不登校問題を考える 希望を持てない国にしたのはだれの責任か

大時代的な、あまりに大時代的な
 去る10月中旬、滋賀県東近江市の小椋正清市長(72歳)が、フリースクールについて、「国家の根幹を揺るがしかねない」、「不登校は親に責任がある」などと発言し、各方面から批判を浴びた。フリースクールは個人や民間企業、NPO法人が、それぞれの理念のもとに不登校児童・生徒を受け入れて教育を提供する。スクールは授業料を徴収することで維持されている。また基準を満たせば、学校の出席扱いを受けることもできる。
 不登校問題については、1989年の法務省の報告書が出されたころから見方が大きく変わってきた。報告書は、それまで一般的に使われていた「登校拒否」に代えて「不登校」の語を提案し、子どもの人権保障という観点からの課題を整理したものだった。そこでは不登校が保護者の責任という議論も完全に否定された。それからすでに30数年が経っている。「国家の根幹」という大時代的な表現を含め、市長の発言はこれまでの不登校問題についての調査・研究を無視した乱暴な議論というしかない。

内務省の亡霊か
 しかし、氏のキャリアを考えると、その発言も不思議ではないのかもしれない。氏は大学卒業後、滋賀県警に就職し地方警察官僚一筋の人生を歩んできた。地方警察は1947年まで、国内の治安維持を主務とする内務省の重要部門であったわけだが、内務省は学校の校長や教員の人事・服務・就学督励などの日常の管理運営に関わる事務についても集権的に管理していた。文部省もあったが、教科書など教育方法や教員養成(師範学校)など、どちらかといえば教育のソフト面の運営を担うにとどまっていた。
 とくに1930年代に軍国主義教育が徹底されるようになると、内務省は治安維持法を使って、大学では33年の京大滝川事件などで思想統制を徹底し、学校教育では同じ33年の教員赤化事件の教員弾圧によって、軍国主義教育推進に障害となる可能性のある教員の排除を徹底した。つまり警察官僚にとって、学校も警察と同様、治安維持と国民の戦争動員の装置であるべきだったのである。
 現在の警察組織には、その時代の意識がまだ底流に残っているのだろう。小椋市長は地方警察のエリート官僚として、この内務省の精神を色濃く受け継いだと思われる。学校に来ない子どもの親の責任を問い、不登校の子どもの教育機会を与えるための公費補助などは論外、と考えている。発言が報道され、各方面からの批判を浴びた市長は、「関係者の方々に不快な思いをさせた点は詫びる」が、「信念を持って発言している」として、発言を撤回しなかったことからも、そのことは明らかである。

不登校児童・生徒数は5年で倍増した
 さて不登校児童・生徒数を確認しておこう。先に発表された文科省の報告によれば、22年度の小中学校の不登校児童・生徒数 299,048人、在籍児童・生徒に占める不登校児童・生徒の割合 3.2%となった。17年度には、不登校児童・生徒数は144,031人、割合は1.5%だったから、この5年で不登校は倍増している。
 この急増の原因や背景については、今後の十分な検討が必要だ。しかし、この間、コロナ禍で臨時休校の期間があったり、オンライン授業となったりしている。通学とか通勤には、一種のイナーシャ=慣性が働いている。毎日のルーティンになっている動作がなんらかの理由で途切れると、大人でもそれまでしていたことの意味に急に疑問が生じたりすることがある。不登校の急増の背景には、子どもたちの学校の意味や価値への疑問が一気に噴き出したという面があるのではないか。

楽観的な時代があった
 さて、ここで少し話題を変える。筆者は埼玉県で長年、公立高校の教員を務めてきた。首都圏、関西圏を中心に1980年代は新設校ラッシュの時期であった。第二次ベビーブーム人口と60年代の大都市圏への若年人口の大規模な移動の要因が重なって、15歳人口が爆発的に増加したのである。神奈川県では長洲 一二知事のもと「100校計画」が掲げられて、実際に70年代から80年代にかけて100校が新設されたのである。多くの普通科高校の教員は、大学受験に向けて生徒たちの学力を養成することが主要な仕事と考えていた。教員の多くはそれぞれの教育理念をもっているのであるが、授業で意識されるのは基本的に受験学力である。
 しかし多くの新設校では思うような教育活動ができなかった。新設校が受け入れる生徒たちの学力はマチマチであったし、必ずしも大学進学を希望する生徒たちばかりではなかったからだ。このへんについては筆者の『なぜ公立高校はダメになったのか』(亜紀書房、2000年)に詳しく書いたので関心のある方は手に取っていただきたい。
 ある時、そのような新設校から次のような話が伝わってきた。進路指導主任の教員が学年集会で、有力大学に進学した卒業生の事例を紹介して次のように生徒たちに説教したというのである。曰く、「大学卒業後の彼は、誰もが知る有名企業に就職し、素敵な女性と結ばれ、子どもも授かって幸せな生活をしている」、「だから君たちも受験に向けて努力を惜しまないように」と。そして学年の担任教員たちに向かって、「さあ、これで生徒たちには火を付けた。あとはよろしく」と。ちょっと出来すぎた話で、作り話のように聞こえるだろうが、当時の新設校には有りがちな景色であった。

失われた30年と学校
 当時でも、この教員の話を真に受けて「火が付いたように」受験に向けて猛勉強に励んだ生徒が多くいたとは思わないが、今時、こんな説教を教員が真顔で生徒に向かってしたら、生徒たちは戸惑い、白けた気分になるばかりであろう。
 いまの生徒たちが育ってきたこの十数年、日本経済は低迷を続け、保護者の収入もよくて横ばい、悪ければ下がってきた。親の収入に期待できない生徒たちは進学のため、奨学金を借り入れなければならない。奨学金を利用している学生は全体の5割に達している。そのほとんどが利子付きである。借入額は平均で324万円、利子分を会わせて返済額は400万円とされる。大卒の平均年収の2倍近くの借金を抱えての社会人としてスタートとなるのである。
 卒業しても非正規雇用にしかありつけないかもしれない。首尾よく「有力企業」に就職できたとしても、その企業がいつまで存続するか、またその企業に居場所があるかも怪しい。社会の動きに疎い生徒でも、あまり明るい未来が見えないことは肌感覚で分かっているはずである。
 子どもたちに学校に通う理由として、将来のより良い生活保障しか示してこなかった日本の学校が、現在の子どもたちから疑問符を突き付けられるのも当然ではないか。不登校児童・生徒の急増はそのことを示している。

政治家の責任
 この30年ほどの日本は、若者に明るい未来を示すことができず、どちらかといえば、不安に満ちた薄暗い未来しか示せなくなっている。政治家としては、そのような社会をもたらした責任を感ずるべきなのだが、小椋市長は、高みから市民を見下ろし、説教するという時代錯誤的な姿勢を示している。
 足元を見ればわかるはずだ。琵琶湖東岸は工業地帯であり以前から外国人労働者人口が増加してきた地域である。東近江市にもブラジル人学校があるように、民族的、文化的多様化が進んでいる。不登校問題だけではなく、このような新しい状況への対応も求められてもいる。筆者はフリースクールが不登校問題の適切な解決法だとは考えない。学校自体が変わらなければ不登校問題の根本解決はないはずだ。政治家たちには、冷徹な社会認識に基づいた政治判断と行動が求められている。

初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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