リハビリ日記Ⅳ 33 34

33 稲葉真弓からの手紙
 今年もまた、会館の前のサルスベリの花が咲いた。紅色だ。サルスベリとは、百日紅と書く。初夏から秋まで長いあいだ咲いている。しかしどういうわけか。縁起が悪いといって、わが家の庭にはサルスベリの木はなかった。
 新座市役所へつづく大通りの並木は、サルスベリだった。紅色・白色・ピンク色の花たち。いま咲きそろっているだろう。なつかしい。4年半前までは、この時期よく散歩して眺めていたものである。
 8月17日。気温は41度を超えた。初体験だ。水道の蛇口をひねれば湯のようだ。ここは浜松の海沿いの南区である。昼日中、わたしは一瞬、ふらっとなった。どこにも、もたれるもののない、恐怖感に襲われたのだった。じつにこわかった。
 鰻屋さんは50度にたえたという。浜松市立高校時代のこと。下校の夕暮れどき、浜松駅前の鰻屋のおじさんが、頭にねじりはちまきして、大きなうちわをパタパタあおいでいる。ウナギの炭火焼きのいい匂いがしてくる。食べたいなぁ。外からまる見えの風景だった。今、鰻屋はビル内の洋品店に変わっている。そんなのんびりした思い出もふき消されるような、なんとも、すさまじい猛暑日であった。
 足利の大麦工房ロアから商品の案内書がとどく。大麦工房は、大麦を素材にした食品を製造・販売する会社だ。当社の管理栄養士、小林容子さんのひたむきな研究姿勢とその成果に、わたしは注目した。
 岩手県人の「コロナ感染ゼロの要因」は? 小林さんは彼らの食生活に着眼したという。120日間、研究をかさね、ついにその理由を発見。納豆消費量の日本一は岩手県盛岡市だ。さらに、岩手県は古くから大麦、あわなどの雑穀料理が盛んだ。この納豆と大麦の、つまり、発酵食品と食物繊維が、人の腸内環境をととのえ、免疫力を強化して、彼らをこのたびのコロナ禍から護っているのだと、小林さんは分析する。その結果として、新食品「大麦と大豆のちから」が開発されたというのである。
 他分野の女性研究者の活躍は、新鮮だ。たのもしい、とも思えるのである。

 8月30日は、小説家で詩人の稲葉真弓の命日だ。稲葉さんは、2014年8月30日、すい臓がんで亡くなった。64歳。1950年3月8日、愛知県に生まれ、津島高校を卒業。1973年、23歳で作家デビューする。
 優秀な作家だったと思う。『エンドレス・ワルツ』(河出書房新社)など、わたしは夢中で読んだ。豊かな感性と洗練された言葉で、人と人との、その心と心との交感をみごとに描いた作品群に感動したものである。これからもどんどん書けた人だ。どんなに無念の思いで稲葉さんは逝っただろう。
 「信濃毎日新聞」読書欄の書評を25年間、わたしは担当した。稲葉さんの作品は、『還流』(講談社)、『海松(みる)』(新潮社)など書評している。
 それらの掲載紙をおくると、かならず、稲葉さんから手紙がとどいた。気取らない文面だった。おおぶりの字で書かれていた。手紙はその人を正直にあらわすもの、とわたしは思っている。『還流』の拙評について、稲葉さんはこう書いてきた。「初めての新聞小説がどう読まれるのか心もとない気持だった」ので書評に「励まされた」と。
 わたし自身も、稲葉さんの手紙に励まされたのだ。新聞の書評は短いものだが、じつに手間ひまのかかるものであった。まず読書。つぎに抜き書き。そしてモチーフとテーマを抽出する。文章は何度も推敲する。中途で放りだしたくなることもあった。しかし、それを食いとめるのが、稲葉さんのような作家や担当編集者の手紙だった。
稲葉真弓の手紙は、いまなお、静かに優しく語りかけてくれる、貴重なものになっている。

34 高橋一清氏からとどいた手紙
 ネコの朝も早い。歩行訓練のため自宅前の道にでると、ネコは身をくねらせて体操していた。歩くわが影が、前方の地面に映る。おやっ。右腕が前後にきれいにふれているぞ。あんなにかたくなだった右腕が。
 午前中に定期受診のため、すずかけセントラル病院に行く。主治医のいくつかの質問にこたえる。
 いつもの薬をうけとり、ミニストップへ。長身の男性が、おにぎりを選んでいる。理学療法士のT先生だ。ミニストップのおにぎりはどれも100円。〈先生、夏場はうめぼしいりのおにぎりがどうかしら。〉T先生の両腕が日にやけてぴかぴかしている。〈来春の掛川・新茶マラソンのトレーニングをしてます。〉そうか。いまから準備しないと昨春の記録は更新できないのだ。今春は、コロナ禍で大会は中止になったのだった。
 週に1日、3時間の体操にでかける。デイサービスYAMADAへ。柔道整復師で施設の運営者である山田先生が〈ふくらはぎは、第2の心臓です。だいじです〉という。
 まず、椅子からゆっくり7分かけて立ちあがる。6人の患者は、こうき先生の気くばりの指示でトレーニングする。かかとあげをゆっくり10回。椅子にゆっくり7分かけて腰をおろす。この動作をくりかえす。ふくらはぎにちからがこもっているのが実感される。
 わたしは、このひざの屈伸体操が好きだ。集中できる。緊張感ももてる。
 台所のほうから〈がんばろう。がんばろう。ばっちり〉と、大きな声が聞こえてくる。気分がしらける。せっかく、気分が満ちてきたというのに。
 9月10日。野党新党の党名が立憲民主党に、代表が枝野幸男に決まる。枝野には弱者、貧者の存在を意識してほしい。かれの顔は、たらふく食うている男のそれだ。枝野夫人はかれの顔つきを日々どう見ているのだろう。弱者、貧者の現実をもっと直視してほしい。

 元文藝春秋編集者、高橋一清さんが「文藝家協会ニュース」6月号の「会員通信」に寄稿していた。「出さなかった手紙」と題するエッセイである。
 高橋さんはひところ、知人の新聞や雑誌や放送での発言への感想を手紙にしたためていたという。しかし翌日、読みかえして賛同できなければ投函しなかった。「出さなかった手紙」の袋に収めていた。投函すれば「書いた自分が恥ずかしくなるから」だそうな。「今日は昨日の人でない。出さなかった手紙の数ほど成長したのかもしれない」とも、高橋さんはエッセイに書く。
 わたしの手元には、若いころの高橋さんの手紙が保存されている。「平林たい子」の拙稿を読んでもらったその批評と助言の手紙だ。「丹念なお仕事ぶり。また平林さんに寄せる女性としての共感、尊敬のお気持もある。」文芸誌には向かないけれど、女性誌などの伝記、人物ドキュメントには受けいれられるであろうと、高橋さんはいうのだ。面識のない、大手出版社の文芸専門の編集者からの手紙に胸が躍ったのを、わたしはいまも覚えている。
 これから3年後、『平林たい子―花に実を』(武蔵野書房)を刊行した。伝記的作家論として完成させたのだった。
 刊行直後、高橋さんから電話があった。ビックリした。

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〔culture0931:200915〕