3月28日現地時間午後3時、古都マンダレー(170万人)の近くを震源地とする大地震が発生。現在、報告されている死傷者の数(約3000名/5000名)は刻々と増加しつつあり、おそらく死者だけでも万単位にのぼるであろう。被災地の中心、サガイン管区は内戦の激戦地であり、この4年間多くの犠牲者を出しているところであるが、サガイン市は80%以上の壊滅状態だと報じられている。都市部以外の状況は、まだわかっていない。内戦のため、交通や通信インフラは破壊し尽くされてきたので、農村部の実情はなかなか把握し難いであろう。 すでに国民統一政府(NUG)は、2週間の一時停戦を宣言し、救援に全力を挙げることを約束している。ところが軍事政権は、被災した以後も、ザガイン地域、マグウェ地域、シャン州北部で空爆を続けているという(ようやく4/2に停戦声明)。このことは、彼らの関心ははなから国民の命と暮らしには向いておらず、軍事独裁体制の維持にしか眼中にないことを表している。地元ポータル・サイトによると、国連特別報告者のトム・アンドリュース氏はBBCに対し、地震後に大勢が「人を救おうとしている時に、(国軍が)爆弾を投下し続けている」のは「まったく信じられず、言語道断である」と話したという。

地震後数時間以内に、政府軍は空爆を行ない人々を殺傷した。
世界各地から救援の手が差し伸べられているとき、日本の救援活動について報道する記事はごく少ない。日本の保守政治家たちは、日本とビルマの特別のあつい絆を自慢してきた。真偽は別にして、ビルマの独立を旧日本軍が助け、戦後も一貫してODAというかたちで国づくりを支援してきたのだと語ってきた。ところがミャンマーが危急存亡の瀬戸際にあるいま、忽然と姿が消えたかのようである。石破自公政権の国際感覚のなさ、政治勘の鈍さには驚きを禁じ得ない。下の画像を見ていただきたい、各国の緊急援助金を紹介したイギリスやオーストラリアのテレビの画面には、JAPANの文字や姿はないのである。
アメリカについては、自国中心主義の弊害が目立ち始めた。トランプによるアメリカ国際開発庁(USAID)の閉鎖によって、発展途上国の援助は風前の灯火である。さらには東南アジアの情勢をカバーしていた「Voice of America」や「Radio Free Asia」の活動も予算が打ち切られて休止するので、ミャンマーの裏情報も取れなくなる。報道・情報・保健医療・教育・食糧などの支援も間もなく滞るであろう。人口5千数百万人の中規模国家であるミャンマーは、このままでは災害復旧・復興どころか、数百万人単位で餓死者、傷病死者が出る瀬戸際にあるのだ。過去の外交関係からいっても、また現下の地政学的な競い合いからいっても、日本がイニシアチブをとって西側諸国とアセアン諸国をまとめるくらいの意気

イギリスのITV放送。ミャンマーへの緊急援助額の比較表。
込みがほしいところではないか。親日も親日、日本人であることだけで一目置いてくれる国は、世界中でここミャンマーだけであろう。ミャンマーの人々は、今か今かと日本からの援助を待っているのだ!
ロシアは、特別機2機を使って、レスキュー部隊を直ちに送った。中国も続いた。もっとも両国は、軍事政権の軍隊を物心両面にわたって全面支援している国である。他国の軍隊に、国連の勧告を無視して国民を殺傷する武器を供与する国が、本気でミャンマー国民のことを心配しているとは信じられない。かれらはこの一大災害を奇貨として、政府軍の劣勢を挽回するチャンスに変えたいと思っているであろう。国連はじめ国際社会は、国際的な援助物資が被災者に届かないのでないかと危惧している。抵抗派の支配市域にはもちろんのこと、政府軍の支配地域でも援助物資は政府への協力と引き換えにしか渡さないというのは、通例だったからである。

ロシアの救援隊。 オーストラリア・SBS World Newsから

ミャンマーは、気候変動の影響を十年ほど前から強く受け、以前は4、5月だった暑季が、いまでは3月から始まるようになってきている。本年はすでに2月から40度を超える猛暑が始まっている。温度計では測れないのは熱量である。同じ40度でも、熱帯の40度は人体に与える熱量が強く、身体へのダメージが大きい。ましてサガインやマンダレーはヤンゴンより内陸部に位置し、もともと酷暑で知られている。死者はたちどころに腐敗し、不衛生な状態となり、伝染病発生の危険性が増す。地震前でも、マンダレーのような大都市ですら、電気が来るのは1日数時間でしかなく、老人や子供の死亡する度合いが高くなっていたのである。現地で活動する無料医療機関「ジャパン・ハート」を主宰する日本人医師・吉岡秀人氏によれば、マンダレーでは電気もなく、設備も医薬品も医師も全く足りておらず、お手上げ状態であるという。

マンダレー、崩落したマンション。日本人もいるらしい。 ITV News

次々と倒壊するビル。もともと耐震性に欠けている。

マンダレー市内の建物が倒壊した。/ CJ

壊滅状態のサガイン市、町中に死体の腐敗臭が漂っているという。消防局

死者たちは火葬の順番を待っている。

火葬場が処理しきれず、やむなく外で荼毘に付す Myanmar Now

崩落したモスク(イスラム教寺院)、マンダレー地区 イラワジ

同じく、崩落したモスク(イスラム教寺院)、マンダレー地区

YouTubeから拾った画像。おそらくマンダレー市内であろう。

地震で歪んだレール。地面のゆがみを映し出す。 BBC
<若干の感想>
毎金曜日は、イスラム教徒にとっては大切な礼拝の日である。28日当日、昼の礼拝に集った人々を地震が直撃した。推定では、崩れたモスクの下敷きになった犠牲者は、700名以上だという。信仰に篤い人々が災厄に見舞われたのは、マンダレーのムスリムだけではない。マンダレー管区に隣接するサガイン市は、震源地のごく近くにあり、つとに仏教の宗教都市として有名であるが、今回の内戦で最初に武装闘争ののろしが上がったところである。当初自家製の武器を持って蜂起し、今日まで最も勇敢に国軍に立ち向かってこれを駆逐し、サガインに抵抗勢力の一大拠点を築きつつある。サガイン地域の住民の多くは、ビルマ族である。彼らは熱心な仏教徒であり、またアウンサンスーチーを熱烈に支持し、サガインはNLDの牙城となっていた。それがためであろう、2003年5月、ディペイン村でNLDのキャラバン隊に対する大虐殺事件―数十名の犠牲―があり、また同じくディペイン村で2022年9月、僧院で学んでいた子供たちをめがけて、ヘリコプターと地上から砲撃が行われ、5名の子供が殺された事件があった。国軍のサガイン地域への憎しみは尋常ではなく、捕らえた農民を生きながら焼き殺すことも、斬首した頭をさらしものにすることも厭わなかった。そのサガイン市が、いま地震によってほぼ壊滅したという。過酷すぎる運命である。
仏教にせよ、ムスリムにせよ、熱心な信徒たちが、なにゆえ真っ先に災害の犠牲者とならねばならないのか。われわれ無神論者ならば、神も仏もあるものかと、簡単に嘆いてみせるかもしれない。自然災害と信仰の有無は関係ないと、一刀両断で済ませるであろう。しかし世界宗教の厚い文化的土壌においては、事はそう簡単ではない。そこまで考えると、信仰と自然災害ということで、1755年の有名な「リスボン地震」を思い出した。植民地ブラジルなどから強奪した金によって、繫栄を誇った世界都市リスボンが、巨大地震によって一夜にして壊滅した事件である。
この地震はたんなる自然災害というにとどまらず、ヴォルテールやルソーといった当代第一級の知性が介入することによって、カトリック神学による弁神論(神義論)――神による懲罰ないし試練としての悪――の世界から、近代的な因果関係の世界への転換を促した思想史的事件として記憶されている。手元に文献がないので記憶のかぎりで述べると、啓蒙思想家ヴォルテールは、神の摂理によって創られた完全なる善の世界に、どうしてリスボン地震のような悲惨な災厄が生じるのか、と神学体系の矛盾を突く―もっとも、神は死んだとまではいわない。これは旧約の「ヨブ記」以来、キリスト教神学上の難題として人々を悩ませてきたものである。それに対する答えの一例として、神はすべてお見通しで、善なる世界に悪を意図的に配剤することにより、人々の信仰にさまざまな試練を課し、そして試練に耐えて神の義へより深く帰依するよう促しているのだという――私は三浦綾子の文学から、私流にそのように読み取った。
さて、神学上の矛盾を突き、嘆いてみせるヴォルテールに対し、ルソーはいくつかの答え方をしていたなかで、鮮明に記憶しているのは、次のようなものである。人々に襲いかかる災厄の原因を、人知の及ばない摂理に帰する必要はない。地震の被害を大きくしたのは、自然の理に逆らって大都市に無理をして密集した住居を建設したからではないか。天災は、つまるところ人災であるという理屈である。
実は、私はヤンゴンに在住していたとき、いつも街中を歩いて、ルソーと同じ感想を抱いた。――鉄筋コンクリートのビルであっても、そのほとんどは細い支柱で支えられているだけだった。一階部分に壁がなく、細い支柱だけで保たせているのも多い。これでは中規模程度の地震でも、1階部分がへし折れて、ビル全体は容易に倒壊するだろうと思った。果たして、今回マンダレーにおけるビルの倒壊の仕方を見ると、しりもちをつくようにまず1階部分がへちゃげて、あとは上部構造が崩落するようであった。マンダレーの都市災害は、ある部分人災である。違法建築は当たり前、使用資材も基準を満たさず、安かろう悪かろうでさっさと仕上げていく。ミャンマー人は、そうした仕事振りをする中国人を嫌っており、丁寧な仕事をする日本人を尊敬している。ただ経済を牛耳っているのは、軍人や政商(華僑・華人が多い)なので、心ならずも従うしかないのである。マンダレーは、典型的な華僑・華人のまちである。まちには漢字の看板が林立し、中国製の商品がスーパーマーケットにあふれている。古都の品のある落ち着いた街並みが大好きだっただけに、復興で中国資本が大々的に入ってきて中国化するのを怖れる。ぜひ、災害復興のノウハウを生かして、日本の援助機関が伝統的な街並みの再建再生に介入することを願っている。
大災害と信仰との関係で、最後に一言。「リスボン地震」の文化的背景は、カトリックであった。今回のマンダレー地震の背景は、上座部仏教(小乗仏教)である。それは、仏教でも最もよく原始仏教の面影をとどめている。そしてその教義の中心は、業(カルマ)である。人間世界は業が支配しており、現在の状態は過去の業の所産であって、人間によって変えることは不可能とする。この伝でいくと、大災害は過去の悪い業=惑(煩悩)の所産であっていかんともし難いことになる。転生してより良い未来をつかむには、その原因となる惑業から脱しなければならず、そのためには修行を積んで解脱の境地に近づくしかない。(上座部仏教は、俗人(在家者)は解脱不可能とするエリート宗教である)。この世の不幸は、すべて人間の煩悩に起因するとする教義は、人間を運命論者にして自縄自縛の状態に置く。「しかたがない、過去の業の所産としての運命は、黙って耐えて受け入れるしかない」――なんとも支配者にとっては都合のいい哲学ではないか。しかし今回の内戦の試練のなかで切り拓かれつつある地平は、サガインの農民仏教徒たちが、おそらくまだ無意識ながら、業の教説=運命論から脱して自前で未来を自分たちに引き寄せつつあるということではなかろうか。いずれにせよ、被災地は国際的な大規模救援を渇望している。我々もそれぞれの範囲で、できるだけのことをすべきことは言うを待たない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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