マスクの意外な効用

コロナ禍のさなかマスクなしでの外出ははばかれた。玄関をでれば鬼子母神の境内まで十メートルかそこら。たったと歩いて入ってしまえば、人もまばらで誰に迷惑がかかるわけでもないと思うのだが、マスクをしてないと、どうにも人の目が気になる。ところがマスクをすると、息でメガネがくもってしまう。冬ならまだしも、夏の暑いさなかにメガネとマスクの組み合わせは耐えがたい。それでもマスクは外せないからメガネを外すことになる。そしてそのままメガネをかけなくなってしまった。近視に乱視に老眼もはいってきて、バスの行き先表示は近くに来るまではっきり見えない。それでも三鷹行なのか武蔵境行きなのかぐらい字数で判別できる。PCの画面なんか拡大すればいいだけで、日常生活にさしたる支障はないと思っていた。ところがここにきてトルコ語の本の活字が小さすぎて、スペルを判読できずにバールーペなんてものまで買ってきた。それでも不便で、しまい込んでいたメガネを引っりだしてかけてみたら、この三四年で老眼が進んだのだろう、かけないほうがましだった。

小さな活字を読まんがためにメガネを新調することにした。四十年以上お世話になってきたメガネ屋に行って視力検査をしたら、メガネで矯正できる範囲ギリギリなので、まず白内障の手術をして落ち着いてからにした方がいいと白内障専門のクリニックを紹介された。池袋に引っ越してからのお付き合いだからもう七年になる眼科ではそんなことを言われたことがなかったから驚いた。もし手術をしてメガネがいらなくなったら、メガネを新調することもないから、メガネ屋はビジネスにならないじゃないかといらぬ心配をしながら手術を受けた。
さすがというと失礼になりかねないが、専門医だけに設備も違えば検査にかける時間も違う。視野検査の時間が長くて目を開いていられなかった。コロナ禍のときに気がついたのだが、加齢のせいで涙の分泌量が減って目が乾くのだろう、ヒアレインを一滴が増えている。

個人的な経験からで申し訳ないが、医者という人種は患者の時間を気にすることがない。きちんと予約をいれていても、患者を一時間以上待たせることになんの痛みも感じないのだろう。行きつけの内科医はそこまで混んではないのだが、未だにマスク着用を必須としている。マスクをしなくなって久しいから、ついマスクをせずにでかけてしまう。なんとも気まずいが、そのたびに受付でマスクを頂戴している。
マスクをかけておとなしく待っていて気がついた。まるで自前の加湿器かのように、息を吐くたびにマスクの上の隙間から目に向けて湿った空気が流れていく。メガネとマスクの相性は悪いが、目が乾燥して痛くなるよりメガネがくもるほうがいい。そして今では家にいるときも、できるだけマスクをするようにしている。こうして雑文を書いているときにもマスク着用で、なんともうっとうしい生活になってしまった。
マスクはしていたが、コロナウイルスにはしっかり感染した。ウイルス相手にマスクが役にたつのか?と思っていたが、自前の加湿作用を生み出すマスクの効用はしっかり実感できる。

2024/12/20 初稿
2025/1/28 改版
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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