ミャンマー、深刻化の一途、ロヒンギャ人道危機   ――第二のパレスチナにしてはならない

 ミャンマーにおいて、重層化した暴力と差別と抑圧と貧困の最下層に位置するロヒンギャ族。2017年の8月、ARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)による政府軍前哨基地への攻撃に端を発した、ロヒンギャ危機。ロヒンギャへの国軍、警察、自警団による大規模なレイプ、略奪、殺人、焼き討ちによって――国連人権理事会の調査団は死者は少なくとも1万人と推定――、ロヒンギャの人々約80万人が、国境を超えて隣国バングラデシュへ逃れ、先発者と合わせ約100万人が難民としてキャンプに収容され、今日にいたっている。当時、国軍のミンアウンフライン総司令官は、「ベンガリ」(ベンガル人―ロヒンギャへの蔑称)はミャンマー民族にあらず、国軍の軍事行動は不法な越境侵入者に対する主権と領土を守る戦いであると自己弁護。これに対し、国連のグテーレス事務総長は、国軍の蛮行を「民族浄化」や「ジェノサイド」にあたるものと婉曲的ながら認めたが、戦狼外交の雄、中国王毅外相(当時)は、これをミャンマー政府による安全保障上の努力だとして、あろうことか蛮行への理解と支援を求めたのである。

2017年9月、軍の「掃討作戦」から国境へと逃れるロヒンギャの村人たち (K.M.Asad/AFP)

 当時NLD政権のもと、実質的な首班であったアウンサンスーチー国家顧問も、一部の行き過ぎは認めたものの、国軍の行動はジェノサイドにあたらないとして実質的に擁護したのであった。これをきっかけに西側世界においては自由と人権のシンボルとされ、尊敬されてきたスーチー氏の権威は失墜、のちに国際司法裁判所において国軍の行動を擁護する弁論を展開するに及んで、国際社会の失望と幻滅は頂点に達した。
 それから6年、ロヒンギャの人々は人間としての最低限の尊厳すら剥奪された状態まま、バングラデッシュ・コックスバザールとミャンマー・ラカイン州で半ば強制な収容所生活を長期に強いられている。「青空監獄」の例えの通り、バングラデッシュにおいては就労の機会を剥奪されているので、食料と日常生活品のすべてを国際支援に仰ぐほかなく、移動の自由もなく、教育も保健医療の機会も奪われ、最悪の人道危機状況に措かれたままである。国連最貧国のひとつといってよいバングラデッシュが、たしかに100万人もの国際難民を抱え込む状態は、自国の統治の責任外でありながら、治安上、財政上の負担が重くのしかかっている。バングラデシュ政府は、国際社会がロヒンギャの安全な帰還の実現に向け、ミャンマー政府へ十分圧力をかけてこなかったと非難してきた。たしかに日本も中国も、帰還問題に関わるふりをしながら、それぞれの思惑から政府と軍に厳しい態度をとったことは一度もない。

2023年、コックスバザールのバルカリ難民キャンプ内を歩くロヒンギャの男性  RFA
 

<無国籍のロヒンギャ、第二のパレスチナ人になる怖れ>
 本年5月、コックスバザールキャンプを視察した国連のオリビエ・ドゥ・シャッター特別報告者は、ロヒンギャ難民は、「新しいパレスチナ人」になる危険性があると、警告した。氏は、英紙ガーディアンに対し、コックスバザールの過密キャンプで暮らす約100万人に、受け入れ国であるバングラデシュは働く権利を与えるべきであり、減少しつつある国際的支援に頼ることを強いることは持続可能ではないと述べたという。バングラデシュ政府は、ロヒンギャに就労を許可すれば、自国の労働者から雇用の機会が奪われるとして、働くことを禁じている。
 これに反論して、シャッター氏は次のように述べている。「しかし、最悪なのは、これらの人々が人道的支援に全面的に依存していることだ。完全に行き詰まっているのです」/「人々は毎日を無為に過ごしている。その結果、ジェンダーに基づく暴力が増加しています。キャンプ内の治安は非常に問題で、武装ギャングがミャンマーとの国境を越えて麻薬密売を支配しているため、夕方にはギャング同士の銃撃戦に発展しています」/「家族の絶望的な状況は過小評価されるべきではない。この危険は、コンクリート構造物の建築を禁止し、竹や防水シートのシェルターに避難させるという規則によってさらに悪化している」/「就労を認めることでロヒンギャが国内に長期滞在するようになり、公共サービスに負担がかかり、他の人々の就労機会が減るというバングラデシュ政府の懸念は見当違いだ」/「もし彼らが働くことができれば、税金を納めることができ、他の人たちのために雇用機会を創出できるような小さなビジネスを始めることができるし、人々には生計を立てる権利があるのだ」と付け加えた。
 ウクライナ戦争などに国際社会の目が向けられる結果、ロヒンギャ難民への支援活動や資金援助は年々減っているという。世界食糧計画(WFP)は最近、資金不足のため、ロヒンギャ難民の食費を一人当たり月わずか8ドル(6.50ポンド)に削減せざるを得なくなったと発表した。

バングラデシュのコックスバザールで、2017年に軍の弾圧から逃れるために隣国ミャンマーから逃れてから5周年を記念してクトゥパロン難民キャンプに集まるロヒンギャ難民たち(2022年8月25日撮影)。REUTERS/Rafiqur

 「ここ数ヶ月の食料価格の高騰と合わせると、難民のカロリー摂取量と栄養の質は、年初に比べて著しく低下することになる。子どもたちの低栄養と栄養不良の割合は著しく増加し、発育阻害は続くでしょう」と、同じシュッター氏は述べている。

 ミャンマーのクーデタによって故郷への帰還への期待感は薄れ、収容所生活も行き詰っているので、ますます絶望の淵に追いやられている。国際社会が早急に手を打たなければ、「10年後には、この人たちが新しいパレスチナ人になってしまうだろう」と、シャッター氏は警鐘を乱打するのである。

 

<ラカイン州の帰還村への視察>
 最近の動きで注目されたことのひとつは、コックスバザールの難民キャンプから本国への帰還に向けての関係機関・諸政府―国連、ミャンマー、バングラデッシュ、日本、中国など―の試みである。2018年、すでにスーチー政府とバングラデッシュ政府との間で、「ロヒンギャ送還に関する協定」が結ばれていた。にもかかわらず帰還事業がまったく進捗していないのは、ひとえにミャンマー政府=国軍のせいである。要は帰還事業の大原則である「安全かつ自発的であること」という条件が、いぜん満たされていないので、ロヒンギャは再びの迫害を怖れて二の足を踏むのである。
 この5月、ミャンマー軍事政権がラカイン州に建設した帰還パイロット村への、20人のロヒンギャ・チームによる視察が行われた。さらに日本、インド、中国政府からの助成金により、ラカイン州のマウンドー郡区に建設された「難民の送還と再定住」のためのインフラも視察した。しかしその結果はというと、依然として帰還は拒否するというものであった。軍事政権が提示する条件は、一見すると破格のものである。各帰還家族には、住宅と3エーカー(3600坪)の作業用地、種子、農業機材が与えられると説明されたという。また、区画された地域に自分の家を建てたい家族はそうすることができ、その費用は政権が負担するとし、村の周囲に鉄条網は敷かれないとも言われたという。
 帰還希望者が最も問題にしている身分保障については、軍政当局者は帰還者には「特別な身分証明書」が与えられ、半年以内にマウンド―郡区の外へ旅行ができるようにすると述べたという。しかしロヒンギャ自身が帰還の条件としているのは、「安全かつ自発的であること」のほか、完全な国籍=市民権の付与と以前居住していた土地への帰還である。ロヒンギャ族迫害の根源には、ミャンマーの国籍法でロヒンギャが市民権を与えられず、バングラデッシュからの不法移住者扱いされていることがある。これが解決されなければ、いつまた差別と迫害が生じるかもしれない。また帰還先が元の居住地でなければならないのは、生活再建のためにはコミュニュティの復興と勝手知ったる土地が不可欠だからである。
 イラワジ紙によれば、ロヒンギャの人権活動家であるアウン・チョウ・モー氏(国民統一政府人権省顧問)は、「ロヒンギャ難民がラカイン州で見るべきものは何もない。状況はジェノサイドのピークだった2017年に彼らが逃れたものと同じだからだ。場所によっては、彼らが去ったときよりも状況が悪化している。つまり、国際司法裁判所での審理を前にした、一種の偽装工作なのです」と、述べたという。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も、本年3月、次のように述べたという。「ラカイン州の状況は現在、ロヒンギャ難民の持続可能な帰還に適していない」とし、いかなる難民も帰還を強制されるべきではないとしたのである。
 結局、帰還問題も含めロヒンギャ危機の本質的解決は、ロヒンギャに国籍=市民権を付与して、他民族と同等の諸権利を授与し、人間らしい待遇を認めること以外にはない。それを実現する最大の障害が軍事政権にある以上、この政権を打倒し、連邦民主主義の政府を樹立することがベストなのである。

<ミャンマー政治の宿痾=民族・宗教差別克服への第一歩>
 「ミャンマー文民政府NUG、ロヒンギャ活動家アウンチョーモー氏を人権副大臣に任命」と、イラワジ紙7/1の紙面。この報道は、国際社会からは福音と受けとめられた。ミャンマーの国内事情を多少なりと

  

NUG人権副大臣に任命されたアウンチョーモー氏     イラワジ主筆 アウンゾー氏
も知る外国人の我々(民主化運動支持者)にとって、喜びすぎてはならないが、感慨無量の記事である。ロヒンギャの著名な人権活動家が、影の政府NUGの要職に就いたのである。理由はどうであれ、2016年の総選挙ではスーチーNLD執行部は、ロヒンギャどころか、イスラム教徒の党員一人も立候補させなかった。敗北主義である―敵と闘おうとせず、味方を説得しようともしなかった。そして翌年のロヒンギャ迫害に対しても、彼らの人権を擁護する姿勢を見せなかったアウンサンスーチー。それから2021年2月の軍クーデタを挟んでのこの6年間、この国の政治・宗教をとりまくイデオロギー状況は激変した。国民統一政府NUGの国際協力担当大臣であるドクター・ササは、この任命に「計り知れない喜び」を感じていると語った。民衆のうちなる差別と分断こそ、軍事政権の長期支配を許してきたものであることに、あのクーデタの暴虐な有様から多くの人は学び取ったのである。
 軍部は国の護り手でもなければ、国民の護り手でもなければ、宗教の護り手でもない、おのれの特権的利益にしがみつく残忍な抑圧者集団でしかないことを、国民のだれもが自分の目でみて改悟したのだ。ドクター・ササは、「人種、宗教、文化、性別、言語、背景、民族がどうであれそれらに関係なく、ミャンマーのすべての人々のために、自由、連邦民主主義、そして明るい未来のために、われわれは共に努力する」と力強く語った。
 このような折、地元反体制メディア「イラワジ」の創立者にして現主筆アウンゾー氏は、スーチー氏の国軍との和解路線を振り返って、次のように激しく批判した(7/14)。
 「しかし、スーチー氏はもはやミャンマーの反対運動の中心人物ではない。彼女は常にミャンマーのエリート組織の一員であり、いったん権力を握ると、政権を擁護することでその地位を維持しようと妥協し、多くのミャンマー国民や国際社会を当惑させ、批判を浴びた。顕著なケースは、2017年にロヒンギャの住民に対して行われた残虐行為を非難することを彼女が拒否したことだ。・・・今回の断層は78歳のスーチー自身である。彼女は政権を擁護することも、犯罪者と和解することも難しいだろうが、運動内部では、スーチー氏は彼女のリーダーシップに疑問を抱く反対派に直面している・・・2021年2月にミャンマーで起きたことは、正真正銘の悲劇だった。スーチー政権と彼女の政党である国民民主連盟(NLD)は不意を突かれ、それを防ぐことも対抗することもできなかった。悲しいことに、この結果は彼女自身が招いたものでもある。彼女と彼女の党は、内外の多くの人々を失望させた。将来の民主的指導者たち、つまり今日の抵抗運動をリードする世代が、彼女の言うことに耳を傾けるかどうかは疑わしい」
 この著名な88世代の生き残りのスーチー評は、やや厳しすぎるように感じる。2017年9,10月を想い出してみるがいい。あのときイラワジの共同創立者でアウンゾー氏の実兄であるチョーゾワモー氏は、反ロヒンギャ、国軍擁護の旗を振っていたではないか。私はロヒンギャ排斥を擁護するイラワジの論調に驚きと深い失望を味わったのをいまでも憶えている。※ おそらく編集部内部で激しい論争があったのであろう、11月になって本来のリベラルな立ち位置にイラワジは復帰し、それ以後チョーゾワモー氏

※ロヒンギャ・イスラム問題では、日頃温厚な仏教徒ミャンマー人たちが狂気を帯びた形相に一変する経験を何度かした。ヤンゴンでは、私の住宅の周りで夜中に仏教徒たちがムスリム部落を襲撃して、軍隊が出動した。当然死者は出たであろう。帰国してから、ミャンマー人の難民を援助する組織内で、ロヒンギャ問題を取り上げたNHKに抗議する署名運動を行なうというので、我々日本人とミャンマー人の間で一触即発の論争になったこともあった。

の声は二度と聞くことはなかった。ともかくもロヒンギャ排斥・国軍をかばうスーチー政権への支持は、圧倒的なビルマ族世論だったのだ。王朝時代の偏狭な地域ナショナリズム、英国植民地時代の分割統治、軍部独裁政権の抑圧政治――こうした歴史を通じた、仏教セクショナリズムとムスリム排斥感情の、学校教育・社会教育における系統的組織的な教化の爪痕はそれほど大きかったのだ。
 だが、クーデタで国民は多くを学んだ。ビルマ族が多数を占め、敬虔な仏教徒であり熱烈なスーチー支持で知られたあのザガイン管区が、スーチー氏の非暴力抵抗運動とは真逆の、農民武装抵抗闘争のメッカになったことが象徴的であった。勝負のカギを握るのは、民族、宗教、地域等による差別と分断に打ち勝ち、多様性の相互承認にもとづく統一と連帯を確立できるか否かなのだ。そういう意味では、過去の過ちに対しては相互に寛容である必要もあるだろう。
 これは私見にすぎないが、スーチー氏が武装闘争に一定の理解を示すという条件のもとであるが、彼女はその役割はまだ終えていないのではないか。最低開発国の近代国家建設をめざす運動に民主化運動という価値づけ、方向付けを与えたのは彼女の功績である。人権、民主主義、市民社会といった西欧的諸価値―内実がどこまで備わっているのか問題はあるにせよ―に違和感を抱くのは、軍部や過激な仏教徒などの少数派にすぎない。またモザイク的な様相を呈する多民族、多宗教、多地域の統合統一をシンボライズする役割を担えるのは、今のところ彼女をおいてほかにはいなさそうである。ただし実際の政治指導を行う次世代、次々世代の政治家が、現下の国民的な抵抗運動のなかで育っていなければならないであろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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