ミャンマー、第三党結成の意義と困難について考える

<つのる政治的停滞感、混迷する政治情勢>

2016年4月、国内外の大きな輿望を担って、スーチー氏とNLDは新政権を発足させた。五十年にも及ぶ軍部独裁支配を終わらせるために、ただちに新政府は新しい民主化プロセスを開始し開かれた社会への歩みが始まるだろうとみられていた。もちろん大きな困難は予想されていた。2008年軍事政権によってつくられた憲法は、安全保障と武力行使に関わる国防相、国境省、そして警察行政と地方行政全般を管轄する内務省という三省を国軍の支配に委ね、また中央から地方へ至るすべての議会は、その四分の一議席は国軍最高司令官の指名によるとしていた。出発した時点で、スーチー政権は文民統制権を有しない片肺飛行を余儀なくされていたのである。さらに社会主義の失政で最貧国レベルにまで転落したのに続き、その後市場経済へ移行するも国際社会からの厳しい経済制裁のために国内経済は疲弊しきっていた。しかも産軍ブロック〔国軍+政商〕がエネルギー・資源部門を押さえて希少な外貨獲得をコントロールし、収益の見込まれる産業部門を独占支配していた。それだけに国民の直接選挙によって成立したスーチー政権の誕生は、いやがうえにも国民の期待感を高めたのである。

しかし政権発足から一年もしないうちに、政治の停滞感と閉塞感からくるフラストレーションがミャンマー国内を包み始めた。経済界からはNLD政府の経済ビジョンが曖昧で、経済開放のための法制度整備も遅れがちで外資の導入がスムーズに進まないという不満が鬱積しつつあった。また特に市民社会組織civil society organisations (CSOs)に依拠して活動を活発化させている都市中間層や知識層からは、スーチー政権が民主化遂行のため本来依拠すべき自分たちの活動を厄介者扱いしているとして反発を強めた。実際、市民社会における自由度を測るバロメータ-ともいえるが言論の自由が、政府や国軍を批判する内容のSNSの取り締まり強化にみられるように徐々に悪化してきていた。また一般的な治安状況の悪化、殺人やレイプなどの凶悪犯罪の増加がみられ、「法の支配」を一枚看板とするスーチー政権の下で、実は「法の支配」が後退しているのではないかという懸念が強まってきた。そしてこの懸念を決定的なものにしたのが、スーチーの右腕だったムスリム顧問弁護士コーニー氏が白昼衆人環視のなかで空港で射殺されたことと、ロヒンギャ約70万人が治安部隊の掃討作戦によって、隣国バングラデッシュへ難民となって逃れ人道危機を引き起こしたことであった。

コーニー氏はNLD内で憲法改正に最も熱心でありかつ有能な法律家であっただけに、暗殺の黒幕は国軍ではないかという疑念が当初よりあった。またロヒンギャ危機については国軍が虐殺や迫害を行なったことは、国際援助機関やNGOによる被害者への聴き取りや状況証拠からまちがいないことであった。しかしいずれの事件についてもスーチー氏は黙して語らず、あろうことかコーニー氏については葬儀にも参列しなかった。※要するに、最高権力者の地位に就いてからこの方暴力や差別、迫害に対しては毅然たる姿勢で臨まず、「恐怖からの自由」という人権思想を掲げてノーベル平和賞を受賞した面影はどこにも見当たらないため、ノーベル賞委員会へは世界中から賞剥奪の要請が殺到するようなことになったのである。

※それもこれも国軍を刺激したくなかったからである。社会正義や道理よりも国軍との融和協調を優先するスーチー氏の姿勢は頑なである。コーニー弁護士殺害犯のチウインを擁護した過激派僧侶ヴィラトウをSNSで批判したのは国教侮辱罪に当たるとして、新聞編集者が逮捕・起訴されても知らぬ顔なのだ。ヘイトスピーチの蔓延、白昼公然と行なわれる過激派仏教徒による殺すぞという脅迫の横行など、人権状況の悪化に対しNLD周辺から反撃の動きは全くない。天を仰ぎたくなるようなスーチー氏の変節ぶりである。

 

昨年4月、政権二年目を迎えるにあたって、2016年4月の政権発足時に掲げられた「変革のとき」という看板が下ろされ、「国民とともに」というあいまいなスローガンに変えられた。これはNLD政権が変革の意欲と展望を喪失したことの象徴的表現であった。この場合「国民」とはNLD政権を誕生させた変革を希求する圧倒的多数の国民ではなく、国軍・政商・高級中級官僚などの既成勢力であることは明白だった。一年そこいらでの政治姿勢の激変は、国内における民主主義的基盤の弱さ、スーチー氏自身の思想的弱さを露呈するものであったが、ここでは深入りしない。

 

<新党「フォーエイト党(4・8党)」の結成>
こうした状況をうけて、この同じ年の4月に88世代を代表するコーコージーは、NLDでもなくUSDP(退役軍人や政商の党)でもない第三党の必要性を訴え、2018年の早い時期に新党を発足させることを約束した。ようやく2017年12月、「88世代・平和と開放社会委員会」の指導メンバーによって「フォーエイト党(4・8党)」が設立され、連邦選管からも正式な政党として認知された。党名は1988年8月8日の国民的総決起に由来するもので、そのとき掲げられた民主主義の松明の灯を継承するという意味がこめられている。また党の主たる目標は民主的連邦政府を樹立することであり、政策は「3つのD・3つのサイクルThree D Three Cycle」というビジョンに基づくとされている。3つのDとは民主主義democracy・開発development・人口動態demographyを表し、それらの調和を築くことができれば、民主主義はより確固として生きたものになるとしている。人口動態(人口統計学)とあるのは、若年層の多いミャンマーでは人口構成がピラミッド型をなしており、経済成長のための伸び代が大きいものの、やがて急速に高齢化が進み、成長の鈍化と共に社会福祉や社会サービスの負担増で国が行きづまる可能性も出てくるとする予測に、政治が早くから対応するということではないかと思われる。※
※2015年9月に行なわれた国勢調査で、ミャンマーの人口が事前予想から1000万人下方修正の5200万人しかなかったことは国内外に静かな衝撃をもたらした。軍部独裁政権による苛酷な統治は、発展途上国の強みであるはずの急激な人口増をもたらさなかったのだ。最貧国のバングラデッシュが、この50年間で7000万人から1億6千万人に増加したことと比較すれば、ミャンマーが経済成長の潜在力においてどれほどのハンディキャップを背負っているか分かろうというものである。

 

コーコージー氏らの過去の発言を参考にしながら、新党結成に到った政治事情を推察してみよう。ただ88世代グループが、スーチー氏やNLD政府に対してまとまった批判や論評を試みたものはないようである。民主化勢力の分裂の印象を避けたいという政治的配慮が働いているのであろうが、権威者への批判をためらう88世代グループの弱さととれなくもない。民主化勢力内においても、抑制された内部批判の在り様を追求する知的勇気が必要なのである。とくにスーチー政権が国軍と癒着し、ますます抑圧的傾向を強めるなか、国民の要望を担って異論を提出する野党の存在はきわめて重要であろう。※とりあえず各所に散見されるNLDへの不満や批判的言辞を拾い集めてみよう。

※旧日本軍に叛旗を翻し独立運動の母体となり、つづいて戦後政治の枠組みとなった統一戦線組織「反ファシスト人民自由連盟」は、アウンサン将軍の精神である寛容、自由、諸民族の対等平等、国民的統一を体現したものだったが、この「反ファシスト人民自由連盟」が何ゆえに崩壊し、ネウイン独裁の登場を許したのかという戦後政治史の最大の問題点にメスを入れ、そこから政治的教訓を引き出す作業は、管見のかぎりではほとんど行われていない。

 

1.NLDは近代政党の要件である綱領や政見・政策の一致をもって必ずしも運営されているのではない。

――筆者の私見を付け加えれば、ミャンマーのような前近代的な風土では、閨閥、郷党や派閥など私的人脈による私党的結束の傾向を脱するのはなかなか困難である。人々はスーチー氏を「メーメースー(マザースー)」と親愛と信頼の情をこめて呼ぶが、他方そこには前近代的な家父長的庇護―被庇護関係paternalismをうかがわせるものがある。

当たり前と言えば当たり前なのだが、ミャンマーでは公共(public)が存在する余地は極めて小さい。国軍と言いながら、軍隊はいまなお権力者の私兵的性格を脱し切れていない。国軍の残忍性や貪欲さは、旧日本軍仕込みの要素もあるが、この私兵的性格からきている。国民によって選ばれた文民政府によるシビリアン・コントロールをうけてはじめて国民の軍隊となることができるのである。

2.近代化・民主化の全体的な政治戦略を描き得ないNLD政府への失望。しかしNLD以外の他の民主化勢力もこれについては弱点を分け合っている。

3.NLDに民主化勢力内での横の連携、連帯を図ろうとする意欲がまったくないこと。特に内戦の当事者である少数民族組織との間には直接対話も協力関係もない。国軍に寄り過ぎて、問題解決を不可能にしているのではないかという疑問。また少数者や社会的弱者に対する配慮、施策にも欠けている。

――スーチー氏の内心を忖度すれば、まず大きな政治課題から片づけるのが先で、少数者や地方的諸問題は大きいものが解決すればおのずと解決できるとする観念があるようである。したがって(スーチー氏が小さいとみなす)ロヒンギャ問題が国際的な波紋を広げていることに、不当だという思いといら立ちがある。

4.民主化勢力の政治的活性化のためには、言論の自由を拡大し、国民の政治参加を促すべきなのに、それとは真逆の密室政治を行なっている。

5.権威主義的独善的な政権運営・党運営で、かつ政治的判断や決定過程が不透明で、説明責任がほとんど果たされていない。スーチー氏が国民に直接語りかける場面は、ほとんど皆無と言っていい。

6.議会でNLDは絶対多数派でありながら、三権分立のチェック役を果たしていない。議会が執行権力のたんなる追認機関に堕してしまっている。

――筆者が補足すれば、議会の役割はいろいろある。ロヒンギャ問題などで現地調査を独自に組織するとか、あるいは戦略的な構造改革に向けて、たとえば議会内で税制調査委員会、土地改革委員会や行政改革委員会などを立ち上げて議論し、そこでまとめられたものを法制化するとかである。またその議論の過程をマスメディアが伝えることによって、議員、国民とも啓発されて問題関心が高まり、それが中央政治にフィードバックされて統治の質が上がるという好循環が期待できるはずである。

7.内外の英知を結集して問題解決にあたるのではなく、たびたび紛争の当事者、利害関係者の意向を無視するなどスーチー氏の独断専行が目立つ。

――これまた筆者が補足すれば、以前USDPのシュエマン氏は大統領をめざしていた時には、自分の周りに専門家集団、いわゆるブレーン・トラストをつくり、民政移行の政策を検討させていた。スーチー氏も同様に政権トップとしてその気になれば、内外の専門家を集められるはずである。上手に人を使い、チームプレイで問題解決に臨む習慣が身についていないと言わざるをえない。

 

<4・8党に不足するもの>

今指摘したNLD政府による統治の現状を考えるとき、やや遅きに失した感はあるが、コーコージーら88世代やNLD外の民主化勢力が、新政党を結成し第三極の形成に乗り出したことは歓迎すべきことであろう。単純小選挙区制の魔術により実力以上の圧倒的勝利を収めたため、総選挙直後からNLDの勝たせ過ぎによる弊害は指摘されていた。政権党の傲慢を戒め、国民に多様な選択肢を提示して多事争論の気風を培うことは、スーチー政治に行き詰まり感があるだけに焦眉の急である。憲法改正という大目標については民主化勢力が大同団結しつつも、政党間で政策や党勢面で競い合うことはミャンマー政治のレベルアップにつながり、なにより政治的緊張によって不正腐敗防止にも貢献するであろう。

しかし88世代の政治姿勢に問題がないわけではない。宗教文化が圧倒的に優勢な権威主義的な精神風土を考えた場合、組織の民主的な運営や言論の活発化は、口で言うほど簡単ではない。とりあえずコーコージーらの新党結成に当たり問題になるであろうことを列挙してみよう。

1.全国政治に責任を負う国民政党たることをめざすとしている。が、彼ら自身が全体的な改革や国づくりの展望をもち得ていないうらみがある。したがってNLDとUSDPに対する第三党と言っても、当初はニッチ(隙間)政党としての立ち位置を占めるに過ぎない可能性が強い。

また国民政党となれば、全国の地方・地区にローカルな組織を有するピラミッド型の政党組織が理想だが、機能的な組織形成はミャンマー人の苦手とするところである。総選挙まで2年余、おそらく重点地区を決めて地方組織の建設に着手するのであろう。

その場合、要求実現の運動を提起しながら、党勢拡大に努めるべきであろう。全国的な大衆運動センターを強化し、そのなかで能力のある活動家を育てていくべきであろう。農村であれ、都市であれ大衆運動の種になるような課題は山積している。現時点で運動モデルや組織化モデルを小さい規模でいいから創りだすことが重要である。

 

2.政治スタイルを変えること。スーチー氏らNLDの老幹部に共通するのは、地方視察にもいかない、現場に関心を持たない、直に住民と接触しないという官僚主義的スタイルが濃厚であることである。軍人的=官僚的手法を変えられるかどうかは、88世代党が率先して、「ヴィ・ナロード」(人民の中へ)を実践できるかどうかにかかっている。

 

3.政治資金の調達をどうするのか。外国からの資金援助や企業献金を認めるのかどうか。スーチー氏がコーコージーらをNLD候補にしなかったのは、西側の資金が彼らに流れているからだという噂もあった。ミャンマーの地政学的な位置と国際関係から、西側からも中国からも政治資金を引き出すのは容易であろうが、それをやったらおしまいである。政党の自主独立の態度の基礎は、財政的な自立である。

国民政党であれば、最も望ましい形態は党員が拠出する党費や独自の事業収入が財政の基礎となることである。日本の自由民権運動の例を見ても、政党幹部が裏金で堕落させられ、組織の理念や政策を裏切る例にこと欠かない。この国ではスーチー氏も含め、資金問題にルーズであることに一種の政治風土のこわさを感じる。

 

4.仏教的排外主義の克服は、国民政党としての使命である。コーコージーらは強い仏教中心主義、排外主義思想をもっており、これがこのグループの最大の弱点になっている。仏教原理主義派とは思想的にも組織的にもつながりを断たなければならない。近代国家は、人種、宗教、民族、イデオロギーの相異を乗り越え、価値中立的性格のものである。政教分離という近代的国家の要件を満たすべく意識的な努力が必要である。

 

5.スーチー政府の最大の弱点は、文民統制の回復にいたる民主化戦略と近代化戦略

をもち得ていないこと。憲法改正とは単なる条文の書き換えではない。戦後日本での新憲法の制定は、それを支える政治・経済・社会にわたる総変革と併行していた。旧軍隊の解体から始まるGHQの五大指令―婦人解放、労組結成奨励、学校教育の自由主義化、秘密警察・民衆弾圧機構解体、経済機構の民主化および農地改革があったのである。もちろん日本でも当初は民主化勢力は弱体であったので、GHQの圧倒的な武力によって実現するしかなかった。ただいま覚悟すべきは、憲法改正とはそうした壮大な構造改革事業の集大成なのだということである。

 

7.独自の経済政策ビジョンを英知を結集して策定することは極めて重要である。NLDは野党時代は経済の民主化(格差解消)や農業政策の重要性を訴えていたが、現在は外資導入の条件整備に血眼である。NLD政府は、工業化・都市化の中心的課題は、国際金融機関、国際援助機関、外国資本にほぼ全面依存して自前の計画は放棄した感がある。多国籍資本の製造業におけるサプライチェーンへの組み込まれに活路を見出そうというのであろうが、こうした外部依存の近代化では、内陸農村部や中山間部、辺境地帯には目が届かず、沿岸部工業地帯との所得格差が拡大し、やがて経済成長の足枷になる恐れがある。国際経済情勢の変化によっては、資本の引き上げという事態もありえる。例えば、ミャンマーが輸出産業の武器である低賃金労働によるコスト優位性を保持できる期間は限られているのではないか。今回の4800チャットの最賃制の導入だけで、すでに海外移転を考える縫製業者が出てきている。またAIの導入は低賃金労働を不要にし、多国籍資本の本国への帰還という流れが強まるかもしれない。また欧米各国が金融緩和から正常化に向かえば、新興国、発展途上国からの投資資金の引き揚げという流れも生じうる。他力依存の経済は外的な危険に対する備えが脆弱なので、新自由主義モデルの限界を見極めておくべきであろう。いずれにせよ、輸出産業のみに偏らず、沿岸部工業地帯と内陸部産業との市場的な応答関係を打ち立て経済的ファンダメンタルズを強化することは、国づくりの必要条件なのである。

88世代党については、「公共の利益」・「社会的公正」・「社会的正義」の観点から多国資本や政商資本の行き過ぎに歯止めをかけ、市場の失敗を抑制するところに大きな役割があると考える。

 

8.近代化が進むにつれ人権問題は多岐にわたる諸問題に発展する。88世代党は、労働問題、環境問題、児童労働廃止=全員就学、婦人問題・母性保護、都市問題(住宅、公衆衛生・医療、過密、貧困、失業、スラム、凶悪犯罪・性犯罪、交通渋滞等)などに取り組むべきであろう。慈善への強い志向性をもつこの国の青年層に社会的意識を植え付け、コミュニティ強化の一環としてセツルメント運動を提起する方法もあるのではないか。

 

9.ミャンマーの宗教文化特性から来るものであろうが、多くの活動家が全国的な慈善活動ネットワークの形成に熱心に取り組んでいる。しかし慈善活動がたんなる施しに終わらないようにする点で注意が必要である。民主化運動と連携した受動的意識の克服、自立自助への意欲と結びつかなければ、また貧困の構造的な要因の改革と切り結ばなければ、慈善行為は支配―従属関係の再生産に終わってしまう危険性がある。

――ミャンマー人と付き合って最初に気付くのは、彼らのドネーション(寄付)、つまりチャリティ(慈善)への強い志向性である。僧院・僧侶への喜捨・布施が原型になって、一般社会においても功徳を積む行為としてドネーションが奨励される。ただそれが完全に無私なる行為かというと、そうでもないようである。おそらく善なる行為をすれば、善なる結果に恵まれる―因果応報―のだから、寄付をして功徳を積むことによって輪廻転生のランクを引き上げるという仏教教義に沿ったモチベーションが働いているのではないか。しかも寄付行為にはランク付けがあり、最高の功徳は何千万以下ということはないパヤー(パゴダ、仏塔)の寄付とされている。したがって金持ちほど、キリスト教的に言えば、天国に近いということになる。古来ミャンマー人たちが、キリスト教やイスラム教から見れば、偶像崇拝にしか見えない仏塔の建立に一生かけていそしむのはなぜかというその秘密、その内面的な動機を教義から推察することができるのだ。イエスは金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しいとしたが、パウロはその意を汲んで、人が救われるのは行為によってではなく、信仰心が本物かどうかによるとした。そういう意味では人前で見せびらかしでやる寄付行為など、傲慢さと背中合わせのお布施誇りであり、本来はやってはならないことなのである。そういう意味で仏教の功徳教義には、どこか現世利益主義に容易に堕しやすい側面がある。だからG・オーウェルは「ビルマの日々」のなかで、この教義を揶揄するプロットをはめ込んだ。主人公を破滅へと陥れるウ・ポーチンという悪徳判事は、最後は仏塔を寄付するから罪は帳消しになると考えて、散々悪徳の限りを尽くす。ところがオーウェルは、この男を仏塔を寄付しないうちに脳溢血で死なせることによって、転生のランクが上がることを妨げてみせたのだー蛇やネズミに生まれ変わる!!キリスト教的な自発的内面的な信仰を理想とする立場からすれば、仏教の道徳性はどこか外面的な行為や価値基準に引きずられているように映じるのである。これは、R・ベネディクトが日本人の道徳性を「恥の文化」に由来するとし、他者の思惑や体面を重視する外面的な動機づけが優位にあると断じたことと附合するところである。

それはともかく、ミャンマーにおける民主化運動の課題は、ドネーション文化に基づく慈善行為と政府などの公的機関に社会サービスや社会福祉を充実を迫る闘いとの連携を図ることであろう。貧しいから困っているからといって、必要なものをただ与えるだけの行為は、その善意は疑わないにしても。必ずしも善なる結果をもたらすとは限らない。寄付行為の最終目的は、寄付そのものが不要となる状況を創りだすことである。そのためには必ず被寄付者の自立自助を促進するのでなければならない。そうした契機を含まない寄付行為は、被寄付者をしていつまでも従属的地位に固定化し、受動的意識と依存心の虜にしてしまうおそれがある。しかも私的な寄付行為においては誰がドネーションの裨益者となるかは、寄付者の恣意に委ねられている、その意味で運命の鍵が自分でなく相手に握られてしまっているのである。自分が自分の運命の主人公になることが民主主義の最終目的であるとする観点から、寄付行為の位置づけやあり方を再考すべきだであろう。

貧困については、政府や公的機関の責任が大きいのであり、所得の再分配に資する税制を確立したり社会福祉の充実をしたりする政治活動が重要なのである。世界で最もドネーションに熱心なのは、アメリカとミャンマーだと言われている。その貧富の差を度外視すれば、両国に共通しているのは社会福祉制度の貧しさである。アメリカは自立自助のプロテスタント文化、ミャンマーは喜捨の仏教文化とその背景は違うが、両極端は相通じる面がある。いずれにせよ、ミャンマーにおける社会政策の充実は、貧富の格差を解消し、全体的なマンパウワーを強化することによって経済発展を促進する上で極めて重要なことなのである。

以上縷々述べてきたが、実はそれらの問題、課題を凌駕する核心的な戦略的問題は、国軍との関係をどうするかである。スーチー政権は国づくりには「平和と安定」が不可決として、国軍との提携を優先する道を選んだ。その結果、今後の国づくりの基本が準開発独裁型国家であり、新自由主義的な経済自由化路線であることが必然となった。それにともない国づくりの主体が、国民ではなく、産軍ブロック、すなわち国軍と政商プラス外国資本となることも不可避となった。スーチー氏は、自分がいま裏切り者と呼ばれようとも、結果として経済成長を達成し、国民生活の向上を実現すれば、そのとき自分の正当性は立証されると考えているのであろう。シンガポールやタイなどアセアン諸国の成功物語が脳裡に刻まれているのであろう。コーコージーらの新党が、こうしたNLD政府に対してもう一つの選択肢を国民に提起できるかどうか、総選挙までの残された2年余、新党成功の鍵はそこにあるであろう。

2018年2月20日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion7381:180220〕