43 ある小説家の昼下がり
赤いツバキの花が、ホソバの木の間から顔をのぞかせている。緑の葉っぱは1年中つやつやしている。赤い花たちを健気にひきたてている。
寒い日がつづいた。2月17日午後のこと。窓を開ける。おや? 白いすだれだ! 空中に停止する、見事なすだれである。風花ではない。淡雪でもない。棒状の細長い雪が何本も垂れている。地面にはとどかない。途中に切れ目がある。ぱっと消えては、また現れる。しばし、マカ不思議な気持ちで眺めていた。初めての光景だった。
宅配便がとどく。満開のツバキの絵の箱。開けると寅家の焼き菓子。熊本のサン・プロジェクトからだ。うれしい。目に効く「ブルーベリーエキスカプセル」を何年も購入しているその景品である。床のごみを見逃さないのも、ブルーベリーの効用かもしれない。
「全作家」を読んだ。季刊の文芸雑誌である。第119号は掌編小説特集だ。陽羅義光さんの「墨守」など32編が収録される。文学を愛する人たちの力作だが、わたしは、とりわけ藤木由紗さんの「サマータイム」に注目した。
かつての恋人どうしが再会する。「コロナで仕事も上がったりだ。サックスももう吹く気にもなれない」「どこもコロナ禍ね。虚しくなるわ」バンドマンの男は、副業の小料理屋をたたみ、帰郷して百姓をするという。「よかったら一緒にこないか」しかし、女はのらない。なぜなのだろう。若いころのように「愛の暮らしが何故か信じられない」とでもいうのか。彼女は若いころ、彼のプロポーズを拒んでいる。
しかし今はどうなのか。彼女の現在の心のうちを念入りに書いてほしかった。過去よりも現在に、男よりも女に、力点をおく。そのふでの配分を意識すべきではなかったか。それには、執筆のコンテに時間を費やし、作者の意図を明確にしておくことが大切だと思う。
*
あのときの小説家だ。ラジオから声が流れてきた。あのときのやさしい、かぼそい声とはちがう。雄弁である。愉しげだ。彼女は、韓国の小説がこの国でうけるブームの理由を語っていた。
当時わたしは国語教室の講師をしていた。生徒が欠席すると、近くの喫茶店に行き、取材ノートをまとめていた。隣の席に母子が。おやっ。母親は写真で見る小説家だ。こんなに近くで。〈これでもう、夕ごはんよ〉4時。2人の子はサンドイッチを食べはじめる。4、5歳だろうか。小説家は20代後半。暗い、寂しげな表情だった。
その後も何回か、わたしは彼女の姿を見かけている。ジャージ姿で、飾り気のない、大柄な人だった。
わが同僚から聴いた。〈かれは、これから主夫をやるといって辞めたそうだぜ〉と。小説家の夫は大手出版社の編集者だった。わがおしえごからも聴いた。〈お母さんは夜、ベランダでオンオン泣いてる。子どもたちは2階からピーマンやニンジンを落としてくる〉と。女生徒は小説家とおなじマンションに住み、母親が小説家の飲み仲間だといった。
小説家の閲歴を調べると、彼女は早熟の人だ。18歳で書いた小説が、大学生のおりに文芸誌の新人賞を受賞。26歳、野間文芸新人賞を獲得。単行本がベストセラーになる。映画化もされる。文学者としては、じつに幸運なスタートを切っているのだった。しかし一方で、彼女は母親をなくしている。離婚もしている。
わたしが喫茶店で見かけたのは、これからほどないときのことだったと思う。彼女は実生活においては、苦難の渦中にあったのではないか。
現在は、大学の日本文学科教授だ。彼女の、人生を開拓するそのたくましさに圧倒される。ラジオの声を聴きつつ、わたしは、1人のおんな作家の生き方を思ったものだ。
44 平林たい子の『宮本百合子』
男中心の社会はつづいていた。暗澹たる気分になる。
森夫人はどう思っているのだろう。夫の、総理大臣経験者、森喜朗が、女性蔑視発言をした。東京五輪・パラ組織委員会の会議の席で。森会長は、これまでにも、女性蔑視発言をしていたかもしれない。しかし問題にされるでもなく、そのつどパスしてきた。83歳。長年の結婚生活でも、森夫妻は、意識改革ができていなかったのである。
この件についてNHKラジオが報じた。森と同席していた人たちも同罪だという意見があった、というのだ。わたしは、この視点に注目した。共鳴したのである。女性蔑視する男のほうが、この国では、立身出世して高収入を得ている。こういう人たちが同席していたのかもしれない。
若いころのこと、大学院生に女性蔑視のひどい男がいた。わたしは学校に通うのが不愉快になる。〈授業料は男も女もおなじなのに〉と、指導教授にうったえた。平野謙は〈大阪の男はそうなんだ〉と応えただけだった。この男は、のちに大学の先生になる。
あれから何10年もたつ。しかし現状は、今も変わってはいない。いつになったら、男女平等・同権は、すそ野にまで浸透して現実化するのだろう。
今年も、掛川・新茶マラソンは行なわれないのだろうか。S病院の理学療法士、T先生
やH先生などは参加する予定のようだ。わたしは受診日を変更したので、T先生に会って尋ねていないのである。
リハビリ教室に行く。週1回、3時間の体操日だ。今冬はとくべつ寒かったが、わが右の患足は斜めの棒にならずにすんだ。体操はくりかえすもの。こうき先生が、パワープレートにのせた足を押さえてくれる。マシーンの振動で、足の裏側がすごく痛い。ちょっぴり足が伸びたみたいだ。
作家の辺見庸さんが3月5日付ブログに書いていた。「生き残りたいってことはない。もっと歩けたらとおもふ」と。わたしも、すたすた歩けたらどんなによいか。
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作家どうしの激しい対立は、とても興味ふかい。おたがいの主張を検証してみれば、そこには、両者の人間観や文学観などがみえてくる。
平林たい子と宮本百合子。2人は早熟の人、という共通項はあるが、生涯、交わることがなかった。しかしたい子は、対立する人のことだからこそ、どうしても書きたかったのだ。『宮本百合子』(新潮社)は、たい子最晩年の、執念の作にちがいない。
そもそも、2人は生い立ちがちがう。思想や文学観も。政治的立場も。たい子は本書のなかに書いている。
「子供の死ぬことがかいてあるとどんな小説でも泣けて仕方がない」と、たい子が告白する。「親子の情などというものは、過去の感情だ。われわれはそんなものを早く清算してしまわなくてはならない」と、百合子が応じる。
百合子よりも若輩のたい子は、そのとき、「反駁」をおさえて「えへらえへら」していたという。子をなくした体験・実感のあるたい子には、百合子が薄情な人に思えたのだろう。が、百合子は普遍的な感情はわかっていたはずだ。さらに、女たちの意識改革をいいたかったのではないか。「清算」は女たちの向上・発展のために必要だと。
たい子の感情と百合子の理性。わたしには、2人の主張はそれぞれ大切なものに思える。どちらか一方に軍配はあげられないのである。
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