ミャンマー、久保田徹氏との出会い

 学習院大学法学部教授の村主道美氏から拙稿「映像作家久保田徹氏釈放後、日本帰国」に対して、メールでご返事いただきました。久保田氏の活動と人となりの一端が現われていると思いますので、先生のご了解をいただきましたので、以下公開いたします。

野上様 
 ありがとうございます。私は何もできませんでしたが、彼が経験を豊富にして帰ってきたらしいことは喜ばしいことです。私が学習院大学学生の男子2名、女子1名を連れて2017年9月にSittwe※に前から計画していた通り行ったものの、この年の夏の事件※※によって避難民キャンプに行けなくなり計画が崩れ、鄙びたSittweのホテルのロビーでテレビを見ながら対策を考えていたとき、何かのきっかけで、「先生、私達のように、苦しい人々について知りたくてわざわざここまで来るような人は、今の学生にはとても少なく、来るか来ないか以前の問題として、理解してもらえないんです。ほかの学生からは私たちは『物好き』と思われているんですよ」「なるほど、絶滅の危機に瀕する日本人集団だね」などと言った話をしていたまさにそのとき、どやどやと機材のようなものを持ってロビーに入ってきた日本人らしい若者3名があり、私の連れていた学習院の男子学生の一人が、その中に学習院高等科時代の同級生で、慶応大学に進学した友人を見つけて驚きました。それが他の慶應の学生とともに来た、久保田君でした。彼がその1年ほど前、Sittweのキャンプでフィルムを作ったことなどをも聞き、偶然にも「物好き日本青年5名+女子1名の大集会」となったのが、久保田君との私の出会いでした。  
                                 村主道美
※「シットウェ」。ロヒンギャへの大規模迫害のあったラカイン州の州都。旧日本軍占領時代は「アキャブ」といった。この地域をめぐって、連合軍と日本軍が激戦を繰り広げた。加藤隼戦闘隊はここに基地をおいていた。
※※2017年8月25日、ミャンマー西部ラカイン州で、少数民族ロヒンギャの武装集団と警察・軍との間で起きた武力衝突を受け、その後70万人以上のロヒンギャ住民が隣国バングラデシュに避難した。

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