メリルリンチへの惜別(2) ― 私的金融史の一コマ ―

メリルリンチ研修参加はウォール街への入門編であった。
そのあと欧米系、日系の証券運用に関わる機関投資家とその関係機関を回った。投資顧問会社、投信運用会社、銀行信託部、投資銀行、生保会社なとである。投信運用のメッカを自称するボストンにも足を伸ばした。

《機関投資家のメリルリンチへの視線》
 彼らは、私(半澤)がメリルリンチの研修を、8週間も見学したというと少し変な顔をした。1958年にN証券に入ったとき、私は米国証券会社の名前を一つも知らなかった。90名ほどの大卒新入社員は、日本橋本社で1週間の研修を受けたが、そのとき人事課長は、「米国にはメリルリンチという大きな証券会社があり、当社(N社)も将来はメリルのような会社になるのが目標である」と言った。そのメリルが、それほど尊敬されていないのを私は奇妙に感じた。

 数週間のインタビューを重ねるうちにその理由が分かってきた。機関投資家の目からは、メリルリンチは個人投資家を顧客とする「証券売買業務(ブローカー)」で儲ける、大きいだけの証券会社に見えていたのである。機関投資家の管理職たちは、しばしば、wholesaler(問屋)、retailer(小売屋)という表現をした。日本語なら「法人取引業者」、「個人取引業者」である。またbrokerage(売買仲介)、investment bank(投資銀行)と分類した。ニューヨークでの新人研修でみたように、メリルのビジネスモデルは、証券商品の「大量販売」「売買仲介」であり、顧客は個人を想定していた。

《poeple’ s capitalismと財閥解体》
 法人取引に特化した証券の顧客は、証券会社に対して専門的な知見とスキルを求めた。これに対応する業者は、マクロ経済動向から金融・為替市場の分析、新投資技法の紹介、個別銘柄の評価、大量取引能力、を顧客法人に売り込んだ。
 投資銀行は、商業銀行に対比される言葉で、日本の感覚では証券会社に近い。事業法人に対する資金調達の助言と引受を行い、自らも資産運用業務や企業売買などに従事していた。メリルの名誉のためには、それまでに同社が people’s capitalism をスローガンのもとに個人投資家層の形成に貢献したことを言っておかねばならない。のちに私は米国映画で、証券会社の代名詞としてメリルリンチが出る場面に気がつくことになる。また、戦後日本の株式市場が、解体財閥株式の受け皿の役割を果たしたのを見れば、N証券の人事課長がメリルを手本とみていたのも理解できる。

《米国証券市場の機関化現象》
 専門化した証券会社が発展を遂げたのは、証券市場で「機関化現象」が急速に進んだからである。1960年代から70年代へかけて、米国内の企業年金基金、投資信託財産、保険会社、財団などの非営利法人、による株式保有が増加を続けた。下記はNYSE(ニューヨーク証券取引所)上場株式中の機関投資家保有比率である。74年時価総額減少は株価暴落に起因している。オイルショック後の円安で1ドルは360円を超えていたからNYSE時価総額は、200兆円とみていい。東証時価総額は74年末で約36兆円であった。(NYSE,FACTBOOK,東証HP)

■各年末          1949 1960 1970 1974
■NYSE  
 時価総額(10億ドル)   76.3 307.0 636.4 511.1

■機関投資家保有比率(%)  14.5 18.7 27.2 33.0
 
■機関投資家別のNYSE株式保有状況(%、1974年末)
保険会社    16.5(生保・損保)
投資信託    18.2
非保険型年金  45.1(主に企業年金)
非営利法人   16.0(財団・学校など)
その他      3.2

上場証券会社はまだ少なかった。証券会社のランクは調査能力の高低でランクされる風潮が起こった。その頃、専門誌〝Institutional Investor〟(機関投資家)が発刊され、証券アナリストの個人別、所属会社別、担当業種別のランキングが発表されるようになり現在に至っている。当時は機関投資家実務家の1000名単位の投票によったが現在は数倍になっているようである。

《メリルリンチの機関化への挑戦》
 ランキング上位にメリルリンチはいない。それは、メリルが図体は大きいが驀進する機関投資家市場のトップではないことを示していた。上位には調査に特化した中小規模の証券が並んでいた。再び名誉のために言うと、メリルリンチは当時、調査部門と投資銀行部門を懸命に拡充していた。他社の著名なアナリストの引き抜きなどで調査ランキングは上昇した。多数の個人投資家という顧客基盤がありトレーディング能力は大きかった。手元にある1975年のInstitutional Investor誌のランキング一覧で、メリルは33社中の⑪位につけている。調査特化型(例えば①位のH.C.Wainwright)を除けば、⑦スミスバーニー⑨モルガンスタンレーに次いでいる。うしろには、⑮ローブローズ⑯ゴールドマンサックス⑯キダーピーボディー⑳ベアースターンズ㉑ファーストボストン㉙リーマンブラザースなどがいる。

 それは半世紀後にどうなったか。Institutional Investor誌のサイトを覗いたら、2018年のアナリストランキングでは、第1位JPモルガン、第2位にBankofAmerica Merrill Lynch(「バンク・オブ・アメリカ」に統合された「メリルリンチ」)、第3位モルガンスタンレ-であった。

《74年の大暴落にどう対処したか》
 話が専門的に過ぎたかもしれないが、これが私が見聞した機関化現象である。
「メリルリンチへの惜別」はこれで終わる。しかし、1974年夏を想起した私は、「ウォール街は暴落にどう対処したか」を書かずにはいられない気分になった。次回、ウォール街での小さな経験にもう一回、おつき合い願いたい。(2019/03/19)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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