「再び 女人禁制と興行 について」についてある方からご批判を頂いた。よく理解できないというのである。
そこでちきゅう座様には悪いが本ブログをお借りして,もう一度小生の念頭にあったことを展開させて頂きたい。
相撲の歴史は『古事記』や『日本書紀』に記述があり,長い歴史を持つ。しかし後者には女性相撲が記述されており「女人禁制」ではなかったことが分かる。女性相撲については田中康夫氏の「No.266 だから、言わんこっちゃない!」(YouTube)に詳しい。
ところで「神事」とは何か。相撲がおカミの前で行われたから神事だという定義もあるが戦後は天皇はもはや「カミ」ではないから,長嶋―村山の天覧野球も国技館での天覧相撲も「神事」ではない。
評論家故・加藤周一によれば「神事」というものが日本の島根県と石垣島に見ることができる(『夕陽妄語』(朝日新聞社、1987));
ミホ神社の神事・・ミホの漁村の若者一人を選んで、「トーヤ」とする。若者は妻帯者でなければならない・・選ばれれば、一年間、妻との交わりを断ち、毎朝裸で海に入って、身を清める。その一年間の終わりに来るのが、年に一度の「トーヤ」を中心とする神事である。 カミは海上から村を訪れる・・・
アカマタ・クロマタ・・・石垣島の宮良部落のアカマタ・クロマタの祭り。村外れの低い丘に小さな空き地があり,その両側に村の男たちが,一方は赤はちまき,他方は白はちまきで、相対してならび,かけ合いで単純な節の、くり返しの多い歌を唱う。女は唱わない。これは男だけの祭りで,女たちはその見物人にすぎない。
南国の夏の陽が西に傾く頃,・・・仮面異形のカミ,アカマタとクロマタが現れる・・(以下省略)
二つの神事は「女人禁制」であることが伺われる。明治維新以後の天皇制と上記二つの神事とは無縁に今日まで続けられている。
ところで後者の神事に似た祭りをバリ島で見た。ケチャダンスと呼ばれているが,南国の,熱帯地方の陽が西に傾く頃,男たちだけが小高い空き地に集まり、両手を上に傾け,面をかぶった悪霊(またはカミ?)を迎えながら、腕を揺るがす。・・・
男も女も供物を運びある特定の場所に入っていく。我々観光客はその場所に入れない。・・・
恥ずかしながら小生は,加藤周一の研究者を自認するが,上の三つの「神事」を相撲の「女人禁制」問題と即座に結び付けられなかった。小生の能力の限界であろう。参考になれば幸いである。