力合わせがんばろう 力合わせがんばろう
たとえマクロンがそれを嫌っても、力合わせがんばろう
労働者の名誉のために
よりよい世界のために
―「黄色いベストの運動」の人々が歌った歌より
フランスでは、マクロン政権が燃料税の引上げを発表すると、昨年11月17日(土)に、蛍光色の安全ベストを着た人々が円形ロータリや大都市を取り巻く高速道路の料金徴収所を全国でいっせいに封鎖すると共に、街頭デモを開始した。この日の運動には全国で約30万人の人々が参加した。運動はこれ以降、年末から翌年にかけて毎週土曜日、続けられ、フランス経済はこの道路封鎖によって麻蝉状態に陥り、マクロン政権は窮地に立たされた。世論調査は、昨年11月、12月の段階で70%近く、翌年2月段階でも50%、と国民の圧倒的多数の支持がこの運動に寄せられていることを示した。誰も予測し得なかったこの突然の大衆的運動の出現は何を示しているのだろう。
既存の運動の枠外から出現した運動
労働組合や左翼政党の呼びかけというこれまでの運動の枠外で、この運動は出現した。しかし、燃料税の値上げに対する抗議署名がインターネットで呼びかけられ、SNSなどで、道路封鎖が呼びかけられると、それに共感する人々がそれぞれ自分たちの地区で自主的に道路封鎖を始めていったのである。そこには、運動を代表する特定の指導者や団体はまったく存在しない。これまでデモや政治活動にほとんと参加したことのない「普通の貧しい人々」が、スマホなどを通じた呼びかけに呼応して参加してきたのだった。
当初、自分たちが運動を代表しているのだと称して一部の地方ボスや極右派のグループなどが、政府と「交渉」しようと試みたが、運動を勝手に代表しようとするこうした試みは運動参加者から即座に拒否されてしまった。当初は、支援のために封鎖の現場に駆け付けた労働組合や左翼政党の活動家が追い返されるということもあった。
運動を担っているのはどのような人々なのか?・
運動に参加している圧倒的多数の人々は、地方都市の中高年の貧しい人々である。すなわち、元労働者で年金生活を送る人々、非正規の不安定な仕事をする人々-組合がそれほど組織されていない中小企業でしばしば働いている。女性-仕事をしているが非正規―も多く参加している。さらにトラックなどの運転手、零細運送業者、自営職人、自営商人などである。
それは、大都市郊外の最底辺・最貧困層の移民系の人々ほどではないが、貧しくつつましい生活を地方で送る普通の人々である。こうした人々にとって大都市の中心部は、家賃が高すぎてとても住めず、大都市はもはや富裕層の居住空間になってしまっている。
しかし、今日、地方都市には雇用がほとんどなく、通勤には遠くの大都市まで行かなければならない。しかし、国鉄民営化が進み、ローカル赤字線は廃止され、鉄道、地下鉄、バスなどの公共交通機関がますます少なくなり、車以外に通勤手段はない。民営化によって、病院、郵便局、学校、などの地方公共施設も閉鎖、縮小が進み、日常生活は車なくしては成り立たなくなっている。
燃料税引上げはまさに、車以外に頼る交通手段がないこれら地方の人々を直撃したのであった。まず人々はこれに怒りを爆発させた。しかし、こうした人々は、これまであまり、既存の労働組合運動や左翼政党との関わりがなかった。非正規雇用で職場に労働組合がないか、あっても弱体である。こうした中では、人々は既存の労働組合や左翼政党の枠外で、自分たち自身で立ち上がることとなった。
既存の運動をバイパスする運動がなぜ出現してくるのか?
その背景にあるのは、「1968年5月」世代が担って来たこれまでのフランスの社会・政治運動が21世紀に入って行き詰まりをみせているという事実である。この世代は、68年以降、就職した者は労働組合運動に参加し、日本の総評に相当するフランス第二位のナショナルセンターであるCFDT(民主労働組合連合)の中の左派を形成してきたし、失業者の運動、人種差別に反対する運動、ホームレス支援の運動、フェミニズムの運動、農民運動、環境保護運動などさまざまな社会運動の中心的担い手ともなって来た。1990年代、新自由主義のグローバリゼーションが進んで行くと、それを支持して右傾化していったCFDT中央指導部に反対し、新しいSUD(連帯労組連合)を結成し、新たな社会運動を展開したのはまさに、この68年世代の活動家であった。90年代、世界社会フォーラムの運動の中で、フランスの社会運動が大きな役割を果たすことができたのはこのためであった。
しかし、この社会運動は、新自由主義の攻撃を何度かにわたって一時的に立ち往生させるほど強力ではあったが、攻撃そのものを全面的に跳ね返すには至らなかった。こうして21世紀になると、公共サービスの解体や民営化か進み、労働者が長年の闘いで勝ち取って来たさまざまな労働組合の諸権利や年金などの既得権が次々と奪われていった。この後退に直面し、フランス第一位のナショナルセンターであったCGT(労働総同盟、かつては共産党と緊密な関係を結んでいた)中央指導部が、欧州労連に加盟し、かつての「異議申立て組合」から「社会対話」路線へと転換し、ストライキを中心とする闘いを回避するようになっていった。こうして、フランスの既存の運動は、労働者の権利や年金、公共サービスの削減などの攻撃に有効に反撃できず、袋小路に入ってしまっていたのだった。
「黄色いベストの運動」が既存の運動をバイパスして自分たち自身で運動を展開しようとしたもう一つの理由は、このような既存の運動に対して人々が強い不満を抱くようになっていたからであった。
どのような運動であったのか?
普通の人々の大衆運動なので、当然、これまでの既存の運動に参加したことのない人々をも含む広範な政治的潮流の人々がそれに加わっている。参加者への世論調査では、全体の3分の1の人々が自分は左翼でも右翼でもない「ノンポリ」と答え、残りの人々のうちの40%以上が自らを左翼だとし、15%が革命脈だと答え、極右だとしたのは5%だった。
実際、運動が始まった時、極右「国民戦線」が支持を表明、大小さまざまな極右グループもそれに続いた。また、運動の要求項目には、移民に対する上からの「統合」とも受け取れるような要求項目も含まれていた。あれほど大胆に道路封鎖を展開しながらも、その要求の中には職場でのストライキをという要求も当初、まったく出されていなかった。
確かに、そこには、グローバリゼーションの犠牲になり、既存の政党に裏切られたと感じて、アメリカのトランプに投票した白人労働者の一部や移民排除とEUからの離脱を支持しているイギリス労働者階級の一定の層の意識と共通するものがある。しかし、「黄色いベストの運動」は、トランプのようなポピュリスト政治家に受動的にすべてを委ねてはいない。自分たちで要求を掲げ、立ち上がったのである。円形ロータリーや高速道路の料金集積所を毎週土曜日に封鎖し、それを一晩中交代で見張る。そこに人々が集まり、今まで顔見知りでもなかった地域の人々がはじめて政治などの問題を討論すると、その意識も変わっていく。その後、労働組合や革命脈が運動に参加し、また参加者の中でも女性の比率が高いということもあいまって、運動の中で極右派は次第に後景に退いていった。
この運動は、マクロン政権と現在のEUのエリート層が、富裕層を優遇し、貧しい人々により一層の負担を強制していることに対する大衆的な憤激を表現するものであり、新自由主義に対する民衆の反乱にほかならない。間接民主主義の代議制民主主義のシステムの下で政治家にすべてを委ねてしまうのではなくて、国民投票などの直接民主主義のシステムの導入を求めている。運動はマクロン政権に大きな打撃を与えた。だが、この政権を決定的に打ち破るには、「黄色いベスト運動」単独の力では不可能である。この運動と新自由主義に反対する労働組合や政党との運動の合流、収斂が不可欠となる。20世紀のこれまでの運動と21世紀に生まれて来るこの新しい運動は、まったく相容れないものなのだろうか? そうではないだろう。われわれがなすべきは、世代間の断絶とも重なり合うこの対立を強調するだけで終わるのではなくて、20世紀の運動の生み出した最良の遺産を継承し、この二つの運動を対話させ、それぞれの経験を突き合わせてともに学び合うようにすることであり、両者の架け橋を築くことである。
ゆかわ・のぶお
―翻訳書 ダニエル・ベンサイド『マルクス取扱説明書』、ジルベール・アシュカル『アラブ革命の展望を考える』、ミディディエ・デニンクス『父さんはどうしてヒトラーに投票したの?』(共訳)
初出:季刊「現代の理論」2019秋号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座https://chikyuza.net/
〔opinion9402:200129〕