リハビリ日記Ⅴ 23 24

著者: 阿部浪子 あべなみこ : 文芸評論家
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23 松本正枝のこと
 早朝の歩行訓練だ。夏空は青く澄んでいる。あれっ、今年も咲いた。背の高いヤマユリの花たち。白い、清楚なラッパたち。かたわらには、ムラサキツユクサがひっそり咲いている。
 バイクの音がする。わたしは叫んだ。〈郵便やさん、助けて〉彼らの配達の時間はきまっている。1時間ほど前から、玄関の隅にうずくまっていた。ウエルシアで買い物をした。重くなった、背中のかばんのことをすっかり忘れて、前かがみになる。その拍子に後ろにのけぞった。そのまま立ちあがれなくなる。床の小さなムシを拾おうとしたのだ。
 浜松西郵便局のみずのさんの顔は、真剣そのものだった。わが両手をとって、両腕でぐいともちあげてくれた。たくましい両腕に重かったろうか。
 元総理大臣の国葬に、わたしは反対だ。
 KDDIの、個人への一律補償200円返金は、安すぎる。

 わが取材ノートには、女たちの、人として生きたドラマが刻まれている。かけがえのない人生ドラマだ。彼女たちの生きた証しにちがいない。ノートを虚心に読みかえせば、破棄するには忍びない。「リハビリ日記」のなかに、書きとめることにしている。
 松本正枝は、雑誌「婦人戦線」を中心に集まった女たちの1人だ。なかにはアナーキストもいた。八木秋子、高群逸枝、望月百合子、犬塚せつ子、住井すゑ、生田花世、城夏子など、めざめた女たちだ。無産階級の解放をめざす。
 正枝87歳のおり、わたしは、むさしの園に彼女をたずねている。東京の軽費老人ホームの4畳半の1室。桐の仏壇の遺影は、眼鏡のおくの目が恥ずかしげだ。頭は五分刈り。彼女の夫、延島英一である。
 〈延島は清廉潔白で、博学でした。どこをおしても知識がとびでてきた〉と、老いた妻は自慢げに語る。
 その清廉の人が、女性史研究家の高群逸枝と不倫したというのだ。作家の瀬戸内晴美(寂聴)が「日月ふたり」に書いている。寂聴の取材に、正枝は、秘め事にしていた夫の不倫をしゃべってしまった。〈瀬戸内さんは、自分のほうから裸になるんですもん。つられて、あたしもねえ、つい〉。
 正枝は2人の男児を高年齢出産している。夫の不倫はそれ以前のこと。
 わが取材中に彼女は逸枝のことを何回も、わるく言った。〈反っ歯に口紅を濃くぬりたくっていた〉〈逸枝さんのほうから夫を誘ったのよ〉などと。逸枝の仕事も評価しないのだった。
 しかし当時、正枝は自ら別れを告げたという。〈本気だったんですか〉と、わたしはたずねてみた。〈そう、それがアナーキストのとる態度だと考えたから〉と、正枝はこたえた。延島家の小姑たちへも手紙を書いたが、姑が〈うちの近くに住んでくれ〉と請うた。
 逸枝も延島のプロポーズをうける気はない。逸枝は不倫を「婦人戦線」の目標である「男女関係の友愛の構築」ぐらいに捉えていたかもしれない。
 なぜ、正枝は秘め事を寂聴に暴露したのだろう。歳をとったから。いや、彼女の強い自己顕示欲だと、わたしは思う。彼女は延島を批判しない。夫の裏切りを怒らない。〈延島は明るくて、話がたのしい。5か国語も話せる。延島の清廉にたいして橋本さんは世故たけていた。文芸物についてはそれなりの知識をもってただろうが、延島の博学には追いつかない〉と、自慢する。夫がよその女にもてる。この妻には得意なことだったのかもしれない。橋本とは、逸枝の夫、橋本憲三のこと。平凡社に勤めていた。日中、自宅にもどることがある。延島は書斎の窓からとびでて崖を滑りおりたそうな。橋本宅は崖のうえに建っていた。
 
24 延島英一のもう1つの恋
 北の窓からすずしい風が入ってくる。猛暑はつづいている。いつまでつづくのだろう。  
 さちこさんからいただいた新茶を飲もう。彼女の母親の里、天竜のお茶だという。さちこさんの心づかいがうれしい。新茶は、ほのかな香りがして、あっさりした味がする。わが憂鬱な気分がふきとぶ。
 さちこさんの甥のひろき先生。同僚のゆい先生。2人はすずかけセントラル病院の優秀な理学療法士だ。マラソンの練習はつづけているだろうか。ゆい先生はユーモアがあった。ひろき先生は言葉づかいがていねいだった。
 リハビリ教室「健康広場佐鳴台」に出かける。送迎車の運転は戸塚先生。いちかわさんんといくまさんが乗っている。
 3時間15分の授業。まず、準備体操。藤田先生の指導である。からだが少しずつほぐれていく。最後に、深呼吸でしめくくる。〈鼻から大きく吸って、口から大きく吐く〉先生の声は澄んでいる。深呼吸は日々、わすれがちなもの。教室ではつごう4回行なう。準備体操の最後。レッドコード運動の最初と最後。そして、口腔トレーニングの最後。行なうたびに、ささやかだが、せかせかした気分がおさまる。気持ちがさわやかになる。わたしは4回とも、細かくいえば往復12回をまじめに行なう。
 それぞれの体操の細部にこそ、効果がかくれているにちがいない。

 「日月ふたり」は瀬戸内寂聴の伝記小説の1つだ。雑誌「文芸展望」に発表されると、松本正枝のもとに、橋本憲三の怒りの手紙が舞いこんだ。〈でたらめなことを話すな〉と。妻、高群逸枝の、正枝の夫、延島英一との不倫を世に暴露された夫の怒りは、さぞかし大きかったであろう。正枝は、寂聴に秘め事をしゃべっている。
 寂聴は作中に〈逸枝は万年筆を折る〉と書いた。正枝は〈ペンを折る〉と寂聴に話したのに。〈当時のペンは、ウラン材でできていた。ペンを折るくらい逸枝は烈しい人だった、といいたかったのよ〉と、正枝は反論する。
 橋本は〈でたらめ〉を書かれてあることへ抗議しつつも、じつは、妻の不倫を暴露されたことへの強い怒りを正枝にぶつけてきたのではないか。
 さて、延島のもう1人の相手、とは、住井すゑだ。彼女は、犬田卯(しげる)の妻で、のちに小説『橋のない川』(新潮社)で有名になる。夫の2つ目の不倫を、正枝は「婦人戦線」の元同志とその娘の前でしゃべった、というのである。
 延島は、同志の妻と不倫した。「解放戦線」の編集人をつとめるが、犬田も関わっている。2人は、ともに農民運動の活動家だった。
 延島は〈肩幅の広いたくましい男〉だが〈生活能力がない〉しかも「けんか早くて」会社勤めがつづかない。翻訳の仕事をしていたが、ずっと、妻の稼ぎにたよっていた。妻は日中不在。すゑは子どもを背負って延島宅にきたという。
 正枝は経済的に自立した女性だ。
 埼玉鳩山の農家から上京し、華族の佐藤家に寄寓する。6歳の子の世話をした。その後、佐藤高女裁縫科を卒業。さらに、正則学校でタイプを習得する。
 農民自治会に参加し、逸枝や延島や犬田と出会う。
 「女人藝術」に「農民自治とは何ぞ」と題する作品を発表。同誌にはほかに2点掲載。
 ところが橋本が、正枝の作品は延島の代作だった、と書く。
 「婦人戦線」の元同志がそろって茨城牛久のすゑ宅を訪ねた。その道中の車内で、夏子が正枝に〈代作って、ほんとなの〉とたずねた。正枝は反論せず、黙っていたというのだ。
 正枝は、書く才能も努力もない人だったのであろうか。
 夫、延島と逸枝の恋を暴露したことで、正枝は、いくつかの仕返しをされたようだった。

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