ロヒンギャ危機とアウンサンスーチー(3/10現代史研究会資料)

著者: 野上俊明 のがみとしあき : ジャーナリスト

ロヒンギャ危機とアウンサンスーチー 現代史研究会 2018.3.10

ロヒンギャ危機の本質は政治問題であること―排外主義をテコに権力保持をねらう軍部の政治的軍事的決定により引き起こされた事態であること。ロヒンギャ危機は、スーチー政権の国軍との原則なき融和政策、すなわち憲法改正への出口戦略なき妥協政策の破綻を明らかにした。

<右翼ナショナリストによるトピックス化>

有本香のロヒンギャに対する偏見コメントに感謝する在日ミャンマー人団体=排外主義の国際連携。また中国包囲網にミャンマーを組み入れたい安倍政権は、国際社会のロヒンギャ危機への批判にも配慮する姿勢を見せつつ、スーチー政権を強力に支援する構え。しかしロヒンギャ=テロリスト、不法侵入者interloper呼ばわりし、迫害を認めない国軍を非難しない。スーチー政権の国連や援助団体、メディアの現地立ち入りの拒否についても触れない。ロヒンギャ危機援助としてスーチー政府にカネは出すが、それが有効に使われる保証はない。帰還事業の成否は、帰還者の安全が保障され法的地位が確保され生活再建できるか否かにかかっている。

いずれにせよ、国連等の強力な第三者機関の関与が絶対不可欠。1)

人権団体―バングラデッシュとミャンマーの帰還協定は、「PRトリック」にすぎない。~帰還を推進すると言いつつ、帰還を不可能にする政府・軍によるロヒンギャ集落のサラ地化批判

※ユニセフーロヒンギャの子どもの難民は推定53万4千人が隣国バングラデシュにいる。サイクロンの季節が到来し、感染症の拡大や診療所の閉鎖などの危険が高まっていると警鐘を鳴らしている。一方、18万5千人はミャンマーの西部ラカイン州にとどまっており、暴力の恐怖に直面している状況を危惧している(日経 2/27)

 

<ロヒンギャ危機の見方>

  • 2016~2018年ロヒンギャ危機の本質は、南アジア地域に特徴的な旧来型の自然発生的なコミュナリズム紛争(人種・宗教・地域紛争)※ではなく、それを土台としながらも国軍の掃討作戦が引き起こした人道・人権の危機である。―→ロヒンギャ・ムスリムによって地域的少数派であるアラカン仏教徒の存在が脅かされているとしてアイデンティティの危機を煽り立てて迫害行為への同意や協力を取り付け、かつビルマ仏教徒に対しては多数派優越主義の宗派意識を扇動し、仏教中心の国家的枠組みの守り手としての国軍権力の正当性を強く訴える。宗派ナショナリズムの流れを政治的に利用することで、大衆の政治的操作を行ない、憲法改正の動きを封じ込める狙い。ナショナリズムの動きに対し効果的な反撃を行なわず、危機の複雑さや歴史的因縁、解決の難しさを理由に、危機の元凶である国軍の責任をあいまいにするスーチー政権の政治責任の重大さ。 ※地域的宗派多数による少数者のジェノサイド
  1. インド独立時のコミュナリズム(排他的宗派主義)紛争・・・ガンジーとアウンサンスーチー
  • シリアと並ぶ最大級の人権危機―――ミャンマー政府・軍・多数派仏教徒市民がミャンマーにおけるロヒンギャの歴史的存在、集団的な自己識別権group right to self-identify を無視して国籍を剥奪、絶対的な無権利状態に追いやった上で、大規模掃討作戦で放火、殺戮、強姦をほしいままにした。●危機の複雑さ―1785年コンバウン王朝によるラカイン王国征服~仏教徒ラカイン族も少数民族(200万人)で、仏教徒ビルマ族から差別うけるという抑圧の重畳構造・移譲関係。cf.ことわざ
  • 国軍の掃討作戦=国際テロリストによる攻撃で危機に瀕した国家主権を守るための正当な行動と主張――スーチー政権も黙認, 日本軍の三光作戦やベトナム戦争での掃討作戦=ゲリラの温床破壊
  • SNSは日緬ともヘイト・スピーチやフェイク・ニュースなど排外主義のオンパレード。過激派仏教徒運動=ウィラトゥ僧侶の跳梁―スーチー氏は一度も正面切って批判したことはない、それどころか仏教の政治利用を批判した中央委員除名処分

<ロヒンギャ危機の諸相>

  • ロヒンギャのデアスポラ状況(2017年以前) 総人口200万人弱

ミャンマー    100万人

バングラデッシュ 40万人

サウジアラビア     40万人

パキスタン      20万人

タイ        10万人

マレーシア     4万人

インド        4万人

 

  • ロヒンギャ迫害正当化の論拠――植民地主義者イギリスの手先、国際テロリストとの連携に対する国家主権擁護の戦い、半ば国家意思としてのロヒンギャ迫害とデアスポラ化―それを許してしまう極めて根の深い病理的国民意識があり、スーチー氏は、そのような状態を放置すれば、国民的統一と民主化の事業が台無しになることにあまりに無自覚。

                                      無人島テンガー・チャ—島 ロヒンギャ10万人収容予定

歴史的経緯

15世紀前半~18世紀後半 アラカン王国時代―多数派仏教徒と少数派ムスリム共存して宗教対立なし。

1785年―アラカン王国はコンバウン王朝により征服される。

1826年―コンバウン朝は第一次英緬戦争に敗北し、ラカインは割譲され英国の植民地となる。ラカインにムスリム多く移住。

1886年―コンバウン朝は第三次英緬戦争に敗北して滅亡、ビルマ全土が英領インドに編入される。多数のインド系住民である印僑の流入―商工業者、高利貸、下級公務員のほか、多数のムスリム、ヒンズー教徒の下層労働者が移住。ラカイン州では定住化で、仏教徒との軋轢強まる

20世紀初頭来―多数のインド人(公務員、商人、労働者)流入―国内移動。

第二次大戦前―下ビルマ、ビルマ人農民の小作人化=インド人高利貸の不在地主、米流通は華僑、印僑握る~サヤサンの反政府農民暴動(1930年)~このあと都市部の独立運動へ=タキン党、共産党結成

第二次大戦中―日本軍、アラカン仏教徒武装化、対する英軍もムスリムの一部武装化。1942年、英軍ムスリムにより、2万以上のアラカン仏教徒殺戮される。1944,2月インパール作戦の陽動作戦としての第二次アキャブ戦争―マウンドウ地区をめぐる攻防※。日本軍大敗~大敗走

※「アドミン・ボックス(Administration Box管理箱。日本側呼称円筒陣地、もしくは立体陣地)」と呼ばれた密集陣――→日本軍が得意としてきた夜間肉薄突撃通用せず

近年ロヒンギャ迫害史

1966年 ビルマ―東パキスタン、国境確定

1978 年―ナガミン(ドラゴン王)作戦で 20万バングラデシュへ追放、1万人の死者出したとされる。

1982年市民法―135の民族構成、ロヒンギャを民族として認知しない。ベンガリと呼ぶ。

1991年~1992年と1996年~1997年の二度、大規模な数のロヒンギャが再び国境を超えてバングラデシュへ流出して難民化、国連難民高等弁務官事務所の仲介で帰還。

2011年 民政テインセイン改革始まる。

2012年 3月ARSA(リヒンギャ救世軍)結成

現在までのところタリバンなど国際テロ組織とのつながりない模様。6月、アラカン仏教徒により200人以上のロヒンギャが殺害された。13万~14万人のロヒンギャが国内難民化し、政府は難民キャンプに幽閉し、難民キャンプやロヒンギャ村への国際援助を制限した。仏教僧侶ウィラトゥを指導者とする仏教過激派組織が反ムスリム969運動を全国展開。中部のメイティーラなど他の都市にも紛争波及。

2014年9月11日  新しい国勢調査―政府、ロヒンギャという呼称認めなかったので、調査ボイコット。民族別・宗教別の人口数結果は現時点でも非公開。出稼ぎ者数百万は算定外。

2015年 迫害を逃れて、アンダマン海やベンガル

湾でタイやマレーシアに密航を試みるロヒンギャ族らを乗せた密輸船が漂流、難破。周辺各国の大半は接岸を拒んで追い返し、死者多数出る。

2015年 「ミャンマー愛国協会(マバタ)」らの働

きかけによって、イスラム教徒に対して非常に差別的、人権侵害的な人口管理政策を促進する「改宗法」「女性仏教徒の特別婚姻法」「人口抑制保健法」「一夫一婦法」が制定された。

2015年11月 総選挙。NLD歴史的大勝利。ロヒンギャに選挙権なし、議会からロヒンギャ議員いなくなる。NLDは一人のムスリム候補者も立てなかった。

2016年5月2日 スーチー氏は欧州連合(EU)のモゲリーニ外交安全保障上級代表と会談し、国際調査団の受入拒否を表明。

2016年10月9日、ラカイン州で武装集団の襲撃があり、警察官9人が殺害された。12月9日までにロヒンギャ住居約1500棟が焼かれ、死者は1000人を超えた可能性。難民となったロヒンギャは9万人に上る。

                                                          逃げ惑う人々、恐怖に引きつる顏

2017年8月24日 ミャンマー政府が設置したアナン特別諮問委員会の最終報告書を公表。2

2017年8月25日~9月1日 ミャンマー国軍が8月25日からの戦闘で、「ベンガル人」を399人殺害したと発表した。このうち、370人は「アラカン・ロヒンギャ救世軍」など武装勢力としている。政府側はARSAの襲撃により警官11人と国軍兵士2人、政府職員2人の計15人が死亡したと発表。ARSAの襲撃から、掃討作戦まで瞬時―事前の兵力増強と地域封鎖確認~周到な計画の存在。             ロヒンギャなきあとの土地利用=アブラヤシの最適地

2018年1月 国軍が西部ラカイン州マウンドゥ郡区で少なくとも30の民兵組織を編成し、3組織に武器を供給したと発表。~国軍は迫害継続する意思を表す。

2018年2月現在、約70万人がバングラデッシュに逃れる、2月にもなお難民化が続いている。

  • スーチー氏、軍との融和優先―これがもたらしたもの、カチン州、シャン州の少数民族集落への攻撃、ロヒンギャへの迫害―――異議唱えない。rule of lawというマントラの嘘、ロヒンギャ問題解決に真剣に取り組んでいるという嘘―問題の核心である国軍の蛮行に触れない。

スーチー氏は、国軍の実態知っているはず=暴力が統治の一手段とかつては非難していた

手段としての暴行>

2017,4月の国連事務総長報告によると、性的暴力は「ロヒンジャ社会に屈辱と恐怖をもたらすために体系的に採用された」もの。たまたま乱暴な兵士が脱線して行為に及んだのではなく、目的意識的にとられた軍隊ぐるみのものである。同趣旨のことを、スーチー氏自身がすでに述べていた。

「私の見方では、少数民族を脅迫し我が国を分断することは、軍隊によってひとつの武器として使われている」(紛争における性的暴行に関する会議へのビデオ・メッセージ 2011年)

二重の差別、暴力、虐待、迫害――女性として、そしてロヒンギャとして、性暴力を生き抜いた女性への精神的肉体的ケア―-20%未満のみ

135の政府公認の土着民族に含まれない、正規市民は仏教徒ビルマ族~国家帰属と宗教同一視 3)

 

<政治勢力>  

【国軍・政商・USDP] 【少数民族集団] 【民主化勢力]

(民主化勢力=NLD、4・8党、弱小政党群)

  • 農民が人口過半数をしめ、農業がGDPの30%強を占めるものの、農民の利益を体現する政党は不在。
  • 民主化勢力内に、新党「4・8党」が結成された。

<内戦終結―全面和平への道>

  • 武装組織を有する主な少数民族=シャン族、カレン族、カチン族、ラカイン族、チン族、モン族、カヤー族=行政区分7州など、その宗派は仏教のほかメソジスト派やバプテスト派のプロテスタントやカトリック、その他ワ族…カチン族はビルマ戦線で連合軍に協力した(イギリスの分割統治)。
  • 国内最大兵力を持つワ族のワ州連合軍(UWSA)3万人、カチン独立機構(KIO)でも最大1万人。中国が援助していた旧ビルマ共産党系のコーカン14万人=漢民族系ミャンマー人、ビルマ共産党の事実上の支配下でケシの栽培に従事していたワ族~中国政府の政治カードとしての存在。3)
  • 停戦―和平協定の現状

2015年10月、テインセイン政府は武装組織と認める17組織のうち8組織だけ署名式に参加。しかし北部カチン州や北東部シャン州などで断続的に激しい戦闘続く―そのためコーカンなどの一部武装組織の協定への参加を政府・国軍認めていない。

スーチー政府になって、政権の優先度トップのアジェンダとして和平協定をあげ、新パンロン会議※を開催した。2018年2月「新モン州党(NMSP)」など国内の二つの少数民族武装勢力との停戦協定に署名したが、全体としては完全に手詰まり状態。

※独立直前、アウンサン将軍が主要少数民族組織と結んだパンロン協定、民族統一・自決権・民主主義などの理念を含むとされるが、将軍亡きあとまもなく内戦突入。4)5)

  • 原則的不一致  

少数民族側―中央集権的な2008年憲法の枠組み内での自治権拡大では不十分、分離の自由を含む政治的自決権を認めてこそ、真の連邦国家可能

国軍―あくまで自治権の範囲、分離の自由は認めない。2008年憲法の枠内での政党設立と活動認める。

NLD政府――2008年憲法改正をNLD党是とするも、実際には国軍の路線追認。少数民族組織も不信感。

★ 2018年、21世紀パンロン連邦和平会議は、1年遅れて5月開催予定(半年1回予定)、なかば機能不全に。

        <政治の枠組みー2008年憲法>

  • 大統領―テインチョー(NLD)、副大統領―ヘンリーバンティオ(NLD)、ミンスエ(USDP)
  • 国防省・国境省・内務省―国軍最高司令官が任命…軍、警察、公務員の全体をコントロール
  • 連邦議会、地方議会―議席の1/4は国軍司令官の任命
  • 免責特権―過去の政治的罪は問われない。
  • 大統領が非常事態宣言をすると、国防治安評議会と国軍最高司令官が全権を掌握する。

<宗教勢力>  【サンガと呼ばれる仏教僧侶集団] 【イスラム教] 【ヒンズー教]

  • 屈辱体験の裏返しー仏教徒でなければ、人に非ず。植民地支配のトラウマとしてのムスリムの存在=イギリス植民地主義者が連れてきた存在。戦争時ラングーンはインド人が多数派。日本軍侵攻~二十万人陸路でインドへ逃れ5万行き倒れ~白骨街道。(日本軍イラワジ・デルタの米集荷都市パテインを押さえる~インド・ベンガル地方100万人餓死)
  • ムスリム諸集団―コミュニティであって、ロヒンギャ以外民族としての自己規定なし。

インド人系ムスリム=インド・ムスリムとバーマ・ムスリム、ロヒンギャ・ムスリム、カマン・ムスリム、パンデー・イスラム(中国系)、パシュー・ムスリム(マレー系)―ロヒンギャ以外国籍保有

  • 一般ムスリムには差別がないという嘘―SB秘密警察員の話=サフラン革命で一番逮捕者多かったのはムスリム。ムスリムへの差別例=出生届け受理しない~就学できない。

例:ツワナ地区のムスリム・スラム(不法占拠)―ゴミの回収に市役所は一度も来ない。

仏教徒の横暴=終夜お経~ムスリムと仏教徒との衝突~軍の出動  マンダレー事件=仏教冒涜罪

<1982年ビルマ国籍法>

国籍申請の要件

①両親のいずれもがビルマの先住民族に属していること ②過去2世代以上に渡って連邦領域内に家を建てて永住した者の子孫であり、その者自身と両親とが連邦領域内で出生した者

市民= ①「・・諸民族及び1823年以前から 領土内に定住していた少数民族」 ②両親が国民若しくは国籍法発効日時点ですでに国民であった者

準市民=1948年連邦国籍法の下で申請を行い、その手続きが新法発布時に進行中であった者とその子供

帰化市民=­先住民族とは認められない少数民族の内、1948年1月4 日以前に領域内に入り居住してきた者と、領内で出生したその子孫。

市民権法はロヒンギャに限らず、1948年1月の独立時点で、ビルマ国内に居住していない、あるいは居住が確認されていないとした者の国籍を全て剥奪した法律

◆ネウィンが市民資格に差別を設けた本当の理由―――分割して支配することを基本線としつつ、華人・華僑(商業)や印僑(金融)には経済では勝てないので、ハンデをつける。(文革時代の反華僑暴動)

希望の光=反ロヒンギャ旋風一色ではない――「イラワジ」はもとより、「ミジマ」、「ミャンマー・タイムズ」も比較的客観報道貫いている~88年来の民主化運動の遺産生きている。

僧侶Ashin Min Thu Nya―宗教の純粋性守るためー「私たちは皆、宗教としての仏教を守る義務があります。 私たちは皆、[U Wirathu]を止めるために協力する必要があります。 もしそうでなければ、私たちは彼を止めることはできません。 もし我々が彼の行動を無視し続ければ、わが国から正義が失われるでしょう・・・私は彼の行動が彼の人格を反映しているにすぎないことを世界に伝えたい。 私たちの仏教僧侶は彼を支持していません」

<アウンサンスーチー論>

  • スーチー氏のプロフィール

16歳からインド大使として赴任する母親についてインドへ~ネルー一家と親交深める。

1964年から1968年オックスフォード大学・ヒーズカレッジへ~哲学・政治学・経済学修士号取得

ただし研究者になるには力不足で断念。

国連事務局で2年余、1969-1971年勤務(唯一の社会経験)、1972年にオックスフォードの後輩で、当時ブータン在住だったチベット研究者のマイケル・アリス(1946-1999) と結婚し退職、ブータンに2年間1972年から73年在留、専業主婦へ。一時的に1985年10月~86年7月までの約9ヶ月間、国際交流基金の支援で京都大学東南アジア研究センターの客員研究員―研究テーマは、父親の日本での事績を追跡すること。

1988年、3月学生の反乱から始まった反独裁・民主化国民総決起・・・確かにスーチー氏のおかげ、民主化闘争が世界に知られ、そのおかげで死者の数が抑えられた。ただ象徴としての意味強く、実際の運動指導していたのは、88世代やジャーナリスト・ウインテイン氏。人権と民主主義のビルマの聖像という過大評価、西側の識者の果たした役割大きい。Alan Clements「自由への道」ほか、ほとんどの伝記作家による英雄神話。

1990年代は左翼の退潮~民主化支援は新しい市民層が担い手=政治的観点よりヒューマニズム的視点が優勢

  • スーチー崇拝の歴史的背景=アウンサン将軍による建国神話、英雄の娘=血統と聖者崇拝の仏教的伝統←→咸臨丸・ワシントンの子孫はどこに
  • 神輿に載ったヒロイン。生まれと育ちから大衆デモクラシーの指導者ではない。エリート民主主義者。ミャンマーの一般大衆との接点はない(16歳から45歳まで海外生活)。しかし英国人と結婚し英国社会で生活し子育てした割に、リベラリズムも身についてはいない印象。
  • 15年の自宅軟禁生活―ミャンマー政治について研究の痕跡なし。ガンジーやネルー、あるいはグラムシとの差。知的空白時代。獄中生活は通算で10年に及ぶネルーは『父が子に語る世界歴史』(1934年)や『自伝』(1936年)、『インドの発見』(1946年)といった著書を完成させている。スーチー氏は政治的事象を分析するスキルに欠けている?~ミャンマー人に共通する欠点?

〔鎖国による知的ブランクー日本との比較〕

危機意識と学ぶ意欲の差―3回の遣欧米使節団

  • 政治的発想はミャンマー創業家だけに統治者的な上からの目線、ネルー一家との付き合い、インデラ・ガンジーとは二世政治家、貴族的民主主義者という点で共通点ある。貴族的特性=共感能力に欠けるのではないか。あるいはマキャベリスト振る舞いーレッパダウン騒動、党ガバナンス。NLDでスーチー氏を批判したのは故ウインテイン氏のみ。獄中20年、拷問、独房、すべてを奪われた。国軍に対して甘すぎると本質を突く。彼女にとって国軍はもともと身内、創業家一族意識。アウンサン将軍が残した負の遺産である先軍思想あり。

<方法論なき人権論>

人権的な発想から現実政治へ飛躍~理念を具体的条件のもとで生かす方法=政策論を知らないため、あれかこれかのジレンマに~既成性への屈服。

つまり政策は普遍的理念と具体的現実を繋ぐ中間的な媒介項である。 普遍―特殊―個別

その例:2回のシンガポール訪問

1回目=シンガポールもミャンマーの様なゆっくりとした生活の仕方に学ぶべきだ。

2回目=あと20年でシンガポールを追い越す。

例えば、イタリアの「città slow=slow city」――効率化と均質化と集中をめざすグローバル都市ではなく、自然環境や文化的伝統を生かして、多様で豊かな生活を実現する都市の現代的再生をめざす。

  • スーチー氏しかいないという言説

専業主婦からトップ・リーダーへーコラソン・アキノと類似する組織を知らないことからくる悲喜劇

「ある政府関係者は、スーチー氏の手法について『交渉や手順を無視したトップ・ダウンの指示ばかり。組織も動いていない』と」(サンケイ新聞)

  • スーチー氏擁護派の人々の論証の仕方の特徴

日本人、ミャンマー人に限らず、スーチー氏の言動の正しさの証明を事実によってではなく、スーチー氏自身の言葉によって行なう。言説の正誤の検証を言説で行なうのは、堂々巡りになる可能性がある。―→プディングの味は、食べてみなければわからない。

例1:スーチー氏は本気でロヒンギャ問題を解決する気がありますか―あります、彼女は過去に私が責任を持って解決すると明言していますから。

例2:このプディングはおいしいですか。―はい、おいしいです、スーチーさんがおいしいと言っていますから。~権威主義から、やがて個人崇拝へ。

  • 「彼女が国軍の蛮行を止められないのなら、彼女は加害者の一人となることを避けるべく、辞めるべきだ」―イエメンのノーベル平和賞受賞者カーマン
  • スーチー氏の単独決裁の弊害―ロヒンギャ問題の解決には包括的な条件づくりが不可欠、すべての利害関係者を参加させる仕組みが大事。現在アラカン民族党(仏教徒アラカン人)は排除されている。

<旧日本軍とビルマ独立戦争>

  • アウンサンと三十人志士物語

援蒋ルート遮断~特務機関、南機関―鈴木圭司/海南島での訓練、バンコクで独立義勇軍結成~ラングーンへ~バーモウ傀儡政権の国防大臣~1945.3.27反日蜂起~1947年アトリー政権と独立交渉~1947年7月アウンサン将軍暗殺。

〔日本軍バゴー入城 1942年2月〕

  • 大東亜共栄圏の嘘が最も真実らしく見えたビルマ戦線~大東亜会議1943年(昭和18年)11月5/6日 ビルマ(バーモウ)、満州国(張景恵)、中華民国(汪兆銘)、日本(東条英機)、タイ(ワンワイタヤーコーン)、フィリピン(ホセ・ラウレル)、インド(スバス・チャンドラ・ボース)
  • 戦争の仕方にその国家、国民の本性が現れる=クラウゼヴツー「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」クラウゼビッツは総力戦しらない~経済・社会・文化のすべてが現れる=戦争の日常化・日常の戦争化

ビルマ戦線:フーコン渓谷・雲南省=援蒋ルート遮断・インパール作戦・・・兵要地誌のでたらめさ(~裁量労働時間制)、補給兵站の軽視、ジャングル戦仕様の武器・装備備品(携帯食料なし、軍靴)、ローテーション制なし、北ビルマ戦線の「菊」・雲南戦線の「龍」の将兵あわせて6万人投入、死者4万人、インパール作戦9万投入、死者6~7万。

(フィリピン:兵要地誌)

参考文献:「遠い戦場」ルイ・アレン 原書房 (1995/06) 後勝「ビルマ戦記―方面軍参謀 悲劇の回想」(2010年6月1日 光人社)、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」 (中公文庫)  1991年

高木俊朗・インパール三部作ほか

  • 火野葦平「インパール作戦従軍記」(集英社、2017)

1944年6月5,6日  ビルマ方面軍河辺司令官と15軍牟田口司令官が、インパール作戦続行か否かをめぐってインタンギで会談。そのときの火野の日記の渡辺考の解説(P.197)。

――しかし河辺は決断せず、自己保身と周囲の空気読みに走った。・・・現場を無視した、この累々たる無責任の構造。そして過度の忖度と自己保身。しかし、これは過去で終わったことであろうか。

 

<軍政50年(1962-2010年)の秘密>

  • ビルマ社会主義とネウィン独裁―共産党でなく国軍(タッマドウ)、陸軍士官学校=家柄や身分に関係なく誰でも受験できる公平な試験で、才能ある個人を将校に登用する平等なシステム

陸士出身の特権的軍官僚(緑の貴族)≒ソ連のノメンクラトゥーラ(赤い貴族)

  • 国軍40万人体制維持の仕組みーキブツ方式(屯田兵)・独立採算制~旧日本軍=自活自戦

大佐クラスが司令官=広大な基地内1000エーカーくらいの土地の有効活用―民間に貸し出す(バナナ・キャッサバ、養魚場、養鶏など)

  • 国軍内に開明派はいないのか・・・個々人としてはいても(ネミョージン)、反対派の形成は困難。巧妙な利益配分とSBによる監視、従属文化(僧侶、教師、両親、先輩)例:直属の上級将校が戦死すれば、未亡人を部下が娶る暗黙の義務がある。

しかし民主化への圧力強めれば、内部分岐の可能性はある。

<ミャンマーの国民意識の特徴>

啓蒙期の福沢諭吉による日本国民の意識状況の分析が非常に参考になる。諭吉が日本に存在しないもので欧米にあるものとして注目したのは、パブリックなもの―銀行、郵便制度、図書館、病院、学校、博物館などの公共施設=公共的精神(トクヴィルから観察の勘どころ学ぶ)。例としてマルクスと大英博物館、レーニンとチューリッヒの図書館~社会に開かれた知識習得の機会の均等性。

諭吉は市民社会という言葉は使っていないが、パブリックなものの重要性強調。日本には私徳と私知しかなく、公徳と公知が不在という。ヘーゲルも東洋の知識の在り方は、エゾテーリッシュ(秘伝、奥義的)で公開性に欠けるとする。

アジア的スピリチャリティを世界に伝えるためには、普遍的共通言語=公知への置き換え努力必要である。鈴木大拙、ヴィヴェカーナンダの例。後者はヒンズー教の個人解脱中心主義をエゴイズムと批判、大乗的な衆生済度を説く。

※Vivekananda(1863-1902)――個人的な解脱のための修業に否定的―それはエゴイズム、救うべきは苦境にある人々。インドに不足するもの社会的徳性、アメリカに不足するものspirituality。

※※私的経験―ミャンマーの優れた僧侶=反独裁、文字通り民衆救済に一生捧げている(ラインタヤ地区)。

上座部仏教に檀家制度がなく、都市部では専制の抑圧によるコミュニティ(農村型相互扶助)の解体が進んでいるので、ネオリベラルの私生活化や利己主義の餌食になりやすい。

  • 2008年5/2サイクロン・ナーギスの経験=相互無関心の世界―公共空間の存在しない世界がどんなものかを目の当たりにするインド人喫茶店経営者の声=あいつらは自分の事しか考えない。しかし市民も公共精神欠ける点で同じ。

しかし同時に旺盛なチャリティ精神―各職場でイラワジ・デルタ出身者に救援物資カンパし、故郷に帰す~延々と被災地救援の車列。

  • 民主主義の萌芽を見出す

この国の市民の身辺に驚くほど充ち溢れている不正、不合理、抑圧、理不尽、残酷さの個々の事例に見て見ないふりをせず、モノを言う勇気をひとりひとりが奮い起こすこと。恐怖と臆病さは民主主義の大敵。大切なのは、家庭で、学校で、社会で、職場であらゆる機会をとらえて市民が恐怖と臆病さを克服して正義感情を触発し合うこと。

〔2017年1月、スーチー氏と青年との対話]参加者である一人の青年(コアウンココ・バゴー青年ネットワーク)の発言(イラワジ紙1/14)。

――アクティブな市民権の行使が必要です。アクティブな市民権の行使とは、不正なことを目にしたとき、市民は見て見ぬふりをしないことです。

 

<最大の戦略的問題―民主化と国軍との関係>

複雑であるとか、変えるには時間が必要だとか言って、ウルトラナショナリズムや人種・民族・宗教差別を放置したり、国軍批判を完全にタブー化したりするスーチー氏の姿勢=事実や歴史と正面から向き合う姿勢を避ける限り、民主化は進まない。

  • 深まる政権と国軍との相互依存関係

スーチー政権側=国境を含む国内治安に必要(宗教、民族対立、テロ)、その代わり利権黙認。

国軍側=スーチー政権は、国際非難からの楯として、民主化のカモフラージュとして役立つ。軍事作戦はフリーハンド確保(統帥権の独立)。

  • 多国籍企業、国軍、政商の利害の一致~JICA国策会社化(日本政府と国際資本)も噛む~満鉄

――→ソフトな開発独裁国家、新自由主義的経済自由化、タクシン政権―「一村一品運動」~しかしマクロ経済の処方箋にはならない。

――→人権問題はこの戦略的方向性をめぐる前哨戦、市民社会がどれほど力をつけられるか。

  • 矛盾 ―完全内戦終結は不可能か。ネオ・リベの社会格差拡大化は民族紛争や宗教紛争の解決を困難化。

―憲法改正の公約反古に~第三党の成長、国際NGOと国内市民社会組織との連帯、共闘…環境問題(言論の自由、少数者の人権、経済特区、エネルギー資源開発、石炭火力発電、水力発電ダム、アグリビジネス)

次頁写真―レッパダウン銅鉱山・露天掘り

<スーチー氏の功績=「アナン勧告」>

ロヒンギャ危機解決は、「アナン勧告」の早期の完全実施以外にはありえない。「勧告」は危機の内容を人権・人道危機、経済発展の遅れ、治安情勢の全般的危機と捉え、対策として安全性の確保、異教徒間の相互理解、生計へのアクセス、国籍賦与と経済の重点投資(貧困対策とインフラ整備)を求めている。

欧州連合(EU)は3月初旬、ミャンマー政府と人権特別代表との協議を予定している。EU国軍高官に制裁計画=渡航禁止と資産凍結+武器禁輸継続、国軍幹部候補生の軍事訓練中止

<ひとつの教訓―サフラン革命>

2017年8~9月 8月、市民生活を痛撃する燃料価格の大幅値上げをきっかけに、軍政に抗議するデモが88世代活動家など民主化勢力によって始められたが、すぐ弾圧される。9月5日、軍政は僧侶の町パコックでの青年僧侶の300人デモを暴力的に鎮圧。

              ヤンゴン、僧侶たちのデモ

9/22~27 主要都市で僧侶や尼僧らの抗議デモ。27日、国軍は深夜僧院急襲、殺害や逮捕。デモ鎮圧。

日本人カメラマン長井氏、取材中に射殺される。

ヤンゴン日本人商工会議所(当時50社~現在250社)での経験―2007年8,9月サフラン革命へ――8月、参事官の政治情勢分析=リーダーがいないので、騒ぎはまもなく収束するだろうという見通し。野上反論―石油値上げの影響、物価高、そう とはいえないのでは。9月僧侶デモ~夜間外出禁止令curfew ――→fact-finding 調査の重要性。

 

<危惧と希望と>

過去の構図:国際社会と組んで、軍政を追い詰める。

現在の構図:国軍と組んで、国際社会と対立

テロリズムと排外主義の応酬合戦~情勢の不安定化~経済的パフォーマンスの低迷~以前は頼れた

国際社会との関係悪化~国軍の発言力の強化~中国との外交関係の強化~軍政の再登場??

←→民主化勢力のNLD政権への失望、動き出した良心―88精神の復活、新党4・8党の結成

―→民主化最大のネック=国軍との無原則な妥協

―→民主化勢力の統一と圧力の増大=国軍から譲歩引き出すこと。6)

(註)

1ミャンマー政府の諮問機関トップを務めるスラキアット元タイ副首相が、「安全な帰還に向けて、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの国際機関が関与する必要がある」と朝日新聞に語った。(3/4)

「国連ではなく、ミャンマー主導で立ち上げる調査団に国内外のメンバーを入れて、独立したものにする」との案を示した。またラカイン州で続くロヒンギャ仏教徒との紛争については、数十の村で宗教や民族を超えて共に生活する試みをし、「徐々に信頼を構築していく」との計画を明らかにした。

2イラワジ紙 2/16 内務省統計局―2018年になって2,560人脱出、1000人弱国境地区で待機。2/15現在、一人の帰還者なし。2018年1~2月毎日75名が逃げている勘定になる。65万難民、その2/3の家屋焼失。監視と逮捕怖れて、刈り入れ不能、森や池で食料さがしもできない。UEHRDからも十分食料供給されない。

内務大臣ゾータイ:バングラ側に1300名のムスリム・テロリスト名簿渡す。すでに500名のヒンズー教徒と600名のムスリムの帰還許可リスト渡してある。しかし1名も来ない、バングラ側=国連関与要請。ミャンマー側UNHCR入域許さず。

3)ヒンドゥー教国家主義のインド人民党(BJP)が率いるインド政府は8月中旬、インド国内にいる4万人のロヒンギャ(以前の集団脱出による難民)は不法移民だから強制送還すると発表した。

4)インドネシア国家麻薬取締庁(BNN)のブディ長官によると、違法薬物はミャンマーなどで生産され、主にマレーシアを経由して入ってくる。ミャンマーのゴールデン・トライアングルが有名、現在はアヘンから覚せい剤へ変化しつつ、少数民族組織の資金源となっている。

5)巣鴨プリズン仲間と日緬関係史―岸信介と笹川良一~安倍晋三と笹川陽平

  日本財団のミャンマー援助への深い関わり日本財団がミャンマー国内で建設した学校は計460校-1校=400万円前後。日本政府が、笹川陽平氏を「ミャンマー少数民族福祉向上大使 」に指名したのを受けて、日本財団は「全土停戦協定」に調印した民族組織に数十億単位の援助を行なっている。

6①退役軍人高中級官僚の文民官僚との入れ替え、なお各国大使の2/3は軍人出身

②軍有地の国家への返還―土地改革をはばむ国軍と政商

③軍事関係予算フリーハンドへの統制――福祉、教育予算よりも大きい。

★2016年度の国家予算は歳入:17兆4490億ks、歳出:21兆3710億ks、財政赤字:3兆9220億ks。

経済成長率は7.8%、国内インフレ率は11.68%。国内総生産(GDP)は84兆1280億ks~軍事費予算は14%=2900億円(40万人体制)cf.日本5%   (1ks=10円)

305回現代史研究会

日時310日(土)午後100500

場所:明治大学駿河台校舎・リバティタワー

61064号教室

テーマ:ロヒンギャ危機とアウンサンスーチー

講師:野上俊明(ジャーナリスト)

参考文献: 「ちきゅう座」掲載の野上論文をご覧ください(当日レジュメを配布します)

以下ご参考までに若干の掲載論文をご紹介しますので、ぜひご覧ください。

https://chikyuza.net/archives/79842

https://chikyuza.net/archives/80180

https://chikyuza.net/archives/80578

https://chikyuza.net/archives/81196

資料・参加費:500円

連絡先:090-4592-2845(松田)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study947:180308〕