それは何もAfDに限りません。社会が総体としてジワジワとその方向に傾き始めているところに、大きな危機感が持たれます。
2月のドイツ連邦議会選挙前後にその傾向は、すでに顕著になってきていました。当時書き始めた選挙分析に関しては一時棚上げにし、日々状況が変化していく過程を追い続けていたら、実に半年以上もの時間が経過してしまいました。本当にご無沙汰してしまいました。
何がどこに向かうのか?どのような構造になるのか? 事実経過の全体を把握することに時間をとられていました。
以下、一つひとつの事実経過から現状を見ていきます。
来年2026年は「スーパー選挙年」といわれ、各州議会選挙が予定されています。それに向けた選挙の事前予想がTV、新聞紙、雑誌等で報道され、「最初のAfD州首相実現か、単独過半数も可能」という見出しが目に飛び込んできます。焦点に当てられているのは東ドイツのザクセン‐アンハルト州で、2026年9月6日に予定されている州議会選挙の最新世論調査(9月初め)によれば、AfDが39%で第一党に躍りで、続いてCDU27%、左翼党13%、SPD7%、BSW6%、緑の党3%という結果が出されています。
〈AfDに対抗できる政府〉というのが、期待などされないがそれ以外には考えられない組み合わせから成立したCDU-SPD大連立政権で、これが連邦議会選挙に与えられた意味づけだったでしょう。
AfD―極右派勢力が社会各層をのみ込み始めている
それから半年、〈対抗〉できないどころか、AfD―極右派勢力が社会各層をのみ込み始めていることに政党間の焦りと市民の危機感か渦巻いています。過去の教訓をもつドイツで「今なぜか?」「これからどうなるのか?」と自問しながら「何をどうすべきか」への実践的な展望が見いだせないなかで、友人と話す言葉も重く、少なくなります。気持ちが沈んでしまうのです。
話し討論することの必要性は誰もが承知しながら、テーマの持っていきどころが見つけ出されないのです。
極右派が公然と政治舞台に台頭してくるユーロ危機を契機にして議論はされてきました。よくよくこの過程を振り返れば、どこか堂々巡りをしているようで議論の内容にはあまり進展は見られないように思われます。以下に、議論のポイントを概略してみます。
AfD―極右派の支持基盤――その背景は何か
AfD―極右派の支持基盤が単に低所得層、失業者、農村・地方部に限らず都市部の中間層、インテリ層にまで侵食してきている背景とは何か。それを知るためには、そこでの生活現状がどのようなものであるのかに視線を向ければ、全体的な社会構造が明らかになってきます。それを資本の(グローバルな)一極集中と、この対極への労働及び市民生活の周辺化・辺境化と表現できるように思われるのですが、この点に関するいくつかの重要なテーマをまとめてみます。
ユーロ・金融危機、難民、コロナ禍、そして現在のプーチンによるウクライナ軍事侵攻を契機としたエネルギー危機に際して、ドイツ政府は財政の特別支出によって国家と資本の体制を維持したとはいえ、危機に対抗して政府を批判しながら積極的に社会活動に参加する市民は、逆にその体制から疎外、排除されていく経過を実際には難民受け入れ、コロナ対策でつぶさに体験したところです。
〈何の、誰のための救済か!〉の声が高まってきます。危機対策が市民の社会生活にまで及ばないばかりでなく、動揺する市民は片隅に追いやられ、体制維持の枠外に投げ捨てられ、忘れられた存在となります。
その政治原理は、メルケル政権(SPD との大連立)下の2009年5月29日に国会決議を経てドイツ基本法(憲法)に定められた「債務ブレーキ」(Schuldenbremusen)法にあるといえますが、現実的には《絞り取り》法と表現したほうが理解しやすいです。
ユーロ危機の際に、ドイツがギリシャ財政再建にあたって「絞り取り」政策を主張し、ギリシャ市民から最後の最後の一滴まで絞り取る緊縮財政を主張したことは、まだ記憶に新しいのですが、ギリシャの二の舞を踏まないためのドイツの政治原理となってきました。
家計困難、精神的な動揺と将来不安と軌を一にして、AfD―極右派の活動が表面に
盤石不動といっていい緊縮政策に手が付けられない政治家の議論の一方で、貧困、失業、インフレによる物価高、倒産等々から起きる家計困難、精神的な動揺と将来への不安が市民の中に広がり始めるのと軌を一にして、AfD―極右派の活動が表面に浮上してきます。90年初頭以来のネオナチ等の極右派との違いは、社会各層をとらえ始め、それは単なる個々のグループ単位の政治行動ではなく、それらを糾合する社会活動の組織化に着手していることです。それによってAfD が既成政党に対抗する政党としての性格を印象付けることになります。
緊縮財政のもたらしたもの
緊縮財政の結果、どんな問題が、どこで噴出してきたのか? というのが次のテーマとなります。
市町村に顕著になっているのは、社会参加のための移動・交通手段が赤字による路線廃止や運行削減によって奪われ、市内での娯楽(コンサート、映画、ショッピング等)、友人訪問と歓談、日常生活品の買い物、健康・介護ケアー等の機会が極端に制限され、ほとんど不可能になり、特に若い青少年・少女たちが去った田舎暮らしの高齢者は孤立し、寂しい思いで人生の最期を生きていかねばなりません。離れたくても財政上それができず田舎に残った若い世代は、都市の華やかな世界は高嶺の花です。
「鉄のカーテン」が崩壊した直後、ターボ資本主義が席巻する東ヨーロッパの国々を見て回りました。日中、何もすることなく手持ち無沙汰の18-20歳かと思われる青年が広場に屯し、ビールのラッパ飲みをしている光景に出会ったものです。
自分自身で生計を立て、将来を計画できる職場がありません。もちろん、自分の家庭を持てる財政的余裕などありません。倒産した企業の廃墟と化した家屋が残るだけです。その日常を見せつけられる人たちが、果たして何を思うのか。
「ドイツ統一」後 より深刻化する地域社会の“崩壊”
地方の過疎化による人口減から、保育園、学校が廃校閉鎖になり、診療所の後継者も見つかりません。政府は特別優遇で郊外、市町村への若い医者の誘致をはかりますが、なり手がいません。これは新しい現象ではなく、すでに「ドイツ統一」以来指摘され、語られてきたテーマです。今日、何も変わっていません。より深刻になっているのが現状です。
以上を要約すれば、社会的公共サーヴィスへのアクセスが、一部ではなく、制度的に崩壊してしまっているのです。なぜなら、社会資本とインフラ投資が絞り取られ、グローバルな金融資本と大企業の救済につぎ込まれているからです。
ドイツの〈緊縮財政〉は、このようにして社会を分裂・対立させました。
ウクライナ戦争で軍事、防衛費を増大
他方フランス、イタリアでは、現在でこそ緊縮財政に路線転換しているとはいえ、過去20年近くは国家負債による経済の危機回避と再建であったことは、現在フランスの財政債務が国内総生産(BIP)の114%であることに見て取れますが、Comerzbankの試算によれば2035年まで146%、またイタリアでは――現状の統計が見られないものの――154%になるといわれ、上昇しつつある利息による負債額はもっと増大するだろうと見積もられています。
これに対してドイツは65%で、プーチンのウクライナ軍事侵攻を契機に軍事、防衛費増大をめざす現政権は緊縮財政を緩和させ、負債予算を組みました。
〈負債か、緊縮か〉の判断を決定しているのは、税制問題だと思われます。特にドイツの場合は、選挙戦で「税制改革」を掲げれば、それだけで敗北するというタブーがあります。現にメルケルが、2002年でしたか連邦議会選挙戦で「税制改革」を掲げてSPDシュレーダー に痛恨の敗北を喫したことが、その後メルケルのみならずCDUに悪夢の後遺症として残ってきているはずです。同じことは他政党にも該当します。
フランス、イタリアとドイツの違いは、ドイツ経済力の強さにあると指摘されますが、ドイツではそれとてままならぬ状態に入り、それに対し他の国は、フランスに見られるような環境税等増税による収入の道が、市民の抵抗で不可能になったということでしょうか。このへんの比較は経済学者の分析に期待したいです。
ドイツではこれ以降、一つは投資目的――どの部門に投資するのか、次に負債返済の在り方――どのような財源(収入)の可能性があるのかをめぐる税制議論がされてくるはずです。
都市部の重要な一つの問題は住居
他方で都市部の重要な一つの問題は、住居です。1920ー30年代と比較されて久しいです。当時は第一次大戦の敗北と戦場からの帰還者、それに戦後の産業復興が加わり、労働者、市民に必要な住居が不足していました。
現在の住居不足は、年々値上がりする家賃、それに投機―Airbnbなどがその一つ――が重なり、都心部といわずその近辺では最早一般市民が住めなくなりました。インフレ、それに応じた賃金の実質的低下、失業、伝統的な店舗の倒産-高熱エネルギーを必要とするパン屋さんが一例ですが、もはや一般住居はなくなったといえるでしょう。
以前の特徴ある、そこを通ればちょっと覗いてみたくなる店舗は姿を消し、どこに行っても同じような店が立ち並ぶようになりました。それだけではありません。そこに住んでいた多種多様な人たちの姿も見られなくなり、観光客が素通りしていくだけに様変わりしてしまい、街の雰囲気は冷たくなりました。私の個人的な印象であるかもしれませんが。
この収縮、制限され手の及ばなくなった社会的公共サービスへの不満と、そこから生み出される社会対立と不安を難民-外国人と結びつけて排外主義を煽り、デマと陰謀・謀略で、社会各階層を万遍なく支持基盤を築いているのがAfDです。
極右派のもう一つの重要戦略としての〈文化闘争〉
これに極右派のもう一つの戦略的に重要な柱として〈文化闘争〉が加わります。
長年住み慣れてきた変化のない農村・地方に、突然、難民住居ができます。都心部の近郊にも難民キャンプが作られ、日常生活で生活習慣の違う〈よそ者〉と顔を合わせ、直面することになり、自分たちの社会が変わっていくことへの不安が頭をもたげてきます。一声かけて話をすれば、一つの接点ができるはずですが、それを頭から拒否します。
再生可能なエネルギーのための風力発電などに対しても、過去に見慣れた農村部の牧歌的な自然風景が変えられていくことへの反発が、同じような理由から生まれてきます。
ここが問題点だと思われますが、難民キャンプ(住居)を例にとれば、受け入れられるのは個人としてではなく、〈難民〉という一つの集合体,塊ですから、個々人の顔が見えてこなくなっています。しかし「難民法」というのは、個人の権利であるということが明確にされ、強調されなければなりません。
2015年は違いました。ドイツ市民が自主的に各駅、各町々で難民を迎えたのは個人としてで、だから食料品、衣類、そして子どもたちにぬいぐるみを一人ずつ手渡しました。その後も恒常的なコンタクトを維持し、彼(女)たちの個人史に耳を傾け、社会編入を実現するために必要なドイツ語の習得だけでなく、労働、学校、住居、難民審査等ドイツ市民でさえ理解できない複雑な各種行政手続きと苦闘したものでした。
この変化をこそ当時の首相メルケルおよび各政党、政治家は10年経った現在、市民と難民に語る義務があるだろうと思われるのです。それができればAfD -極右派の反難民運動に十分に対抗できるはずです。
頭をもたげるイスラム嫌悪
〈よそ者〉に区別をつけるために持ち出されるのが反イスラム主義です。ヨーロッパの長いキリスト教の伝統が揺らいでいくことへの抵抗から、古い延々と続いていくように考えられる習慣、風習、文化の防衛を極右派は訴え、文化闘争をプロパガンダの一環として取り組むことになります。
〈負債か、緊縮か〉の議論には、ジレンマのあることがわかります。
一つのジレンマは、イタリアとフランスそしてドイツでどちらも極右派を生み出している事実です。その意味で極右派との関連性で言えば、社会資本、インフラへの公共投資が削減、カットされることによって極右派の土壌が作られてきているということでしょう。政治家が好んで議論の俎上に載せる〈赤字か、黒字か〉をめぐる議論ではないということです。
社会資本の財源をどう確保するのか
したがって次に、社会資本の財源をどう確保するかというのが、もう一つのジレンマとなってきます。財政不足を埋めるために金融市場に依存すれば、同じく負債か緊縮かの悪循環をくりかえし、同時に極右派の動向に油を注ぐことになります。
では、その抜け道がどこにあるのかという議論こそが、緊急になされなければならない現状になってきているように思われるのです。
これまで莫大な政府助成金をつぎ込んで誘致されてきた電動自動車、チップ、テクノロジー、エネルギー産業が華々しく喧伝されてきました。数千人の新雇用が可能で、世界に後れを取らないドイツの最新技術産業の振興を目指したものだとの謳い文句です。
地域産業と労働の活性化というところでしょうが、外国資本が多数を占めていることから、地域社会への資本の還元がどれだけのものになるかは把握できないものがあります。職場創出だけではなく、農村も含む市町村の自然と社会への総合的な資本の編入と定着が進まないところで、「ドイツ資本への投資と育成」というAfD -極右派のナショナリズムが声高になり、特に東ドイツのほぼ全域をこうしてAfD が制覇することになります。
これを東西各州の政党支持分布を色分けで見ると、東地域がAfDカラーのブルーで、西側地域がCDU カラーの黒で全面塗りつぶされ、その所々に赤(SPD)、緑(緑の党)、そして濃い赤(左翼党)が、たかだか染みのように点在しているだけの地図を見せつけられると、言葉を飲み込むしかありません。
以上、極右派の背景を概略してみましたが、それと同時に見逃されてならないのは、それぞれの政治局面で各政党がどういう動きを取るのかという点で、ファシストの成立過程を決定してくるだろうと考えられるのです。これを書いた動機が、実はここにあります。
それを、典型的と思われる今年の夏のドイツ憲法裁判所の――日本の最高裁判所と理解していいだろうと思いますが、判事選出をめぐるスキャンダルから検討してみることにします。
「スキャンダル」と書きましたが、まさにこのスキャンダルこそをAfD が望み、であるならば、逆になぜそれが生み出され、誰がそのスキャンダルに関与しているのかを見抜くことによって、反ファシストへの対抗軸は立てられてくると考えられるのです。
スキャンダルまみれだった憲法裁判所判事認定投票
2025年7月11日、国会議会で憲法裁判所判事候補者3人の認定投票が予定されていたところ、CDU/CSUからのSPD 推薦候補者への反対行動によって取りやめになり、2ヵ月以内に再投票が行われるという、歴史的に前例のない事態が引き起こされました。
憲法裁判所の判事は全部で16名。その内8人が国会、残り8人が連邦評議会(参議院)の投票で認定される規則になっています。。
今回、前者3人の選挙が予定されSPD 推薦の2人の女性判事とCDU/CSU推薦の1人の男性判事が候補に挙げられていました。
憲法裁判所判事の候補者は、政府の各政党推薦によって決まりますが、事前に党派間の合意により国会での認定投票は、その意味で傍目には形式的な手続きとなっていたとみることが可能で、これまでドイツでこれほどのスキャンダルを見聞することはありませんでした。
憲法裁判所は、政党禁止、堕胎、財政に関する最終決定権を有していますから、国家-政府の政治方向を憲法に沿ってチェックし決定づけていくことになります。
したがって、判事の選出には、憲法事項ですから全国会議員の3分の2の得票を必要とします。
極右に秋波を送るCDU/CSU
AfDの大量議会進出によって、現在のCDU/CSU-SPD大連立政権では3分の2の獲得は不可能です。緑の党および左翼党との合意を取り付ける必要性があります。
そこで極右派の戦略的な駆け引きのみならず、保守派CDU/CSUがそれに合流し、極右派にエールを送りファシズムへの流れに竿をさしていることが、今回の憲法裁判所判事の国会投票見送りで明らかになった事実です。
ファシストの流れに手を差し伸べているのは果たして誰か、という根本問題です。
メディアで喧伝されるような単に民主主義(手続き)の破壊ではないのです。
保守派が攻撃目標とする3つの課題
何故かは、保守派から拒否されたSPD推薦の女性候補者の政治主張を見れば明らかになります。
を取り上げてみます。
1.堕胎の合法化。
2.ムスリム系司法研修生の法廷内でのスカーフ着用許可。
3.コロナ接種の義務化。
何が問われているかは一目瞭然です。1968年から女性によって闘われてきた刑法218条の堕胎の犯罪化に対して女権を主張する女性解放闘争は、社会の多様性と解放された社会を要求し、個人の自由と表現の自由を実現してきました。
その社会が経済危機、戦争-人民虐殺、自然破壊、貧困に直面し分裂・対立していく過程は、すでに述べたところですが、一方の側からこの歴史過程への反動、というより反革命カウンターが打たれてきます。社会変革の歴史を根こそぎ取り払い整地して、跡には何もなかったことにしたいのです。
内容は以下のようになります。
南ドイツ・カトリック教会司教の批判
(堕胎の合法化は-筆者注)憲法原理へのラジカルな攻撃で、母体の胎児には尊厳が与えられず、誕生後の人間と比べてよりわずかばかりの生命権があるだけだ。
ドイツ基本法(憲法)では、初期12週間内の堕胎は禁止されています。しかし、女権―女性解放闘争によって例外規定が設けられ、母体に及ぼす生命の危険性が認められる場合、あるいは性暴力による妊娠ケースなどで医師の判断で堕胎が行われ、刑事訴訟に持ち込まれ医師側が敗訴する判決が出されてきました。その合法化をめぐる議論です。
〈人間の尊厳〉というものがはたして測り知ることができるのか、胎児には該当しないのかどうかの議論だと思われます。
それに対してSPD 推薦の候補者-ポツダム大学法学部教授(Frauke Brosius-Gersdorf)の反論です。
〈人間の尊厳〉は、子どもの誕生(出産)から始まるのであって、それによって母体内の胎児保護が保障されている。
[以上は私の個人的な理解によるもので誤解、誤認のあることが避けられない旨、了解ください。]
候補者の3点の政治テーマに関して議論のあることは当然です。その上で一つの問題点は、68年以降今日までどこまで議論が継承され、深められてきたのかが、あらためて問われました。個々には行われてきたはずです。しかし、社会の全体的な議論としては取り組まれてこなかったように思われます。
女権-女性解放闘争が、ジェンダを含み社会の多様、自由な解放にどういう意味があるのかに関した議論が、それ故に求められていると思います。それをめぐる候補者指名であったはずです。緑の党、左翼党は、候補者に賛成投票する意思を事前に示していました。
堕胎の合法化のほかに、研修生のスカーフ着用、コロナ接種義務付けに関しても同様なことが言えます。議論がし切れていないのです。中途半端のままに置き去りにされてきたのです。
二つ目の問題点は、この間隙を保守派、極右派、ファシストが渡り歩きプロパガンダのキャンペーンでさらに楔を打ち込んできていることです。
極右派メディアが「ウルトラ左翼活動家」と女性候補者へのデマ・キャンペーンを張り、CDUの60人と見積もられるウルトラ保守派グループが、党内合意にもかかわらず認定投票を拒否する意思を表明したと言われます。3分の2の得票は不可能になります。それ以降、国会が夏休みに入るまでこの問題で世間を騒がせます。過去には見られない歴史的なスキャンダル!
候補者への個人攻撃が続きます。極右派のいつもの手口です。
CDU/CSU会派代表(Jens Spahn)は、党内をまとめきれません。あくまで個人的な詮索の域を出ませんが、今回の事態は保守派が極右派メディアを使い、左派戦線―SPD、左翼党、緑の党への対抗戦線を張ったものだと理解しても、あまり的は外れていないはずです。戦線の組み合わせのほかに、見抜かなければならないのはこの危険性です。
連邦議会選挙直前、直後にその傾向が既に認められるからです。
CDU/CSU会派代表スパン、彼はコロナ期に健康大臣を務め、マスク調達で〈当時の緊急事態の下ではそれ以外の手段はなかった〉との言い訳を繰り返す一方で、他方多額な資金を手に入れた者は訴訟され、市民から見れば軽微な判決とはいえ責任を問われています。この関係性を彼は、現在も追及されていますが、のらりくらり追及をかわすだけです。
同時に選挙直後から、AfDとの協力を排除、無視できないと公然と主張し始めました。他方で、国会議長に就任したCDU党員(Julia Kloechner)は、CSD(クリストファー・ストリート・デイ)に際して、国会議事堂にCSDの象徴「虹の旗」を掲げることや、国会内で議員がパレスチナのスカーフを着用することも禁止しました。
その彼女、出身地(ラインランド・プファルツ)のパーティーでは、この極右派メディアの設立者と同席していました。この州では、来年州議会選挙が予定されています。
絡まる糸を一本一本ほぐし元をたどれば見える保守派と極右派、AfDの繋がり
一本一本の糸をたどっていけば、保守派と極右派、AfDの繋がりが手に取るように見えてくるのです。そこで、ではどうするか?
SPD は、候補者の断固支持でした。緑の党、左翼党も同様です。当然でしょう。CDU/CSUは、党内統制がとれません。候補者への個人攻撃が強まっていきます。
その結果、8月5日候補者は辞任しました。議論ができる基盤の失われたところで、国家の憲法最高機関を民主主義的に運営していくことへの確信が持てず、これ以上の政治混乱を避けるために、というのが理由です。
極右派メディア、極右派グループ、AfD の思うツボですが、高笑いをしているのは彼らにつながるCDU保守派一派です。
社会的にCDUの基盤になっているのは、カトリック教会です。その教会内部では、10数年来、長年の子ども、青少年への性的虐待が暴露され、信仰への信頼が揺らぎ脱会者の後が絶ちません。当人が勇気をもって発言し、事実が明らかになっているにもかかわらず、教会関係者の誠実な調査追跡が後手後手に回り、明確な謝罪も補償もされていないように思われるのです。なぜなら、表に出てくることは限られているからです。
また、ドイツ社会の重要なテーマの一つは『家庭内暴力』で、男性パートナーによる女性への暴力は、程度の差がるとはいえ4人に3人近くが体験しているという統計が頻繁に出されています。
女性たちは、教会に向かって「女性を自由にさせろ!」、「処罰に代わって支援と自主決定を!」と訴えています。イランの女性決起が思い出されました。
他人の倫理やモラルを持ちだす前に、自分の倫理とモラルを顧みることこそが、堕胎反対論者に問われているいちばんの課題だということです。
堕胎とキリスト教教会権力
最後に、堕胎(権)に関して教会権力の持つ一例を挙げておきます。
市町村部の病院経営は年々苦しくなってきています。それはコロナ禍で暴露されたところですが、倒産も増えています。構造的な改革をめざすもこの傾向は止まらず、政治の望む方向性として教会運営による病院との統廃合が進んできました。国家財政の節約の一方で、教会病院の経営が確保されるwin win取引となります。言葉は悪いですが、事実はそうでしょう。
その教会病院に勤務する医師(産婦人科教授)が、堕胎を行いました。「必要性があったから」が医師の根拠です。しかし教会側はそれを認めようとせず、医師に職務禁止令を出します。それに対抗する医師側からの裁判が続いていましたが、8月8日に判決が出て、医師側の敗訴でした。
上記したスローガンは、判決を控えた医師を支援する女性たちによって記されたものです。
ドイツの極右化傾向は、どこから、どこに、どういう過程を通して進行しつつあるのかに関して、私なりの思うところを書いてみました。それは、どこに対抗軸を立てるのかという主体的な課題を各自に投げかけてきます。
(注:小見出しは編集部がつけました。)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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