“ローカリゼーション”広がる――「しあわせの経済」国際フォーラム報告<下> - アグロフォレストリー(森林農法)の成功 ―パレスチナ、タイ、メキシコの各地で -

本稿「上」の末尾に「若い人々の地方への回帰の傾向は、いまや世界史的な流れに」という、このフォーラムの主催者である文化人類学者、辻信一・明治学院大教員のコメントを紹介した。この国際会議「しあわせフォーラム」の創始者、言語学者のヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんの「正しいローカリゼーションによって世界経済の仕組みは変えることができます」という呼びかけを受けたものだが、世界各地から会場に集まった運動家や学者らの報告からも「地方回帰へのうねり」はしっかりと確認できた。

「しあわせフォーラム」のメイン会場、大きな階段教室は連日大入り、
熱気にあふれた

 長年イスラエルの過酷な支配に苦しむパレスチナから参加したアグロエコロジスト、環境運動家のサアド・ダゲール氏。自らも農業、養蚕業を営む傍ら15年前にパレスチナにアグロエコロジーという思想を紹介し、ヨルダン川西岸地域に初のコミュニティー協同農場を設立した。
 「過去数十年、(石油化学製品中心の)農薬・肥料を使う農業を当然としてきた両親らに、自然の力を恵みとして作物を育てる有機農法、自然農法などを柱とする“持続可能な農業”、アグロエコロジーを理解させるのに苦労した。しかし、マスクなしで農薬を使って農民が病に倒れ、子供を死なせる、などの悲劇を通じて、特に母親である女性らが目覚める。家族の健康を願い、自分自身が楽しく農業を営むために、良い食物を、という女性たちの熱意が、アグロエコロジストである私の運動推進に大きな力になった」
 2002年に初めて無農薬の野菜作りに成功し、アグロエコロジーに目覚めたサアドがそれから間もなく女性たちに呼び掛けてパレスチナに初のエコビレッジ、自然農法と取り組む農村コミュニティーを作る。以来20年足らずの間に400のエコビレッジが生まれたという。
 「過去数十年間、都会へ都会へと流れ続けた若い人々が近年小さなエコビレッジに戻り始めた。私の娘はヨガでエネルギーを得て、ブドウの収穫を楽しむようになった」
 イスラエルとパレスチナの紛争に明け暮れるこの中東の一角は、文明発祥の地の一つ、そもそもは肥沃な土地だったはず。
「そこを砂漠にしたのは人間の争い。そのパレスチナの地でエコビレッジ作りに励むサアドの報告は私たちに希望を与えてくれます」と辻さん。

イスラエル軍による過酷な支配によって
パレスチナの領土(影の部分)は約半世紀の間にこんなに激減した

 タイの先住民族カレン族の一人、スウェの呼び名を持つシワコーン・オドチャオ氏が講演。タイ北部のノンタオ村にある自分たち一族のコーヒー農園「レイジーマンファーム」の生業(なりわい)と「しあわせの経済」の深いかかわりを淡々と語った。
 スウェは、北部カレン族のカリスマ的リーダーだったジョニ・オドチャオ家の9人兄弟の6番目に生まれ、父とともに先住民族の権利闘争に加わったことも。
「われわれの民族は自然を敬い、自然とともに生きるという民話の教えを大切に生きる。だからコーヒーの木を育てるのもモノカルチャー農業でしゃにむにコーヒーの木を育てるのではなく、森を荒らさないように50種以上の作物を併せて作る。」

 「森を守り、育てる」アグロフォレストリー(森林農法)の思想はカレン族に伝わる民族の知恵とピタリ一致。“なまけもの農園”を意味する「レイジーマンファーム」という農園のユニークな名前も「地球のために、ゆっくりと」、というスローガンも、森林農法にそったもの。だから、収穫後の乾燥、焙煎なども効率本位でせかせかと、ではなく、ゆったりと、を心がけ、農園を訪れる人々とじっくり対話を楽しむために自分たち手作りのコーヒーでもてなす。
この話には実は深い背景が ― 2011年、タイの巨大企業『CPコーン』が遺伝子組み換えによるトウモロコシの単一栽培という巨大プロジェクトを打ち出し、政府が後押しを、という動きがあり、これに対抗するために生まれたのが「レイジーマンファーム」だったのだ。
 通信教育で修士号獲得の後、2009年に栃木県の学校法人「アジア学院」に9か月間短期留学。そんな道のりを経て、経済のグローバル化と循環的な農業技術の基礎も学んだスウェが、はるばるこの戸塚「しあわせフォーラム」に足を運んだのは、ローカリゼーションの足場である「森にやさしいコーヒー農園」を護るため世界中の仲間たちとのネットワークをより確かなものにするためだった。
 ちなみに、会場の一角に陣取った「しあわせの経済」マルシェで飲んだ1杯200円の「レイジーマン・コーヒー」はお値段2倍以上のライバルとそん色ない、深い味がした。

 さてその森林農法では世界に先駆けて国全体に広く普及、軌道に乗せたメキシコ。約40年前の1977年、多くの先住民が暮らすプエブラ州北東部の山岳地帯で複数の先住民が中心となって作られた「トセパン協同組合」。「トセパン」という先住民の言葉は「共に働き」「共に話し合い」「共に考える」という意味を持ち、22の市町村、35,000人の組合員(2017年11月現在)がコーヒーなどの農業生産で大成功を収めている。
全国のモデルとなったこの「トセパン協同組合」をはじめ、多くの大学や協同組合で森林農法、コミュニティー運動を指導するメキシコの生態学者パトリシア・モゲルさんも太平洋を越えて戸塚に駆け付けた。「森林農法と地域経済」分科会では同じ道の後進、カレン族のスウェと言葉を交わす姿が注目された。
 そのメキシコでは昨年末にアムロ新大統領が就任(メモ1)。民主化と経済の大改革に乗り出し、パトリシアはその有力アドバイザ-に。その「時の人」は講演で ―
 「アムロ政権の新しい環境大臣の掛け声に従って先住民の知恵を生かした地域経済の改革をこれからより力強く進めます。われわれのこうしたローカリゼーションの運動はエルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラなど中米の近隣諸国にも広がろうとしており、日本の皆さんにも貴重なお手本になるでしょう」
 自信に満ちた講演の締めくくりに「来年11月にこの『しあわせフォーラム』をメキシコに招くことが決まりました。皆さんを招待します」と宣言すると、多くの参加者が大きな拍手で祝福した。

 ところで、およそ半世紀の歴史を持つこの「しあわせの経済」運動。本稿<上>でも触れたが、その教祖的存在の経済学者E.F.シューマッハーが『スモール イズ ビューティフル ― 人間中心の経済学』を書いたのが1973年、「GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)の追求を」とブータン国王が提唱したのがその前年の1972年。そして、英国イングランド南西部の小さな古都、この運動のメッカと言われるトットネス郊外にシューマッハー・カレッジが創設された1991年からすでに30年近い。
そこで私事になるが、このローカリゼーション運動に強い関心を持つようになったのはつい1年前のこと。昨年9、10月にまたがる2週間、上記トットネスに逗留。「トランジション(transition)・タウン(town)・トットネス(Totness)」略して“TTT”と呼ばれるこの町で、約8000人の住民が「しあわせの経済」を探し求めるイキイキとした生活ぶりに新鮮なショックを受けたことを本誌にリポート(メモ2)。
上記拙稿でも触れたが、この「トットネス詣で」は経済学者である息子(54歳)に誘われて参加。妻、長女と孫(大学4年、長女の長男)も交えた総勢5人、ファミリー取材団の趣であった。リーダー役を努めた息子は、途上国の経済的自立などをテーマとし、森林農法などアグロエコロジーに取り組む先住民族の現地調査などに東奔西走。「行動する学者」なのだそうである。
さらに、今回の「しあわせフォーラム」取材は前記の孫と助け合って、の態勢。この孫は来年進む予定の大学院での研究テーマに「しあわせの経済」を選び、今回はそのウォーミングアップの一環だとか。
ここまで取材の内幕を披露すれば、私がなぜいま「しあわせの経済」なのか、お分かりいただけよう。日本経済が戦後復興から高度成長を経ていまの「停滞」に至るまでの半世紀間、「GNP拡大こそ幸せの源」という“成長神話”にどっぷりつかって書き続けてきた老記者(79歳)が、老いては子・孫らに従ってエコ記者にヘンシーン ― 「近代社会は根本的に誤った方向へ向っている」というヘレナのご託宣に、思わず「異議なーし」と叫ぶに至った次第であります。

こんなプライバシーはそれとして、最後にひと言 ― それにしても、これだけ地球の未来、孫子の将来に深いかかわりを持つ国際会議に、わが古巣を含めた全国紙やテレビのニュースワイド番組がほとんど取材に現れないのはどうしたことか。このままでは、死ぬまで現役のつもりで書き続けるしかないのかしら ― 。

(メモ1)アムロ大統領:メキシコ大統領。アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールという長い名前の頭文字から通称はアムロ(AMLO)、66歳。2014年に新左派政党である国家再生運動を立ち上げ、2018年の大統領選に勝利。民主化と治安の回復、森林農法を柱とした経済改革の推進などを宣言。任期は2024年まで。
(メモ2)タイトルは『「危機を好機に」挑む人々 ― 英トットネス遠回り紀行』(「リベラル21」=2018年10月23,24日付け=に連載)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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