ファシズムは死語になったのか(2) ― 半世紀を挟んだ二つの安保闘争 ―

《6年前の映画『ANPO』紹介で》
 60年安保闘争の本質と性格は何だったのか。
私自身は、2010年12月に、本ブログで米女性監督の『ANPO』評を書いたときに、次のように表現した。
■安保闘争は20年に亘る不況と閉塞感の中にある今の日本では信じられないような国民的エネルギーの爆発であった。後知恵で法律論をいえば改訂安保が幾分の双務性や自立性を獲得したという論が成り立つかも知れない。しかし当時の世論を要約すれば「東条内閣の閣僚でA級戦犯容疑者だった政治家が首相となり米国と組んで日本を再び戦争に駆り立てようとしている。やり口は独裁的・反民主的である。平和・独立・民主主義のこの危機から日本を守れ」というものであった。「反戦・民主・反米」が渾然一体となったナショナリズム感情の発現であった。普段ならストライキに反対するタクシー運転手や商店主がデモ行進の列に熱烈な拍手をおくった。国会を何日も何日も十万人規模の群衆が包囲した。その熱気が画面から伝わる。

《鶴見俊輔の闘った60年安保》
 当時、安保闘争を闘った38歳の鶴見俊輔は、強行採決に抗議して東京工業大学教授を辞めた。その直後の60年7月に次のように書いている。
■一九五七年二月に、戦時の革新官僚であり開戦当時の大臣でもあった岸信介が総理大臣になったことは、すべてがうやむやにおわってしまうという特殊構造を日本の精神史がもっているかのように考えさせた。
はじめは民主主義者になりすましたかのようにそつなくふるまった岸首相とその流派は、やがて自民党絶対多数の上にたって、戦前と似た官僚主義的方法にかえって既成事実のつみかさねをはじめた。それは、張作霖爆殺―満州事変以来、日本の軍部官僚がくりかえし国民にたいして用いて成功して来た方法である。その幾番目かにつみかさねられた既成事実が、(一九六〇年)五月十九日の強行採決である。六月二十日米国大統領の日本訪問の前日までにおくりものとして日米新安保条約が成立するように衆議院で自党の議員にさえよく知らせずに急に単独採決を計ったのであった。(「根もとからの民主主義」、『思想の科学』、60年7月号)

当時の「保革勢力」を瞥見しておきたい。60年安保に先立つ第28回総選挙(58年5月)の結果は、自民287、社会166で、社会党の議席と得票率(32.9%)は、戦後の最高水準であった。安保後の第29回総選挙(60年11月)は、岸に代わった池田内閣が「国民所得倍増計画」を発表した直後に行われた。結果は、自民296、社会145、民社17、共産3であった。反安保勢力は闘争に敗れただけでなく、選挙でも敗れたのである。その後の半世紀に起きた周知の事実を述べる必要はあるまい。

《長期衰退のダイナミズム》
■アベノミクスについて、フィルターをかけない評価を試みると、目標は達成されず、官製相場で株高を演出し、年金財政を破綻に巻き込み、株式市場の外資化を招き、大企業の内部留保と配当だけを膨らませ、貿易赤字を常態化させている。(略)
そして安倍内閣は、「株高」演出の間に、安倍首相が本来やりたかった特定秘密保護法、安全保障関連法などの「戦争法案」制定に急傾斜していき、当初のマスコミの「株価上昇」「経済再建」の熱狂的支持にもかかわらず、いまや経済専門家の大半はアベノミクスを公然と支持することを止め、口にしなくなっている。
つまり、政権延命と、戦争を可能にする法案を進めるための隠れ蓑として、フィルターをかけた大量のデータが、「アベノミクスの成功」として政府から垂れ流しにされたのである。

上記は、半世紀後の我が国の現状分析の一節である。筆者は経済学者金子勝。(金子勝・児玉龍彦共著『日本病―長期衰退のダイナミクス』、岩波新書、2016年)

《匿名のフアシズムの中で》
 半世紀余―正確には56年間―は、30年間の高度成長と26年間の「長期衰退」から成り立っている。経済の長期衰退と併行して政治の劣化が進んだ。我々は何かといえば何もかも「劣化」したという。もともと日本の民主主義は、勝者から与えられた「制度」であった。それを「経済主義的」「観客席的」民主主義として、築きあげたのは我々自身である。私は「戦後民主主義」が、敗戦までの「日本型ファシズム」よりはマシな体制であると思っている。「戦後レジームからの脱却」には、反対である。

だが、親しい友人と話をして痛感するのは自分も含め、小市民的既得権の保全と「我が亡きあとに洪水よ来たれ」の心情である。ある種のニヒリズムである。ワイマール憲法時末期のドイツの政治的混乱。トランプを支持する疎外感に満ちた米国民の心情。時代も空間も異なるが、我々もまた匿名のファシズムに絡め取られつつあるのではないか。ファシズムは即戦争なのか。戦争には「対案提示」などは無用である。戦争は反対だと言わねばならない。(2016/10/15)

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