このところ、週刊誌がスクープを連発している。6月から8月にかけて、週刊文春、週刊朝日が報じたいくつかのニュースは、どれも読者の関心を集めるものばかりだ。ところがおかしなことに、新聞もテレビもいっこうにこれらのスクープを追っかけて報道する気配がない。なぜかだんまりを決め込んだままだ。読者の関心が高いニュースをなぜ報じようとしないのか、読者の「知る権利」に応えることを使命とするメディアが手抜きをしているのではないか、報道現場の責任者にしかと聞いてみたい気がする。
週刊誌のスクープ相次ぐ
週刊文春が6月に相次いで伝えた2つのニュースはなかなか衝撃的だった。1つは小沢一郎元民主党代表の夫人が書いたとされる私信、いわゆる「離縁状」の内容。もう1つは、読売巨人軍の原辰徳監督が四半世紀も前の不倫関係をネタに脅されて元暴力団員と見られる男たちに1億円を払っていたという話。「離縁状」の中身は、小沢氏が昨年の東日本大震災のあと、放射能を恐れて被災地を訪れることもせず、東京からも「逃げていた」時期があったということなどを挙げて、愛想が尽きた夫人が離婚を決意したといったもの。事実とすれば政治家としてのお粗末さを身内に生々しく指摘されたことになり、当時も今も政局の渦中にある小沢氏の動向に少なからぬ影響を及ぼすニュースだった。
原監督の1億円問題も読者の関心を集めたことは間違いない。若い時代の身の不始末から出たこととはいえ、1億円もの巨額のカネをいかがわしい男たちに脅し取られたとあっては、野球の人気球団の監督としてははなはだ不名誉の極み。原監督自身が「暴力追放運動」の看板の顔になっていた手前も、ただの恐喝事件では済まない話に違いない。プロ野球界の規範であるプロ野球協約にも明白に違反した行動だけに球界人としての責任問題が持ち上がることも避けられない。
7月には週刊朝日が2週にわたって「元国税庁長官の脱税疑惑」を報じた。この元長官は、「国民年金なんか払うな」と家族に命じていたことや、現役の高級官僚時代に講演料などの雑収入を所得申告していなかったことなどが夫人の証言で明らかになったという。週刊誌の報道はまた、元長官の「脱法重婚」の事実も指摘している。税徴収の組織のトップにあった人物のこうした言動は、消費増税が政治の最大の焦点になっている時期のことだけに、政治的にも道義的にも見過ごすことのできない問題を含んでいる。
週刊文春はさsらに8月16・23日号で、日本人女性に対する強姦の疑いがもたれている厚木基地所属の米兵を、日本政府の介入で地元警察が逮捕手続きを進められないでいる、と伝えた。報道によると、オスプレイ問題で日米関係がぎくしゃくしていることに配慮して、両国関係の悪化を懸念した政府当局の指示によるものという。事実とすれば正当な司法権の執行を政府が妨げていることになり、重大な問題をはらんでいる。
後追いしない新聞、TV
これらのニュースはどれをとっても、政治的にも社会的にも重大な意味を持つ情報であり、一般市民の間にも広く、強い関心がもたれているであろうことは疑いない。ところが、それにもかかわらず、主流メディアの新聞も、テレビも一部を除いてほとんどこれらのニュースを積極的に報道しようとしていない。小沢氏の「離縁状」問題は産経、読売などの新聞がごくあっさりと週刊誌報道を紹介してはいたが、独自の掘り下げた報道はしていない。他の新聞もテレビも、その後、政局がらみで小沢氏をたびたび取り上げる機会があったのに、話題を呼んだ「離縁状」問題にふれたことはない。
民主党を離党して新党を結成した小沢氏はその後、記者会見にも幾度か顔を出しているが、テレビ会見でも「離縁状」について質問した記者は1人も見たことがない。主流メディアはこの小沢氏の問題には一切、無関心でいるとしか思えない。これをニュースとは考えもせず、報道に値する、あるいは読者が関心を抱いている、とは現場の記者も編集者も思ってもいないのかもしれない。しかしこのニュース判断、ニュース感覚は正しいのか。読者の側から見ると、とてもそうとは思えない。
原監督の1億円事件は朝日新聞だけが独自取材で社会面トップを飾ったが、他の新聞は文春報道のうわべをなぞった程度ですませて、被害届さえも出していない原監督や巨人軍の道義的責任問題を追及する気配さえ見せていない。巨人軍と一心同体の関係にある読売新聞は、1億円を脅し取った男たちが「反社会的勢力ではない」という巨人軍の見解をそのまま報じ、原監督の責任を問わず、監督続投の方針を早々と打ち出して、問題の早期幕引きを図った印象を与えた。
こうした新聞の対応が市民の冷笑を買い、ニュース報道への不信をあおっていることを、当事者たちはもっと深刻に自覚していいはずである。この問題では、本来もっと毅然とした対応をしなければならないプロ野球機構の加藤良三・コミッショナーの煮え切らない姿勢も野球ファンの間に失笑と失望を広げている。
独自の確認、掘り下げを
小沢「離縁状」問題から米兵不逮捕介入問題まで、それぞれに問題は極めて重大で、主流メディアにとっても大きなニュースと判断されるものなのに、なぜ新聞もテレビも独自に報道しようとしないのか、幾人かの事情通の意見を徴してみると、興味深い答えが返ってきた。1つは、週刊誌報道はえてしてマユツバものが多くてすぐには信用できないという主流メディア側の不信感ないし偏見があるという。
しかしこれは、主流メディア側の不作為の説明にはならない。新聞もテレビも、週刊誌に比べればはるかに強力な取材力を備えている。これらの報道の中身にニュースとしての価値を認めるなら、自社の取材陣を動かして情報の内容を確認すればいい。週刊誌よりさらに深く踏み込んだ取材ができれば、より大きな衝撃力のある事実を掘り起こすことができるだろう。それをしないのは、する意思がないことを裏付けることになるだろう。
新聞やテレビが動かないもう1つの理由として挙げられたのは、報道に踏み切れば取材対象との関係が悪化することを恐れて手控えている、との見方である。小沢一郎氏にいやな質問をぶつけていったん睨まれると、今後の取材が難しくなる。同じことは原問題での対巨人軍でもいえる。巨人軍の不興を買って取材から締め出されると、運動部記者には飯の種がなくなる、という人もいる。国税局に対する取材は、メディア企業がいつ国税局の査察を受けるかわからないという恐怖を抱えている限り、思い切ったことを書けない、といううがった見方もある。
「権力監視」は悪い冗談?
しかし、こうした取材先との関係に対する配慮が踏み込んだ報道を妨げているとすれば、メディアが「権力を監視する」という、メディアの存在意義と役割を説明する伝統的な見方がまるで悪い冗談ではないかと思われてくる。それを冗談とは思わせないために、現場の記者や編集者は、文字通り淡々と、ニュースを追ってとことん取材し、その結果を、真実と信じる結果があれば、ありのままにだれはばかることなく、伝えるという営みを続けていかねばならない。
ニュースの報道に手抜きをしてはいけない。ここ2か月ばかりの、週刊誌の報道と、それをしっかり後追いもせず、メダルの数に浮かれまわり、薄っぺらな「感動物語」でお茶を濁してきたような五輪報道のドタバタ騒ぎを見ると、主流メディアがすっかりニュースへの関心を失ったのではないかと心配になる。小沢一郎氏の記者会見で、「奥方の書いたと言われる離縁状の内容は事実ですか」という、こんな質問をする記者がせめて1人くらいいてくれないと、日本のジャーナリズムは浮かばれない。
(「メディア談話室」2012年9月号 許可を得て掲載)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye2033:120903〕