事実です。
「マクロンは、彼の強情な頑固さによってル・ペンに門戸を開いている。」(左派労働組合CGT新女性議長・Sopie Binet) (注)
(注) 以上のインタヴューは、Frankfurter Rundschau 17.April 2023
民主制度の危機は、極右派の台頭となって現われています。
フランスの3月末の週刊誌の世論調査では、極右派35%、左派戦線27%、マクロン派26%の支持率だという結果が出され、左派戦線とマクロンの激突の狭間でル・ペンは共和主義者を装い、威厳ある振る舞いを心がけ、従来のように政敵をこき下ろし、論駁するような姿は影をひそめ、これが腕まくりをし、大声で怒鳴り散らす左派との対照を際立たせ、共和主義者の保守派および中間層の支持獲得に反映しているといわれます。
最近の選挙でイタリア首相についたファシストの流れをくむジョルジア・メローニ(Giorgia Meloni)を模倣していることは疑いのないところで、ファシストがヨーロッパに勢力を伸ばし始めている事実を語っています。以上のことは極右派、ファシストの流れに対する中間層の免疫や抵抗がなくなってきていることを示しています。
2022年4月24日の大統領決戦投票で3度目の敗北を喫しながら、6月の議会選挙で極右派は、従来の8議席から89議席を獲得し大躍進することになりました。(注)
後にもう少し詳しく触れますが、マクロンの政治敗北といえます。年金法がそれに拍車をかけたことになります。
(注) 同上 1./2. April 2023
年金問題は世界に共通したテーマです。ドイツとて変わりはありません。少子化、高齢化、高い失業率、派遣労働による労使契約の不安定、経済不況?―これらの要素が最近ではユーロ危機、難民問題、コロナ感染、ウクライナ戦争を通して国家財政を圧迫し、インフレーション、健康・医療、エネルギーそして気象・環境危機の中で市民の日常生活は貧窮を極めることになりながら、国家からの適切な社会援助が得られないばかりか、カットされてきているのが現状です。特にこれから社会に出て労働に就こうとする若い世代の将来は見通しが立ちません。
ドイツでよく聞かれますが、数年前にすでにリタイアした人たちは「ラッキーだ!」と。財源と制度がまだ確保されているからです。しかし、これから何年か先にリタイアする人たちには、老後の生計を立てることが難しくなっています。ましてや10代後半、20代前半の年齢層にとってみれば、40年先など想像もつきません。
年金議論は、その意味で単なる財政問題ではなく、社会の構造問題を提起していることになります。年齢を超えた国民の安全な生涯と自然を保障する制度とは何か? ここでの社会の亀裂と分裂が進行していることこそ、フランスの問題であるように思われます。
マクロンは、それについて議論することを拒否しました。
ドイツでフランスの年金議論を聞いて、「信じられない?」とよく言われます。ドイツの年金入りは67歳からですから、62歳から64歳への2年間の延長に含まれる問題を理解するのに苦労しているみたいです。この問題を、社会構造との関係で検討してみます。
なぜ、若い人たちがマクロンの年金改悪に反対し、労働組合と一緒にデモに参加するのかということです。
高等教育、職業研修を受けない、受けられない若い人たちは単純労働、自営、職工、あるいはサーヴィス分野で、しかも不定期かつ低賃金で定年まで働いて、老後の健康で安定した生活を保障できる年金受給ができるかどうかは不確定です。ドイツでは、「老齢貧困」と表現されている現象です。年々増えてきています。
実は、マクロンの年金制度改悪で一番の打撃と不利益を被るのが、この年齢層グループと労働分野ですから、ここではむしろ財源問題よりは再教育、研修制度の充実と、低賃金の上昇および安定した労働契約、労働条件こそが求められていると思うのです。
そして、この議論からは弾き飛ばされたグループが、中間層下級グループと共に極右派勢力の中軸を形成することになります。
これを別の角度から見れば、以下のようになるでしょう。
この間の選挙の投票分布を階層別で見れば、高等教育を受け高年齢層の80%が投票し、他方で不十分な、あるいはまったく資格のない若い年齢層の80%が投票には足を運んでいないだろうと分析されています。
上層階級、アカデミカ―そして裕福な年金者層がマクロン及び穏和な右派政党の支持基盤になる一方で、若い年齢層でも不十分な資格取得者、低所得者層の集中する住居地域が極右派(RN)あるいは左翼戦線LFI(La France Insoumise不服従のフランス)への支持傾向を示すことになります。
マクロンが2017年の大統領選挙以降「30%の大統領」といわれる所以です。彼は、「棄権の民主主義」を権力基盤にしていることになり、それが街頭での大衆の大規模な抗議デモを引き出す原動力になっていると考えられるのです。
その結果は国会の議席配分に顕著です。
フランス国会577議員のうち労働者階級出身は高々5名で、全フランス国民の16%を占めるといわれる労働者階級の国会内比率は、それによって1%以下ということになります。
ほとんどの議員は弁護士、ビジネス・コンサルタントのメンバー、銀行員、会社のボス、医者などエリート教育過程を排他(独占)的に卒業してきた人物によって占められ、また、大統領多数派の60%以上が高級なインテリ分野で仕事をする管理職メンバーや人材で固められているのに対して、被雇用者はただの2%、労働者階級出身者はなんとゼロという数字が出されています。(注)
(注) Le Mond diplomatigue Aprill 2023
Politik der Verachtung-Die Rentenreform offenbart, wie sehr Praesident Macron ueber die Mehrheit hinweg regiert von Boneit Breville
そう考えると、この寄稿文で政治エリートたちが「国の現実というものを、ただ漠然としか認識していない」と指摘するところに、事の本質があるように思われます。
上層階級とエリートが、一方で補足年金と有り余る払戻金を手中に収めリタイア生活を堪能できるとすれば、他方で街頭デモをする低所得者層とのギャップは一目瞭然です。
特に、低賃金、時給、不安定な労働協約の下で働く女性の現状と将来の年金保障への不安が、女性のデモ参加を促していることを、ボルドーのデモでも実感されました。
ここでの自問はしたがって、上記筆者が集約するように、はたして「自分は何のために、なぜ、そして誰のために仕事をするのか?」となります。
これが、フランス全土に発せられているアピールだということができ、我が事のように身につまされます。
憲法評議会がマクロン年金法手続きを「合憲」と判断したことは、エリートと特権階級の仲間内のなれ合い的な決定でしかないことが透けて見えます。社会の信頼感が形成されないどころか、政治への忌避感だけが増大されることになるのは明らかなことです。
この間、メディアに見られるマクロン評をここで拾ってみます。
「尊大」「独裁」「知ったかぶり」、つい数年前にはマクロンを「ナポレオン」になぞらえる批判、文章も散見されたものです。市民の意見を聞こうとせず、市民(生活)からかけ離れているマクロンの姿が見えてきます。
次に、この過程を振り返ってみます。
上記の大規模デモに至る経過は、単に2年の労働期間延長だけではなく、法案が成立していく過程、つまり市民の意見を頭から無視し、強引に憲法49条3項(国会審議拒否の承認)を振りかざし、議会内外の議論を押さえつけ、拒否したマクロンの民主主義(手続き)破壊を弾劾することになりました。あちこちで見聞される「革命」という表現と文字は、それ故に反マクロン・反年金制度改悪闘争が政治闘争に発展していることを意味します。
闘争が激化してきた背景は、ここにあるだろうと思われます。
2017年5月7日、決戦投票で66%の得票を得て大統領に就任したマクロンはルーブル博物館で、引き裂かれ対立したフランス(注)の〈統一と和解〉を訴え、それによってフランスのみならずヨーロッパへの多大な希望を与えたことは記憶に新しいです。
従来の手垢のついた政党政治に代わり、若い年齢層を中軸とする自主的な市民の下からの、言ってみれば〈草の根運動〉的な組織を動員し、社会変革への期待が持ち上がってきました。それに39歳という若さで、スマートで知的な大統領のイメージが加わります。当時の政治雰囲気というのは、このようなものだったでしょう
(注)4月27日第一回目投票の選挙結果は、マクロン(EM-共和国前進))24%、ル・ペン(当時FN-国民戦線)21,3%、フィヨン(LR-共和党)20%
マクロンの政治目的は単なる政治改革ではなく、「根本的な変革・刷新」にあることを、自身の口で強調しています。
しかし、〈30%の大統領〉で何が可能かという疑問が、直後、メディアを含め各界から湧き上がってきます。フランスの政治制度は、伝統的な王政、君主主義的なしきたりによって、現在尚、縛られているといわれました。それを、はたしてマクロンは変革・刷新できるのか? 以降の議論は、この点をめぐります。
時あたかも、ユーロ危機後のヨーロッパ各国の経済再建過程に難民問題がふりかかってきた時期です。
ここでEU- ヨーロッパは、経済・財政面での統一した方針が出せません。むしろ各国の独自利害の対立が顕著になってきます。それにEU-NATOの防衛費と防衛戦略がマクロン側から提起されます。
一向に捗らない議論の末にマクロンが、「NATOの脳死」と公然と発言したのが2019年のことでした。この路線は、今もウクライナ戦争の中で堅持されているように思います。
マクロンが手掛けたのは、
1.解雇権の緩和
2.富裕税の優遇
3.投資収益及び企業利益の税率低下
4.年金制度の改革 (しかし2019年抵抗にあい頓挫)
でした。これによってフランスは投資(家)天国となり、国内の大資本は記録的な有益を上げることになりました。また、同時に2017年に9%であった失業率も現在では7%まで下がり、金融関係出身のマクロンとしては、面目躍如といったところです。しかし、これら改革のいくつかをマクロンは、当時既に法案の国会決議によってではなく、大統領権限だけで通過させています。(注) 現在の路線が既に布かれていたことになります。前科を持っているのです。
(注) Der Spiegel Nr.15/8.4.2023 Entzaubert von Leo Klimm
この過程で、運動の当初に見られた下からの政治組織化と意見形成は影をひそめ、トップ・ダウン式の「マクロンの党」が姿を現し始め、メディア、運動側からのマクロンへの「ナポレオン」批判が始まります。それによってマクロン運動から離れていくメンバーが出始め、最後はどうせ同じ結果になるのなら、「極右派ル・ペンに投票することに抵抗は感じられない」という意識が生み出され、極右派への敷居と抵抗が取り除かれていくことになりました。
そして6年後の2022年4月24日、再び決選投票(注1)でマクロンが二期目の大統領に就任することになります。が、この意味をマクロン自身が一番よく認識していたと思われます。
「私は、最早、ある一つの陣営の候補者ではなく、すべての人たちの大統領になるだろう」(注2)
この言葉には、ル・ペンに投票し、あるいは棄権した選挙民の圧力を、マクロンがモロに感じていることを物語っています。
(注1) 2022年24日決選投票の結果は、マクロン58,54%、ル・ペン41,46%
(注2) 同上Spiegel
4月24日の決選投票は、したがってマクロンを大統領に選んだ選挙ではないという事実です。そうではなく、ル・ペンを阻止するための国民投票であったというのが真実でしょう。
選挙前には、国民の三分の二がマクロン政治に不満を持っているという統計も出されていました。
第1回目投票と決選投票の間に浮上した政治議論は、なぜ、左派が統一候補を立てられなかったのか?という当然の疑問です。
その前に4月10日第1回目投票の投票結果を見れば、理屈なく誰でも問題の所在は分るはずです。
マクロン 27.8%
ル・ペン 23.2%
メラション 22.0% (不服従のフランス)
単純に計算すれば、左派が統一候補者を立てていれば、ル・ペンを抜いてマクロンと左派の決選投票が可能であったことになります。この反省が、実は、決選投票に現れていると見てよいでしょう。
そして、現在のマクロン政治に対する左派の抵抗と反撃です。その中間で極右派は、忍び笑いしながら姑息に事態を見守っているというのが、フランスの現状だろうと私は判断しています。
マクロンは、果たして全任期を持ちこたえることができるのか。一つの歴史の教訓は、ド・ゴールが1968年5月革命を強権によって乗り切ったものの、1年後の1969年には退陣に追い込まれたのは、彼がすでに国民の基盤を失っていたからにすぎません。
マクロンもド・ゴールの二の舞を踏むことになるのか。すべては左派の統一と組織力、そして抵抗力にかかっていると思われます。 (つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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