(2023年2月3日)
2021年2月1日、ミャンマーで軍事クーデターが起きた。その前年の総選挙の「不正」を口実に、国軍がアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)政権幹部らを拘束、全権を奪った。
国軍の政治的影響力の回復や、ミン・アウン・フライン総司令官の個人的野心が背景にあったとされる。全土に大規模な抗議が広がると国軍は武力で制圧し、事態改善の兆しは見えないまま2年が経過した。
現地の人権団体「政治犯支援協会」は1日、クーデター後今年1月末までに市民2940人が国軍に殺害され、1万3763人が今も拘束されていると発表した。戦慄すべき事態である。多くの民主派の若者らは地下の武装闘争に入り、国境地帯での戦闘や都市部でのゲリラ攻撃などで抵抗していると報じられている。我が身のこととなったら、どうすればよいのだろうか。
クーデター2年目の2月1日、民主派はこの日、外出をせずに経済活動を止める「沈黙のストライキ」を呼び掛け、最大都市ヤンゴンでは、多くの人がその「消極的抵抗戦術」に参加して抗議の意思を表明したという。
ところが、ミャンマー国軍は、この日夜放送の国営テレビで、「2021年2月のクーデター時に発令した非常事態宣言を6カ月延長する」と発表した。ミン・アウン・フライン最高司令官が引き続き全権を掌握し、今年8月に実施すると約束されていた総選挙は先送りとなる。民主派の武装勢力の抵抗で治安が悪化したことが理由とされているという。
ミャンマーの憲法は、非常事態宣言の期間について、「最長で2年」と定めているという。だから、1月31日をもって期間満了となったのだが、国軍は憲法裁判所が今回の宣言延長を「合憲」と判断したとしている。おそらくは、今後も同様の理由で宣言延長を繰り返し、国軍による強権支配が長期化するだろうと報じられている。政権に独立性を持たない裁判所とは、独裁の横暴にお墨付きを与えるにすぎない存在となるのだ。
1日、国外に居住しているミャンマー人が、それぞれの居住地で、国軍の支配に抗議する集会を開いたことが報じられている。日本の各地でも集会があった。那覇でも、この日の夜、在沖縄ミャンマー人会が、那覇市ぶんかテンブス館前広場で訴えたという。
参加者らは「ミャンマーが平和になるまで力を貸してほしい」「日本政府は国軍とのつながりを断って、民主化への働きかけを強めてほしい」と切実に呼び掛けた。留学生や技能実習生など約60人が参加したという。
これに対して、通りがかった日本人から、「自分の国に帰って(デモを)やれ」などと、心ないやじを飛ばす場面があったという。集会参加者は、「現地でやりたいが、軍に抗議する市民は殴られ、撃たれる」と説明、「悲しくなったけれど、私たちもミャンマーのことを自分たちで解決しないといけないことは分かっている。日本の人々には日本政府に『国軍とのつながりをやめて』ということをお願いしたい」と訴えた。
なお、この日林外務大臣は談話を発表し「アウン・サン・スー・チー氏を含むすべての当事者の解放など、政治的進展に向けて前向きに取り組むことなく、非常事態宣言をさらに延長したことを深刻に懸念する」「わが国を含む国際社会のたび重なる呼びかけにもかかわらず、今なお暴力によって多くの死傷者が発生している状況を改めて強く非難する。ミャンマーの平和と安定を回復するため、すべての当事者に暴力の自制と平和的解決に向けた努力を求める」として、ミャンマーの人たちに対し積極的に人道支援を行っていく考えを示している。
ミャンマーの事態から、何を学ぶべきだろうか。まずは、軍隊というものの危険性である。軍隊は、必ずしも外国の軍隊と闘うとは限らない。国内の人民に銃を向ける危険を常に持っているのだ。この危険な軍事組織を、どのように民主なコントロール下に置くことができるか、常に配慮しなければならない。
そして、人権に関しての国際的な連帯や支援の必要である。ウクライナだけではなく、ミャンマーの人々にも、香港にもウィグルにも、支援の手が差し伸べられなければならない。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2023.2.3より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20754
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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