韓国通信NO729
『フランシーヌの場合』という歌をおぼえていますか。1969年のフランスでベトナム戦争に抗議して若い女性が路上で焼身自殺をした。衝撃的な事件は日本にも伝えられこの反戦フォークが生まれた。歌手は新谷のり子さん(当時23才)だった。
<歌詞>
1 フランシーヌの 場合は
あまりにも おばかさん
フランシーヌの 場合は
あまりにも さびしい
三月三十日の 日曜日
パリの朝に 燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
2 ホントのことを 云ったら
おりこうに なれない
ホントのことを 云ったら
あまりにも 悲しい
三月三十日の 日曜日
パリの朝に 燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
<写真/左/新谷のり子/右/関谷興仁>
<忘れられない特別な歌>
当時私は社会人になって3年目だった。職場と社会の変化に戸惑う日々のなかで聞いた印象深い歌である。銀行の鉄のトビラのなかに背広とネクタイ姿の自分が吸い込まれ、数字と伝票とお札と格闘する日々を送っていた。何よりも辛かったのは職場に吹き荒れた組合弾圧の嵐だった。フランシーヌのように精神的に追い詰められていた。
1968年、長女が生まれた。組合を抜ければ過去は帳消しにするという屈辱的な会社の提案もあった。今も残る十二指腸潰瘍痕はその時の「勲章」である。体が通勤拒否を命じても会社勤めはやめなかった。翌年の組合の運動方針の見出しに「フランシーヌの場合」の歌詞があった。「戦争反対に命をかけたフランシーヌから何を学ぶべきか」という問いがまぶしかった。労働組合が何故「フランシーヌ」なのか。迷い続けていた人生にとって忘れられない特別の歌になった。
振り返るとあの時期は自分にとってもまた国内外ともに激動、歴史の転換期だった。
パリの学生・労働者のゼネスト(5月革命)。キング牧師の暗殺で全米に黒人差別反対運動とベトナム反戦運動が沸き上がった時期。わが国では日大・東大紛争が激しく闘われ、全国に若者たちの「反乱」が広がった。反公害闘争、沖縄返還闘争、成田三里塚闘争など社会は騒然とした雰囲気だった。やがてアメリカのベトナム戦争敗北に続き中国の国連復帰(1971)と時代は大きく変わろうとしていた。あれから何が変わり変わらなかったのか。
益子の朝露館陶板美術館に新谷のり子さんがやってくる。あの歌手にどうしても会いたくなり自宅から車を走らせた。
朝露館オープン以来からの会員である彼女には念願の益子行きだった。
館主の関谷興仁さんと石川逸子さんの説明に熱心に耳を傾けていた。50年以上たっても新谷さんが現役の歌手というのもうれしい。そして今でも心も看板も反戦歌手である。
話と表情から彼女はまぎれもないあの「フランシーヌ」の歌手だった。
「ホントのことを云ったらおりこうになれない」に始まる二番の歌詞が気にかかると言ったら、「ホントのことを云わない人が多くて心配だ」と彼女はいう。大切なことを心に刻み、「悼む」心を全身で受け止めようとする彼女は朝露館の心そのものに思えた。
感動的なふたりの出会いを見て彼女のコンサートを朝露館で是非開きたいと思った。
<殺すな!>
イスラエルによるジェノサイド(皆殺し)は絶対止めなければならない。
ロシアとウクライナの戦争が泥沼化しているさなか、10月7日、ガザ地区を実効支配するイスラム勢力「ハマス」とイスラエルが戦争状態に入った。
水も電気も止められ封鎖状態のガザが全面戦争に突入すれば、行き場を失った一般住民約200万人が虐殺される。
ウクライナの戦争を単純にプーチンの野望と片付けたように、武装集団に対するイスラエルの「自衛戦争」もアメリカによって正当化されようとしている。部屋のラジオからムソルグスキーの『展覧会の絵』が不気味に鳴り響いている。私たちはいつから一方的な情報だけを信ずるようになったのか。アメリカの属国に慣れすぎた私たちに戦争の正体が見えなくなっている。日本を戦争に巻き込む「台湾有事」も待ちうけている。
ホントのことを知らせない、ホントのことを知らないのはあまりにも悲しい。戦争に理由はいらない。戦争は絶対にさせないことだ。
初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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