不可視の物神性~廣松渉没後30年に寄せて

資本論の例の商品の物神性について記述した一節(商品の物神的性格とその秘密)は価値形態論で貨幣の必然性を説いた節に後続しており、そこで商品の分析は神学的こごとや形而上学的小理屈にあふれている、商品は自分の頭で逆立ちしその頭から妄想を繰り広げる、と言明されていた。つまり価値形態論で、商品の価値表現の発展を追求したのだけれども、それは商品が頭で逆立ちした過程なのだといっているわけだ。

これを真に受けて、価値形態論の妥当性そのものに手を付けないで、それが物神的性格の表れであり、その秘密を解き明かすのが物神性論の課題なのだとマルクス信奉者たちは考えてしまう。

物神性論の最初のところで、使用価値としての商品である限りは材木から作った机のように感性的に簡明で足で立っているが、商品としてはすべての他の商品に対して頭で立って、奇怪な妄想を繰り広げるといっている。このすべての商品に対して頭で立って、というくだりは先行の価値形態論の、価値表現の展開を指していることは明らかだけど、それが奇怪な妄想であるとはちょっと驚きの言い分で、価値形態論とは一見貨幣の必然性に関する厳密な論証になっているように思っていると、このちゃぶ台返しとでもいうよう言いざまでは一体何を読んでいたのだろうかと、面食らう人も少なからずいるだろう、今も昔も。

しかし少し頭を冷やしてみ給え。価値形態論を展開しているのはマルクスその人であって、商品が自ら何かを語っているわけではないのではないか。だがリンネルは商品語で上着にしかわからぬ言葉で語りかけているのだ、云々という表現を見ると、どうやらマルクスはそうした商品語を解するようで、そうなのかと振り返ってみると、初版序文の中で経済的細胞形態である商品形態や価値形態の分析には試薬も顕微鏡も役には立たない、それに代わって「抽象力」(内実は分析的蒸留法とヘーゲル弁証法のハイブリッド)のみが使われなくてはならないとしていた。こうしてみると、マルクスの依拠している「抽象力」の持ち主のみが商品の頭から繰り広げられる「妄想」を妄想として聞き取ることが出来るというわけだろう。そうして見て初めて「商品の物神的性格とその秘密」が意味を持ってくるのだ。

しかしどうだろうか、商品がその価値表現を行うために自ら動いて他の商品、例えば資本論の例に従うと、リンネルが上着を対象に選んでまずは単純な価値形態を作り出し、その「欠陥」から上着以外の多数の商品(無数というべきか)をさらに価値表現の対象として拡大された価値形態(価値表現Ⅱ)を展開し、さらにその「欠陥」から一般的価値形態(Ⅲ)が導かれ、最終的に貨幣形態が必然的に金貨幣の姿をとって導出される(Ⅳ)という筋道。この過程というのは、マルクス的「抽象力」の持ち主なら「見える」過程なのだろうけれども、筆者のような「凡人」には到底知りえぬ、直接的な現象の奥底に隠された「本質」ということなのだろう。しかし、そもそも商品同士が互いに価値表現の関係に入る事態を目にした人はいるのだろうか。少なくとも筆者にはそうした経験は皆無である。こういうと、いやいや戦後の闇市では、商品同士の交換比率が表に張り出されて、それに従った交換が行われていたではないかというような退屈な反論が聞こえてきそうだ。だがそれは限定された財同士の物々交換であって、商品の価値表現ではない。もし価値表現であるならそこから、拡大された価値形態を経て、その欠陥を克服した末に貨幣が生じなくてはならないが、そういうことではなかった。そもそも闇市を張っている「バイ人」と称される人たちは、交換で獲得した物財を販売するルートを持っていて、それで貨幣利得を得る立派な商人資本の担い手なのである。つまりそこにはすでに貨幣は前提されているのだ。

本題に戻って、価値形態論が、商品が繰り広げる「妄想」の体系的記述であり、金貨幣の生成が必然だとしたら、「凡人」にもその結果=金商品だけはいかに節穴とはいえ、目にすることが出来るのではないか。しかし現実はすでに金が貨幣の位置から退かされて50年が経過している。もし価値形態論が正しいのなら、金廃貨というという人為は覆されて金貨幣が再登場してもよいのではないか。

要するに、マルクスの説く物神性なるものは、経験的な事実ではなくマルクスのような第一級の頭脳の持ち主の知性のみが窺い知ることのできる、「叡知界」の出来事だということなのだ。これに立脚して物象化を説くのは、プラトン哲学の現代的継承者としてよさそうではないか。廣松は主著「世界の共同主観的存在構造」の序章で諸学の停滞、物理学の量子力学、経済学のケインズ経済学以降の停滞をあげつらって、「近代的世界観の超克」を希求する姿勢を示していたが、その後のそれらの科学部門の発展を見るならばそれは余りにも、実証科学をなめ切った発言ではなかっただろうか。

廣松が挑んだ疎外論は、ヘーゲル弁証法を客観についての過程的弁証法ととらえたうえで、主体の自覚的アンガージュを説く西田哲学(取り分けてその左派)を哲学的バックボーンとしており、それへの根底的批判を目指すものであった。がゆえに廣松物象化論は主体を消去した「静態的均衡論」、あるいは「構造主義より新しいものはない」(浅田彰)といった論評もあながち不当なものとして退けられない反弁証法的内実となったのも、批判対象からの反射拘束ではなかったか。そこにはカント研究者にして弁証法批判者であった指導教官、岩崎武雄の影を見ることも出来よう。がこの作業の深化については有意の哲学史研究者の手にゆだねたることとして、この稿を閉じることにしよう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1329:241130〕