ミャンマー、不屈の民主主義革命完遂へ

速報――“チーミンダイン虐殺許すまじ“、12/10「沈黙のストライキ」全土で貫徹!“ ~「沈黙は、最大の叫びである」(ある活動家の声DW)

ヤンゴン中心街。軍事政権の警告を押して、沈黙のストライキ敢行。人っ子一人いない。 イラワジ

旧王都マンダレーも                       DW

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 12月6日、国軍の支配する法廷は、スーチー前国家顧問とウィンミン前大統領に対し、ありもしない罪状をでっち上げ、両氏に4年間の禁固刑を言い渡した―後に2年間に短縮。これに対し、ただちにヤンゴンはじめ全国で抗議行動が一斉に行われ、民主主義革命派は勝利の日まで闘い抜く意思を改めて国内外に対して明らかにした。
 それにしても欧米各国が反発を強め、G7外相会議にはアセアン代表も参加して裁判後の情勢打開に向けた動きを加速する見通しであるのに、わが日本政府はなにをしているのであろうか。4月にアセアンで合意した5項目を軍事政権に実行させるべく、国際的な包囲網が絞られていくなか、わが日本政府はただ手を拱いているだけに見える。国軍との特別な関係と誇示されたものが、じつはただの腐れ縁にすぎずないことが明らかになり、ティラワ特別工業団地の投資を人質に取られて、国際的に恥をさらしている状態である。我々もまた、ミャンマーへの人道的政治的支援とともに、日本政府への圧力を強めることが求められている。

12月6日、ヤンゴン中心街で、チーミンダイン区虐殺のあと、「ヤンゴンの地、我々を圧迫すればするほど、我々はあなたたちと戦う」と書かれた横断幕を掲げるデモ参加者たち。活動家ではない普通の市民が加わっている様子がよくわかる。           France 24

 地元の幹部人権活動家が、France24に語ったことばが、ミャンマーにおける民主化運動の驚異的な成長の様を物語っている。彼いわく、この抗議行動は、ひとりスーチー氏のためだけに行われているのではない。ミャンマーのすべての人のためなのだ。なぜなら人々は毎日国のため、変化のために命を捧げているのだから、と(太字―筆者)。昨年まではカリスマ的指導者への精神的な依存から抜けきれないでいるように見えたミャンマー民主化運動であるが、2・1クーデタ以後の未曾有の艱難辛苦が、国民を自立した主権者へと変えつつある。ミャンマー国民は、軍部独裁体制を倒すまでは退かない、屈しないと固く決意したのである。88世代の多くがまだ囚われていた宗教的あるいは民族的偏見をも、Z世代の若者たちは乗り越えよう先駆けをした。仏教徒ビルマ族中心の民主化運動から、少数民族や異教徒も包括する全国民的民主主義革命運動へと成長しつつある。仏教徒ビルマ族という属性にこだわる限り、ミャンマー国軍とは出自を同じくするがゆえに、精神的に自らを国軍から断ち切ることができない。事実、ロヒンギャ迫害の際、スーチー氏をはじめ少なくない民主派陣営の仲間たちが、国軍擁護にまわったではないか。
 情勢はいい方向で複雑化している。いま国軍勢力と激しく対峙し互角以上の戦いをしているのは、ザガイン、マグェイ管区の農村地帯である。そこは仏教徒ビルマ族が圧倒的な比重を占め、スーチー=NLDの牙城ともいえるところである。スーチー氏への崇拝感情が高いのなら、本来は非暴力抵抗路線に傾くのが論理的な筋であろう。しかし彼らはそうしなかった。全村挙げて武装抵抗へと舵を切った。そして内外の大方の予想を裏切って、貧弱な武器で持続的抵抗を維持している。万が一スーチー氏が復帰しても、彼らに武装抵抗はやめろとはいえない地点まで情勢を押し上げた。
 もちろん多くの内部矛盾があり、敵対感情がすぐに社会連帯の同志感情に変わるわけではない。しかし強大な武力を誇る国軍に勝利するためには、味方を増やし、敵を包囲し、追い詰めなければならない。社会変革の運動の力学が、人々に武器を取らせたのだ。なにか特別の理論や教義に煽られて、そうしたわけではない。その意味では、精神的に平和主義者から暴力主義者に転じたわけではない。宗教心の篤いミャンマー国民が暴虐に耐えに耐えた末に出した結論が、武装抵抗だった。軍部独裁60年の歴史が構築した暴力的な抑圧体制を、いまここで打ち破らなければ、千歳の恨みを残すことになる。必要な時に必要なことを行なう、そのことに躊躇してはならない。その点で全国民を牽引していったZ世代の功績は、いくら称えても称えすぎることはない――私がミャンマーに行ったころ生まれたこどもたちだ。
 もちろん武力行使には特有の危険が付きまとう。倫理的な堕落が恐ろしい―現に国軍こそその典型例だ。シビリアン・コントロールの貫徹こそ、堕落を防ぐ命綱といってよいだろう。影の政府であるNUG(国民統一政府)が、この原則に沿って武装抵抗を貫き発展させるべきであろう。そういう観点から、軍規の確立と政治将校による統制は不可欠と思われるが、これは部外者の余計な口出しかもしれない。
 NUGは、2・1クーデタ前のNLD政権とは継承と断絶の両面をもっている。ミャンマーは前近代的遺制の上に乗っかって暴力支配を続ける軍部独裁から、近代的で民主的な連邦国家への転換をめざすことにおいて、両者は軌を一にする。しかしNLD政権は仏教徒ビルマ族中心であり、人口の20%ほどを占める少数民族を事実上締め出していた。しかもNLD政党の構成と組織運営の在り方は、とても民主的と言えるものではなかった。戦略的な要となる国軍との関係では、スーチー氏の個人的色彩の濃厚な「和解」にこだわって必要な改革を避けたため、国民を改革路線へ動員して意識改革しつつ現状変更を迫る闘いは欠落した。そうしたことを踏まえ、NUGは個人決裁ではなく「集団指導体制」を打ち出し、少数民族出身者や女性を積極的に登用し、2008年憲法体制打倒へ向けて武力の行使を辞さないとしたのである。英国の植民地支配からの遺制である「分断と支配」を乗り越えるために、国民的な統一戦線を構築することが不可欠である。そのためには「民主的な連邦国家」に理念的な肉付けを必要とする。植民地支配と軍部独裁による「分断と支配」、愚民化政策打ち破り、真の国民和解をめざして、独自性を持った新しい統一の理念を彫琢することが喫緊の課題であろう。

<国軍の残虐非道さエスカレート>
 国軍は各所で負け戦をしているので、それに対しなお一層の残虐非道さをもって報復している。以下、最近の実例である―残酷な写真も含まれるので、それについては縮小してご提示する。
▼チミンダイン事件―12月5日早朝、ヤンゴン・チーミンダイン区でフラッシュデモをしていた若者の列に猛スピードで軍のジープが突っ込み、大惨事になった。4人が死亡、1人は射殺、12名負傷、15人拘束された。軍用車両による抗議者への殺戮は、実はこれが初めてではなく、かなり多いという。たしかに有名なディペイン虐殺事件(2003年5月)では、ザガイン管区を走っていたNLDの地方遊説のためのキャラバン隊の車列を、国軍の組織した暴力団が襲い、確たる証拠はないが――スーチー氏はじめ当時現場にいたものはすべて沈黙を守っている――、道路に何十人という拘束者を並べて、大型車両でひき殺していったという。スーチー氏も間一髪で難を逃れたという、おぞましい事件であった。
 

 
いずれもKhit Thit media

▼抵抗の拠点、ザガイン管区での残虐行為エスカレート
 各種報道によれば、軍事政権は、民間人の抵抗組織が最も活発なマグウェ、サガイン両管区、チン、シャン、カヤーの各州で、手当たり次第に民間人を殺害し、拘束した民間人を人間の盾として利用し、住宅地を爆撃し、家屋を略奪して放火し、性的暴力を加えているという。ザガイン管区は、国軍に対して最も激しく抵抗しているだけに、国軍の報復も度を越している。RFA(ラジオ・フリー・アジア)のミャンマー・サービスの調査によると、2月1日のクーデタ以降、少なくとも414人の民間人が死亡しており、そのうち309人が治安部隊の手によって殺害された。
 サガイン管区には37の郡区があるが、ほぼすべての郡区それぞれのPDF(人民防衛隊)グループがある。また、別の名前のグループもあり、合わせて50近くのレジスタンス・グループが活動しているという。既報の通り、ミャウン郡区では、最近女性だけで構成されたグループができ、すでにPDFチームと一緒に軍事作戦に参加している。「ザガインがミャンマーで最初に解放される地域になるだろう」と、あるPDF幹部は述べたという。

●ドンタウ村の虐殺・・・各種地元メディアによれば、12/7の朝、サガイン管区のサリンジー郡区ドンタウ村で、14歳から17歳までの5人の若者を含む10人の村人を生きたまま焼き殺したとされる。人民防衛軍(PDF)の地元支部が軍の護送車を攻撃したことに対する軍の報復であると、住民たちは述べている。アメリカ国務省と国連事務総長は、直ちにそれぞれが許しがたい残虐で病的ですらあると非難した(DW)。
「政権は、これらの攻撃が我々を脅かすと考えているが、我々の戦いの決意を強めるだけだ。我々は政権への攻撃を強めるだろう」とPDFのリーダーは語ったという(イラワジ)。それを実証するかのように、未確認情報であるが、同じサリンジー郡区で、12月8日から9日にかけて人民防衛隊が埋設した地雷により30人以上の国軍兵士が死亡したという。


                  イラワジ
●Myanmar Now(12/5)による―マグウェ管区パウ郡区にある村の住民で、人民防衛隊の財政担当活動家である主婦(42)サンダーウィン氏は、乳房を切り取られるなど拷問の末、射殺され森の中に遺棄されていた。南パウゲリラ隊の金庫番を務めていた彼女は、自分が暗殺対象になっているのを知って、家族を守るため家族から離れて活動していた。夜、気配を察した彼女は1800万チャット(100数十万円)を持って逃げようとしたが、数人の男たちにつかまり連れ出されて、何時間かして森の中で射殺された。「ピューソーテイー」という国軍が組織した民間暗殺集団によるものではないかとされている。首謀者は40歳の中学教師だという。
 
9月15日朝に発見されたサンダーウィン氏の遺体。 荼毘に伏される         Myanmar Now

<ミャンマー軍事政権に大打撃>
 国連総会は6日の本会議で、国連での代表権をめぐる争いが生じているミャンマーとアフガニスタンについて、誰を正式な大使と承認するかの判断を先送りするとした信任状委員会の報告書を、議場の総意により無投票で承認した。その結果、スーチー政権の国連代表であるチョーモウトン氏が、引き続き代表を務めることになった。これは軍事政権の深刻な敗北であり、国際的な包囲網はますます縮まりつつある。

 チョーモウトン氏。RFA

<若者たちはいま>    
 
カニ―人民防衛軍としての軍事訓練                                  Myanmar Now

少数民族カレニ―軍KNDF-戦死した戦士の埋葬儀式          YouTube


マンダレー僧侶連盟の抗議表明                イラワジ

ミャンマー(国際協力銀行「地域別の概要」より)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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