フーコーと「造反有理」

中野@貴州でございます。わたくしめの「南京案内」が紹介されていてちょっと驚きました。

さて、いまフーコーの奇怪な用語と悪戦苦闘しながら、張一兵氏の『フーコーへ帰れ』を訳しております。

今ちょうど、「フーコーの『系譜学』をどう見るか」の部分の翻訳に取り掛かっているところです。このところで、「ちきゅう座に結集するところの同志たち」(要するに、爺さんたち―失礼!)にとっては、とてもノスタルジックに感じられる、張さんの記述に出会いました。それは以下のようなものです。

―私は、この系譜学には、「68年五月革命」の印象が深く隠されていると見ている。

毛沢東の「造反有理」は、フランスの「毛沢東主義紅衛兵」だけではなく、フランスの左翼知識分子の心も深く揺り動かしたのである。

系譜研究は、伝統的な科学的言説体制に対する造反を、さらに明確な形で打ち出したのである。とくに、それは、「大学と教育という道具」によって身体化された「科学的言説の体制化(institutionnalisation du discours scientifique)」(『社会は防衛しなければならない』より)という権力支配に反対することなのである―

いやー、うん十年前に聞いたようなフレーズですね。今中国でも日本でも、「文革」という言葉を聞くと、「混乱」・「残虐な権力闘争」・「文化の破壊」という言葉がすぐに連想されますが、当時においては、サルトルやアルチュセールだけでなく、フーコーにさえ「造反有理」の影がさしていたとは・・・。