ミャンマー反軍民主化闘争は、知的国際連帯を求めている

著者: 野上俊明 のがみとしあき : ちきゅう座会員
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<ピック・アップ・トピックス>
▼極度の経済不振から外貨不足に陥った軍事政権・ミャンマー中央銀行は、内外の資本に対し保有する外貨を即日現地通貨チャットに換えさせる強制措置をとってきた。ただし日本などからの要請で、一部の外国直接投資や経済特区の事業を適用除外とする例外措置もとられてきた。しかし7 月 19 日、ミャンマー中央銀行は外資比率35%までの企業を対象に強制両替を行うよう新たに通達を出した。これにより外資系企業がミャンマーから撤退する可能性が増大するかもしれない。デフォルト(債務超過)を避けたい軍事政権は、背に腹は代えられないということで、強制措置の拡大に踏み切ったものと思われる。
 NNA(アジア経済ニュース)は、通貨新規制のタイ上場企業への影響は、ミャンマーで事業を行うタイ企業のほとんどは外貨建て融資を受けていないため少ないだろうという、タイ証券アナリストの見方を紹介している。しかしミャンマー国民にとって事態は深刻であり、ドル高チャット安が亢進してさらに物価高騰が続けば、スリランカに続き、ミャンマーにも深刻な経済=政治危機が訪れるであろう。

▼Radio Free Asiaが7月18日に伝えた、ミャンマーの政治弾圧状況。国民民主連盟(NLD)の集計によると、2021年2月1日にから2022年6月末までに死亡した党関係者は48人(男性43人、女性5人)で、うち11人が国軍施設内で拷問を受け死亡、8人が刑務所内で死亡、29人が理由なく殺害されたという。

モン州議会ビリン郷代表のNLD議員チョウモウミン氏の遺体が、逮捕直後の
2022年7月6日、カイン州パアン郡のミンソ―村で発見された。RFA

▼不可解な日本政府―国際協力機構(JICA)の動き
 雑誌「東洋経済」7/15は、「人権弾圧のミャンマーにJICA専門家派遣の是非 内部文書で判明、国軍の宣伝に悪用の恐れも」と題する、批判記事を載せている。農業やインフラ整備の専門家派遣は、昨年2・1クーデタ以後中止していた。現在もなお大都市での爆弾事件やサガイン管区などでの民家空爆や少数民族地域での戦闘激化など、戦火がやまないにもかかわらず、なぜあえてこの時期に、危険を冒して民間の専門家を派遣するのか。「JICAとカウンターパート(相手方)との共同活動が国軍のプロパガンダに活用される懸念がある」と、関係者は疑問を呈している。
 さらに同特集は、驚くべき事実も明らかにしている。国軍との緊密な関係を誇り、2・1クーデタを合法とまで言い切る「日本ミャンマー協会」の渡邉秀央会長(元中曽根派・郵政大臣)。その渡邉会長とともに、この5月、政府の内閣官房内閣審議官がミャンマーを訪問し、クーデタ政権の労働相などと会談していた事実が、ミャンマー国営紙によって報じられたという。この件を問題視する日本や海外など110の市民団体は岸田文雄首相宛てに抗議文を送付し、同審議官の訪問の目的や対談相手、対談内容などを明らかにするように求めているとしている。
 さきに内外のミャンマー人団体や日本の人権・環境保護団体が、防衛大学への国軍幹部候補生の留学受け入れを中止するよう求めていたが、これに対してもなしのつぶてである。ミャンマーへの中国やロシアの影響力が増大していることへの焦りや、バイデン政権の中国包囲網戦略へのコミットメントがあるのかも知れないが、明らかにミャンマーの民主主義を渇望する民意に逆行する動きである。

▼ラジオ・フリー・アジア(RFA)によれば、バイデン政権の駐タイ米国大使候補であるエド・マーキー上院議員は、7月6日の上院外交委員会の公聴会で、軍事政権が「恐ろしい残虐行為」を行っている隣国ミャンマーからの石油とガスへの依存を減らすよう、バンコクに圧力をかけると宣誓したという。ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、国営タイ石油公社(PTT)は、ヤダナガス田とザウティカガス田からミャンマーが輸出する天然ガスの約80%を購入し、その代金年間約10億米ドルが、軍事政権の口座に支払われるという。
 ここで注意したいのは、政権の全権大使指名は議会で承認を得るまでは、候補(nominee)に過ぎないということである。日本のように、だれがどのようにして指名され、赴任地で何をするのかはまったくのブラック・ボックス状態であるのとはちがって、候補者は議会での聴聞審査を終えてから、ようやく本決まりになるという民主主義の仕組みがいい。立法府が国権の最高機関であることの趣旨―J・ロックが理論化した―が生かされているからだ。機能不全が指摘されるアメリカ民主主義だが、まだまだ日本ほどひどくはないということか。

▼ラカイン州の過半を支配下に置き、独自の行政機構を確立している仏教徒ラカイン族の軍事組織アラカン軍(AA)と、国軍との大規模衝突の危機が迫っているという。ラカイン州のみが、直近の内戦騒ぎからは切り離されていた。それは両軍の間でこの間停戦協定が結ばれていたからだが、それも風前の灯火であるという。アラカン軍は、19世紀にビルマ・コンバウン王朝に滅ぼされたアラカン王国の再興を掲げ、10数年前に創設された少数民族武装組織だが、今では最強の軍隊のひとつに急成長したといわれている。スーチー政権は、アラカン軍を2020年3月、「テロ組織」と指定して、国軍に掃討作戦を命じたといわれているが、2・1クーデタ後は民主派勢力とアラカン軍との距離は縮まりつつあるようだ。

アラカン軍に投降する政府軍兵士       RFA video

<知的連帯の証―ミャンマーにおける政治暴力の解明>
 去る7月7日は、ミャンマーの民主化運動を主導してきた学生運動にとって、忘れがたい記念すべき日である。今から60年前のこの日、国軍最高司令官のネウィン将軍は軍事クーデタを起こして、「ビルマ式社会主義」と称する超反動的な軍部独裁体制を築く起点とした。当時クーデタに反対して直ちに行動を起こした学生たちのうち100人余りを殺害、そのうえ戦前から反英独立運動のシンボルとなっていたラングーン大学の学生会館を爆破したのであった。
 本年のこの日、ヤンゴン市やマンダレー市をはじめ全国各地で青年学生たちは、2・1クーデタへの抗議と7・7クーデタの犠牲者への追悼とを重ねて決起し、軍の弾圧に屈することなく、民主体制の回復のために闘い抜く決意を改めて満天下に知らしめた。また戒厳令に近い状況にありながら、2・1クーデタ後始めて縫製労働者2000人がストライキを決行し労賃や労働条件について一定の譲歩を勝ち取ったという。また近年急増しているフード・デリバリー労働者たちも、山猫ストライキを行なったとされる(Mizzima7/17)。
 さて、ミャンマーにおける政治暴力の起源は、1947年7月19日の、当時31歳だったアウンサン将軍の暗殺であったといっていいだろう―この日はメモリアル・デー「殉難者の日」とされている。しかしアウンサンの死を乗り越え、議会制民主主義の努力が十数年続いたのちその統治は破綻し、軍部独裁(junta)にとってかわられる。ネウィン独裁は、暴力を統治の主要手段として行使することをまったくためらわない、まれにみる極悪非道な政権であった。正確な議論は専門家に任せるとして、ネウィン体制はナチスやスターリンの全体主義体制―大なり小なり第一次大戦の総力戦体制の落とし子―とはやや異なり、アジア的な専制支配に由来する監視的警察国家でなはないかとの印象である。人権蹂躙、民主主義と法の支配の全き欠如などは両者に共通するが、その反面家父長的縁故主義的色彩が強く、きわめて粗放的で恣意的な統治スタイルはいかにもアジア的であった。
 そうした折も折、ミャンマーの政治過程に特有な政治暴力の在り方、特徴を分析したすぐれた論文が世に現れた(irrawaddy7/12)。著者イェミョハインは、ウッドロー・ウィルソン国際学術センター・アジアプログラム研究員であるそうだが、こうした論考が出てくるのも、ミャンマーにおける国民的な大民主化闘争があればこそであろう。いわばミャンマーの国民運動に対し、知性による国際連帯の旗を掲げたものとみなすことができる。

論文「ミャンマー国軍における残虐行為の文化」の概要
 2021年2・1クーデタによって、権力を奪還したミャンマーの軍隊―敬称ではタッマドウ(国軍)、蔑称ではシッタッ―は、過去17カ月間にわたる政治弾圧関係だけで2000人以上を殺害した。それ以前にも2017年9月ロヒンギャへの迫害と残虐行為で不明だが死者多数、70万人の大量難民を出している。本論文は、シッタッの根深い残虐文化の本質を明らかにし、今後の変化や改革の不可能性について国際社会に気づいてもらうことを論旨とするとしている。
 ミャンマーの国軍は、旧日本軍の特務機関である南機関の指揮のもと、アウンサンやネウィンらいわゆる「三十人の志士」を中核としてアジア太平洋戦争の初頭に創設され、戦時中はビルマ方面軍に統合された。著者は、その過程を通して「戦争における残虐行為の日常的体系的な採用は、シッタッの組織文化の中で深く内面化されてきた」(太字、引用者、以下同様)ものだとしている。「したがって、最近の軍の残虐行為は異常なことではなく、むしろその組織文化に由来する歴史的なパターンなのである」とする。つまり国軍は、帝国陸軍に育てられる過程で日本軍国主義の残虐性を刷り込まれた。そしてそれをベースに戦後になって激しい内戦を通じてミャンマー独自の進化を遂げたものとみる。つまり最初は戦時暴力によって残虐性が増幅されながら、その負の倫理性が日常的な統治スタイルに内面化構造化していき、独立後生まれて間もない脆弱な法治体系を解体していったのであろう。蛇足めくが、そこでは仏教の殺生禁という伝統倫理はまったく無力であり、むしろ上座部仏教の支配するカンボジアやミャンマーで「キリング・フィールド(殺戮の野=大量殺戮)」が演じられたことの意味については、別個の探求を必要とするであろう。

 70年以上にわたる内戦を通じ、国軍の残虐行為を組織的に行う文化は、どのように形成されたのか。著者はその過程の歴史的な分析ではなく、構造的な分析に重点を置く。それによれば、ミャンマー国軍を特徴づける「この残虐行為の文化は、その守護者イデオロギー、長年の法的免責、内部の残虐行為、『状況の論理』の複雑な相互作用の産物である」として、残虐行為を正当化するそれぞれの要素について分析を進める。
 まず、「守護者イデオロギー」とは、どのようなものか。「守護者イデオロギーは、将校と下士官の双方に対する絶え間ない教化とプロパガンダ・キャンペーンを通じて、軍隊組織の中に定着している。軍人は、自分たちが積極的に保護しなければ国が崩壊し、仏教が破壊されるから、自分たちはミャンマーにとって不可欠な存在であると信じるように洗脳されている。守護者たちのどんな行動も、たとえ極端な残虐行為であっても、国のためであるとして正当化される。兵士は、自分たちだけでは国や宗教を守ることができない民間人の上に立つと教えられている。このイデオロギーに導かれた機関として、シッタッは『文民統制』の概念を拒否する。それは、無能な文民が不必要に自分たちの行動を制限しようとするものだと考え、したがって、その特権に対するあらゆる制約を弱めることが正当であると感じるのである」とする。要するに、国民を愚民視することと裏腹に、自分たちを特権的存在であるとするエリート主義イデオロギーで完全武装しているのである。
 つぎに、法的な免責特権である。「2008年の憲法では、民政下でも議会の議席の25%や主要な閣僚の地位(国防、内務、国境大臣など暴力装置に関わる省は軍独占)など、実質的な権限が軍に留保されていることが反映されており、シッタッは歴史的に数十年にわたって法的不処罰の特権を享受してきたのである」。何をしても赦されるという保障があり限り、国軍の将兵はだれも自分の罪と向き合うことはない。残虐行為を止めさせるには、この法的免責を赦さない憲法を持つことが不可欠である。
 第三の要素となるのは、「シッタッの残虐文化が、過酷な規律システムによって維持されていること」である。過酷な規律と戦争犯罪の相互作用は、ミャンマーに限ったことではないとして、日本史家の家永三郎の日本帝国陸軍の残虐性に関する研究も参考にしている。つまり「部下に対する残酷さ・・・それは階級が下がるにつれて雪だるま式に増え、すべての緊張と虐待が新兵・・・つまり最も下層の者に降りかかる」とし、さらに日本陸軍の残忍な軍事訓練が「敵の捕虜や民間人の非戦闘員に対する残忍な性癖」を兵士に植え付けたと見ている。「軍内部のヒエラルキーによって残忍化された兵士が、その不満や不平を民間人にぶつける傾向があるのは当然のことであろう」としているが、旧日本軍の内務班における残酷さと恐怖支配―野間宏が「真空地帯」で形象化―と、占領地での「皇軍」の残忍さとはパラレルな関係にある。丸山眞男は、心理的な下降のメカニズムを「抑圧の移譲」という概念で表した。人権軽視で、あらゆる人間性を奪われた兵士たちは、自分たちより弱い人々に抑圧を転嫁して、心理的な平衡を得ようとする。


サガイン州アヤドー郡区モンテインピン村の一般住民を拘束する政権軍 /RFA
 最後に、戦場の「状況の論理」について。「状況の論理」とは、「(民主勢力側の)厳しい反撃や多大な損失、作戦目標達成の絶望的な失敗のために不満を募らせた司令官は、しばしば部隊に暴力のレベルを上げるよう迫り、その結果、戦時残虐行為へと容易にスパイラルアップしてしまう」ことを指す。サガイン管区や国境地帯で手痛い打撃をこうむったシッタッは、報復の名のもとに、放火攻撃、集団逮捕、拷問、略奪、無差別破壊、略式処刑―村人を生きたまま焼き殺し、子どもを殺すことも含む―を行っている。この焦土作戦は、住民に恐怖を植え付け、反抗の意思をくじくことを狙いとしている。

 最後にこの論文の著者は、「国際社会の多くは、ミャンマー軍が同胞に対して残虐な犯罪を犯していても、見て見ぬふりをしている。この意図的な無視は、ウクライナにおけるロシア軍の残虐行為に対する国際社会の反応とは全く対照的である。 国際社会はまだ、ミャンマー国軍という制度が救いのないものであり、取り替えなければならないことを十分に理解していない」として、国軍への関与政策の可能性をきっぱり否定し、ミャンマー国民の闘争への強力な支援を呼びかけている。
 蛇足めくが、私からミャンマーにおける武装闘争の意義をひとつ強調しておきたい。あらゆる正当性に欠けた国軍の暴力に対し、抵抗権に基づく正当な対抗暴力によって、民主勢力ははじめて抵抗運動の核たる指導部を守り抜き、闘争の継続を担保することができたのである。1962年のネウィンのクーデタ以来、反独裁の闘いはいつも指導部が殺されたり、長期拘留されることによって頓挫させられてきた。このことだけみても、今回の反クーデタ闘争の意義は計り知れないのである。
 ただし、武装闘争は現下の情勢から優先順位が高いにせよ、あくまで政治闘争に従属するものであり、その意味で厳格な文民統制を忘れてはならない。武装闘争というのは、民主勢力にとって自らを滅ぼす災いの種となりうることを肝に銘じなければならないのだ。
 上に紹介した論文は、ミャンマーの国軍支配のすべてを解明したわけではない。国軍と統治機構が一体化したクレプトクラシー(cleptocracy 泥棒政治)の実態を様々な角度から明らかにすべきであろう。ミャンマーの国家的なあらゆる資源を私物化し、政商と閨閥を形成しつつ私腹を肥やす、腐敗しきった産軍寡頭支配の全容解明は、来るべき体制がどうであってはならないかを指し示すであろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12205:220721〕