――ソロー証明の射程と「整いすぎた抽象」論争をめぐって――
・・・単に論理学的な形式のもとでは、われわれの思考は、生の真の本性、進化の運動の深い意味づけを表象できないということも帰結するはずである。・・・・・
・・・部分は全体に等しく、帰結はそのうちに原因を吸収することができ、浜辺に残された小石はそれを運んできた波の形をしていると言い張ることに等しいだろう。・・・
― H. ベルクソン『創造的進化』
1. 問題の所在:数学的整合性と現実妥当性の区別
岩田氏は、ソローによる「技術進歩は労働増加的(ハロッド中立的)でなければならない」という証明を重視し、それを“現実の経済成長の姿を反映した理論的帰結”と位置づける。しかし筆者が「数学的便宜に基づく変数整理にすぎない」と評したのは、この証明が「成長経路を安定化させるために技術進歩の形式を制限する」という数学的要請であって、現実の技術変化の偏向性を実証したわけではないという点である。
すなわち、
- 証明の内部論理は完結している(整合性は高い)
- だがそれが現実の技術進歩の偏向性の実証にはならない
という区別が必要になりそうだ。
岩田氏はこの二者を接続させる傾向があり、そこに議論の混乱の起点があるのではないか。
2. ソロー証明の位置づけ:安定的定常成長パス(BGP)を前提とする“数学的要請”
ソロー(およびマクロ経済学教科書)が示す「労働増加的技術進歩でなければならない」という証明は、以下の前提から導かれているのではないか:
- 定常成長パス(balanced growth path)が存在する
- 資本/労働比率が定常状態で一定に収束する
- 生産は一定の代替可能性を持つ新古典派的生産関数で表現される(例:CESまたはコブ=ダグラス)
このとき、
- 資本増加的技術進歩(ソロー中立)を入れると、資本/労働比率が暴走してBGPが成立しないことがある
- 一方、労働増加的技術進歩(ハロッド中立)はBGPを維持できる
ゆえに、モデル内部で定常成長を実現する「特定の形式の技術進歩」だけが生き残るという結果になると取りあえずネットで調べると出てくる。
これは「世界の技術進歩がそうなっている」という実証ではなく、
「このモデルで安定成長を実現するためには、変数をこう置く必要がある」という数学的整理ではないか。
筆者が「整いすぎた抽象」と呼んだのはここである。
3. 偏向技術モデル:現実の技術偏向(資本深化の歴史的積み上げ)にアプローチする枠組み
これまたネットが教えるところでは、1950〜60年代以降の理論は、
技術が現実の経済環境に応じて内生的に偏向する
という視点を導入してはいないか。
特に、以下の点がソロー型と決定的に異なるようだ:
(1) 技術は exogenous ではなく endogenous
- 技術は単に「与えられるもの」ではなく
賃金・資本コスト・相対価格に応じて偏向する - 例:資本が相対的に安価になれば、企業は資本節約よりも労働節約的技術を採用する
(2) 労働偏向と資本偏向の両方が歴史的に存在してきているようだ
- 19世紀は「資本節約的」偏向が支配的(機械の性能向上)
- 20世紀は「労働節約的」偏向が強まり(自動化)
- 21世紀は AI・ロボティクスによりスキル偏向(SBTC)+労働節約的偏向が加速
つまり現実には、
「常にハロッド中立」といえるのかどうか。
(3) カルドア的事実(労働分配率の安定)は技術偏向がその都度調整されることで成立
- 技術が偏向的に進むにもかかわらず、結果として分配率が安定する
- これは「偏向の内生的調整の結果」であり、
労働増加的技術進歩を exogenous に仮定したから生じるのではない
4. 実証の視点:ハロッド中立は“教科書の定説”ではあるが“現実の定説”ではない
岩田氏は、
「教科書レベルでは100%ハロッド中立が採用されている」
と述べる。しかし教科書の採用率が高いのは、
ハロッド中立が数学的に扱いやすく、ソロー・モデルの枠組が教育的に簡便だから、のような気がする。
以下の点を整理しておきたい:
(1) 研究レベルではハロッド中立は“便宜的前提”として扱われることが多い
- 内生的成長論では「偏向」は中心テーマ
- 労働偏向・資本偏向・スキル偏向などが多数検証されている
(2) “カルドア的事実”自体が近年では成立していないのでは?
- 労働分配率は1980年代以降、先進国で低下傾向
- 世界的な資本深化が進行し、資本所得の比率は上昇
- これは労働節約的・スキル偏向的技術の進行と整合的
つまり、
ハロッド中立型を100%定説と呼ぶのは、「教育用モデル」における便利さの話であり、現実の技術偏向は明らかに多面的であるとするのが妥当ではないか。
5. 岩田氏の「三位一体」論
岩田氏は
ソロー残差=TFP=ハロッド中立的技術進歩(aₜ)
とする「三位一体」論を提示している。
しかし以下の理由でこれは成立しないように思われる:
- TFPは偏向技術を含む残差であり、ハロッド中立とはカテゴリーが異なる
- TFP上昇の源泉には資本側の技術向上も多く含まれる
(ICT資本・高度化した設備投資・ロボティクスなど) - TFP上昇=労働側の技術進歩(aₜ)というのはソローの“便宜上の整理”にすぎない
ゆえに、
「ソロー残差を説明するためにソローがaₜを採用した」
という論理は、
「aₜが現実の技術進歩の唯一の表現である」
という主張にはつながらない。
6. まとめ:数学的整合性と現実の技術偏向を混同すべきでない
以下が本稿の結論でとしておきたい。
- ソローの証明は数学的整合性を保つための「変数整理」である
→ 現実の技術偏向の実証ではない - 偏向技術モデルは歴史的・実証的に観察される技術進歩の多様な方向性を説明できる
→ 資本深化の長期的傾向を説明できる - カルドア的事実が成立していた時代でも、実際の技術進歩は常に労働増加的とは限らない
→ 労働偏向と資本偏向が交互に現れ、結果として分配率が安定していただけ - 近年の実証(ICT化・AI・ロボティクス)はむしろ偏向技術論の方が整合的
→ 労働分配率低下・スキル偏向など - 岩田氏の議論は数学的前提(定常成長パスの維持)と現実の技術進歩を同一視している
→ この“同一視”が議論の最大の齟齬ではなかろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1371:251117〕












