英紙ガーディアンなどによると、H・ヘイザー国連特使は、2月1日にシンガポールのテレビ局チャンネル・ニュース・アジア(CNA)のインタビューを受けた際、「ミャンマーの民主派は、国軍との共通点を模索し、どのようなかたちで政権を共同運営できるか交渉する必要がある」と述べたと報道された。これに対し、たちどころにミャンマー国内の247もの市民社会団体から署名付きの強い非難の声明がなされたという。声明は、特使の発言は国軍をつけあがらせ、「完全な免責のもとに重大な犯罪」を重ねることになりかねないとし、また「虐殺、殺害、レイプ、逮捕、拷問、村や人々の焼き討ち、空爆や砲撃による民間人への攻撃といった残忍な手段で支配権を握る者たちが、権力共有に歓迎されるという危険な前例となりかねない」と強い警告を発したのである。2月1日、クーデタ一周年現在で、国軍は約8900人の市民を逮捕し、1500人以上を殺害している。軍事衝突は5400万人の国土の大部分を巻き込み、30万人以上が避難している。しかもサガイン管区やカヤ―州、チン州では、国軍による村の大量焼き討ちが続いており、国軍は国際社会やアセアンの非難や忠告など歯牙にもかけていないのである。
この発言炎上にあわてたのか、国連特使の「政権の共同運営」提案は誤報である旨の発表がなされたというが、覆水盆に返らずである。たとえて言えば、ヒトラーと政権を分かち合うよう、レジスタンス部隊に矛を収めるよう忠告したようなものである。確かに第二次大戦中、フランスのヴィシー政権はヒトラーとフランスを分割支配したが、その末路はいかなるものであったか、言うまでもないであろう。
ヘイザー国連特使の発言は、ミャンマー危機に対して無力さをさらけ出している国連の恥の上塗りとなっている。このところ国際的な信用を落としているアセアンですら、5項目合意※をミンアウンライン総司令官に吞ませたのである。国民統一政府(NUG)のアセアン特別代表であるボラティン氏は、「アセアン諸国は今、5項目の合意に対する立場と真剣さをしっかりと示した」と評価する一方、国連に対しては「同国の暴力を終わらせ、困っているすべてのコミュニティに平等な人道的アクセスを認めるため、より戦略的で結果重視の実際的なアプローチを模索する」よう要請したのである。
※1.ミャンマーにおける暴力行為を即時停止し、全ての関係者が最大限の自制を行う。
2.ミャンマー国民の利益の観点から、平和的解決策を模索するための関係者間での建設的な対話を開始する。
3.ASEAN議長の特使が、対話プロセスの仲介を行い、ASEAN事務総長がそれを補佐する。
4.ASEANはASEAN防災人道支援調整センター(AHAセンター)を通じ、人道的支援を行う。
5.特使と代表団はミャンマーを訪問し、全ての関係者と面談を行う。
要するに、国連の特使は5項目合意にすら及ばない低次元の提案をして、政治的見識のなさを露呈したのである。 しかしわが日本においても、ミャンマーの専門家といわれる人々も似たような状況にあるのではなかろうか。一例だけ取り上げよう。朝日新聞は、クーデタ一周年特集記事として、ミャンマー関係者を登場させてインタビューしている。
――ミャンマーの政治と経済に詳しい政策研究大学院大学の工藤年博教授(東南アジア経済研究)は、国軍は統治を盤石にするため今年勝負に出ると予測するとし・・・「混乱の原因はクーデターを起こした国軍にあります。ですが、民主派が対決姿勢で一辺倒なことも、混迷を深めています。(国軍の権益を保護する)憲法の廃止や国軍の解体など、国軍が受け入れられない要求を突き付け、武装闘争に踏み切りました」(強調、筆者)と述べている。
工藤氏は、私がヤンゴンにいるときアジア経済研究所の主任研究員としてヤンゴン商工会議所で何回か講演していただいた。なかなか経済分析には手堅いものがあり、信頼がおけると感じた―もっとも今にして思えば、氏に限らず、ミャンマー経済の中枢は国軍が支配しており、そのことのカントリーリスクにはまったく触れないという大きな落ち度があった。ともかく日本の識者に共通しているのは、どっちもどっち論である。外務省や経産省の二股外交とそれは対応している。工藤氏の見解もアセアン合意以下であり、失望を禁じ得ない。2008年憲法の枠組みさえ破壊して、民主派勢力に血の弾圧を加えたのは国軍の側なのである。まずは日本を含め国際社会が国軍の暴力に抑止を加え、交渉のテーブル設定に向けてのなんらかの可能性を切り拓く義務がある。国軍側には民主派勢力に対して暴力で徹底鎮圧する以外の選択肢はなく、日本の笹川陽平氏などが利をちらつかせて働きかけようが、到底話せばわかるという相手ではない。利なら、中国が差し出す国家的な規模での軍事的政治的経済的利にかなうはずもない。もし何らかの譲歩のそぶりを見せるとすれば、戦況が国軍にとって著しく不利になる状況以外には考えられない。
どっちもどっち論で民主派勢力の抵抗運動に縛りをかけようとするのは、結果として国軍を利することになる。「憎しみの連鎖を断つために、武装闘争ではなく対話を」というのは、確かに一般論としては正論ではある。しかし対話を成立させるためには、武装闘争が起きた歴史的社会的諸条件を十分に顧慮する必要がある。しかもこの武装闘争に、ほとんど全国民が支持を与え、協力しているのである。健康状態が懸念されているアウンサンスーチー氏にもしものことがあれば、グラスルーツからの根こそぎ決起で国民は犠牲を顧みず応えるであろう。そうしないためにも、国際社会の人道援助と政治的な働きかけは一刻の猶予もならないのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11741:220208〕