ミャンマーにおいて半世紀ぶりに誕生したスーチー(準)文民政府ですが、その5年間の統治の国民評価を下すことになる総選挙が、早くも来年(2020年)に迫ってきました。そのスーチー政府、今年に入ってから突如現憲法改正に着手すると発表、議会で改正委員会を国軍議員やUSDPの反対を押し切って強引に立ち上げました。憲法改正は総選挙でNLDがマニフェストの最優先順位のひとつに掲げたにもかかわらず、3年間音なしの構えでした。国軍との融和を最優先に国軍の嫌がることにはほとんど手をつけなかったスーチー政府が、ここにきて突然ハイブリッド(軍民混淆)政府という統治の枠組みを変えるべく、憲法改正をめざすと言明したことに関係者はやや当惑し、その真意をいぶかっております。たんなる演技にすぎないのではないか、ミャンマー政治の実情を知る者なら多くがそう思ったはずです。事実、議会内での動き以外、改正にむけてNLDはじめ改革派に属する人々が活発に動き出した兆候もまったくありません。そもそも憲法改正は国論を二分するような大問題であり、全国民を巻き込んだ政治闘争なしには達成しえない課題であることは誰の目にもはっきりしているのですから。
現にこのあと国軍側が2008年憲法の中枢部分を変えることは絶対許さないと反撃するや、NLD政府側はふたたび沈黙の殻に閉じこもってしまいました。要は、総選挙の影がちらつきだして、NLD政府の低いパフォーマンスと人気の陰りに焦りを感じたスーチー氏が、それこそ打ち上げ花火的に改革派を演じて見せたに過ぎないというのが、事の真相のようです。
しかしもしそうだとすれば、スーチー氏も三文政治屋の仲間入りということになるでしょう。実際、スーチー政府が同様に優先事項とした、内戦終結に向けた国内の和平過程も中途頓挫している状態であり、またあれほど世界を揺るがせた80万人ロヒンギャ難民の帰還についても帰還者依然ゼロの状態のままです。経済についても頼みの綱の海外直接投資も昨年は低迷しており、EUからはロヒンギャ問題始めとする人権問題に改善が見られなければ、最恵国待遇を(カンボジアと共に)撤廃すると警告されています。欧州向けの輸出品の大部分は縫製業関係であり、警告が実行されれば、多くの工場閉鎖で十数万人と言われる女工さんたちが解雇され、セックスワーカーに墜ちるしかないという巷の声も聞こえてきます。
スーチー政府に対する本格的な政治評価については、機を改めて詳しく述べる積りです。ここでは現地の新聞(Irrawaddy紙)に載った国民大衆の政府に対する不満の状況の一端をお伝えしましょう。
政権成立から3年、NLD政府の下での地方政府(地方自治体とまでは言えず、トップはNLDが指名)の憂うべき実態が、氷山の一角とはいえ明らかになって来ました。この3月に大統領ウィンミン大統領とスーチー国家顧問は、地方へのテコ入れのため全国行脚しましたが、どこでも地方政府のひどさに苦情を訴える人々が彼らに殺到したといいます。
その代表格と言えるのが、地方政府首相の汚職問題です。中央政府の反汚職委員会は、タニンターリ地域のNLD指名の女性首相を汚職で告訴し、政府は同氏をただちに更迭したといいます。これに限らず、政府は全地方政府のパフォーマンスを審査すべきだと、政府の責任を追及する気運が高まっているとのことです。すべてが中央政府の責任とは言えないまでも、その地方に及ぼすガバナンスの低さは否定しようもありません。この3年間のNLD政権下、地方政府は清潔な水、電気、交通、保健医療など国民の生活向上の期待に応えていないとの不満が鬱積しているのです。
また民主主義を標榜するスーチー政府のもと、少数民族地域であるカヤー州,モン州では、地元民の抗議行動を弾圧してまでアウンサン将軍の銅像の建立が強行されました。アウンサン将軍は、多数派民族としてのビルマ族の英雄であるかもしれませんが、少数民族にとって必ずしもそうではありません。少数民族の意思を無視しては、諸民族の自由と平等を尊重する民主的な連邦制など成り立ちようもありません。NLD=民主派という等式がいたるところで綻んでいます。
さらにスーチー氏の後継者と目されるNLDの幹部が首相を務めているヤンゴン管区で、地方監査役会が数十億チャットの経理上の欠損がでていることを発見、これには地方政府が公的資金の管理ミスに責任を負うべきだという声が出ています。土地のリース、公共交通機関への投資、その他のプロジェクトによる損失について依然不明であるとのことです。
最後に、カチン州での開発問題は、政府の外資導入による新自由主義的開発路線と中国の新植民地主義的な進出が交錯するものであり、地元住民が二重の搾取抑圧にさらされている事例として、特別な注意が必要です。
中国の雲南省と国境を接するカチン州では、中国による巨大「ミッソンダム」計画が、地域生活破壊、自然破壊、母なるイラワジ川に寄せる国民感情への挑戦だとしてミャンマー国民の猛反対でペンディングになっています。しかしそれ以外にも中国の進出で様々な問題が生じています。
その一例が、中国企業によるバナナ・プランテーションによる被害の拡大です。現代版「囲い込み」Enclosureともいうべき事例で、現地政府と組んだ中国企業が農民から土地を無償や低額補償で(強制)接収して農園化、劣悪な労働条件と低賃金で働かせている実態が明るみに出ています。地方政府首相は農園規模を6万エーカー(24000ha)と公表しましたが、市民団体の調査では実際はその3倍近い土地が占有されているといいます。中国もミャンマーも共に旧社会主義国、その負の遺産ともいうべき土地に対する国民の権利の脆弱さにつけ入り、濡れ手に粟で土地を簒奪、囲い込んでいるのです。
またカチン州は中国の「一帯一路」計画の線引き内にあり、種々の交通インフラ整備や工業団地が中国の資金で多々計画されています。土地所有権の侵害、自然環境や労働環境の悪化(+債務の悪化?)という三点セットが、中国式新自由主義開発では避けられません。これに対してNLD政府が国民的立場で巨大プロジェクトに対し毅然とした態度を取れるのかどうかを危ぶむ声が強いのです。すでにスーチー氏の責任で、中国の国営兵器企業「万宝」によるレッパダウン銅山開発が承認されたため、何十か村、何千人という村人が故郷を追われたという悪しき「実績」があります。今思い起こせば、レッパダウン紛争は、スーチー氏にコ―ティングされていた民主主義の偶像というメッキが剥がれた最初の機会でした。ただスーチー氏らの裏切りにもかかわらず、地方での大規模開発に対しては多くの地元住民が自らを組織し、長く持続する闘争を展開していることにも注意すべきでしょう。
ミャンマーでの民主化闘争は、その闘争の舞台を種々の開発の舞台へと移してきています。中国の資金と計画による「大ヤンゴン都市改造計画」のように、ミャンマー市民の住むヤンゴン市の必要性というより、中国の過剰資本の受け皿として中国資本による中国資本のための都市(再)開発がまかり通る現状には無力感も漂います。NLDヤンゴン管区政府も、一極集中などの批判はものかは、内容の如何よりも華々しい外資導入で経済のボルテージが上がることを欲しているのです。
停滞と進歩とがせめぎ合うなか、いま必要なのは草の根の多様な運動や組織を集約し、政治的に活性化させる中心点が必要です。それは必ずしも政党へと結晶化するものでなくてもよし、さしあたり情報センター的機能や運動の交流的機能を果たせばいいでしょう。スーチー氏に代る指導者の不在を嘆くより、ともかく自由と民主、公正と平等を求める民草の要求にかたちを与えることが大切なのです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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