ヤンゴンー岐路に立つ都市計画・都市改造

 NLD政権が国民・市民の立場に立って政治経済社会の改革を進めるのかどうか、その一つの試金石がヤンゴンの都市計画問題です。市民的公共圏に関心の高い欧米とちがって、アジア諸国では民主派を自認する人々においても、公共圏のハードな枠組みである都市計画への関心は総じて薄いといっていいでしょう。日本の場合、戦国時代の一時期市民自治を実現した環濠都市・堺(千利休!)などの例外はあるものの、総じて権力者がトップダウンで形成した城下町的伝統が圧倒的に優勢な風土であり、国民が都市計画に参与した経験をもたないからです。しかしながら、今日人々が安心して豊かに暮らすことができるかどうかは、雇用・賃金・福祉・教育・医療などのソフト面での法制的仕組みと同時に、その受け皿となる都市の骨格がどう造られるのかに大きくかかっています。そういう意味で、NLD政権が民主的であるかどうかは、政権が誰のため何のために都市計画・都市改造を行うかという点を検証すればわかるのです。
 半世紀に及ぶ軍部独裁時代には、ヤンゴン市(旧ラングーン)は19世紀後半以降イギリスが造成してきた都市インフラ―港湾、道路、街区、上水道、排水溝、配電網、電話網、公園など―は、ほとんどいっさいの本格的な補修や改造をうけることなく、老朽化したまま放置され騙しだまし使用されてきました。独裁政権といえども―東アジア、東南アジア諸国が開発独裁の時代でしたー、これほど公共事業をネグレクトした政権はめずらしく、1998年ヤンゴンで暮らし始めてわずか半年足らずで、軍政は一種の「棄民政策」を採用していると感じたほどでした。ヤンゴン市民から税は徴収するがその見返りの政策はほとんど行わず、またクロニーはじめ富裕層から徴税しない(!!)という徹底した利己主義と悪政ぶりに開いた口が塞がりませんでした。フルタイム配電や上下水道、分厚いアスファルト舗装は、富裕層の住区にのみ許された特権でした―いまだヤンゴン520万市民の下の処理は、まだ多くがヤンゴン河への垂れ流しです。ヤンゴン市対岸のダラー地区の貧困住民は、このヤンゴン河の水でほとんどすべてをまかなっているのです。
 私は都市計画の専門家でもなく、NLD政権成立後の都市計画の推移についてもつまびらかではないので、ここでは現行の都市計画の趨勢に対して抱く危機意識をとりあえず述べるにとどめたいと思います。
 テインセイン政権になってから、日本のJICAは、「大ヤンゴン計画」(Myanmar Urban Development Programme in the Greater Yangon)なるものを立案・発表しました。それは現在のヤンゴン市を中心に周辺に七つの衛星都市を新規に開発して、ヤンゴンをわずか二十年かそこらで現在の倍の規模の一千万都市にする構想で、私の眼には「XXの沙汰」と映じました。このメガロポリス(巨大都市)構想は、ミャンマー国民やヤンゴン市民の福祉をどう構築するかという視点をまったく欠いています。民主主義の容器たるべき都市の在り方からはまったく遊離していて、多国籍企業にとっての魅力という意味でのフロンティア・ヤンゴン都市計画でしかなのです。もちろん商業地域や工業地域を織り込んで、すぐれた伝統的な街並みを極力尊重し、都市コミュニティの改善と再生をめざし公共施設を充実させ、都市生活を活発化ことこそが、ヤンゴン市改造の方向性であるべきでしょう。ところが「大ヤンゴン計画」は、資金の過剰に悩む国際資本のために投資需要を創りだすという観点での、典型的な住民不在の官僚主義的な計画案なのです。資本にとっての効率と収益性一辺倒の都市計画では、一極集中の超過密をもたらし、都市のアメニティをだいなしにしてしまうのです。
 これに対してかつての国連事務総長ウタントの孫であり、Yangon Heritage Trust(ヤンゴン歴史的建造物遺産保存基金)代表である歴史家タンミンウー氏は、無秩序に広がった車中心都市でなく、優れた公共輸送機関を有する、よりコンパクトな都市が最善であるとして、大ヤンゴン計画には批判的ですが、良識ある見解というべきでしょう。JICAの計画案は、東京一極集中というあり方を無批判的にモデルとして踏襲したものですが、それだけでなく東京が150年かけてしたことをわずか20年足らずでやってしまおうというのですから、無理矛盾が激化するのは不可避です。一極集中の巨大開発は、まずインフラ整備に過重な負担を負わせるものであり、低利の借款でやるにせよ、ミャンマーに巨大な負債を背負わせることになります。巨大都市圏の電力需要は電力開発(発電と送電)の巨大化を必然化し、公害や自然環境破壊などもたらす恐れが大なのです。
 ヤンゴンに一年でも暮らせば、雨季の豪雨にも関わらず、この国が安定した水資源に恵まれていないことがすぐわかります。イラワジデルタの一角に位置するヤンゴン周辺には、埼玉県、山梨県、群馬県のような大都市圏の水需要に安定的に応じる水源がありません。水質は別にして、ヤンゴン川やバゴー川が大量取水に耐えられるのかどうか、また上流域に巨大な浄水施設を建設し、全市への給水管を敷設するそのコストはどうするのか等、いろいろな問題が出てきます。地下水を汲み上げれば、早晩地盤沈下や塩害という公害に見舞われるでしょう。

あと数日で干上がってしまう村の溜池。4,5月暑熱季は農村部はどこへいってもこの状態です。水枯れによって全国数千の村で乳幼児や老人が生命の危機にさらされます。農村部では水汲みはたいていは若い女性や子供の仕事で、天びんでかつぐ二バケツのために半日を費やすのも珍しいことではありません。汲み取った水は大きなカメ入れ、泥が沈殿した上澄みを取って使うのです。(写真はイラワジ紙掲載のもの)

 さて、ミャンマー人にも、政権の主体性を欠いたままで外国の援助機関やディベロッパーが進める都市計画に危機感を抱く人は少なくないのでしょう。いまようやくミャンマー人の都市計画の専門家が、専門家らしい知見をもってあるべきヤンゴン都市計画について提言しています。題して「新ヤンゴン都市プロジェクト:都市プランナーの視点」The New Yangon City Project: An Urban Planner’s View(イラワジ紙7/1)で、筆者はチョウラ博士という、国連機関やミャンマーの大学での勤務経験を有する人です。
 いま余裕がありませんので、関心のある方は本文を読んでいただくことにして、ここでは骨子のみお伝えします。
――ヤンゴン市は、過去数十年間で都市規模が3倍以上になった世界でも稀有な例ですが、それなのに「新ヤンゴン市プロジェクト」でまだ拡大しようとしています。その根拠を政府は①商工業地域の拡大、②都心部の家賃高騰~新たな住宅需要に応じるため、③水道、下水道、排水路、道路網などのインフラ整備のためとしています。果たしてそれが合理性のある計画なのかどうか、どうしてもここでいったん立ち止まって再考する必要があるとするのが、チョウラ博士の見解です。
<都市計画上の問題点>
①水問題・・・ヤンゴンの110万世帯(28%)のうち330,000世帯のみが都市の給水網につながっている。残りは様々な源泉から水を得ているが、地下水の過剰抽出はマイナスの結果をもたらすであろう。
②電力供給・・・約66万世帯(61%)のみが電力網に接続(2014年)。
③ヤンゴンの土地面積の約50%が豪雨時に洪水を起こしやすい・・・都市全体の総合排水マスタープラン作成の緊急性
⑤下水道および家庭排水に関して、ヤンゴン中心区の7%世帯が中央下水道システムに接続され、65%が浄化槽またはフライプルーフトイレを使用する。 29%が非衛生的処分システムを使用している(2014年データ)
⑥ごみ処理…すべて投棄処理。固体廃棄物からの焼却やあらゆる種類の処理やエネルギー抽出のシステムはない。
⑦市内の通勤者の85%がバスを使用し、8%が自家用車を使用し、5%が列車を使用。もっと列車利用を増やすべきである。
⑧公共交通の貧弱さと交通地獄・・・毎日350万人の通勤者のうち、約30%が1日3時間以上の通勤時間を要する。 8時間の就業日に追加されたことにより、就業者は家族から11時間以上離れて暮らすことになる。 これは社会的疎外を引き起こし、家族の絆を損なう可能性がある。
⑨歴史的理由から、ヤンゴンの商業・文化施設の46%は、都市の総面積のわずか10%を占めるにすぎない都心部に集中。この土地利用パターンのために、この高密度の商業ゾーンに、通勤者の43%の目的地となっており、これが交通混雑と低速な交通移動の原因となっている。この単一の土地利用からこの土地利用のパターンを徐々に多様化し、周辺地域の複数のサブセンターを設けるべきである。
⑩ほかに交通混雑の原因としては、ヤンゴンの労働力の分野別分布が挙げられる。 都市部の労働力のうち、11%が政府部門に、80%が第3次部門(取引およびサービス部門)に、9%のみが産業部門に雇用されている。 第3セクターの従業員のこの割合が高いことは、道路沿いの露天商の多さと交通混雑を引き起こしている。
⑪ヤンゴン市は人口分布が非常に不均一である。ヤンゴンの人口の約40%は、貧弱で低水準の地域に住んでいます。 この不均等な人口分布は交通と輸送問題(社会的な分離だけでなく)の原因となっている。
⑫土地やアパート価格に関して、ヤンゴンは安定した市場を持つことはなかった。 変動が頻発していたが、2014年以降、価格は下落傾向にある。土地は市の北東部に約17,000エーカーはまだ空いており、一部の民間企業には未使用のまま数千エーカーも割り当てられている。
⑬土地やアパート価格に関して、ヤンゴンは安定した市場を持つことはなかった。 変動が頻発していますが、2014年以降、減少傾向にある。
⑭地域間の不平等格差は将来どうなるか。当局は新ヤンゴン市で約200万人が働くと予想しており、総人口約8百万人を意味する。 ヤンゴンの既存の人口500万人を含めて自然成長を考慮すれば、人口は約1400万〜1500万人の巨大な都市集団を形成するだろう。世界に類を見ない膨張規模である。
 新ヤンゴン市の現在の計画は、人口規模と目標を定めた雇用の面でこれらをすべて超えている。 これは国家の懸案事項であり、より徹底的かつ包括的な調査と実現可能性調査の実施が必要である。 とりわけ、このスキームは、議会および行政当局による複数のレベルでの承認を必要とする。 この承認段階の後、計画段階から、この分野における専門知識と経験を有する連合省庁の協力と支援が必要となるだろう。

 以上、レポートを垣間見ただけでも、植民地行政と軍部独裁による棄民政策によって、ヤンゴン市が極めていびつな都市構造となっていることがわかり、市民が健康で文化的な最低限度の生活を営むには不適格な都市と言わざるをえません。スーチー政権になってから、民生向上に直結する都市改造は交通地獄の若干緩和などに限られており、ほとんど見るべきものはありません。問題は政権としてヤンゴン市をどういう都市にするかという百年の計が欠けていることです。NLD党内でも国会でも市民社会でもこの点での熟議がなされて形跡がありません。そのため都心部集中のスーパーマーケット、ホテル、ショッピングモール、大事務所ビル関連の外資優先のまちづくりになっています。スーチー政権は国民主体の民主的な国づくり、都市づくりを早々に諦め、外資依存を強める方向にあります。それと軌を一にして、中国の「一帯一路」計画に相乗りする形での関与を強め、多くの大規模共同事業でのMoUや協定を結んでいます。先に行なわれた、内戦終結―全面和平のための「21世紀パンロン会議」第三回会議も、中国の関与協力なしには成り立たなくなっています。経済を優先させその実を挙げれば、政治的な緊張や対立も和らぐであろうという経済主義―日本のミャンマーに対する外交姿勢に典型的―に、スーチー氏自身も転向したのでしょう。2020年の総選挙を意識しての目に見える実績づくりに焦りを見せているのかもしれません。
2018年7月22日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

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