ドイツ通信第209号 ドイツの三つの州選挙とアメリカの大統領選挙に共通する問題点(2)

9月1日(日)、ドイツ東地域チューリンゲンとザクセン二つの州で行われた選挙結果は、すでに報道され議論されているところだと思いますが、今後は州連立政権の組み合わせに焦点が絞られていきます。
 
選挙結果が示すのは、極右派(AfD)、親ロ派ポピュリスト(BSW)、保守派(CDU)が勝利し、現在のドイツが抱える政治課題を鮮明にしたのに対して、SPD、 緑の党、FDPの連邦政権三党及び左翼党がそれに対抗できる明確な方向性を提起できず、壊滅的な敗北を喫したことを意味します。
各州の選挙テーマは連邦政治とは直接かかわりがないといわれますが、難民、エネルギー、インフレ、失業等々、将来へ不安を抱える市民の経済生活と社会の安定――すなわち安全保障への強い要求が、各州、地方から連邦政府への批判となっていることが、ここには読み取れます。実際のところ、連邦政治ではなく地域の問題を取り上げた政党が選挙で敗北した構造となっています。
この緊急性を連邦連立政権三党が自覚しているのかどうかが、今後の議論のなかで問われてくるはずです。
 
現在のところ三党からは現実を直視できない、的を外したコメントが出されてくるだけです。そこには打撃の大きさから組織の瓦解をなんとしても防ごうとする自己保身だけが見え隠れしています。実は、これこそが敗戦の一番の原因だったと思うのですが。
市民意識と政党のかけ離れたギャップが浮きぼりにされ、それは一部で言われるような軽々しいコミュニケーションの問題ではなく、政党の組織戦略――すなわち党の存立意義が問われているということです。
 
選挙前には極右派AfDの躍進に危機感が持たれ、ドレスデン、エルフルトなど各都市で数千人が結集する反ファシスト、反AfDの集会とデモがくり広げられていました。通り、町の広場がデモの人出で埋まりました。しかし、選挙結果はAfDの躍進をストップすることができなかったとはいえ、選挙後も〈反ナチ、反ファシスト〉の戦線は維持されています。極右派AfDの一挙一動への監視が続けられ、機会を見ての抗議行動が取り組まれています。
 
それを背景とした連立工作ですから政党間の党略、取引、駆け引きなどは許されず、政治路線での合意が必要とされ、現在、以下のような諸点が政治的に配慮されています。
 
1. CDUは党決議でAfD、左翼(BSWも含む)との連立を拒否、
2. SPDはBSWを親ロ派ポピュリストとして連立を拒否、
3. BSWは左翼党から分裂したグループ、
 
ですから、これを受けてチューリンゲンとザクセンでは共に、連立に向けて次の三つの可能性が考えられます。
 
1. AfDを排除したCDU主導の連立政権で、BSWを除いた政党との多数派が実現しないときには、少数派政権が唯一の現実性を持ってきます。
2. AfDを排除したCDU主導の連立政権で、BSW及び他の政党との多数派を目指しながら、他政党がBSWとの連立を拒否する場合には、残るは同じく少数派政権です。
3. AfDとBSWの連立ですが、政治テーマ――難民、ウクライナ戦争、インフレ、対ロシア外交、NATO、反米等々で共通する部分が多いことから、可能性はまったく否定できませんが、そのとき、BSWの本質をさらけ出すことになり、BSWへの不信感と失望が組織内外から表面化してくることは確実です。こうした対立を避けようとした組織運営が党首サーラ・バーゲンクネヒトの新党設立の目的でした。同じことは、他政党との連立についても言えます。
 
以上、連立政権には少なくとも三党を必要とし、そのキャスティングボードを握っているのはBSWとなります。
選挙分析は、これからもいろいろな角度から取り組まれていくと思いますが、私の個人的なテーマは、若い世代の投票傾向です。若い世代とは――厳格に言えば18歳から30歳までの年齢層です。因みにEU選挙では、今回から16歳に年齢が引き下げられました。
参考のために、EU選挙で全ドイツの16歳から24歳までの年齢層の投票傾向を分析したARD(ドイツ第一TV放送局)の報告によれば、
 
AfD: 16%(前回2019年比+11) 
緑の党:11%(-23)
 
となっており、この傾向はドイツ東地域だけのものでないのがわかります。
 
この世代が、〈なぜAfD に投票するのか〉が、またメディアの大きな一つのテーマとなっています。各日刊紙の電子版にはほとんど同様の見出し記事が見られ、時間を遡っていけば、この傾向は2017年フランス大統領選挙、そして2024年EU選挙で既に明らかになっていたところですが、〈どうすれば極右派の躍進を食い止められるのか〉をめぐる政党間議論が先行し、〈なぜか?〉を追究しようとする本質的な議論は後景に追いやられてきた印象が拭いきれません。
まず、統計(注)から見ていきます。
ザクセン
[30歳以下]
CDU  AfD  BSW  SPD  緑の党  左翼党
15%  30   10   9   9     13
[30-44歳]
24   33   10   9   8     6
[45-59歳]
32   36   10   7   5
[60歳以上]
42   28   14   7
 
チューリンゲン
[30歳以下]
CDU  AfD  BSW  SPD  緑の党  左翼党
13%  36   11   9   9     13
[30-44歳]
20   38   12   7   8     9
[45-59歳]
23   39   14   5         9
[60歳以上]
31   27   17   6         14 
 
(注) zdf.de 01.09.2024
           rnd.de 03.09.2024
           „Junge Rechte: Warum die AfD bei jungen Menschen so stark gewinnt“
            von Josefine Nord
 
この現実に誰しもショックを受けるはずです。若い年齢層といえば、緑の党といわずFDPの重要な基盤でした。それを失ったことから、緑の党は3.2%(前回2019年5.2%)とチューリンゲンで議席を失くし、ザクセンでは5.1%(8.6%)とかろうじて議席を確保しました。緑の党は早くからこの自党派の危機性を自覚していたはずで、昨年の党大会ではようやく〈ドイツ東地域での組織活動の強化〉をアピールしていましたが、成果を挙げなかったことになります。
FDPは、もともとザクセンでは議席を持たず、チューリンゲンでは1.2%(5.0%)と壊滅的です。
SPDを含め民主中間派が政治力を持てず、年齢層で見れば若い世代が極右派AfDに、高年齢層がCDUに投票し、更にその上に各年齢層から満遍なく高率で得票しているのがAfD であるのがわかります。
こうしてチューリンゲン議会で戦後初めて、極右派が第一党の位置を占めることになりました。ワイマール共和国が、保守派とナチ派による反共産主義、反ユダヤ主義、反共和国を掲げた反革命行動によって崩壊されていった歴史は、チューリンゲンからでした。〈Nie wieder, Jetzt!〉(決して過去を繰り返すな、今こそ!)とデモや集会でアピールされる現実的な意味は、ここにあります。
 
他方、BSWは連邦政権三党に代わって中間層のみならず左翼党からも得票し、各年齢層を網羅した独自の組織基盤を築いているのが見られます。事前には、BSWがどこまでAfDの票田に食い込んでいくのかに注目されていましたが、チューリンゲンを例にとれば、投票棄権者から17%、左翼党から42%で、結果的にAfDからの大きな流動票は認められず、双方の党がそれぞれ自分の票田を固めていることがうかがわれます。(注) ここが総括ポイントになり、これ以降の政治活動のテーマになっていくだろうと考えています。
    (注)  ARD  Tagesschau 01.09.24 選挙速報と分析
 
以上からAfDとBSWが、ドイツ東地域の政治流動化を、しかし右に、かつポピュリズム的に推し進めたことが眼前に示され、9月22日に予定されているブランデンブルク州の議会選挙に危機的な警報が出されます。
 
そこで振出しに戻り〈なぜ、若い年齢層が極右派AfDに投票したのか?〉、その政治的動機とは一体何だったのかが、議論の焦点にあてられてくることになります。
以下に、この間の議論に見られる要点と思われるところを整理しててみます。
 
・過去数年間を振り返れば、EU金融危機以降、倒産、失業、インフレによる財政的な不安から将来への展望をもてなくなっている。
・それに輪をかけたのはコロナ感染で、教育を受ける機会が奪われ、将来の学問・労働世界への編入に不安がつきまとう。
・問題解決の方向性が不明確なうえに、政治は何も答えられないために政党不信が生まれてくる。
・政治意識は持っていても、例えば地域の社会施設――クラブハウス、青少年センター、図書館、プール等が財政難から閉鎖されたことにより、同年齢の若者が集い、出会い議論できる場所が失われた。
・政党議論が若者たち、地域の現状をとらえることなく、言ってみれば政治家の綺麗事の羅列で、政治教育にならないばかりか嫌悪、憎悪感さえ植え付けられる。
・既存政党への忌避感から選択肢が「コレラか、ペストか」と表現されるような投げやりな思考が生み出され、一種のニヒリズムが蔓延してきている。
・結果は、若い世代の中で従来の一つの基準となっていた「左派‐右派」――これを「民主派-保守派」と言い換えてもいいかと思われますが、の境界が取り払われ、これに〈エリート批判〉で対抗しようとする極右派を抵抗なく選択肢として受け入れていく、等々。
 
きりがありません。大体の背景状況は理解できると思いますが、問題は、そこからなぜ若い世代がAfDに投票するのかは、まだ納得できる説明がなされていないように思われるのです。そこで、よく指摘される以下の三点を検討してみます。
 
1. 社会メディアの影響
2. AfDの単純でポピュリズム的な用語とアピールにひきつけられる
3. 既成政党へのプロテスト(抗議)投票
 
そうであれば、若い世代をあまりにも受け身的に理解していないか? 以下に見る選挙分析は、私には別の認識を可能にさせるものです。18歳で初めて選挙権を獲得した若い世代が「なぜAfDに投票する決定をしたのか、その動機とは?」に関する世論調査の分析結果です。(注)
 
・内容的に同意              80%以上
・政権能力がある            約50%
・問題解決の能力がある          40%以上
・家族、友人の意見と一致する       30%弱
・連立の可能性              20%弱           
・他政党への抗議投票           40%以上
・メディアの影響             20%弱
・グループの強制            約5%
 
(注)  rnd.de 03.09.2024 
          „Junge Rechte: Warum die AfD bei jungen Menschen so stark gewinnt“
            von Josefine Nord
 
メディアの影響を無視することができないとはいえ、また事実はそうだとしても、根本的に極右派の政治立場への確固とした信念(80%)が、若い世代の中に形づけられているのが認められるのです。彼らにとってメディアの持つ意味というのは、そうした孤立した各個人が社会と世界で仲間を見つけ出し自己を再発見しようとする積極的な活動で、従来の各既成政党への繋がりを断ち、あるいは統計では30%といわれてきた投票棄権者の多数の部分を糾合することになっているといえます。政治の〈左か右か〉への二極化ではなく、〈左右〉に対する別の対極がここには生まれてきていることになります。影響を受けて極右派に同調しているというのは、あまりにも表面的で、実態を捉えていないのではないかと考えられ、このテーマを取り上げるきっかけとなりました。
 
「メディアの影響」が一面的に強調されるとき、その対抗策としてメディアによる〈啓蒙・教育〉が強調され、それはそれで実に重要なことに変わりないのですが、それでは若い世代の自主的で積極的な政治動機を完全に見落とすことになり、むしろ感情的に「左右のエリートから何か言われたくない」という反発をまねくだけで、議論は再び堂々めぐりします。
この世代は、繰り返しますが、受け身ではないという一点をおさえた議論が必要になってくる所以です。
若い世代のこうした政治意識がどこから形成されるのかは、彼ら自身の生活現状から、また将来をどう考えているのかを理解するところから把握されるべきだと思います。事実、調査分析に見られるように、メディアをはじめ家族、グループの影響率が極めて少数であることからもわかります。
 
〈庶民的で よりはっきりとした言葉〉――これがこの世代の判断基準となり、政治的には、
・難民の厳重な制限
・外国人の減少
・過去20年間、とりわけ現在の三党(SPD‐緑の党‐FDP)連立政権への批判
 
が、AfDへの投票動機となっています。
ここに認められる政治観は、反難民から人種主義、排外主義、反ユダヤ主義です。
 
ここで90年代からの時間を少し振り返り、〈庶民的で よりはっきりとした言葉〉の意味を考えてみることにします。
ドイツ統一によって旧東ドイツの産業と社会は、文化も含め土台が根こそぎ掘り返され、そこに瓦解した社会主義制度に代わり新しい西側資本主義が持ち込まれてきました。何がどうなっていくのかわからない将来への不安がつのる一方で、他方、新しい職場への大きな希望もあったことが、ドイツ統一に内包された課題であっただろうと思われます。この時期、何回も何回も旧東ドイツに入り、その変わり様を見てきました。
まず、駅前を中心に主要通りにはパン屋、カフェー、本屋、花屋、キオスクそしてセックス・ショップ等の小売店が小奇麗に改装された店舗に入ってきます。人間の基本的な欲求を見せつけられる思いです。逆に見れば、こうした自由な消費部門が、以前には皆無であったということでしょう。
その後、自動車産業に続いて最近ではテクノロジー関係の大型資本が投資され、そこに数千人の新雇用が可能だという触れ込みです。
基幹産業と小売業の間で、しかし市民社会をつなげていく中間産業の育ってきていないのが顕著になってきました。
以上、極端化してしまいましたが社会インフラが整備されていない、あるいは確立されていない結果、ドイツ統一が旧東ドイツの社会のみならず住民相互を分断させてしまったように思われます。
町の中心部に瀟洒な住居が並んでいるかと思えば、そこから郊外に100m程進めば、まだ腐朽し、崩壊した家並みを見ることもできました。賃金格差も含めて東西の違いが明らかになってくるのが統一後30年位経ってからです。
 
この時期に、90年代の中期から後半にかけてですが、ネオナチの動きに変化が認められます。〈剃り上げ頭に迷彩服そして編み上げ長靴〉が象徴になっていたネオナチが、頭髪を伸ばし、背広とネクタイの衣で立ちで社会の中に潜入し始めた、といわれ始めました。彼らは日曜日・祭日・休暇期ともなれば、郊外の広場でファミリー・フェストを開催します。楽しそうに両親と一緒に声を上げて遊ぶ子供たち。TVのインタビュ-で、「主催者がネオナチ、極右派グループだと知っているか」と質問を受けた両親は、困惑した表情を見せながら、「しかし、こんな機会はない」と答えた姿が今でも印象に残っています。もうかれこれ25年、30年前の話です。
そのときの子供ですから、現在20-30歳前後の年齢になります。
 
もう一つ典型的な例を取りあげてみます。幹線交通網の近代化の他方では、資金不足、合理化のためにバス、電車の路線が廃止され、地域、農村部が過疎化していきます。また青少年が親元を離れ、残る住民の高齢化が進みます。スーパー、薬局、医者、介護等々、日常生活に不可欠な社会機構が消滅してしまっているため、都市部に出かけなければならないのですが、高齢者には体力的にも経費的にも無理です。孤独な生活を強いられ、人間関係が成り立ちません。社会環境の低下に従って住民の社会意識も低下していきます。
その世話役を買って出ているのがAfD のメンバーで、個人的なコンタクトを取り、失くした故郷意識への郷愁が高められてきます。住民は、その彼らが極右派であることが信じられないのです。あるいはまた、右であろうが左であろうが、そんなことは、どうでもいいことになります。
そんな親の生活を見て育った若い世代が、より良い世界を求めて都市部に出ながら、そこで見た現実は故郷と何ら変わりがないのです。
 
このとき、西側ではネオナチ、そして〈ドイツ統一の歴史と意義〉について議論されていました。この傾向は今も大して変わりはないはずです。
 
都市部と郊外・農村部の対立、難民・移民、年々高騰する住居費、住居難、インフレ、更に教育、医療、介護――西も東も政治問題は共通しています。極右派AfDが、若い層のみならず、各年齢層を超えて選挙で多数の票を獲得した一つの、しかし重要な時間的な経過を、私は以上のようなところに見ています。
では、何が東西の違いにあるのか? が次のテーマになってきます。
 
それへの回答は理屈でよりは、友人から聞いた話が的を射ていると思われ、以下に紹介しておきます。
 
先日、東ドイツ出身の友人から50歳の誕生日パーティーに招待され、私はバーべキュー担当で肉を焼いていました。20人ほどいたゲストの中で西側出身のゲストは3-4人だけで、他は東ドイツ、イラン、エジプト、イタリア、セルビア、アフガニスタン等々(全員と話ができないでした)からと多彩で、話も弾み楽しいでした。
東ドイツ出身の40歳前後と思われる男性が、彼の旧東ドイツの経験を話してくれました。健康上の問題で、彼はいろいろな医者に診断を受ける必要があります。西側では、医者の誰からも患者の話を誠実に聞いてもらえなく、医者の専門知識を聞かされ、それも自分が納得できない診断書を出してもらえるだけだといいます。
「東では違った」と続けます。医者と患者の関係だけれど、「人と人の関係として話ができたから医者への信頼性があった!」と。
これを聞いて私には、二つのことがはっきりしました。
 
1.東ドイツの社会が文化も含め解体され消滅されようとしていることは理解できましたが、その意味するところがつかめないできました。〈人間関係の分断〉ということです。そこにネオナチ、極右派からつけ込まれているということです。
 
2.したがって、とりわけドイツ東地域の選挙総括を語るとき、一方的な西地域の価値観、政治思想の啓蒙・教育からではなく、分断された(地域の)人間関係の再構築という観点からの議論が必要とされると思うのです。
 
そこから、〈ドイツ統一〉によってもたらされた東西ドイツの対立は超えられていくべきだと考えています。
最後にもう一つ残る問題は、分断された社会と人間の議論が、「当時はよかった」などとノスタルジックに〈過去への回帰〉に向かうのであれば、その過去が何を意味していたのかが個々人の責任も含めて語られねばならないはずです。そうでなければ〈庶民的で よりはっきりとした言葉〉というポピュリズムの土壌が生み出されてくることは必至です。東西ドイツの現状は、相互の責任のなすりあいに終始しているように思われます。
個々人の責任を、それは東西の区別なく各自が担うことから、違いの中での議論は可能になってくるはずです。
 
東ドイツ出身の友人との話から、こんなことを考えさせられました。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5762:240919〕