ドイツ通信第210号 ドイツの3つの州選挙とアメリカ大統領選挙に共通する問題点(3)

9月22日のブランデンブルク州選挙(注)は、他の2州と同様の傾向を示し、その後の政権成立に向けた交渉経過をこの2か月間近く追っていました。

(注) SPD30.9%(前回2019年26.2) AfD29.2%(23.5) BSW13.5%(―)

CDU12.1%(15.6) 緑の党4.1%(10.8) 左翼党3.0%(10.7)

ここに見られる傾向は何もドイツに限らずフランス、オランダ、イタリア、オーストリア、そしてスウェーデン(スカンジナビア半島)、また東ヨーロッパにも確認され、その頂点にアメリカ大統領選挙でのトランプの勝利があっただろうと思われます。極右派、ポピュリスト勢力の勢いが止まりません。

そこで東ドイツの選挙結果とその後の経過を見れば、その背景にある統一ドイツの歴史的且つ現実的な意義と課題が浮き彫りにされてくるのではないか。そうであるなら根本的な問題のポイントは、第二次世界戦争の終焉に続く「冷戦時代」、ソヴィエト「共産主義」体制の崩壊、「ベルリンの壁」およびそれに連結した「鉄のカーテン」の崩壊という戦後世界体制の再編成過程――これは多方面から様々なところで論じられてきましたが、それのみならずその渦中で人民、世界の人々が経済、社会、意識、精神面で実際にどういう状況に陥れられてきたのかに、視点の注がれていくことになるだろうと考えるのです。なぜなら人民の連帯が、今ほど求められている時はないからです。

同時に1960年代以降、アフリカを筆頭に西側帝国主義支配に対する民族解放・独立闘争と、他方でアラブ諸国の石油、ガス地下資源エネルギー発掘による資本力、政治発言力の強化――その急速な発展過程をカタール、アラブ首長連邦そしてオマーンでつぶさにみせつけられたものですが、それによって世界政治は一つの中心点から各方面に線を結ぶ同盟関係から平面的な関係に移行してきているように思われるのです。重点が一つではなく多方面に移行してきているということでしょうか。

個人的にもこのところアラブ諸国に出かける機会が多くなっているのは、そうした意識が働いているのは間違いないなどと書けば、どこか表面的な一般論を広げているような感じがしてなりませんが、しかし突き詰めれば、自分の「政治コンパス」をどこに定めるのかという問題になります。個人としては微力ながら、自分の依って立つ立脚点が定まれば、そこから世界を見る目と様々な人たちとの繋がりも可能になり、そこでの現実的な議論といわなくとも意見の交換は成り立ち、新鮮な活性力が生み出されるはずです。

ドイツの3つの州選挙と結果、そして今後の方向性に関する議論を体験しながら、私の一番望む点がここにあります。

どこで、どう、議論がかみ合っていくのか?

それはまた、「信号連立政権」(SPD?緑の党?FDP 3党連立)が崩壊し、2025年2月23日に決まった連邦議会選挙戦の過程で問われてくるはずです。

前置きが長くなりました。以下、まず東ドイツの三つの州選挙後の政権成立に向けた交渉経過と、そこでの問題点を整理してみます。

結論から書けば、少数派政権の賛否ということになるでしょうか。選挙結果に見られるのは、BSW(サーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟)が連立のキャスティングボードを握っているところから、このグループとの政策合意が可能かどうかです。

BSWはテーマとして一方で教育、難民、社会的公正を掲げながら、他方では反戦・反軍備・平和条項を連立協定前文に明記することを要求します。

一見、伝統的な左派政治を唯一代表しているかのような印象を持たせながら、実のところ、単なる似非左派ポピュリストの本音が隠されているのは、以下の諸点に明らかです。

何がBSWの反米-親ロ路線を規定しているのかを見れば、社会問題と反戦・平和問題の関連性が明らかになり、そこでこのグループの欺瞞性のみならず、本質的なポピュリズムとナショナリズムの内実が暴露されるはずです。

歴史的な帝国主義と植民地支配への批判が世界資本主義の中心国アメリカへの批判となり、他方で資本主義体制に対して闘い植民地、後進国の民族解放独立運動を支援・援助してきたソ連共産主義へのシンパシーが、現在の親ロ派路線に根付いていることは明らかに認められます。

この世界観から、現在の危機は西側資本主義がNATOとともに、戦後体制を破壊しつつロシアを窮地に陥れていきた現状に、プーチンが武力で対応しているのがウクライナ戦争の根本原因である、との認識が引き出されてきます。これを公然と主張することによって、ウクライナへの軍事支援を決めているドイツおよびヨーロッパ各国政府への批判を強め、同時に現在急速に増大している社会的不平等は、ロシアからの地下資源(ガス・石油)供給を一方的に停止したことから生じるインフレと経済危機にあると分析します。

ここからBSWの社会問題と反戦・平和問題の方向性は、以下のように要約されるでしょう。

1.プーチンとの政治交渉

2.ロシアからの地下資源買い入れ再開

3.社会資本への負担となる難民の制限

各ポイントへの自分なりに考えられる批判点をあげてみます。

1.政治交渉の可能性は、ロシアによるウクライナ占領地をプーチンが手放すことはないはずですから、また、プーチンはこの問題抜きの政治交渉は拒否していることから、BSWの要求は何をめぐる交渉かが明確でなく、偽装平和に向けた世論操作の域をでません。現実的には、プーチンへの屈伏強制です。プーチンはウクライナの次にロシア系住民を口実にしたモルドバ、グルジアさらにバルト三国、スカンジナビア半島も軍事占領の射程に入れているはずですから、BSWの主張はあくまで、ドイツの「一国平和」論――ナショナリズムにすぎないことは明らかです。

プーチンの最終目的が、失ったロシア帝国、ソヴィエト共産主義領域の軍事力による領土奪回にあることは明らかです。

2.「安いエネルギー」を筆頭に「安物買い」メンタリティーは、経済を潤すどころか、生産・労働に関する価値判断の精神的な貧困化をもたらすと思うのです。

コスト費が「安上がり」になれば資本利益が上がり、市民消費が節約できるという考え方は、投げ捨て、使い捨ての消費文化をつくり上げ、こうしてゴミを世界にばらまき、自然環境破壊を招いてきたのではなかったか。高くなれば消費者の出費負担が嵩張ることは事実として、他方で、「安物売り」の背後には、安い賃金労働、国によっては、例えばアジア、アフリカに見られる奴隷的な労働条件のあることが顧みられなければならないでしょう。さもなければ、ドイツだけではなく、世界の働く人たちとその子供たちの生活、文化、精神はますます貧困化し、社会意識も破壊され、実はそこにオリガルヒと寡頭独裁体制が成立していると考えられるのです。

したがって、「ロシアからの安価な石油・ガス買入れ再開」ではなく、正当な労働条件と公正な賃金が保障される国際関係が自然環境保護を実現できると思うのです。

従来は、自然環境の理念が先行し、これが生産労働者を引き入れられなかった大きな原因だと考えています。

それ故に点―線の関係ではなく平等でかつ複合的な平面関係が必要になっているというのが、私の現在の問題意識です。

3.プーチンの政治目的は、ウクライナ国土を焦土化し、市民の生活・生存条件を破壊することによって降伏を迫り、さらに住民を難民としてヨーロッパ-EU諸国に逃避させることによって、当該諸国の財政的、社会的負担を引き起こし、政治対立と混乱から政権危機に陥れることです。

それによって、ロシアの軍事的優位が確保されます。これが、BSWの行きつく先です。BSWは、この問題を意識的に排除しています。

歴史的な反軍・反戦運動の経験から、現時点でどのような取り組みと、今後の新しい方向性が果たしてありうるのかどうかについて、ここ3年近く議論されてきている背景がここにあります。

正直なところ私個人はまだわからないのですが、問題点だけをここに指摘しておきます。

以上を受けて、BSWが左派グループの結集をめざしたスローガンである「社会的公正」の意味を振り返ってみます。

逆に言えば、なぜインフレによる社会的不公正が起きているのか。BSWの見解によれば、チップ、テクノロジー、E-自動車用バッテリー等の外国資本による大型プロジェクトへのドイツ側からの投資、援助は税金の無駄遣いで、そのぶんが本来なら社会政策に回され、低所得者層、貧困者、そして教育、研究、医療・介護分野に投資され、インフラーー典型的には交通、通信、IT、デジタル化のイノベーションが図られなければならないといいます。投資をまったく否定するわけではないので、そこでドイツ資本による小型プロジェクトにとどめ、そこへの投資が必要であるという結論が導かれます。

グローバリゼーションによる資本と一握りの「エリート」、それを代表する政権への批判ですが、根本的な問題は、生産に必要な資材、資源、人材――リソースの確保は一国では不可能だという資本の市場原理です。

左派の装いを見せながら、他方で原理主義的なナショナリズム、そして祖国意識がBSWに混在してくる所以です。この点では、AfDと大きな違いは認められません。

次に組織問題です。

ブランデンブルクを除く2つの州で、BSWは政権成立に向けた交渉過程から排除され、CDU-SPDによる少数派政権への取り組みが始まりました。

BSW党代表のサーラ・ヴァーゲンクネヒトは、政権協約の前文に、1.プーチンとの政治交渉による「停戦合意」、2.アメリカ中距離弾頭(ロケット)のドイツ配備に反対、を明記するよう要求し、それが受け入れられない場合は野党にとどまると、交渉以前に譲れない絶対的な〈条件〉を出してきました。

問題がいくつかあります。

一つは、外交、軍事問題は州ではなく連邦政府の権限であるということです。次に、各政党間でも、ウクライナ軍事援助、政治交渉、アメリカ軍のドイツへの軍事配備をめぐっては異なる様々な見解があり、そこでの政治議論ですから、一党の見解を政権協定に書き入れることは不可能です。それを承知で、意識的に党派プロパガンダとして、是が非でも採用させようとしているのが、実はサーラ・ヴァーゲンクネヒトです。

地域、地区では同盟メンバーが着実な活動をしている人たちがいます。その人たちの間では、AfDの政権奪取を防ぎ、公正な社会政策を実現することを目的に、政権交渉に臨んだはずです。

しかし、交渉過程ではヴァーゲンクネヒトが逐次介入し、自分の見解が承認されるよう交渉を中断させます。

来年の連邦議会選挙に向けた彼女の政治キャンペーンであることは、誰の目にも明らかです。いつも彼女が中心なのです。選挙戦では、各州の立候補者ではなく、ヴァーゲンクネヒトの顔写真がプラカード一面にデカデカと印刷されていたことからも、BSWが何を目的にした、誰の党であるのかは一目瞭然です。

ここに見られるBSWの組織問題は、同盟がヴァーゲンクネヒトの中央から地区までの一貫した個人の独裁となっており、異なる意見を完全に排除していることです。州の組織は、独自の決定権を奪われています。「真の民主主義、公正」と言いながら、組織自身はプーチンと同様な非民主主義の独裁体制になっています。

ただ、ブランデンブルクでは第一党になったSPDが、表現上の多少の変更はあるとはいえ、BSWの要求を受け入れ2党の間で多数派政権が成立しました。組織基盤を失い、来年の総選挙に危機感を持つSPDが、なんとしても州政権を維持し、存在感を示すための対応だと考えられます。今後、党内での意見対立が出てくることは必至でしょう。

政権交渉が中断していたチューリンゲンでは、これを書いている11月21日に、CDU-BSW-SPD 3党連立(3党の色を表現したブラックベリー政権)が合意されたというニュースが報じられていました。多数派に至らず、88議席のちょうど半分を占めるだけの44議席の政権となりますから、今後はAfDは論外として閣外で左翼党の協力が必要となってきます。3党合意に至るまでのネックとなっていた協約前文へのヴァーゲンクネヒトの要求は、州メンバーからの強力な抵抗があり、最終的に「平和と交渉へのドイツの努力」というような一般的な表現でまとめ上げられました。

ここに見られる重要な問題は、BSWの地方政権参加に伴う党内権力闘争の顕在化にあります。ヴァーゲンクネヒトのプロパガンダに対する現場活動家からの抵抗です。チューリンゲンの経験は、地道な活動を続けてきた現場活動家(元左翼党メンバー)が、中央からのコントロールと監視・統制を押し切ったことで、今後、同じ事態が引き起こされてくることは、十分に予想できます。

唯一の左派を自認するバーゲンクネヒトですが、10年ほど前に呼びかけた「決起!」(Aufstehen!)の左派集合運動も、組織が動き出す前の段階で実際に機能せず立ち消えになってしまった経験が思い出されます。「分析」と「プロパガンダ」はできても、人に寄り添い、共感を持って活動することができないのです。これが最大の欠陥で、運動へは対立と分裂を持ち込むだけです。確か、どこかで彼女が「共産主義綱領派の活動は若気の至りだった」というような話を語っていましたが、本質的には何も変わっていないといえます。

そこで、次の問題は、BSWおよびAfDに見られる極右、ナショナリズム、ポピュリズム、郷土・祖国主義意識が、果たして東ドイツに特徴的な現象なのかどうか、あるいは「ドイツ統一」過程とどのようなかかわりがあるのか、あるいはまた、東ドイツの発展とはまったくかかわりなく、むしろドイツ全体のテーマであるのか? という点に絞られてきます。

以下、いくつの事例を挙げながら、この問題を検討してみます。

手元に2冊の本があります。読むのに時間がかり、この夏から秋にかけてやっと1か月ほどかけて読み終えました。

1冊は、日本でも紹介されています『東ドイツ―西ドイツの発明』(『Der Osten:eine westdeutsche Erfindung』著者Dirk Oschmann、ゴータ生まれの文学者)と題する本で、2023年2月に出版されベストセラーになり、文芸欄で取り上げられ話題を呼びました。私も気になっていたのですがどこかに抵抗感があり、しばらく様子を見ていました。実際に評論界では、一方で賛同する声が聞かれるかと思えば、他方で疑問を呈する批判的な声も聞かれ議論されていました。

その後、この本を内容的に真っ向から批判する別の本が2024年8月に出版されます。題名は『自由のショック』(『Freiheitsschock』著者Ilko-Sascha Kowalczuk、東ベルリン生まれの歴史学者)といい、「ベルリンの壁」を崩壊に導いた旧東ドイツ市民の革命と、それを引き継いだドイツ統一の経過から東ドイツの問題を再考察し、上記の本の批判を試みたものです。サブタイトルは、[1989年から現在までの東ドイツの別の歴史](〔Eine andere Geschichte Ostdeutschlands von 1989 bis heute〕)となっていて、ここに著者の立場性と意図が鮮明に示されされています。

この刺激を受けて、2冊の本を購入した次第です。

『東ドイツ―西ドイツの発明』――「発明」のところを「捏造」と別の訳語を使えば、非常にわかりやすいはずです。統一後、東ドイツについて語られ、議論されてはきたが、それは単に西ドイツ側からの一方的で、かつ決めつけ、断定的な評価でしかなく、東ドイツの現状と市民の実際の生活、意識、精神を知ることのない「発明」であることにより、そこで描かれる東ドイツ像は西側の「捏造」にしか過ぎないだろうというのが、著者がこの本を書いた動機です。

しかし、それだけにとどまりません。単にそれだけであれば、これまで同じテーマでいろいろ書かれた著作でも、またメディアでも語られてきました。決定的なのは、その「捏造」によって生じる東ドイツ市民への嘲り、貶し、嘲笑、あるいは「二級市民」化の現状が何かを、東の当人が怒りを込め、口にして語ったところにあります。この「語る」というのが、政治のイデオロギー化で困難になっているドイツ社会にそれ故に、「よく言ってくれた」と大きな波紋を投げかけ、ベストセラーになりました。

ドイツ統一後の東ドイツの混乱と不安定性は、市民の間に計り知れない将来への不安をもたらしました。この経過と結果を著者は統計と事実で、これでもかこれでもかと跡付けることになります。取り上げられている「統計と事実」関係に関しては、私としても疑う余地はなく、同じ基盤に立てるのですが、読み進めているうちに不快な気分になってきて、なぜか?と考え込んでいました。

現状の不安が、〈DDRにはいろいろ問題はあったが、当時は今言われるほど悪くなったのでは〉という「逃げ口」が、その言質に含まれているのが透けて見えてくるからです。こうして「よく言ってくれた!」という賛同が、特に東ドイツで起きることになります。

危険性は、AfD等極右派・ナショナリストへの影響です。この潮流を果たして批判できるのか、あるいは学術的なお墨付けで彼らに油を注ぎ、さらに勢いづけることになるのか? 彼らと分岐できる道は何か? これに著者は答えていません。

ここで、舞台を変えて「DDR時代は、それほど悪くなかった」といわれる東ドイツのノスタルジー意識に、少し触れておきます。

「MDR」という中央ドイツTV放送局(ザクセン-チュリンゲン-ザクセン・アンハルトを統括する公共放送局)があり、暇なときにTVチャンネルを回していると見慣れない光景が映し出されていて興味を惹かれるのです。

音楽、スポーツ番組でどこか違うなと見ていると60年代から90年代にかけてのDDR時代のフィルムなのです。日本でもニュースなどで見る機会がありましたから、それを現地で見るとなると、また一味違ってきます。当時は社会主義の国です。「想像もできなかったな」と思えるほど普通なのですが、時代とともに変化する服装、髪型に西側との違いが認められます。長閑にアイスクリームをしゃぶりながら余暇を楽しむ人たちの姿に、自分もあこがれたものだと当時を振り返りながら、しかし文化、芸術、スポーツ、ジャーナリズム等、国内外の人たちと接する部門では、イデオロギー検閲、統制・管理・規制がなかったのか? と思考は立ち止まっていきます。

この問題を衝いたのが上記『自由のショック』の本です。

犠牲者意識にとらわれることなく、「ドイツの壁」を崩壊させた旧東ドイツの無血の市民革命の意味をもう一度、現時点でとらえ返すことを訴えます。

上にあげたTV・MDRに見られるような一見自由に見える日常生活が、果たして「ベルリンの壁」に囲まれたシュタージーによる管理、統制、諜報(スパイ)体制とどのように結び付けられるのか。それについて語る「各個人の責任はあるだろう!」と著者は訴えます。被害者意識は、その各個人の義務を拒否することにすぎません。

逆に見れば、一つの政治体制とイデオロギーに抵抗しない限りで個人の活動は可能ですが、それを〈自由〉と呼ぶことができるのか? できないがゆえに本来の自由を求める運動が市民の中から、自発的に起こされたのがドイツ統一運動の核心であったといえるのです。

著者のキーワードは、「自由」です。東ドイツ社会を社会主義独裁体制から解放させたのは市民の自由を求める要求であって、その逆ではありません。個人の自由のないところに解放はありない。これがこの本のメインテーマになっています。

身近な一例を挙げてみます。ドイツの友人が私をある会合に誘ってくれました。もう15、20年ほど前になりますか。旧東ドイツのスポーツ・ジャーナリストが、確かロスアンジェルス・オリンピックの取材に行った時の経験を話してくれるので、スポーツ好きのお前も来ないかというのです。しかし、私には〈その時代にジャーナリストとはいえ、誰が、ましてやアメリカに行けるのか〉とすぐに疑問が浮かびましたから、理由を説明して断った経緯があります。

後で、「どうだった」と聞く私に、聴衆者から質問を受け彼が「シュタージーの過去を涙を流して話した」と友人は答えました。

「壁」は、外部との人的交流を断絶し、外的な影響を遮断することによって城内平和を実現する一方、他方で新鮮な空気が必要とされることからインターナショナルな祭典が必要になり、見せかけである以上それは大掛かりな様相を呈します。国内に入れるのは限られたグループ、個人だけです。しかし、市民は国外に出ることには規制があり困難です。〈隣の芝は青い〉の譬えではありませんが、「壁」の向こう側が気になります。

〈旅行の自由〉への欲求が強まってきます。その背景には、旧東ドイツの独裁体制のみならず、経済的瓦解と生活困難からの逃避と、別の世界への興味が混在していたことは間違いがないと思うのです。全体への埋没ではなく個人(の望む欲求)への自覚といえるでしょうか。

すべての人への住居、労働、そして医療、教育等、社会主義が看板に掲げてきた無料の社会保障体制に財政難から亀裂が生じてきたとき、現実的な個人の存在がイデオロギーのベールを剥ぎ取ったことになります。

しかしこの現象は何も90年代に始まったものではなく、DDRが国家成立以来抱え続けてきた宿命的な課題だといえます。90年代にそれが立ち行かなくなったと言うことです。

イデオロギーではなく、こうして各個人が〈自由〉になり、また〈自由〉を求めて結集することになります。これが、ドイツ統一の本質であっただろうと考えられるのです。

そして、「壁」の向こう側に足を踏み入れます。果たして、連想していた通りに〈芝は青かった〉のか?

ここで見解が二つの分かれます。その典型が2冊の本に収められているといえるでしょう。

自由を求めて闘った人たち、経済・社会苦からの逃避を期待する人たち、そして闘争の進行をうかがいながら残るか去るか決めかね動揺する人たち、最後に社会主義体制の信奉者たち等々――解放運動内外には錯綜とする人民の流れがありました。

これが「壁の解放」後に大きな意味を持ってきます。

壁の向こうで出会った芝は連想していたように青くなく、あちこちの地面が掘り返され、芝は褐色に枯れ果てみすぼらしい様相を呈しています。そこに住むためには自力で手入れし、格闘しなければなりません。人間らしい生活を実現するためには最低限の労働-住居-教育-医療-文化が必要です。それは与えられるものではなく闘いとるものです。それによって各人の自由が獲得され、多数の結集が可能になることは、事実、旧東ドイツの市民革命によって実証されました。この逆では決してないはずです。

ドイツ統一後に問われたのは、それ故に、自由を求めた革命がどのように継承されてきたのかという点です。その時、『東ドイツ―西ドイツの発明』のようにただただ怒りをぶちまけるのではなく、各自の歴史への責任は? これを問うているのが、『自由のショック』です。現在、同じくベストセラーに浮上してきています。

現実によって幻影が剥がされた時、自分がどうしていいか当方にくれます。独裁体制下では、個人の自発・自立的な思考と行動はイデオロギーによって抑圧されてきました。その中で受け身に生きてきた人たちには、壁の向こうの〈自由がショック〉であったはずです。どうしていいかわからず途方に暮れ、過去への郷愁がつのり、〈DDRにはいろいろ問題はあったが、当時は今言われるほど悪くなったのでは〉というDDRノスタルジーが発生してきます。期待した資本主義消費社会と競争社会への幻滅があったのは明らかで、こうして(資本主義の)被害者意識が培われ、BSWおよびAfDが資本主義-エリート批判の幻想を振りまく土台となります。

『自由のショック』の著者は、他方のベストセラー本を『Wutseller』(憤怒-Wutをまき散らすベストセラー)と揶揄する表現を使っています。これには笑えますが、本質をついていると思います。

他方でそれに対する西ドイツの、そして西ヨーロッパの「自由と民主主義」の対応はどうだったのか? 90年代のユーロ危機、2015年の難民危機、そして2019-22年のコロナ危機で、「自由と民主主義」は資本、国家の体制的強化を進め、個人のエゴイズムを煽り、社会を対立させはしたが、市民を結集することはできず、今日の状況を迎えているといえます。

以上、2冊の本から理解したところを書きました。内容上の誤記、誤解については、すべて私個人の責任になります。

まったく相対する2冊の本ですが、今年の夏に、ということは『自由のショック』発刊直後、ベルリンの作家協会PENが二人の著者を招待して公開対談会を開催しました。それぞれ持論を展開し意見の交換が行われます。通常、天と地の違いのあるような意見では、政治家の討論に見られるように口角泡を飛ばし、怒声が交じり合い議論など成り立たないのですが、二人の間では論拠に集中することによって、見解の相違を明快に論証しながら、聴衆者からの討論参加もあり、拍手、笑いが起きていたと伝えられています。これを聞いたとき、私は何か救われた感じがしました。(注)

(注) Der Spiegel Nr.33/10.8.2024

次に、旧東ドイツ女性の自由との闘いから、以上のテーマをもう少し掘り下げてみます。

11月の初めに、15人の旧東ドイツ女性の姿を描いた映画を見ました。『不屈の15人の女性(2)』(注)という題名です。

(注) Die unbeugsamen 2- Guten Morgen, ihr Sch?nen! をこのように訳しておきます

1950年代から1989年まで、DDR15人の女性の労働、家庭、社会生活をドキュメントで紹介しながら、当該女性が現在からその時代を振り返り、自身を語るという構成になっています。過去への郷愁でもなければ、また現在の理想化でもありません。この時間をどう生きてきて、現在、生きているのか、生きていこうとするのか。問題は何かを問い詰めていきます。

亡くなっている人もいますから、その娘が母親を語ることになります。

ここでもDDRの生の現状を映像で知らされることになります。感慨深かったです。

1950年「男女機会均等法」が人民議会で可決されます。「男女平等」理念の実践と女性の労働市場への編入が、これによって図られました。50-60年代に破産状態に陥っていた経済は、DDRが理想とする失業のない、社会保障の完備した社会を建設するために、産業の生産強化とそれに必要な労働力動員が求められます。理想面と現実面――この両面併せ持つ計画がスタートしたことになります。

女性の立場からすれば、労働することによって家計を援助し、男性への依存性から独立できます。彼女たちの労働風景が映し出され、そこには大型機械を操縦し、鉄鋼産業、農業で力強く働く姿が見られます。

しかし、男性の伝統的な保守意識は根強いです。女性は家庭にとどまり、家事と育児に専念してもらいたいといいます。背景にあるのは女性の自立への男性の不安です。

この対立は、祖母が育児と家事を手伝ってくれたことによって解決されました。こうした相互援助は、旧東ドイツで一般に広まっていたことになります。それによってDDRは機能します。女性が労働、家庭、社会面で果たした役割は、しかし正当に評価されることはありませんでした。

ここにあるのは一方で経済、他方で女性の解放という現実とイデオロギー間のジレンマで、その後も長い闘いの経過をたどりますが、一番のポイントは、女性たちの自由と解放を勝ち取っていく過程です。

「ベルリンの壁」が崩壊しBRDの社会化と文化に接触することになります。同じ問題と課題に直面しますが、彼女たちは、その中で自己の経験から今後どう自身の自由と解放を実現していくのか、来たのかを現在問うことになります。

DDR時代に持ち家を購入した女性は、統一後BRDで登記しなければならず、その際、署名順序がまず第一に男性で、次に女性であったことに驚かされました。

「自由と公正」は、場所を選ばずどこでも、闘い取らねばならないことを訴えているように思います。

この映画を見ながら2冊の本の対立点を、再度、確認しています。

ドイツ統一と同じ年に生まれたという東ドイツ出身の女性に仕事で定期的に会います。教育問題で彼女がさりげなく語ってくれた話を、最後に紹介しておきます。

統一後、学校の教科書の内容がすっかり変わってしまって、それを父に見せたら、手にした教科書をしげしげと見つめながら彼は、「何かおかしいな。全然違うな」 と。

その父、そしてそうした人たちに何を語れるのか、どういう話のとっかかりが可能か?

長々と書き連ねましたが、最後はこの一点に尽きます。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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