ミャンマーからのニュースは、このところ気が滅入るほど殺伐としたものが多いのだが、先週驚くような朗報が入ってきた。それは、ドイツで開かれていたオルデンブルク国際映画祭で、ミャンマー映画「狼に何が起こったか」の主演を演じた女優のイェンドラ・チョウズィンが最高映画賞を授与されたというものだった。この映画は、末期患者のための病院の患者である2人の女性が出会い、恋に落ちていく様子を描いたものだという(イラワジ紙)。しかもこの主演女優は、2・1クーデタに反対するCDM(市民不服従運動)に参加し民衆を扇動したかどで、4月10日以降、夫ともどもインセイン刑務所で囚われの身だったのだ。このところ無力をかこつ国際社会だが、1990年代に自宅軟禁に置かれていたアウンサンスーチーにノーベル平和賞を与えて国民運動を励ましたように、こんどはミャンマー人女優に国際的女優の名誉ある地位を与えたのだ。
2000年代の軍政下厳しい検閲のもとで窒息させられていた映画界――贅を尽くした豪邸に住み外車(TOYOTA!)を乗り回し、きらびやかな衣服に身を包んだ家族の、さざ波程度の波風はあるものの、結局ハッピーエンドで閉じるホーム・ドラマが主流――に、見るに値するような映画はゼロだと私はニヒっていた。見るだけで嫌悪感が走った。ただ時代が変われば、大化けするかもしれないと思う男優女優はそれでも数人はいた。
逮捕前にCDMの意思を表すイェンドラ・チョウズィン イラワジ紙
じつは偶然のことだが、私がヤンゴン市で下宿先としていた住まい兼事務所の隣が、ミャンマー映画界の撮影所というかスタジオだった。低開発国の地位に転落したこの国のこと、大船撮影所や太秦撮影所とはわけが違い、スタジオと言っても普通の大きな民家の1階であり、撮影用の仕掛けはほとんど何もなかった。それで撮影は、ロケは別にして、うちの近所や私が仕事をする事務所をときどき短時間借りて行われた。そのおかげで当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった女優テテムーウーや男優ドゥェ(のちに麻薬中毒で死亡)など、ミャンマー映画界のトップスターたちを身近で眺めることができた。のちにクロニ―富豪の息子と結婚する超絶美人ナンダーラインなど、撮影所に入ってくるときは誰かわからなかった。つまり化粧顔とすっぴん顔とは大きく異なっていたのだが、何か不思議な体験をした気分になった。
映画界のトップスターの証は、撮影所に来るときトヨタのランドクルーザーに乗ってくることであった。たかがランクルというなかれ。当地では関税が100%ほどかかるので、日本円にして600万円以上はするのだ。1日1ドル以下で生活する人々が当時国民のうち30~40%はいるという国においては、庶民にとって天文学的数字といってよい。
しかしランクルの車内の様子は、持ち主の程度を表している。駐車場などないので、車は適当に道路に停めていて、歩きながら中をのぞくことができた。外見がどんなに素晴らしくとも、中は乱雑で一目で精神の整理されていない人間だと分かった。そうこうして2年ほど撮影所内外でいろいろな俳優の演技ぶりや休憩時の様子を観察することができた。その結果、ミャンマーの現役女優で一番女優らしい女優は、イェンドラ・チョウズィンだと私念した。彼女の演技はよく考え抜かれていて、迫力があった。彼女は控えの時はいつも一人車内にいて、瞑想していた。挙措動作に浮ついたところがなかった。日本に帰ってから、私は周りのミャンマー人に本当の女優はイェンドラ・チョウズィンだと断言してはばからなかった。
ピェイティーウーとイェ―ンドラ・チョウズィンの家族
今回の受賞の件で、初めて知ったことがある。知らなかったのは私だけで、ミャンマー人はみな知っていたのだが、彼女の祖父は、アウンサンと一緒に日本へ渡り、海南島で軍事訓練を受けた「三十人の志士」の一人であった。ビルマ独立運動を成功に導く最初の核となった人々であり、良くも悪くも英雄伝説の殿堂に祀られている――悪くもというのは、独裁者ネーウインもその一人であるから。そういうことで、スーチー氏とイェ―ンドラ・チョウズィンは、独立運動を担ったファミリーの一員として大変親しい間柄であるということである。
映画で共演したパインピョートゥ ナギ監督(中央帽子と白いマスク) イラワジ紙
夫君の俳優ピェイティーウーととも、映画界トップの稼ぎ頭である地位をなげうって、彼女は筋を通し政治犯としてインセイン刑務所に収監された。革命の伝統を受け継ぎ、真のセレブリティとして今回の国民運動を支える一人となっている。この運動の半端ではない広がりや深みを表すエビデンスとして、イェ―ンドラ・チョウズィンのことを理解したいと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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