スポーツは多彩だ。多彩なだけに、スポーツがみな見て面白いというわけでもない。
アメリカンフットボールなるもの、私には面白いともおかしいとも思えない。ところが、アメリカでは、これが最大の観客を集めるビッグスポーツなのだそうだ。プロリーグ(NFL)が一大産業であるだけでなく、大学アメリカンフットボールがまた盛んで、プロリーグの隆盛を支えているともいう。この人気が米国内に限られているのが興味深い。アメリカンフットボール世界大会などもあるようだが、注目度は極めて低い。盛りあがるのはNFLの国内試合だけ。
そのNFLの試合の都度、国旗(星条旗)を掲揚して、国歌(The Star-Spangled Banner)を唱うのが慣例のようだ。このときの国旗・国歌とはどんな作用を果たしているのだろうか。
国旗国歌の象徴としての作用には、対外的な識別機能と対内的な統合機能があると説かれる。NFLの場合、国際試合ではないのだから識別機能は問題とならず、もっぱら対内的な統合機能だけが働くことになる。
両チームとその応援者そして大観衆が、一つの旗を注視し、一つの歌を唱うことによって、情緒的な集団的一体感を醸成する。その一体感は、旗や歌が象徴する国家という抽象的な存在に集中する。まさしく国家に統合されることとなる。
かくして、NFLの試合のたびに、国旗と国歌の国民統合作用が多くの国民に印象づけられることになる。このスポーツの一大イベントは、国旗国歌を中心とする、一大国民意識確認セレモニーであるのだ。
だが、選手と観衆のすべてが、このような国民統合に肯定的であるとは限らない。そもそも国家という存在に個人が絡めとられることを潔しとしない立場もあろうし、国旗国歌を今ある現実の国家の象徴ととらえて、現政権への批判の立場から、国旗国歌への敬意の表明を拒絶するという立場もある。
とりわけ、国家が差別を容認するとき、差別される側は、とうてい国家に敬意を表することはできない。国民の一体が喪失され、差別する側の国と意識したとたんに、差別する側の国を象徴する旗や歌に敬意を表することはできなくなる。
ことは差別だけではない。国民として国家の不合理を容認し得ないとき、とうていその国の国旗も国歌も受け容れがたいこととなる。そのとき、国旗国歌を拒絶することが思想の表明行為となる。
人種差別を容認したトランプ政権への抗議が、NFL選手の国歌斉唱拒否の行動に表れているという。そのことを一昨日(8月23日)の近藤徹さんの、下記メールで教えられた。近藤さんは、「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」の事務局長。定年前は英語の先生だから、いち早く、米国の情報をキャッチして伝えてくれる。
■2人の白人選手、NFLでこれまで最大の国歌斉唱時の抗議に加わる~ブラウンズの選手たち
*報道されていない必見の注目ニュース。
↓
アメリカ・インターネットニュース”SALON”
http://www.salon.com/2017/08/22/browns-national-anthem-protest-kneel/#.WZ0Qw
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日本のどの新聞も報じていない注目のニュースです。
米プロフットボールリーグ(NFL)で人種差別に抗議して国歌斉唱を拒否する動きが広がっている。
シーホークスのベネット選手が国歌斉唱を拒否してベンチに座り続けて抗議した(既報)のに続き8月21日(米時間)、今度はクリーブランド・ブラウンズの10名の選手がニューヨーク・ジャイアンツとの試合前の国歌斉唱時にひざまづいて人種差別に抗議の意思を表した。
これは「NFL史上最大のデモンストレーション」で、しかもこれも史上初だが、白人選手2名が黒人のチームメートに加わった。人種差別に抗議する黒人選手と白人選手の連帯の行動に拍手を送りたい。
上記”SALON”によると、10名の選手たちが、国歌演奏中輪を作って、祈る形で互いの肩に手を置いた。加えて5名の選手が立ったまま、ひざまづいているチームメートの肩に手を置き、連帯を表明した。何と計15名のブラウンズの選手が公然と抗議を表明し、内2名が白人だったのだ。
なお、この膝をつくポーズ(“ニーダウン”)は、2016年8月、NFLのサンフランシスコ・フォーティーナイナーズのコリン・キャパニック選手がとったポーズと同じだ。
今後もこうした人種差別に抗議する行動がアメリカのスポーツ界に広がるかも知れない。
近藤さんは、「卒入学式で『君が代』斉唱時に起立せず、不当にも都教委に処分され、処分撤回を求めて裁判を闘っている私たちも励まされる。」とも言っている。
近藤さんが、メールを送信した頃は、「報道されていない必見の注目ニュース」だったが、その後幾つかの記事が出ている。
たとえば、スポニチ。詳細な報道になっている。
「NFLは21日にオハイオ州クリーブランドでプレシーズンの1試合を行ったが、ホームチームでもあるブラウンズの11選手が国歌斉唱の際、膝をついて整列しなかった。
“ニーダウン”したのはRBデューク・ジョンソンJR(23歳)、ジェイミー・コリンズ(27歳)、QBディショーン・カイザー(21歳)といったアフリカ系アメリカンの選手が中心。しかし白人でプリンストン大出身のTEセス・ディバルブ(24歳)もこの輪の中に加わっており、NFL選手による抵抗運動は人種に関係なく拡大する気配を見せている。
この行動は警察官による黒人射殺事件が続いた昨年からBLM(BLACK LIVES MATTER=黒人の命も大切)というフレーズとともに顕著になり、49ersのQBコリン・キャパニック(29歳)らはシーズン通して試合前に無言の抵抗を続けていた。今月になって白人至上主義団体をめぐるトランプ大統領の対応が各地で批判を浴び、昨年とは違った要因でNFLにBLM運動が再燃している。」
メキシコオリンピック(1968年)時の米黒人選手の黒人差別への抗議の行動が印象に深い。男子200メートル競争を世界記録で優勝したトミー・スミスと3位のジョン・カーロスが、表彰式でアメリカ合衆国国歌が流れて星条旗が掲揚される間、壇上で首を垂れ、黒い手袋をはめた拳を空へと突き上げていた。あれが、“ブラックパワー・サリュート”だった。アメリカ公民権運動で黒人が拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威の姿勢である。
“ニーダウン”も“ブラックパワー・サリュート”も、国家に対する抗議の行動。NFLのニーダウンは全米注視のなかで、トミー・スミスのブラックパワー・サリュートはオリンピックの表彰式というこの上ない晴れ舞台でのパフォーマンス。国家の象徴が国旗と国歌なのだから、具体的な抗議の行動の対象が、国旗国歌とならざるを得ない。強力な国家に対する象徴的な抗議の行為が、国旗国歌への敬意表明の拒絶となるのだ。
国家に対する国民の抵抗も抗議の行動も止めようがない。アメリカに人種差別が存在する限り、政権が差別を容認する姿勢である限り、“ニーダウン”も“ブラックパワー・サリュート”も続くことにならざるを得ない。
ひるがえって、都教委の「10・23通達」に基づく日の丸・君が代強制への不服従。こちらは、教員の思想や良心の救済行為としての貴重な抵抗である。この魂の抵抗も、教育の場での理不尽な強制が続く限りけっして途絶えることはない。国家の横暴に対する個人の良心の抵抗の灯はこの上なく貴重なものである。これを消してしまうようなことがあってはならない。多くの心ある人々の手で、守り抜いていかなければならないと思う。
(2017年8月25日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.08.25より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=9076
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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