発行日は1982年7月15日。奥付では1981年となっているが、誤植であろう。本号でも第6号と同じく三村瑶子によって草花のカットがたくさん添えられている。
消費者の女性の投稿は生産者に比べると筆まめであり、洗練されていて文章がうまい。彼女たちは勉強熱心であり、その成果が投稿に現われている。自然科学だけでなく、社会科学的な見方も出ている。これらは70年代から続いていた女性の運動の特徴である。でもその分、文章はたどたどしくても心にぐっとくるということは少なくなっている。研究者の「客観的な」書き方から影響を受けているようだ。
本号は「原点を見直す」特集号となっている。
アンケートが語ること
会ができて10年近くになり、「三芳の野菜が多少有名になった現在」となった。最初のころの消費者の間では、会員が少ないためもあって和気あいあいであった。それが多数になると、運営はどうしても会則や細かい申し合わせ事項を作らないとスムーズにいかなくなる。「大きいことは良いことだ」と言えなくなる。それに会員の中身が変わってきた。年に200名ほども会員が出たり入ったりするという混雑。会員の間でいろいろの意見や行動が出てくる。意見の違いが感情的な対立となってヒステリックになってしまう。それらのことが会が行なったアンケート調査に窺える。
会員へのアンケート調査は千葉大学の中野芳彦が1981年12月に行なった。会員の中から464名が無作為に選ばれ、そのうちの279名が回答してきた。回答率は約60パーセントであり、これは一般のアンケート調査の場合とだいたい同じ率である。本号ではその集計結果の一部と、編集部が取捨選択しているが、会への要望及び問題点の指摘が紹介されている。まずアンケートの結果をみると、他の有機農業の会と似た傾向がある。
① 入会の動機は何か(複数回答)
多い順から3つあげると。「薬害、農薬汚染、食品公害に関心があったから」が100、「安全なものが手に入るから、安心して食べられるから」が75、「家族や子供、次の世代の健康や命を守るため」が66。
以上の順序は当然であろう。「生活のあり方、価値観の転換のため」は露木や意識のある主婦と生産者が重視したものであるが、12と以外に少ない。
② 生活面でどう実践しているか。食生活では多い順から3つあげると、「会のもので献立」が213、「旬のものを」が164、「保存食作り」が118。
玄米食や味噌の自家生産になると、それぞれ62,60と落ちる。
食生活以外で多い順から3つあげると、「合成洗剤は使わない」が255、「医者・薬はできるだけ使わない」が198、「物を大切に不必要なものは買わない」が191。合成洗剤を使わないがトップであるが、それは当時、いつも洗いものをする主婦にとって1番関心の高かったものである。今日では考えられないであろう。その他、子供の過保護をやめるとか、プラスチック製品は買わず車に乗らないようにすると続くが、これらも今では事情は変わって、リサイクルの仕組ができたり排気ガスの規制がかなり進んでいる。
③ 自家消費総量の中で三芳野菜をどの程度消費しているか。
1番多いのは年間70~100パーセント消費する人たちで、全体の67.9パーセントを占める。12.5パーセントの消費者が50パーセント以下の消費となっている。
④ 三芳からの野菜は多すぎるか、少なすぎるか。
多すぎるものを季節ごとにあげると、春には竹の子、夏にはなす・きうり、秋にはしょうが、冬には大根。少なすぎるものを季節ごとにあげると、春には玉ねぎ、夏にはなす、秋にはヤマトイモ・生姜、冬には白菜・ホウレンソウ。
多すぎる野菜と少なすぎる野菜とが重なるのはその時の回答者の家族構成が違うからか。
⑤ 多すぎた野菜はどう処理しているか。
多い順からあげると、「ほかに分ける」、「工夫して食べる」、「結局捨てる」。
この会でも捨てる人はいるのだ!
⑥ 特においしい野菜は何か。
春ではキャベツ、夏ではきうり、秋ではにんじん、冬では大根・にんじん・里芋・ネギ・ヤマトイモ。
それらの味の濃さやうまさは食べた人でなければ分からないだろう。全体に店で買う野菜は貧血気味で味は淡白である。ほうれん草やレタス、ブロッコリーの葉物を上げる人は少ない。みかんも少ない。みかんは酸っぱくても置いておけば甘くなるのだが。
⑦ ポストまでの時間はどれくらいか。
5分以内が約46パーセント、10分以内と20分以内がそれぞれ約17パーセント、30分以上が5パーセント。
ポストが団地や社宅(――バブル崩壊後の90年代の不況で無くなっていく日本的企業内福祉の施設)にあれば時間はかからない。時間がかかるのはポストは最低10人で構成するという基準に合わせるためか。
⑧ 三芳野菜への感想は?
味についてはほとんどがおいしいと感じ、鮮度については「新鮮」と思うものが約65パーセント、残りが「市販と変わらない」・「新鮮でないものもある」でそれぞれ約20パーセントと約15パーセント。一般店では人工的に鮮度を保っている。
⑨ 夫の活動への参加度はどうか。
「まあ協力するほう」が41パーセント、「理解はしていても協力はしない」が33パーセント、「まったく協力しない」が15パーセント、「積極的に協力する」は9パーセント。
以前になされた配送者同乗記では男性の荷受けはほんの少数であった。理解はしていても協力しない・まったく協力しないで48パーセントもいる。日本の男性は会社人間であり、女性もそれを認めざるをえなかった。こういう主婦もいた――主人に気兼ねをしながら活動しているので、玄米食に切り替える勇気はなく、毎週受け取るだけで精一杯である。
⑩ 夫は何を手伝うか。
圧倒的に多いのは「野菜を運ぶのを手伝う」。「縁農に行く」とか「自分の友人に三芳の野菜の話や会の活動について話す」や「常に関心を持って会の諸問題、農業問題について話し合う」、「三芳との会合に出る」「三芳の人の話し相手になる」は本当に少数。
自由記述になると、以下のように実に細かく雑多になる。記述間のつながりや記述の背後にあるものが分からないので、それらがどこまでしっかりした理由や根拠があっての自由記述かは不明である。それはこの種のアンケート調査の限界であるが、事情を知っている者の解説が欲しい。
気楽で欲張りな消費者!
三芳野菜は固い、辛い、量が多い、同じ物ばかり、筋っぽい。――実はそれらのことが「本物」である証明なのに、知らないのである。三芳の野菜は「包丁が通りにくいくらい固くても煮れば、すぐ火が通る。煮れば煮るほど味が出て甘みをます」のである。これは私もあるポストで荷受けをしていた消費者から直接聞いたことでもある。そして「切り口が黒ずまない。切ったまま暫くおくと、真ん中が盛り上がってくる」!
本会の消費者はある程度生産物を選択したい気持になってきている。その例――小家族なので野菜が多すぎるので、希望の量に縮小できないか。週1回では野菜の質は落ちるので配送を2回にしてくれないか(配送の実際を知らないのだ!)。共働き家族のために「店」での販売をしてもらえないか。外に仕事をもつ女性のために心おきなく野菜を届けてもらえないか。不揃いや小さすぎるものでは食欲が落ちるので、多少農薬をかけても毒でないのであれば、愛情のこもったものが欲しい。卵はもっと欲しい。大根は冬に多いので干し大根にしてくれるとありがたい。洋野菜が欲しい……。
その一方で、消費者は自分の手間ははぶきたがる。――余ったものを人に分けるのは手間がかかる。配送の時間が不規則でいつも待っていなければならない。夕方の忙しい時のポストの当番は困る。高齢でポストに来ることのできない人には宅配の便が欲しい(以上も配送の実際をしらないのだ!)。会員数10名で大根8本、レタス4個では分けるのに苦労する。生産者は作りやすくて値の張るものを作っているのでないか。
以上、これではまるで「欲しい、欲しい」の大合唱ではないか。合理的な理由のあるものでなく、ただのエゴとしか思えないものもある。それは本会だけのことでない。大学が行なっている学生への授業評価アンケートにときどき見られること。
会員の中には他に簡単に「自然食品」を入手できるとなると、会をやめてそちらの店をとる者がでる。もうこの頃から、他の会でも同じであるが、消費者があちこちにある有機農業者を選ぶ事態も生まれていた。
ちょっとおかしいのは、次のものである。――食べることは「思想」ではない、限られた思想で圧力団体のようになるのはいけない、生産者の側の閉鎖的なエリート意識が気になる、創成期の原点を知っている人は少ない、昔の創成期のことを語り継ぐだけではまた昔話をしていると受けとめられる……。初期からの会員やリーダーが思想を抽象的に語って説明するのであれば、以上の意見は再考せねばならないが、私が見る限り、思想は消費者や生産者の具体的な活動や言葉の中に浸みこんでいる。一般に人は、思想と言うと、なにか特別な人による特殊な考えと思っていないか。それは偏見である。
和田が以上のアンケートに対してコメントしている。「私達のことをこれ程まで理解して下さっているのかと頭の下がる思いのご意見もありましたが」、近代農業がどう問題になっているのか、自然農法とはどんなものか、配送の実情など、「よく理解いただいていないためではと思われるものが感じられました。」その通りであろう。戸谷が「一体何のためにこの9年間やってきたのだろう」と自省せざるをえない事態が生じている。
それでも本会の消費者は進んでいる
もちろん理解の進んだ人もいる。他の消費者グループに比べると、この食べる会は生産者の立場に対して理解が深い。その例――食べることで人間が宇宙の中で自然な姿で生きていくことを感じたい。生産者が配送までしており、消費者は楽をしすぎていないか。野菜がきれいに束ねられているのをみると、生産者の苦労が察せられる。それは消費者のすべきことである。
合理的で耳を傾けるべき意見もある。その例。――三芳野菜は千葉の近くの人が食べるべきでないか(これは既になされていた)。西東京の消費者は近くに第2の三芳を作るべきである。他の有機農業のグループと交流することが必要である。会が広くなり過ぎているから、ブロックごとに分けたらどうか。
原点に帰ろう
会が混乱している。そこで、もう1度――そしてその後何度でも――、会の発足の頃を振り返ってみる。思想や理念の原点に立ち戻って会の意義を理解し、無用の混乱を避けようと考える。そういう時期が来ていることは前号でも窺えたが、本号は正面からこの問題に取り組む。戸谷がそのための長い文章を書く。われわれもまたその文章について行こう。以前と重なるものもあるが、新たなものも多い。
消費者は自分たちの生活の矛盾を見つめ、そこからなすべきことを考えていった。矛盾とは? 消費者は自分や夫の住む都会にいて安全を無視した物を作らせているのに、自分では自分の命や家族の健康のために安全な物を求めている。また近代農業が化学肥料や農薬を使うのは実は都市の消費者が要求したものなのに、その加害性を見ていない。これでは会の活動は消費者のエゴだと言われても仕方ない。
こういう考えをもった消費者が他の住民運動やPTA活動に取り組みつつ三芳に到達する。三芳に到達する前は四つ葉牛乳を共同購入する運動をしていた。その運動の条件は4つあり、従来の牛乳宅配とは正反対のものであった。代表の岡田米雄は健土・健草・健乳・健民の「輪廻」の考えをもっていた。これは食べ物を商品化することとはまったく違う。この考えは雪印乳業の創業者である黒澤酉蔵の精神でもあり、さらに遠くは明治期の田中正造の自然主義=人間主義の考えにまでたどり着く。消費者は牛乳の次に山岸会の有精卵を共同購入している。
ところが、会の活動は1973年の石油ショックで大きく転換する。牛乳価格は値上がりし、会の中には岡田に経理の公開を迫って造反し退会する者が出る。残った者で三芳との提携を広げていくが、次第に岡田の拡大路線とずれが広がる。岡田は1村全体を有機農業にしてしまおうと考えるが、会の生産者側はこれ以上生産者を増やすことは無理であり、却って人間関係を悪化させて結束を乱してしまうと考える。岡田はその後、強引に別組織の結成にかかる。そこで会は岡田と分かれる。この間に起こった露木と岡田の対立については前述した。
会では他の農産物の米・果物・野菜への要求が出る。そこで消費者のリーダーは和田金治(元千葉県農業中堅青年養成所長)の紹介で三芳の生産者と出会う。
最初の集まりのことはこれまでも何度か会誌に出てきた。その頃、内房線の列車は両国から出ていたらしい。今でもその跡は残っている。消費者はその列車に乗って館山で降り、三芳まで行った。そこで消費者側が生産者にこういうものを作ってほしいとお願いしたことはこれも前述した通りである。消費者はあらかじめ学習していて、安全や農業についての知識は高かった。日本はなぜ自給率を下げてきたかについてもよく勉強していた。私はその彼女たちの知識から、外来の肉食文化が生食・淡色野菜のサラダ文化を伴ったということを初めて知った。生食は日本に伝統的なものと思っていたからである。彼女たちはもともとの手間をかけた調理や農村型の食事を見直す。工業製品を輸出して食糧を輸入する国際分業やカロリーや栄養バランスを強調する近代=西洋栄養学に対して反省をする。
以上の消費者側の考えに対して生産者側から反発する者も出るが、最終的には18戸が残った。彼らは失敗してももともとという気持でやる。というのは、農業でやっていくには兼業するしかなかったから。
結局、現在の会は1974年2月、消費者111名と生産者18名で始まる。発足時の生産者の規約には消費者が素人の厚かましさで生産者に出した要望が入れられた。それは妥協のない自然農法の実践であったが、それが結果として良かったことになる。ボタンの掛け違いをしなくて済んだのである。その時の発足の趣意書が面白い!――生産者に対して保険金を設ける、野菜の値段は生産者がつける、生産物はすべて消費者が均等に分ける、生産者の年収は生産者があらかじめ決めて清算は年度末に行なう。
最初の頃の小松菜の見事なできばえやそのばらつき、不足、反対の多すぎ等はその後に伝説となって会員の間に伝えられる。価格はどうやって決めていたか。初めは小松菜1把300グラムをおおざっぱに100円とし、それを基準にして他の物の値段を決めていたと言う。小松菜は多すぎて余るが、消費者は勇気を出して住宅地に売りに行ったという。また小松菜があまり多くてその供給にストップをかける事態が生じ、生産者側は全量引き取りの約束と違うと反応する。そこで消費者側は自分たちで配分の事務をしていく。
生産者側は作りやすいものを無理なく作ることにしていた。彼らは自然農法を呑み込むのに遅かったが、それがだめなのではない。要は山の「条件を畑に移行すること」を自得すればよいのである。前の第8号によると、最初は家庭菜園の延長のつもりで始める。このことは他の有機農業の実践者でも同じであった。自家用にとっておいた裏庭での栽培の延長である。生草をナス畑に敷いて失敗することがあった。心配なことは沢山あった。鶏は動物性蛋白の飼料を与えなくても大きくなるのか、ひよこは薬がなくて育つのか、等。でもだんだんとやっていくうちに自信がついていく。夏野菜のトマトやキュウリ・なすはそれまで週に最低2回(!)は農薬をかけており、それでも病気を防ぐことはできなかったが、畑の隅に無農薬で実験してみたら、案外できることが分かる。こんなふうにして先行者がやるのを見て後続の者もこれなら自分でもできると分かっていく。そして異常気象の時ほど自然農法と慣行農法とで違いが出ることが分かる。このことは他の実践グル―プも強調して言っている。消費者は自然農法の農産物が市場に出る商品と違うことに気づく。自然農法の野菜を煮るとすぐ煮あがり、ゆで汁のにおいと色が違う。キュウリはできあがるのに慣行栽培より2~3倍の時間がかかるので、非常にち密で固い。それは包丁で切ってみると分かる。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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