七〇年前に都留重人が書いたこと ―「官僚としての十ヶ月」を読む―

著者: 半澤健市 はんざわけんいち : 元金融機関勤務
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《日本最初の「経済白書」執筆者の官僚論》
 第二次大戦前にハーバード大学へ留学し、碩学ヨーゼフ・シュンペーターに学んだ都留重人(つる・しげと、1912~2006)は、日本で最初に「経済白書」(「経済実相報告書」)を書いた経済学者である。1947年、片山哲首班の社会党内閣の経済安定本部(略称安本)副長官としてであった。
「国家も赤字、企業も赤字、家計も赤字」のキャッチで知られる白書は、国民所得計算の手法により日本経済の実態をリアルに分析した。白書は「経済財政白書」として現在も内閣府から毎年発行されている。

都留はそのときの経験を、翌48年に「官僚としての十ヶ月」と題して書き残した。
「わずかばかりの体験を基礎にした二、三の思いつきを綴る」という、原稿用紙20枚ほどの文章であり、本稿はその紹介である。(『都留重人著作集』第12巻、講談社・1976)

都留重人の論点は次の三つであった。
第一は、日本の官僚機構の強靱さの批判的分析である。
第二は、「国家公務員法」の杜撰な形成過程への批判である。
第三は、官僚制改革への積極的な提言である。

《すべて明るみに出して客観的基準の下に》
 第一点に関して次のようにいう。(■~■は都留本文の引用、以下同じ。「/」は中略を示す)
■日本の官僚機構はいまだなお極めて強靱である。あれだけの無謀な戦争遂行に参画しながらも現在なおその陣容が動かないままでいるということは、まったく驚嘆のほかはない。それほどに行政技術家というものは近代国家においてなくてはならない専門家なのであろうか。現に、イギリスなどでも、労働党のハロルド・ラスキが党が政権をとる十年も前に、労働党として行政技術家を養成することの必要を説いたのを想えば、我が国の場合、「勝つはず」といわれた大戦争に完敗して、天と地がひっくりかえっても、なお昔と同じ「高等官」を頼りにしなければならないというのは、当然といえば当然のことかもしれない。ただ日本の場合、行政技術者をかれらが事実専門家である以上に専門家にしてしまっているいろいろな事情があることを閑却することはできない。それは行政のルーティーンが客体化されていないということである。いいかえれば、人的関係のエレメントが強すぎるということである■

都留は、資料管理に関する自らの体験を述べている。彼が安本の、総合調整委員会副委員長在籍時に蓄積した資料は、重ねると7メートルになった。各官庁から寄せ集めの新組織において、彼の退官とともに「役柄は廃止される」ことになったので、資料を引き継ぐ相手が不在となった。彼は全部自宅に持ち帰り適宜処分した。従来の慣行を聞いたが、後任者があっても「持って帰る」のが普通だった。そのために部内で不便を生ずることがよくあったらしい。都留自身が資料の解読に困難を感じた。しかし資料係すらなかった。
■このような慣行も資料が客体化されることを妨げている一つの理由であり、同時に「生き字引」をこしらえたり行政専門家意識を助長したりすることによって、官僚城壁を高める一因ともなるのである。行政のルーティーンが客体化されていないということについてさらに例をひくならば、人事とか会計とかといういわゆる官房的機能がそうである。/いろいろな表にでない「やりくり」だの「ふくみ」などがあって、客観的な論証や基準だけでは動かない面があるが、いきなり外から入ってきたのでは、なかなかそこに喰い入ることはできない。他の課長ならば電話一つで自分の「同期」なり「後輩」なりをよんで二つ返事で片付くことでも、私には逆立ちしてもできないことが多いだろう。英語ではいみじくamenitiesとよばれるこれらの個人関係を通ずる権限の享受は、すべて明るみに出して客観的基準の下に左右さるべきである■

《掣肘の絶対性を立法府はあくまでみずからの手で》
 第二点に関して実質的な討議なしに短期間で法律になったことを強く批判している。
■国家公務員法は内閣提出の法案として(1947年)九月十五日に衆議院決算委員会に付託され、一ヶ月後の十月十五日、/本会議の討論わずか十五分そこそこ/で賛成者起立の方法で通過し、あくる十六日には参議院で同じく討論わずか二十分/の後、賛成者起立の方法によって可決したものである。委員会では審議中の一ヶ月間には、たびたび政府の役人を招いて説明を求めてはいるが、公聴会を開いたことは一度もなく、わずかに合同審査会という名の下に十月一日、十名の証人を一般から招き、各人十五分をかぎって意見を開陳させただけで、その際質問さえも行っていない■

都留は、内閣提出でなく国会提出とすべきであったと論ずる。国会内では審議時間が少ないから握りつぶすべき―審議未了の意か―との意見が発せられている。しかも驚くべきことに本案は、十月十五日までに審議を終了することが決められており、ある議員は審議完了の理由を説明せよと斎藤国務大臣に迫った。因みにこの斎藤が、あの反軍演説の斎藤隆夫であることを知るのは辛いことである。
■みずから自主的な案をこしらえて心ゆくまで審議すべき国会が行政府に対して、せきたてられることの抗議を申しこみ、結局はそれもならずして「予定どおりに」法案は国会を通過しているのである。
中野重治氏は参議院本会議の演説で「反対意見は苦痛と悲しみをもって訴える」といっているが、私はそこまでゆく前に、もっとはっきり国会の自主性をおしとおしうる段階がありえたと思うのである。行政府が本来の制約をこえて立法府を掣肘するとき、その掣肘の絶対性を立法府はあくまでみずからの手でたしかめねばならぬ。立法府の油断がいかに多くの場合行政府による専断をとおすことになるかについては、私はそれこそ苦痛と悲しみをもってあまりにも多くの事例を目撃してきたのである■

《官僚制度とのたたかいは一種の綱引きである》
 第三点の官僚制改革に関して都留は三つほどの提案をしている。
一つは日常的な官僚とのたたかいである。次のようにいう。
■私の官僚生活十ヶ月の実感の一つは、官僚制度とのたたかいは、長期的な改革への努力であると同時に、いわば「日曜」さえもゆるがせにできないような一種の綱引きである、ということである。官僚組織がみずからをまもるために必要と感じた牙城がおびやかされたとき、組織全体の神経は本能的にその急所に集中して牙城を守りぬこうとする。一瞬でも手をゆるめれば、すかさずたぐりこまれてしまう綱引きなのだが、ちょうど綱引きがそうであるように、力が伯仲してひっぱり合っているときには綱は全然動いていない。一方が負けてたぐりこまれてしまった時にはじめて結果が公報されるのである。この一つ一つの綱引きに勝つということが、やはり官僚制度改革のための一つの道程であると思う■

二つは、新しい血液を流入するために、民間人の登用を提案している。
三つは、官僚機構の人事と予算の権限を国会への移行である。

都留論文は次の言葉で締めくくられている。
■主計局を総理庁に移管して予算局とし、予算行政のルーテーィンをもっともっと客体化して、本来国会がもつべき予算権限が不明朗な行政的手段によっておかされるこのないようにすること、これが官僚機構改革の重要な一焦点である■

以上が「官僚としての十ヶ月」の足早な紹介である。多くを付言する必要はあるまい。
70年間になにが変わったのか。変わらなかったのか。三つの論点は、全て我々の問題として、我々の眼前にある。(2018/03/12)

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