2011年7月14日付けの記事で、連れ合いが近所の知人と発行しているミニコミ誌「すてきなあなたに」No.36に掲載された菅沼正子さんの映画招待席35「一枚のハガキ」を菅沼さんの了解を得て紹介した。
今回は同じミニコミ誌の最新号に掲載された菅沼正子さんの映画招待席36「サラの鍵~フランスよ、お前もか~、を転載させてもらうことにした。
私の感想は次の記事に回すことにする。映画はナチス占領下のパリで1942年7月16、17の両日、ナチスの命令に従ったフランス警察によって行われたユダヤ人1万数千人の一斉検挙と連行されたユダヤ人を待ち受けたその後の過酷な体験を1人の少女の運命を通じて描いたものである。
12月17日から銀座テアトルシネマで上映が開始され、全国各地で順次ロードショウが行われるが、そういう私はまだ見ていない。見た後でまた記事を書かねばと思っているが、前回同様、菅沼さんのきびきびした批評につい引き寄せられてしまう。
菅沼正子の映画招待席 36
~サラの鍵~フランスよ、お前もか~
ベルリンの壁が崩壊しソ連邦が解体してから、タブーとされていた戦時中の蛮行・非道が次々に明らかになってくる。最近でも「白バラの祈り」(05年)「カティンの森」(07年)「縞模様のパジャマの少年」(08年)「黄色い星の子供たち」(10年)等をあげることができるが、今回の「サラの鍵」はフランスの<ヴェルディヴ事件>を題材にしたタチアナ・ド・ロネの同名のベストセラー小説の映画化。ノーベル平和賞受賞の劉暁波(リュウギョウハ)氏の獄中での愛読書だったという。<ヴェルディヴ事件>とは、ユダヤ人をアウシュヴィッツに送ったのは、ナチスドイツだけではなかった、という実話である。その事実は1995年にシラク大統領が公式に認め、世界に衝撃を与えたのだが、しかし、非公式には知られていて、映画では「パリの灯は遠く」(76年)がそれを扱っている。アラン・ドロン主演のサスペンス映画だが、監督が、アメリカのレッドパージでイギリスに亡命しヨーロッパで活躍したジョゼフ・ロージーだけに、サスペンスの裏に潜む政治の不当な弾圧や人権無視の恐怖が描かれている。フランス人の美術商(A・ドロン)が同姓同名のユダヤ人と間違えられ、アウシュヴィッツ行きの収容列車に乗せられるという物語。
ナチス占領下のフランスに、ユダヤ人排斥運動の嵐が次第に厳しさを増していた1940年代。ユダヤ人のサラ一家にフランス警察のユダヤ人一斉検挙が入ったのは1942年7月のことだった。10歳のサラ(メリュジーヌ・マヤンス)は怖がる弟をとっさに納戸に隠し鍵をかけた。「すぐ帰るわ」と約束をして。摘発された数万のユダヤ人は屋内競輪場<ヴェルディヴ>に閉じ込められる。水もトイレも食糧もない劣悪な環境下におかれ、やがて家族はバラバラにされ、それぞれ臨時収容所に分散される。最終的にはアウシュヴィッツ行きの列車に乗せられるのだ。弟が気になる一人ぽっちのサラは脱走に成功するが……。
現代。2009年。パリに住むアメリカ人ジャーナリスト、ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)はヴェルディヴ事件を取材している。奇しくも、自分たちが改造して住もうとしているマンションの部屋は、サラ一家の住居だったことが判明。この家は、フランス人である夫の両親がユダヤ人から取り上げた部屋だったということも分かる。
自分の身内がヴェルディヴ事件に無関係ではなかったことに衝撃を受けたジュリアは、さらに取材を進める。ホロコースト記念館で膨大な資料をチェック。サラの両親はアウシュヴィッツでの死亡が確認されたが、サラと弟の記録はない。
脱走後のサラはどうなったのか。映画は、ジュリアの取材の現代と、サラが逃亡する60年前の戦時下を交錯させて描いていく。さらに、成人してからのサラを追って、ニューヨーク、フィレンツェへと舞台は移るが、この映画のすばらしさは、単なるホロコースト映画で終っていないことだ。過去の過ちを認め、反省し、人種の融和と人権の尊さをうたいあげている。パンドラの箱を開けたら希望がでてきた、という感動のラストシーンが用意されている。
(12月17日より、銀座テアトルシネマほか全国順次ロードショー)
映画「サラの鍵」公式サイト
http://www.sara.gaga.ne.jp/
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/