なかには幾ら掘り起こしてもなにもでてこないところもあるが、幸い、そこまで枯れ切ったところはそれほど多くない。どこでも三、四ヶ月もあれやこれやと話をしながら作業にとりかかれば、なんだかんだで必要とする人材らしき人達が見えてくる。前評判は参考にはするが当てにならない。前評判がいい人達とは、取りも直さず経緯も含めた現状のなかでそれなりに活きている人達のことで、現状を大きくかえなければならないときに邪魔にはなっても力にはならない。
現在の組織が生み出す結果に満足しているし、現在の組織の自然延長線にある将来の組織とそれが生み出すであろう結果にも満足できるだろうと思っていれば、傭兵まで連れてきて組織や業務を改革しようとは思わない。そこそこ満足であれば、そこまでの手は打たない。
許容し得ない問題を抱え、許容し得ない人達によって、許容し得ない業務を繰り返している組織であったとしても、次のかたちが機能し始めるまでは、そのまま機能させておくしかない。問題を山ほど抱えてこのままでは崩壊すると分かっていても当面はそのままにしておくしかない。その点からも、現状の組織を良い悪いにかかわらず背負ってる人達-フツーに聞いて聞こえてくる限りで評判がいいか、それなりの人達-は次のかたちを作る人材としては使えない。
前評判がすこぶる悪い人達。現状の組織からのはみ出し者。現状の組織ではいてもいなくても大して問題にならない人達のなかから次のかたちをつくってゆくチームを構成することになる。いない方がいい、いてもいなくてもというと、使いようのない、活きようのない人材と思ってしまう人達が多いかもしれないが、これはとんでもない、してはいけない間違いの典型だろう。そもそも、問題だらけの、改革しなければ将来のない組織にうまくはまる人材では、今まで想像もしたことになかった新しい組織のあり方や仕事の進め方など考えられるはずがない。
現状の組織のはみだし者、しばし現状の組織の多数派から疎外され、色々な面で傷んでいる人達だからこそ、次のありようを考える、生みだすことに熱意もでようというもの。ただ、そのような方々、やはり一般的な意味での人材としては、なんらかの必須の能力に、しばしとんでもない欠陥があることが多い。この点でもあの面でも図抜けた能力があるし、なんでもこなしてゆく器用さを兼ね備えた努力家だからかもしれないが、そうでない人達と二人三脚を許容できない。能力の低い人達、努力の影の見えない人達を大きく包んで一緒に進むのは不得意という人達。自分では何でもやれるのだが、やり方を人に教えるのが不得意な人達。。。優れている点も大きいのだが、それを吹き飛ばしてしまうマイナスも大きい人達。
なかには煮ても焼いても食えない粗悪品としか呼びようのない人たちもいないわけではないが、人には必ず強みもあれば弱みもある。全ての面で完璧な人などいるはずもない。強みが弱みになってしまう環境もあれば、弱みを強みに変え得る環境もある。意気に感じて頑張ろうというのと、バカバカしくてやってられないと思うのでは同じ人でも全く違う人になる。環境をどう整え持てる力を発揮して頂けるか、活きて頂けるかが全てになる。
バランスのとれた、そつのない人材を度を超えて高く評価してきた日本の人事評価では欠陥品とされる人達。ある方面には力を発揮するが、他の方面には興味も示さない人達。そのような人達の多くははみ出し者とされる。そのはみ出し者こそが次のありようを模索し、かたちにしてゆく原動力となる。原動力にしなければならないにもかかわらず、それを思い描くこともできないマネージメントがある。マネージメントとして求められる、次のあり方を思い描くVisionaryとして求められる基本的な能力がない人達では活かし得ない人材がいる。
自分たちの活かし得ない能力不足を棚に上げて、現状追認の使い易い人材だけを使ってお手盛りのマネージメントに終始する人達。その人達の器には収まりきらない、どうしてもどこかがはみだしてしまう人達がいる。本来ならば、そのはみだしたころこそが、その人材の最も優れた点で活用されなければならないはずなのだが、無能なマネージメントにははみだしははみだしで、あってはいけないことにしか見えない。
こっちにはみ出した人材、あっちにはみ出した人材を組織としてまとめあげ、一人のはみだしが他の至らない点を相殺してあまりある組織体、組織全体としてあっちでもこっちでも既成の器から大きくはみ出した能力と活気のある組織を構成しようと試みる。その組織体に進むべき方向を提示して理解してもらえれば、後は時間の問題になる。
この組織を構成する試みをし得る環境を提供して頂けるかどうかが、傭兵が任務を遂行し得るかどうかの試金石になる。一度組織が機能し始めれば、時間の経過と供に組織の構成体が有機的に関係しあって、次のかたちを作り上げてゆく。
残る課題は小集団で作り上げた組織と文化をどうやって旧態依然とすることで存在を保ってきた組織に移植するかということと、新しい組織や文化を思い描く能力もなく、よくて傍観者だったに過ぎない、あるいはその発生を押し留めようとさえしてきたマネージメント層が新しい文化や組織を率いて成長を続けることができるかにある。
新しい組織や文化が、昔の文化や組織を遺物として包含し得たとしても、新しいマネージメントでなれば引っ張って行けないだろう。新しいものを活かすには古いものの整理が避けられない。古いものの整理にはどうしても新しいマネージメントが必要になる。
Private homepage “My commonsense” ( http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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