―「日刊べリタ」に連載中の現地ルポルタージュを、編集部の許可を得て転載する。今回は1990年代から2000年代にミャンマーを支配した軍事政権(SPDC)内の事情を扱っているので、やや理解しにくいかもしれない。SPDCを牛耳る独裁者は「タンシュエ」といい、郵便局員をしたあと軍の士官学校に入り、ソ連に留学して心理作戦分野を学んだと言われている。このタンシュエに2004年に追い落とされたのは、軍情報機関・秘密警察のトップ「キンニュン」である。軍事政権の暴力装置は、国軍本体と内務省・警察機構から構成されていて、両者は利権をめぐって暗闘していた。2004年のクーデタで、タンシュエは両者を自分の下に一元化して、文字通り独裁者となった。キンニュンは軍事政権内では改革派と目され、アウンサンスーチーへの宥和策をとっているとされた。日本大使館の情報収集はこのキンニュン筋であったので、キンニュン失脚で情報源は断たれたと推察される。
軍高官、軍政支持者からもミンアウンフライン辞職要求の声 ミャンマー最前線からのレポート(4) DM生
国軍トップの独裁者ミンアウンフラインの辞職を求める声が軍高官、軍政支持者のなかから公然とあがってきた。この勢いは止まりそうにない。クーデターから三年を前に遂に国軍の亀裂が表面化してきた。圧政と恐怖政治でも抑えられなくなってきたこの勢いは、今後増していくことはあっても衰えないのではないか。
▽国軍支援の高僧が「リーダーの資格なし」
まず1月16日、極端な民族主義で国軍支援を続けてきた僧侶が数百名の聴衆を前に声をあげた。「ミンアウンフラインはリーダーの資格がない。退陣してソーウイン(軍序列2位)がその座につくべきだ」。その僧侶は国粋主義仏教徒組織のリーダーであり、その集会場所はマンダレー管区、国軍士官学校があるピンウールインである。聴衆は歓呼で応えたという。(英国BBC英国放送など)
この国粋主義仏教徒組織は、2007-28年の民主主義闘争の高揚が「サフラン革命」とも呼ばれるように僧侶の決起が大きな影響を与えたことを「教訓」として、国軍やクローニー資本家らが援助して作り上げた軍部支援団体である。ロヒンギャ弾圧にいち早く共鳴し、一部武装し反軍運動の市民を攻撃してきた。軍政からみても「やりすぎ」と映り、指導者が拘束、逮捕されたりもした。が、保釈されるやいなミンアウンフラインから援助を受けるといったこともあり、最も熱烈なミンアウンフライン支持団体とみられていた。
この変化の裏に前独裁者タンシュエの影響を指摘する声もあがっている。それを意識してだろうか、当のミンアウンフラインはこう言いだしている。
「権力にいつまでも執着する積りはない。早く選挙をやり、そこで多数をとった政党に権限移譲する」
言うまでもなくこれは、自身の免罪をはかり軍政継続させる狙いである。だがもはやこの人物がいて全権を握っていては国軍も国もダメになるとの声が、国軍指導部のなかで絶対多数になりつつあることも明確に示している。
2003年10月27日以降の北部シャン州での敗北で「停戦協定」に賛成した6人の将校(准将)は首都ネピドーに送還され、軍事法廷で「死刑」「終身刑」が言い渡された。現在ではこの戦闘にとどまらずいつどこの戦闘でも、国軍は敗退、兵器武器をほとんど残して白旗をあげている。総司令官の責任は一切とらず次々と作戦指揮官をクビにしていくやり方は誰の目にも不当で異常に映っている。空軍の将軍は匿名を条件に地元紙に、「ミンアウンフラインは史上最悪の指導者」「国の恥」とまで言ってのけたという。
▽「彼が居座れば国軍がもたない」
ミンアウンフラインには「恩人」で前の独裁者だったタンシュエのような「人事の妙」は発揮できない。「軍事作戦の失敗」「任務不履行」「汚職」等などの理由で部下のクビ、拘束逮捕、投獄を繰り返してきた。有能といわれ「後継候補」とされた序列ナンバー3の参謀長はじめ空軍司令官、海軍司令官、マグウエイ軍管区司令官、ザカイン軍管区司令官などがその例である。
軍人の力は配下にどれだけ実働部隊、兵力をもっているかが決定的だ。だからそのラインからはずされた幹部から外部に不満や不信をしゃべることはあり得る。この四半世紀近く軍の内部事情をそれなりに見てきた筆者からすれば、国軍は一度たりとも一枚岩になったことはないといえる。
軍情報部を完全に掌握し、首相 (2003.8 ─ 2004.10)にもなったキンニュンと軍指揮系統を握ったタンシュエとの対立が抜き差しならぬ事態になったことを知ったのは、「軍の最高幹部会議を開くときには拳銃は不携行との申し合わせが決まった」と聞いたときだ。その後まもなく2004年10月にキンニュンはタンシュエの命令で逮捕され全権を失った。
それ以降もタンシュエ独裁が続いたが、常に批判勢力は存在した。軍人のなかには軍アカデミーを優秀な成績で終えバランス感覚もあり、国軍トップの独裁を憂える幹部も少なからずいた。それが2016年にミンアウンフラインが軍トップについてからはみな押し黙った。独裁の恐怖統制が始まったことを筆者は感じ取った。それでも時折内部情報はもたらされていた。だが、2021年1月の軍クーデターの後はぱったり内部情報が出なくなった。
軍人としての実績も誇るにたるものでなく、懐も浅いミンフラインはとても歴史ある国軍を統率できる人物にはみえないが何故他の幹部が口をつぐんでいるのだろうか。筆者は訝しく思ってきた。
やっと答えが見いだせた。全権を握った人物の器が小さすぎたのだ。だからがんじがらめに軍を縛ろうとして突っ走り破綻してしまう。そういうことなのだ。
いまミンアウンフラインは「名誉ある撤退」を狙いだした。いずれ軍からは退く。国民不在の軍のお手盛り選挙をやり、そして国会選出でしかるべき地位に就く。そういう筋書きを描き出しているらしい。これも軍中枢からでている観測である。このままミンアウンフラインが居座るなら国軍はもたない。それが軍高官らの共通認識をなってきたのだ。
ミャンマーの現状をみるにつけ筆者は1990年代後半の出来事を思い出す。かつての麻薬王ローシーハン(アジアワールド創業者)から直にきいた話のことだ。
1988年に高揚した民主闘争が大弾圧で「終息」し、万余の学生、市民らが少数民族の武装勢力支配地に逃げ込んだ時期のことだ。軍政のナンバー3のキンニュンが拘束中のローシーハンに会いに来て政治的取引を提案した。「これだけの反政府運動がひろがり、そこに少数民族武装勢力が合流したら軍政はもたない。あなたは依然としてその武装勢力に大きな影響力がある。国軍とその各勢力との『和平協定』をむすぶよう尽力してもらいたい。それがうまくいったらあなたを無罪放免し、ビジネス事業含めあらゆる点で自由にする」。こうして軍部は安泰、アジアワールドはミャンマーの大財閥となったのである。
平野部のビルマ族と主に山岳地帯の少数民族が反軍の旗印のもと共闘したら、国軍は勝てない。これがミャンマー軍部の「最大の危機管理」なのである。
(つづく)
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