──丸山・岩田氏解釈の射程と限界、そしてソロー成長会計の視座
長期経済成長を説明するために、マクロ経済学はしばしば“均整のとれた抽象”を採用してきた。ハロッド中立的技術進歩もその典型で、技術進歩は労働効率の向上として表現され、労働が成長の主要な担い手として扱われる。この形式は確かに簡潔で、カルドアが提示した「定型的事実(stylized facts)」とも見事に整合するように見える。
丸山徹の『新講経済原論』は、この枠組みを教科書的に提示しつつ、戦後日本のデーターを整理している。岩田昌征氏はさらに一歩踏み込み、ハロッド中立を“労働の生産性向上への収斂”として読み取り、近代経済学の枠組みのなかで、労働価値論的な含意さえ読み取れるのではないかと示唆している。この読みは興味深いが、その前提には注意が必要ではないかと思われる。
1. カルドア的事実は、歴史的にはきわめて限定的な現象だった
カルドアが示した「定型的事実」は、主として1950〜1970年代の先進諸国に特有の経験則であった。ところが1990年代以降、これらは大きく変質している。
代表的な論稿を挙げれば、Karabarbounis & Neiman (2014) や Elsby et al. (2013)、OECD 経済見通し、さらに Piketty (2014) などがあり、いずれも労働分配率の低下や資本収益率の変動、資本係数や生産性の不安定性など、かつての「定型」がもはや安定していないことを示している。
したがって、「21世紀に入ってもカルドア的事実が続いている」とみなすには、一定の慎重さが必要かもしれない。岩田氏が丸山の提示した統計を根拠にそう読むとしても、その読みは経験則としてのカルドアの議論とはやや距離があるように思われる。
2. ソロー成長会計は、労働偏重を意味してはいない
岩田氏は、ソローが「資本増強型技術進歩は労働増強型に吸収される」と論じたとして、資本の技術進歩を明示的に扱う理論は不要との立場を取る。しかし、この“吸収”とは、生産関数が一次同次で、かつカルドア的事実が安定して成立していることを前提とした、数学的便宜に基づく変数整理にすぎない。
ソロー成長会計の核心はむしろ、長期成長の主要因は資本でも労働でもなく、TFP(全要素生産性)の上昇であるという点にある。TFPには、資本の質的変化や技術革新、組織再編、ネットワク外部性といった多様な要素が含まれる。つまり、資本の技術進歩が労働に“吸収される”のではなく、TFPに計上されるという理解がより適切ではないかと思われる。
3. ICT・AI資本の進化は、従来の抽象を乗り越えつつあるように見える
1990年代以降の ICT 革命、そして最近の AI の急速な進展は、資本の性質そのものを変化させつつある。性能が指数的に伸びる計算機資本、ソフトウェアやデーターの非物質性、クラウド資本の限界費用の低さ、さらには AI の“自律的改善”という特性は、従来の資本とは異なる性格を持つ。
これらの変化は、成長会計上は TFP の上昇として現れるが、内容的には「資本の技術進歩」が中心的役割を果たしているとも考えられる。こうした状況を踏まえると、技術進歩をすべて労働の効率向上に帰してしまうハロッド中立的抽象は、現代の成長メカニズムを捉えきれていない可能性がある。
4. “集計量レベル”という留保は、現代の状況では十分ではないかもしれない
岩田氏は「これは集計量レベルの議論であり、現場の多様な技術進歩に言及するものではない」と述べる。しかし、現代の成長会計は、その“現場の多様な技術進歩”をTFPとして集計的に捉える仕組みを持っている。
したがって、集計レベルの議論であっても、資本の質的変化を無視することは難しくなっているのではないだろうか。ICT や AI の影響は、もはや“現場”にとどまらず、国民経済全体の成長統計に深く刻み込まれているように思われる。
5. 結び
丸山や岩田氏の議論は、戦後経済のある安定した成長パタンを背景に成り立つ魅力的な枠組みを提示している。しかし、その枠組みは、ICT・AI が資本の性質を変えつつある現在において、そのままの形では現実の成長過程を捉えきれなくなっているようにも見える。
技術進歩を誰が担うのか、またそれをどのような形で測定しうるのか。こうした問題を再考することが、21世紀の成長理論には不可欠ではないだろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.ne
〔study1365:251108〕











