過去1988年から2010年までの間、断続的に、合計すると15年にもおよぶ自宅軟禁の刑罰を科されても耐え抜いたアウンサンスーチー氏。そしてこの間30年でNLDとして臨んだ三度の国政選挙では、いずれも圧勝。一昨年2020年11月の総選挙でも地滑り的勝利を収め、昨年2月1日に二期目の政権を成立させるはずであったが、その日ミンアウンライン最高司令官によるクーデタで失脚させられた。以後1年4か月、首都である要塞都市ネーピードウの某所で軟禁状態におかれ、外界とは完全にシャットアウトされてきた。
しかしこの6月22日、軟禁先の施設から刑務所敷地内の独房に移送されたとの発表が軍事政権よりあった。つまりネーピードウの刑務所内に特別収容施設を建設して収監、同じくネーピードウ内にある軍事特別法廷とを行き来させる措置をとったというのである。完全なでっち上げ裁判で、すべてが結審すれば、100年にもなる禁固刑が科されるとみられている。刑務所内では、三人の女性看守が監視も兼ね身の回りの世話をしているとの情報も漏れ伝わってくる。
要は、スーチー氏に二度と娑婆の空気は吸わせないとの一念から、不当極まりない待遇を科して、精神的に消耗させ、屈服させようとしているのである。また国民に対しては、スーチー氏を普通の囚人に近い扱いをして権威を失墜させ、幻滅感を味あわせて精神的に離反することを狙っているのであろう。そしてなにより軍事政権がスーチー氏の存在を抹殺したいのは、彼女が存在する限り国際社会はミャンマーに注目し、自分たちの非道さと横暴さに目をつぶってくれないからである。
なお、スーチー氏の収監に伴い、クーデタ後逮捕されたスーチー氏の経済顧問でオーストラリア人のショーン・ターネル氏も収監されたという。植民地時代にできた弾圧法規である「国家機密法」違反の容疑で逮捕、裁判は進行中である。外国人の氏が、ミャンマー経済分析のため、公開非公開の政府統計や資料を閲覧したことが法に触れるというのであろう。軍事政権のあきれるほどの不条理・非道・恥知らず振りです。
しかし軍事政権の今回の措置には、彼らの状況認識、国民意識の忖度において、重大な誤りが露呈している。スーチー氏に対する国民の敬愛なり尊敬なりの気持ちは変わらないにしても、すでにこの1年有余、国民の反軍民主化闘争は、スーチー氏なしで著しい進展を見せており、国民意識の自立は多くの識者が予想もしなかった程度で強化され、現実の闘争も組織の拡大も進んでいるのである。もしスーチー氏を粗末に扱えば、国民はひるむどころか、自分たちが侮辱されたと受け止め―なぜならスーチー氏は、多くの犠牲を代償に国民自らが選んだ指導者だから―、いっそうの敵愾心を募らせ、闘志を燃やすだけなのだ。
先日発表された、著名な政治家や活動家4名に対する死刑執行宣言もそうであるが、軍事政権の強硬策をだれも彼らの強さの現れとは見なしていない。むしろ危機打開の有効な手立てが見いだせず、焦燥感から強がって見せているのだと見抜いている。いわば、ミャンマー版瀬戸際政策にすぎないといっていい。外交的、政治的、経済的にも行き詰まり、孤立し、中国やロシアとの関係に活路を見出すしかなくなっている。特にロシアとの関係では、重火器類や石油の調達ばかりではなく、自動車産業の導入にも積極的に動いているという。ロシア産石油のミャンマー側輸入元には、ミンアウンライン最高司令官の息子の会社が指名されたとのこと。これにより、莫大な石油利権で、太っちょの息子はたちまちトップクラスの財閥に成り上がることが約束されたのである。
ちなみに、軍評議会 経済・貿易省の統計によると、2022年4月1日から6月17日までの2か月半で、貿易赤字が1億4,200万米ドル(およそ192億円)まで拡大していることが明らかになったという(Myanmar Japon6/28)。極端な輸入制限措置を講じても、外貨流失が止まらない現状がうかがわれる。また本年5月の海外直接投資(FDI)認可額(ティラワ経済特区=SEZ=を除く)は933万5,000米ドル(約12億6,100万円)で、前年同月実績の1%に満たない金額にとどまったと、ミャンマー投資委員会(MIC)は報告している。認可を受けたのは、3件中中国2、日本1となっている。日本政府は、いぜん国軍とのパイプを重視しており、多くの反対を無視して国軍士官の防衛大学への留学受け入れを中止していない。防衛大学留学経験者(空軍)が、民間人への空爆を指揮した事実も明らかになっているにもかかわらず、政策変更を頑なに拒んでいるのだ。しかしこの期に及んでは発展の芽はないと見切ったのであろう、官民一体のティラワ経済特区の開発を主導した、三菱商事はじめとする大手企業の多くが、「日本ミャンマー協会」から脱会しているという。
※参考資料 東洋経済 2022/06/28
「日本ミャンマー協会」から企業の退会が続く事情―国軍擁護の姿勢が加盟企業のビジネスリスクにー
<軍事アナリストによる戦況分析の例>
このところミャンマー内戦の戦況に詳しい幾人かの軍事アナリストが、1年前にはだれも想像だにしなかった民主化勢力の軍部打倒の可能性について言及している。筆者はたびたびミャンマー内戦の戦況については本論壇で発表しているので、ここでは要点のみ簡単に記そう。
統一政府(NUG)の発表によれば、本年初めの時点で人民防衛隊(PDF)には全国に約10万人のレジスタンス戦士がいる。しかし、実際に武装しているのは1万5千人、つまり20%未満にすぎない。それだけ武器が不足している現状をあらわしている。それでもミャンマーの全国330のタウンシップ(日本の郡程度のエリア)のうち、266のタウンシップで銃撃戦や衝突があったということである。
From the report “One Year On: The Momentum of Myanmar’s Armed Rebellion.”
イラワジ平原と重なる中央の緑色部分が、国軍支配地域―EAOs=少数民族武装組織、Sit-tat=国軍、PDF=人民防衛軍
ウッドロー・ウィルソン国際センター・アジアプログラム公共政策フェローのイェミョハイン氏が、このほど研究報告書を発表した(イラワジ 6/24)。それによれば、軍事的観点から見て、クーデタ後の勢力図における地殻変動が明瞭になってきているという。
それによれば、サガイン管区やマグウェ管区など上ビルマに住むビルマ族(アニャター)が、近現代ビルマ史上はじめて反乱軍の主力になりつつあるということである。彼らはミャンマーの多数派である仏教徒ビルマ族であり、伝統的に国軍(タッマドー、シッター)の徴募源であったという。過去の動乱時期にも、この地域は比較的平穏であった。ところが、その地域が2・1クーデタ以後は、軍事政権に反旗を翻し、武装抵抗勢力の牙城となっているのである。この地域は二度の総選挙でもNLDの強固な地盤であることを示してきたが、しかしスーチー氏の非暴力抵抗運動を捨て去り、武装抵抗で先陣を切ってきたというのは、民主化運動におけるパラドックスであろう。最初猟銃や手製の武器で抵抗を開始し、次第に少数民族武装組織で訓練を終えた若者に補充され、武器も調えられて戦闘能力は飛躍的に向上しているという―我々世代には、1960年代初めの南ベトナム解放戦線を思わせる。
上ビルマのこの地域での反乱軍の拠点化は、ここが他の武装闘争地域であるカチン州、チン州、ラカイン州とを結ぶ戦略上の結節点になり、「それらの地域がすべてつながれば、ミャンマー北西部や西部に抵抗の回廊が出現することになる」という意義を持つという。ミャンマーという国は、王朝時代、植民地時代、軍政時代を通して地域的階層的な分断が固定化し、宗教・人種・民族によるモザイク的な相克に苦しんできた。しかし2・1クーデタは、それらの歴史的な根深い分断と差別を吹き飛ばし、国民をして歴史
上はじめて下からの運動としてナショナルな統一性にまとまる方向に勢いづけている。これは以前のミャンマーの状態を知る者にとって、驚きに近い。つい先ごろまで、多くの国民が仏教ナショナリズムを振りかざして、ロヒンギャへの迫害を当然視していたのであるから。のちに論じる機会もあろうが、ミャンマーにおいて民主化闘争は、近代的な国民国家の樹立をめざすものである。したがってナショナルな統一は、戦略的な政治課題なのである。グロバリゼーションの時代にあって一国主義の限界が強調されるが、ミャンマーのように「破綻国家」にとって国民国家の形成は、地域政府や世界政府的な終着点へいたる必要な通過点であることは否定できない。
ミャンマーの反政府武装闘争の発展段階を分析している論文もある(イラワジ 6/22)。遊撃戦から機動戦への進化を定式化した毛沢東理論を踏襲したものであるが、ジェーンズ防衛出版社のアナリストであるアンソニー・デーヴィスによれば、理論的には、革命軍の集結が第1段階、ゲリラ戦が第2段階、軍隊を編成して敵を殲滅するのが第3段階と言われている。現時点では、PDFと革命軍は第1段階をクリアしているところだという。したがって大隊を編成して戦う以前、小部隊がここバラバラに、ときにはネットワークを形成しながら勝利してきた。「次の段階としては、指揮系統が極めて重要である。多くの研究が、指揮系統のある武力革命は、ネットワーク型のグループによる武力革命よりも成功する確率が高いことを示している」としている。中央統一政府NUGの軍事部門が、現在中央指揮調整委員会の構築のために鋭意努力中であるという。人民防衛軍と少数民族武装組織が連携しつつ、全国的な指揮命令系統―作戦命令から補給兵站に至る―を確立するにあたっては、政治的なコンセンサスの重要性はいうまでもない。特に問題となるのは、少数民族の民族的な自決権、自治権についての合意形成である。各少数民族の文化的な自治権―言語、教育、文化―も重要であるが、難題は少数民族が暮らす辺境地域には重要な地下資源が埋蔵されており、その採掘権や取り分をめぐって平和的な交渉による政治的決着がつけられるかどうか、お互いの政治的力量が試されるであろう。
カヤ―州の武装組織の兵隊たちKNDF-B05 イラワジ
<最近の重要な前進>
Myanmar Japon(6/15)によれば、少数民族武装勢力アラカン軍(AA)の報道官カイントカ氏は6月14日、ラカイン州で国軍兵士数百人が投降したと発表した。ラカイン州はロヒンギャ危機で揺れた地域であるが、この十数年でアラカン族仏教徒の軍事組織であるアラカン軍(AA)が急速に勢力を拡大した。すでに州の大半を版図に収め、実質的に統治を行なっている。ここ数年停戦協定のため、大規模な武力衝突は起きていないが、現在一触即発の状態にあるという。6/13には、軍評議会の副最高司令官ソーウィン将軍が、てこ入れのため州都シットウェの部隊キャンプを訪れたという。
同じくMyanmar Japon(6/22)によれば、NUGのネーポンラ報道官は「市民防衛隊を結成して9か月が経過したが、我々の勢力はザガイン管区とマグウェ管区の主要な道路を支配下に置き、ほとんどの村で市民による統治が行われている」とコメント。タニンダーリ管区やマンダレー管区においても、これまでのゲリラ戦術から部隊による本格的な攻撃が実行できるよう体制を整えていることを明らかにした。
NNA(6/23)によれば、ミャンマー中部マグウェ管区の民主派抵抗勢力「国民革命同盟(PRAマグウェー)(People’s Revolutionary Alliance)」は、2023年4月のティンジャン(ミャンマー正月)までに同管区の全域を国軍から解放し、支配下に置く計画を明らかにしたという。
以上、断片的な情報に過ぎないが、それでも外国からのいっさいの軍事援助を受けずに、近代的装備の国軍と互角かそれ以上の戦いを繰り広げてきたのは、見事というほかない。まして世界の目がウクライナ戦争に向けられ、ミャンマーが孤立した戦いを強いられてきたにもかかわらず、政治的軍事的にけっして後退しなかったところに、ミャンマー国民の成長のあとをうかがうことができるであろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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