ブルマンさん、ありがとうございます

ブルマンさん。コメントありがとうございます。

 

マルクス自身は「資本主義の本質的不安定性」に気付いていたと思います。折に触れ、彼はそのことを指摘していますが、残念ながらそれを系統的に展開するすべは持っておらず、「資本一般」という観点によってご破算にしてしまったわけです(こうした想定は、再生産論等では「便法」としては許されると思いますが)。ここにも、リカードの忠実な弟子とその批判者という「二人のマルクス」が見られます。そして、このマルクスができなかったことについて、ケインズが「資本主義の本質的不安定性」はその内部にある、すなわち、「貨幣」とそれをとりあえず欲する人々の欲望にある(流動性選好説)と喝破したわけですね。

 

話は変わりますが、この流動性選好と密接に関係する「貨幣の物神性」も「商品の物神性」とは「対称的」ではありません。故降旗先生は、この両者の関係を太陽と月―非対称的な関係―に例えています。つまり、貨幣という太陽に照らされて(買われて)こそ、はじめて商品所有者は「俺の商品には価値が内在している」と言うことができるというわけです。これに対して、流動性を独占している貨幣が「この世の神の位置」にあることは小学生でもわかるでしょうから、その大きな差については、多言は必要としないでしょう。したがって、通常の叙述順序とは異なり、まず「貨幣の物神性」(太陽)を説明して、それから「商品の物神性」(月)が語られるということになります。

 

AKB48の話はシャレとして聞き流してください。でも、これを実体視どころか「生命体」と見なして「巨人の命は永遠です」、「会社の命は永遠です」と発展すると、行きつく先は「大和民族の優秀性は永遠です」になるのではないのでしょうか?