昨日のちばてつや先生のイラスト良かったなと思い、幾人かの友人にメールで早速、知らせたのだが、実際、庶民は、未成年者や大人になり切れない大人の在り方、清原逮捕の様な実情に悩んでいた事に気が付かされるのだ。
つまり、スマホ中毒問題やパケット料、初期携帯的弊害増進、自動課金器としての携帯、スマホ、iPadの在り方である。
パソコンを使いこなせなくてもスマホやiPadにて気軽に「ちきゅう座」が覗けそうに思えるのだが、実際は、そう簡単ではない事を感じている。
資本主義との戦いは、「欲望」との戦いであり、カジノ中毒、パチンコ中毒から「通信販売」「自動課金器」としてのスマホ、iPadは、情報弱者、庶民の永遠の苦しみと地獄を手元に置いている状態であり、「いつでもオレオレ詐欺」「いつでもカルト宗教広告地獄」「人格破壊」としての要素が隣り合わせであるカジノ金融資本主義の究極的誘惑と監視を常に受ける状態に苦しんでいるのが今の日本と言う事になっている様だ。
とてもこれでは「ちきゅう座」を覗くところではない、気が気ではない状態が、庶民に続いていた事に今更のように気が付かされるのだ。
聖人君子であれとは誰にも言えないのだが、この問題をクリアしない限り先には進めない。
「自己責任」論が、安田順平氏救出問題にも囁かれ、「報道ステーション」においても異論が語られていたのだが、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14157100979
生きている事は、「危険だらけ」「夢(欲望)(誘惑)だらけ」の地獄が、庶民を守れずにいる地獄がある事の戦いこそが、
資本主義との本質的戦いであった事を問うべきであり、
最初の防衛線として、三世代革命論(一族・家族・個人)から友愛党としての展開、連帯が、今、必要である事に気が付かされている。
早急に、スマホ中毒、依存問題、自動課金器問題への防衛から直結される自動オレオレ詐欺、カルト宗教に対抗する「ちきゅう座」的資本主義批判の正当性、情報弱者救済の視点を明確にする論理を構築、広報し、実践できる防衛としていかねば「理路が通らない」のではないでしょか。
しかし、スマホ、iPadを家族的に取り上げる事は出来ても、この社会からなくする事は出来ない。
人間相互の信頼関係を破壊する、監視社会としていく、更に、「知性的営みを諦めさせる」在り方が、蔓延している。
実際の対抗処置は、「誘惑に負けない知性」を手にしていく事であるのだが、それが脆弱であるが故の情報弱者であり、庶民の場であるのだ。
いよいよ資本主義との対抗は、三世代(一族・家族・個人)の連携としての防衛から「知性運動」としての展開が必要、急務となっているというわけであるのである。
付録:「生きている事そのものの問いについて」