部屋を整理していたら捨てられなかった古い記録が随分と出て来た。死んだらみんなゴミとして捨てられてしまうだけだと思い、極力「始末」をしているのだが、始末しきれないものも残っている。大昔、相当の回数にわたって作成した「八百字通信」と題する短文もその一つである。その第75号を今回の報告に流用する。
ローザ・ルクセンブルクの『ヨギヘスへの手紙』を読んだのはいつだったのか、もうはっきりとしない。おそらくは1987年の秋頃ではないかという気がする。当時、近くにあった県立図書館から借り出して読んだのではないかと思う。今、自宅の書棚には邦訳の全4巻のうち、第一巻だけがあるが、この巻を開いた記憶はない。記憶に残っているのはすべて借りて読んだ本からのものである。手紙を書いたローザ・ルクセンブルクも、それを受け取ったレオ・ヨギヘスも1919年に殺されている。そのことは、どうしてか当時も知っていた。
しかし、それでも多くの新鮮な「発見」をし、驚きもした。驚いたことの一つにローザの筆力がある。1898年9月24日付けのヨギヘスへの手紙にローザはこう書いている。
それで閉じこもって、2日間で『ライプチッヒ民衆新聞』に載せる連載論文を107枚書き上げました。
この連載論文とは『ライプチッヒ民衆新聞』の1989.9.21~28(No.219~225)に7回に分けて連載された「社会革命か改良か」という論文である。ベルンシュタインの修正主義を批判した大作である。この大作をローザは僅か2日間で書き上げた。もちろん、彼女はこの論文の準備のために、ベルリンに戻った(それまで彼女は国会議員選挙のためにシロンクスにいた)同年6月半ばから精力的に研究を続けたものと思われる。しかし、準備に僅か3ヶ月足らず、そして執筆はたったの2日間、である。その力量にはやはり驚かざるを得ない。
根本的には、彼女の「天才」のなせる業ということになるのだろうが、107枚の原稿(邦訳文では900字*90頁=81000字:400字詰め原稿で約200枚)を2日間で書くというのは、「天才」ということだけで片付けるわけにはいかない。ギリギリにまで高められた集中力、精神的緊張があって初めて可能になるものであろう。
10数年前、こうした驚きを体験した(八百字通信第75号は1999年10月に作成されたとある)。しかし、その驚きがいかにしてその後の私の人生に「糧」となったかを、自問すると、慚愧に堪えない。もとよりローザの「天才」は私にはない。でも、集中力を高めること、精神的緊張を持続すること、は自分なりにできるはずだ。そうしたことをどれほど意識的、自覚的にやったか。答えるのももどかしい。せめて、このことを時々は思い出し、その時くらいは自らを叱咤しなければならない。そうでもしない限り、10数年前の驚きは何の意味も持たないことになる。
20年前に私はこう書いた。そのとき「慚愧に堪えない」と感じたのであれば、今は一体何と言えばいいのだろうか。「集中力を高めること、精神的緊張を持続すること」もある種の天才にしかできないことだ、と言えるだけの経験は積んだ、のかもしれない。それを確認するために、もう一度ローザ・ルクセンブルクの書いたものを読み返してみようかと思っている。
ローザ・ルクセンブルク『ヨギヘスへの手紙』全4巻(河出書房新社、1975年)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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